13話
彼は樹海エリアに行く気まんまんなんだろうけれど、さすがにその日のうちには行動に移さなかった。
水の都から樹海エリアへは定期船を使って行くことになるのだけれど、この定期船はそこまでの数運行していない。
おまけに数日かかる旅路になる。
……まあ、開拓者はその『数日かかる旅路』を日常的におこなうのが仕事で、彼ももちろん、そういう生活に慣れてしまっている。
だから今回、『よし、すぐ行こう』とならなかったのは、定期船の運航スケジュールと、それからユメをおもんばかってのことなんだろう。
子供には数日間の船旅はきついからね。
そんなわけで水竜兵団集会所で話を終えた彼らは、いったん家に戻ってきた。
三階建ての呪いの館。
小高い場所にぽつんとたたずむいわくつき物件。
翼とブースターでもつければそのまま宇宙を目指して航行しそうなその建物に帰り、まず彼らは食事をとることにしたようだ。
一階のリビングは相変わらず物寂しくて、白い壁の中でひと組の親子が、長いテーブルについているだけだ。
遠くから聞こえる小舟を駆る船頭たちの歌声が、よりいっそうこの空間の物寂しさを強くしている。
採光窓から取り入れられた昼の日差しの下、テーブルに並べられた料理に向けて、親子は「いただきます」と手を合わせた。
もちろんこの世界の習慣ではなく、彼が昔いた世界の習慣だ。
普段はやっていないが、家の中での食事では、気が向けばやるようにしたようだった。
「スキルの説明はだいたい解釈のしかたが難しいんだけど、たぶん、俺の料理スキルは上がってるっぽいな」
自分で作った魚介類のパスタを食べながら、彼はご満悦だった。
まあぼけーっとした無表情なのだけれど、なんとなくご満悦に見えるという感じだ。
長年あいつを見続けた私だからわかる、細やかな表情の変化だ。
どうしよう、わかったところで、嬉しくない。
私はヒトの食べ物の味についてよく知らないけれど、彼の作った料理が美しいのはわかる。
貝殻の表面の黒さと、ソースの赤さ、それにパスタの黄色い色が美しいコントラストを描き出している。
たっぷりと旨みがつまっていそうなスープにつけられたそれをフォークでからめとれば、ちゅるちゅるとなめらかに動き、からまり、その動きには芸術的な趣も感じられた。
貝殻から中身を取り出し、パスタと一緒にほおばったユメは、にまにまと口もとをゆるませている。
きっと笑えてしまうぐらいおいしいんだろう。
『伝説のパパ。
ユニークスキル。
至上の父親となる運命の持ち主。
このスキルを保持した者は、『子』と定めた相手を守る際に、日常、非日常にかかわらず、ふさわしき無双の力を発揮するであろう。
――父は子を守るものと、父に守られたあなたは知っている』
たしかに私がスキルを与える以前、彼はそこまで料理上手でもなかった。
並って感じだ。……料理自体は日常的にしていたものの、料理の才能も、なかったのかもしれない。
だから、たぶんスキル欄にある『日常、非日常にかかわらず、ふさわしき無双の力』というあたりの、『日常的な無双の力』に『料理』がふくまれているのだろう。
つまりあの料理がおいしいのは私のお陰だ。
だから、彼らが食事前に両手を合わせて祈るべき対象は、私ということになる。
信仰されると気持ちがいいので、もっと私に祈れ。
でも、あいつら、神のこと忘れすぎなんだよなあ……
神は見てるぞ。見てるんだぞ……忘れるなよ……
「歳をとって開拓者を辞めても、料理人としてやっていけるな」
「お、お、お父さんは……」
ユメはまだ、彼を『お父さん』と呼ぶのに照れがあるようだ。
いちいちつっかえながら、恥ずかしそうに『お父さん』と呼ぶ様子には、子供らしいかわいらしさがある。
「開拓者、続けるんですか? 危なく、ないんですか?」
「危ないぞ」
「……だったら」
「でも、お前の能力をどうにかするアテが見つかるまでは続けようと思ってる。たぶんそれは、街で料理人をしてたら見つけられないものだと思うから」
「……私は、今のままでも……お店とか、開くなら、お手伝いします。なにか、表に出ない、ヒトに触らないような仕事を……」
「俺たちはずっと手をつないだまま生きてはいけない」
「……そんな」
「すごく当たり前のことだけれど、俺はお前より先に死ぬ。エルフやピクシーとかじゃなくて、人間だからな。人間と獣人は寿命も近い。だから、年上の俺の方が、先に死ぬもんだし、先に死ぬべきだ」
「……そうかもしれないですけど」
「それに、俺はずっとお前の手をつないだまま生きていくつもりはない。親は子供から手を離すものだと思う。今じゃなくても、いつかきっと、離すものだ」
「……私は、ずっと、あなたと一緒に」
