第8話
それから一週間近くが経った。涼平は相変わらずいつも通りで、最近では本当に涼平の中に劉孤がいるのかと再び疑い始めているくらいだ。疑った所で力が少しだけ戻ってくるという満月の日が来るまでは、どうしようもできないらしいんだけど……。
「ん……、狼、くすぐったいんだけど……」
「ああ、すまない」
そう言いながらも、狼は真剣にオレの体に残ったにおいをかいでいる。最近特にしつこくなってきているのはオレの気のせいだろうか?そんな事を考えていたら、狼に左耳を舐められた。
「ちょっ……、何でいきなりグルーミングなんだよ!?」
「アキヤの匂いを嗅いでいたら、したくなった」
したくなったって……。いきなりされるのはヤバい。
何がヤバいって、狼のグルーミングを受けすぎたせいか、耳が弱くなってきてる気がするんだ。
オレはあわてて左耳を押さえると、狼から距離を取った。
「アキヤ? 何故離れる?」
「気にするな! 個人的な事情だ!!」
だんだん恥ずかしくなってきて、真っ赤になりながらさらに狼から離れた。狼が小さく首をかしげる。
う……。だから、そう言う可愛い仕草はやめてくれ。ついギュってしたくなっちゃうだろ。
そう思いながらも、照れ隠しにオレは、話題を変えた。
「そ、それよりさ、明日!! 狼が見つけたお気に入りの場所、案内してくれるんだろ?」
「ああ、そうだ。どうしても今のうちに行っておきたい」
今のうち?……とは思ったけれど、何か事情があるのかと、あえて聞かない事にした。聞いても答えてくれないような気がして……。
最近の狼はどこかがおかしい気がするんだ。切羽詰まっている、というか、あせっている、というか……。だから、気付かないふりをした。
「じゃあ、寝坊しないためにも、今日は早く寝ないとな。おやすみ」
そう言って、布団の中へ入った。全然……、全く眠くはないけれど。狼もしばらく呆然としていたみたいだけれど、すぐにオレのベッドの横に敷かれた布団の中に入ったみたいだ。
「アキヤ」
「なんだよ?」
斜め下からかけられた狼の声に振り返らずに答えた。何故かしばらく沈黙が続く。あまりにも返ってこない返事が気になって、オレは下を覗き込んだ。
「何だって聞いてるだろ?」
「呼んでみただけ」
んな!?何だよそれ……。久しぶりにこいつはアホだと思ってしまったぜ。オレは呆れかえって布団の中に戻った。
「アキヤ」
もう返事は返してやらない。そう思って無視していたら、狼がまた俺の名を呼んできた。
「アキヤ。アキヤ……、アキヤ……」
名前を呼ばれるたびにどんどん恥ずかしくなっていく。
「アキヤ、アキ……ヤ。アキヤ……」
「だー! もう恥ずかしいからヤメロ!! なんなんだよ、……ったく」
「アキヤ……。…………て……る……」
「だから! やめろって……」
そこまで言って、下を覗き込んだら狼は既に夢うつつだった。どれだけ早い寝つきなんだ、こいつは。それでもなぜかニヤけてしまう。
「ヒトの名前……連呼してんじゃねーよ……」
狼の寝顔を見つめていたら、いつの間にかオレまで眠りについていた。
「すっげー! まさか学校の近くにこんな見晴らしのいい場所があったなんて知らなかったぜ!」
次の日、約束通り狼のお気に入りの散歩コースに、オレも一緒に連れてきてもらっていた。あまりにも綺麗な見晴らしは、感動ものだ。
「地元でも知らない場所ってあるんだなぁ」
「気にいったか?」
狼の質問には思い切りうなずく。本当に、また来たくなるような場所だ。オレは振り返って狼の方を見た。
「オレさ、実はパーティーの計画立ててるんだぜ?」
「パーティー?」
「そ。だってオレの誕生日なんてお前のおかげで、しょぼしょぼだったじゃん」
数日前のオレの誕生日を思い出すと今でも悲しくなってくる。もちろんオレに用意されていた九百九十八円の高級肉は狼の腹の中だったけれど。
悲しいのはそれだけじゃない。オレに用意されていたものは肉だけじゃなくて、ケーキもだった。ケーキもあったらしいんだけど、それだって姿も見ずに終わった。
何故かって?それは、オレが学校に行っている間に狼が全て食べたからだよ。「初めて食べた! うまかったぞ!」……と、狼の感想のみが残されていただけだった。お袋に何で止めてくれなかったんだと抗議したら、『だって、食べる姿が可愛らしくて~』と返ってきた。オレの誕生日だってことは完全に忘却されているようだった。
そして止めはこれだ。
豆腐に十六本のろうそくを立てて吹き消したことだ。お袋曰く『色は一緒よ!!』ということらしかった。何が悲しくて十六歳の誕生日に冷ややっこなんだ……。本当に、今思い出しても泣けそうだ。
「名目は狼の力復活おめでとうってことでさ。もちろん肉とケーキはお袋に頼むとして、だけど。あのケチなお袋もお前のためならきっと買ってくれるだろ?」
「冷ややっこも用意しないとな」
狼の言葉を聞いて力が抜けた。
「何で冷ややっこなんだ」
「? アキヤの大好物じゃなかったか?」
「んなわけあるか!!」
アレはお前のせいでそうなったんだろうが!……と言ってやったら、小さく首を傾げやがった。全く反省していない……。オレは深く、深ーく溜息をついた。
「今度一人で食ったら飯抜きだからな」
「飯抜き……か」
狼が意味ありげに呟いた。そのままオレの体を抱きしめてくる。
