14話
未開拓エリアへ向かう定期船が出るのは水の都でも一番大きな港だ。
朝の光の中、水色にきらめく水面の美しさは私もお気に入りで、きらきら輝きながら流れていく川が全世界に広がっていく景色は見るたびに不思議な感慨がわき起こる。
船着き場には魔導船が停泊していて、甲板へあがるためのタラップの横で、モギリが乗船客たちを急かしていた。
一列になって船に吸い込まれていく人々には、武装した開拓者と、大荷物を引いた商人が多い。
未開拓エリアへ向かう船はだいたいこんなありさまで、船内で彼らは酒を飲み、大いに語らい、そして商売をする。
そこには、この世界のこの時代のこの場所において間違いなく文明の最先端たる混沌があった。
開拓者とそれを客にした商売が、国の運行する船に乗りひとまとめに未開拓エリアへ運ばれていく様子には、世界の縮図が見えるようだ。
「やっぱりこの船に乗るのか。相変わらず思い立ったらすぐに行動するヤツだな」
ユメの手を引き乗船を目指す彼を待ち受けていたのは、金髪の青年だった。
リナルド。
強豪開拓者団である水竜兵団の副団長――の、一人をつとめる優秀なる開拓者だ。
「おはようリナルド。見送りか?」
「オレはお前の恋人かなんかかよ」
リナルドは笑う。
彼も、無表情な彼にしては珍しく、笑みを浮かべていた。
「一緒に来る気か」
彼はリナルドの身支度を見て言った。
屈強さと優男ぶりを併せ持つ金髪の男は、口をヒモで閉じた大きな袋を肩から提げていた。
遠征慣れした開拓者なので荷物自体はコンパクトにまとめられているが、だからこそ『見送りに来ただけ』にしては過剰な荷物だ。
鎧を身につけていないのも、街で仕事をするのではなく、これから船旅をする気ならば納得だ。
腰に剣を差している――魔法使いなら杖、剣士なら剣、というように自分の役割に必要になる武器を持ち歩くのは開拓者として当然のたしなみではあるし、ユメを連れた彼だって腰には剣があるけれど、それでもブロードソード二本差しは、やはり過剰だ。
片方は予備用の武器なのだろう。
樹海エリアのベースキャンプには武器屋も当然いるが、それでもその場で買うものより慣れ親しんだ武器を予備用に持っておきたい開拓者は多いのだ。
リナルドは肩をすくめる。
提げた荷物からは『がしゃり』という、おそらく手甲や胸当てがこすれたのであろう音がした。
「お前は危なっかしいからな。『なんかある』ってわかった以上、行動はなるべくともにしたほうがいいだろう。……まあ、どのみち、近々団長と交代するつもりではあったんだ。あのヒト、ギルド長から逃げてるだけだしな」
「そうなのか」
「……それよりお前、樹海エリア探索許可はあるのか? ないならオレか団長が代理で出せないこともないが、ギルド長の許可があったほうが自由にやりやすいぞ」
「前に、原住民たちの保護をリナルドに依頼しただろ」
「……ああ。誘拐された連中な」
「その時にギルド長から受けた仕事が、まだ達成できていない。その仕事を達成するまでは、樹海を自由に探索できるはずだ」
「ふうん? ギルド長の許可はもうもらってるってわけか。妙なところで手続きをきちんと終えてるのはお前らしいな。……ま、なくても開拓委任開拓者団のメンバーだしな。オレか、他の副団長か、団長に頼めば自由探索の許可ぐらいもらえるだろうけど……お前、オレらに黙ってることあるだろ? だからオレらに頼みにくかったんじゃないか?」
「黙ってることぐらい、普通にあるぞ」
「……言えないことか?」
「団長や副団長たちには言ってもいいと思ってるけど、ヒトの多い場所では言いたくないな。というか、頼みにくかったというか、樹海に行く用事を決めた時、目の前にギルド長がいたから、ギルド長に探索許可をもらうのが手っ取り早かっただけだ」
「わかった。……今日はベースキャンプに泊まるだろ? その時に団長もまじえて、水竜兵団のテントでお前の秘密を聞き出してやるからな」
「わかった。白状する」
「じゃ、行くか」
彼とリナルドは肩を並べて歩き出す。
手を引かれて、ユメも定期船に向けて歩き始めた。
ちょうどその時、定期船のほうからどよめきがあがる。
ざわざわとしたヒトたちの声は、どうにも船の内部から伝播してきているようだ。
彼やリナルドの耳には「ケガ人が」「どこから現れた?」「原住民か?」というような、恐れ、あるいは困惑するような声がとどいたことだろう。
彼らが視線を船に向ければ、タラップを転がり落ちてくる大柄な獣人を目にすることができた。
それは彼らにとって見覚えのある人物であっただろう。
いつか、樹海集落あと地で、ユメと彼を襲った戦士。
そのうち一人が、転げ落ちてきたのだ。
大柄な彼は乗船を希望する列に向けて転がった。
人々はそれをとっさに避け、あるいは巻きこまれてはじき飛ばされる。
もともとの重量があり、なおかつ回転を自力で止めるほどの力が出なかったのであろうその人物は、ごろごろと転がり――
ちょうど、彼とリナルドの足もとあたりで止まった。
「大丈夫か?」
彼はしゃがみこみ、戦士に声をかける。
戦士の首には治療のあとが見られた。
……ビンタで首を真後ろに向けられたヤツだろう。首の骨を固定するためにつけられた添え木と包帯を身につけている。
そうして、ケガをしていた。
左腕に――無数の針を突き刺したかのような、細かい刺創がいくつも存在している。
そこから血があふれ、波止場の石畳の上にじわりじわりと赤い水たまりが広がっていた。
「ア……ア……」
「しゃべらなくていい。意識をたもて。……リナルド」
彼が呼びかければ、リナルドは「わかってる」と応じた。
大声で船医を呼びつつ、それから「乗客の中に水竜兵団はいるか! 副団長のリナルドだ! 集合してくれ!」と叫ぶ。
乗客にまじっていたらしい水竜兵団メンバーたちが、船から、列から、不可解そうな顔をしつつも素早く応じる。
「集会所に運ぶ。誰か――お前がいいな。ラウナ、先に行って治療の準備を整えさせてくれ」
ウサギを思わせる耳を生やした小柄な獣人は、無言のままうなずいて駆けだした。
かなりの俊足だ。そういった特徴を把握しているからこそ、リナルドはその獣人を指名したのだろう。
「それ以外はここに残って原住民の運搬と、守護を手伝え」
守護?