「それも素敵なことだと思うけど、きっと、それはできない。だってヒトはある日突然死ぬから」
「……」
「つい今まで目の前にいて笑っていた相手が、突然消えることがある。俺は、俺の父さんがそうして消えたのを見た。そして俺もきっと、妹の目の前から突然消えたんだと思う」
「お父さんは、一度死んだんですよね? それは、いったい、どういう意味なんですか?」
「……お前に嘘はつきたくないから、正直に言うけど、信じなくてもいい」
「はい」
「俺はこことは違う世界で生きてて、その世界で一度死んだ。そして今、この世界にいる」
「……えっと」
「異世界転移、っていうらしい。……お前にうまく説明するのは難しいな。『世界は複数存在する』『世界と世界の橋渡しをする存在がいる』『ある世界で死んでも、ある世界でまるで生き続けてたみたいに生活を再開できる』……すごい。ありえないことばっかりだ。説明したら、おかしなヒトだと思われるな、これ。こんな前提はまともなヒトなら呑み込めないと思う」
「……」
「でも、全部真実だ。俺が体験した、真実で――俺の家族はこの世界にいないけど、前の世界にいた。前の世界で俺は父さんを失い、母さんと妹は俺を失った」
「え、えっと、よく、わからない、ですけど……私、信じます。わからないなりに、信じますよ」
「まあどっちでもいい。ただ、俺は嘘をつかないだけだ。お前にだけは」
「……ありがとう、ございます」
「礼を言われるようなことじゃない。親子っていうのはそういうものだって、俺が思ってるだけだ。俺の両親のことを思い返して、きっとそうだったんだろうなって思うことをやってる、だけなんだ」
「……」
「俺だって親をやるのは初めてで、いっぱいいっぱいなんだよ。それでも必死に、どうにかやってる。……俺の両親を見本にして」
「お父さんのお父さんやお母さんは、どういうヒトだったんですか?」
「……一言で言うのは難しい。子供にとって親は、一言じゃ言えない存在だと思う」
「……」
「ただ、放任主義ではあったかな? 子供はいつか巣立つものだから、巣立ってもいいように準備はさせてた――とか、母さんが漏らしてたのを聞いたっけ。……まあ、父さんが死んでから母子家庭だったし、俺と妹の面倒をみる余裕がなかった母さんの強がりだったのかもしれないけれど」
「……もし、私が、あなたから離れたくなくっても、あなたは私を巣立たせようとするんですか?」
「どうするにしたって、巣立つ能力と心構えはあったほうがいい。世界が変わっても心構えは役に立つ。全部お前の意思次第だけど、俺はお前が一人になってもいいように育てるだけだ。そして巣立つのが自然なことだとは思っている」
彼はずいぶんと親の教えを高く見ているようだけれど、天から見ている私としては、少しイヤな気分にならざるを得ない。
だって彼は親の教えのせいで一度死んでいる。
轢かれそうな仔猫を助ける――『未来の自分が読んだ時に誇れる日記になるような行為』のすえ、命を落としているのだ。
普通、教育は生存本能を上回らない。……少なくとも、彼の過ごした平成の日本では、そのはずだ。
ところが彼は、教育を生存本能の上に置いてしまっている。
『未来の自分に誇れる今日を生きる』という教育を実践するために、死ぬことができる精神性を持っているのだ。
リナルドも言っていたが、英雄の生き様として間違いではなくっても、ヒトとしてはおかしい。
……とはいえ、ただの粗忽者だという可能性もある。
仔猫を助けた時だって、『死んでも助ける』と思っていたわけじゃなく、『死ぬと思ってはいなかった』みたいな様子だったようにも、感じられた。
なににせよ無表情なもんだから内心がよくわからん。
そこが無気味で、そこが『異世界転移者』という出自以上に、彼が周囲から浮いている要因に思える。
「ともあれ、明日は樹海に行く。そこは同意してもらいたい。……お前を引っ張り回して、お前に約束した『普通の暮らし』をさせてやれないのは、申し訳ないが……」
「謝るなら、私のほうです! ……だって、全部、私のせいなのに」
「お前が望まず獲得したスキルだ。これのせいで降りかかるあらゆることは、お前のせいじゃない。強いて言うなら――神様のせいかな」
神様にだって責任はないよ。
あの世界で『才能』と呼ぶべきものは、基本的にランダムで振り分けられるものだ。
転移者でもないユメのスキルまで、神様の知ったこっちゃない。
神に悪意はないんだ。ただ、おこないがヒトにどう映るかを知らないだけで。
少なくとも、私はそう。
まあ。
私のさらに上位の存在や――同じように世界を見守る私の同胞の性質までは、知らないけれどね。