「ちょ、狼!?」
「今できる事をしておく」
言っている意味は分からなかったけれど、オレは抵抗しなかった。背中をぽんぽんと叩いてやる。
「このまま劉孤を放っておいたら……」
そんな事をつぶやく狼を、睨みつけてやった。
「そんなことしたらオレ、狼の事嫌いになるぜ? お前だって力が戻らないと困るんだろ?」
オレの言葉に狼が首をかしげながら聞いてきた。
「嫌いになる? 今はオレの事を好きという事か?」
オレの顔が一気にトマトのように熟れていく。今まで気にせずにいた自分の気持ちに気付かされたみたいだ。
「そ、そうだよ!! 嫌いじゃないよ! す、す、す、すきって……言うのかもな!!」
狼が、それはそれは嬉しそうにほほ笑んだ。オレはどんどん恥ずかしくなる。
「か、帰る!!」
それだけ言うと、狼から離れて、家までの道を急ぎ足で歩いた。このまま狼と居たら頭の上から蒸気が出そうだ。
「アキヤ! パーティー、楽しみにしている」
そう言いながら、狼もついてくる。照れすぎて、返事が返せなかった。
そして……、その日からまた数十日が経った。狼と出会ってからは一月ほどだ。今日は待ちに待った満月の日でもある。狼の歯が、出会った時のように鋭くとがっていた。
「決着は夜まで待ってほしい。取りに行くものもあるし、やっておきたい事もある」
そう狼が言うので、とりあえず確認のためにと、朝、少し離れた場所から、登校についてきてもらうことにした。今さらだけど、涼平が劉孤じゃなければいいと願ってしまう。
狼は、黒いTシャツに黒いパンツという至ってラフな格好だ。何故黒づくめなのかと聞いたら、尾行には黒が常識だ……ということらしかった。どうせお袋の入れ知恵だろう。そんな出で立ちで、オレより数メートル離れた所からついてきている。
「秋夜、はよっす」
「おう、はよ」
涼平がこちらに近づいてきた。狼の方をチラリと見たら、狼がかすかに首をかしげている。もしかして涼平の中に劉孤がいないんだろうか?そう思ったら、少しだけ嬉しくなってきた。足取りが軽い。
「そういえば秋夜、宿題わかったか?」
「ほあ?」
いきなり聞いてきた涼平に、間抜けな声で答えた。
「寝ぼけてんのかよ? 古文で出てただろ? 宿題」
「うが!? や、やべぇ……。宿題忘れてた……」
昨日は明日が決戦だ!!……なんて気張ってて、宿題の事なんてすっかり頭から抜けていた。いきなり日常に戻された気分だ。
「涼平~。助けて……」
困った時の涼平様だ。オレが困っている時はいつも助けてくれるから頼りになるんだよな!
そう思って、出来るだけ自分の目を潤ませながら涼平を見上げた。
「まあ……助けてやるのは構わないが……。たまには俺にも得があってもいいよな? なぁ? 秋夜少年?」
くっ……。こういう時の涼平はまるで悪代官のようだ。
「さぁて……、何をしてくれるか楽しみ……」
そこまで言って、涼平が言葉を止めた。アレ?っと思ったら……。
「どうわ!?」
「はよーっす!!」
オレの背中に透の鞄が襲いかかってきた。また今日も勢いでつんのめる。
「秋夜、ホンットに学習能力ねーなぁ。お前もある意味透の仲間かも」
「そっかぁ? 俺ら元々仲間じゃん?」
「お前と一緒にすんな!!」
オレまでアホの部類にされるのはイヤだ。……なんて考えていたら、そのオレの手を誰かが握ってきた。
振り返って見てみれば、黒づくめの男……、狼だった。
「帰るぞ、アキヤ」
「なッ!?」
狼はそのままオレの手を引っ張っていく。何が何だか分からないまま、唖然とした涼平と透をその場に置いて、オレは何故か家に連れ戻されていた。
「ろ、狼!? なんだよ? どうしちゃったんだよ?」
玄関をくぐって、狼はキッチンにいたお袋に「アキヤの調子が悪そうだから休ませる。俺が見ているからハルカは心配しなくてもいい」なんて言い残し、そのままオレの手を引っ張って部屋に入った。オレの体がベッドに放られる。
な、何でこんな乱暴な扱いされなきゃいけないんだよ!?腹が立って起き上がろうとしたら、狼に押さえつけられた。
「アキちゃん、大丈夫? 私、パートに行っちゃうけど、何かあったら電話しなさいよ? それから、学校の方には連絡しておくわね」
ちょうど、押さえつけられている所に、お袋が顔をのぞかせて、そんな事を言ってきた。今さら健康ですなんて言えなくなってしまった状況だ。
「アキヤに何かあったら電話する。安心して行って来い」
オレの代わりに何故か狼が答えた。お袋は安心した顔で出ていったけれど、今は狼が一番危険な気がするのは気のせいだろうか?お袋が出ていって、扉が閉まった途端に、狼がオレを抱きしめてきた。
「ろ、狼!!」
「違う。リョーヘ―じゃなかった。劉孤はもう一人の中にいた」
それって、もしかして……。恐る恐る聞いてみる。
「透……か?」
オレの質問に、狼がうなずく。
「トオル……だった」
「アキヤ……。俺は、アキヤの事を……」
そこで一旦言葉を止めて、オレの左耳に唇を近付けてきた。
「愛している」
耳の中に囁かれる。オレの心に、ずしんと響いてきた。
「狼……、オレッ……」
背中越しに狼の熱が伝わってくる。まるでその熱に侵されていくみたいだ。
狼のぬくもりに包まれたまま、俺はいつの間にか眠ってしまっていた。