そう思ったのだろう、団員たちが、首をかしげる。
リナルドはほんの一瞬、考えこむように頭を掻いてから、
「この原住民は樹海ベースキャンプから誘拐された者だ。犯人がそばにいる可能性に備えろ」
短く指示を出す。
……原住民保護に対する意識の低さは、リナルドや彼が述べた通りだ。
まあ、その意識の低さゆえに、リナルドは『開拓者』ではなく、この場にいなかったかもしれない『水竜兵団のメンバー』をわざわざ招集したのだろう。
実際、開拓者をふくむ多くの乗客たちは、出航直前に突如転がり出てきた問題に対し、迷惑そうな顔をしているだけだ。
けれど水竜兵団のメンバーたちは、副団長の言葉に従い、それぞれの武器を抜き放った。
人間、エルフ、ドワーフ、獣人、とびきり小さいのはピクシー種か。
つい先日まで未開拓エリアの原住民と呼ばれていた『熱帯雨林の民』や『峻険なる山脈の民』たちも、そこにはいた。
それら性別や故郷どころか人種さえバラバラな七名は、副団長リナルドをずいぶん信頼しているようだ。
そうやって備えをしているうちに、遅ればせながら船医と思しき者が降りてくる。
王国医師団所属らしく、真っ白いローブを身にまとい、そのローブの背にはユニコーンの刺繍がされていた。
「に、が……」
戦士は必死になにかを言おうとしている。
彼は言葉を聞き取るために顔を近付け、同時に脈拍や呼吸音を確認しているようだ。
その彼の襟首を、ケガをしているとは思えない速度でつかみ――
戦士は、最期の力を振り絞ったかのように、ハッキリとした声で言った。
「その子を、逃がしてくれ」
もう一瞬だけ発言が遅ければ、戦士が必死に絞り出したその声は、彼の耳にとどかなかったかもしれない。
大きな音が響いたのだ。
その打擲するような、破裂するような、『パァン!』という音は、その場にいる全員が思わず耳をふさぐほどのものだった。
「はいはい、みなさんお静かにー。黙っていれば紳士的な対応を心がけますよー」
ぎしり、ぎしり。
定期船と波止場をつなぐ木製のタラップをゆっくり降りてくる誰かがいた。
真っ黒な衣服に身をまとった少年だ。
まだ幼い雰囲気を残すそいつは、ニコニコとどこかうさんくさい笑みを浮かべながら、前を歩いていた王国医師団のメンバーを無造作に横にどかし、水の中に突き落とした。
静寂の中、ドボン! という医師の落ちる音がやけに大きく響く。
タラップを降りきった少年は、左手で柔らかそうな黒い髪をかき上げて、右手に持った不可思議な物体を、地面に転がる戦士に向けた。
その物体に、刃はついていない。
鈍器でもない。
飛び道具だ。
ただし、一見してそれを飛び道具だと看破するのは、この世界の住民には不可能であろう。
それはハンドガンだった。
トリガーを引き、内部で火薬を爆発させ、その衝撃力で発射した弾丸で敵を撃ち抜く武器だ。
異世界の武器。
それを操るあの少年は、どうやら私の知らない、異世界転移者で間違いがなさそうだ。
私の転移させた子じゃないから、きっと、私以外の神が転移させたのだろうね。
神同士の横のつながりはないので、はっきり言って、その登場は唐突で、少なからずおどろかされた。
だから銃なんかないはずのこの世界で、いきなりハンドガンを見せつけられた彼だって、私同様おどろいてていいはずなのに――
彼は落ち着き払ったいつもの表情のまま、小さな小さな誰にも聞こえないような声でつぶやくだけだった。
「アレはやっぱり薬莢だったのか」と。




