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第4話

「良かったか?」

 狼からの二度目の質問。

「ああ、よかった」

 恥も何もかもをかなぐり捨てて素直に良かったと答える。



 一度目の時に『いい訳あるか!』と答えたら、ならもう少し……。と、さらにベロベロされたからだ。オレだってこれぐらいの学習能力はある。

 オレの返事を聞いて、狼が嬉しそうにほほ笑んだ。オレの心臓がドキンと跳ねる。

 だ、だってさ、こいつもこんな顔するんだって思ったら何か……さ、ビックリしたっていうか……。



 ちょっとだけ照れて下を向いたら、狼のアレが目に入ってきた。アレって?……とか聞かないでほしい。起き上がって正面に全裸のヤローがオレの体をまたいで座っているんだ。下を向いて目に入ってくるものなんてアレしかない。

 オレは狼の下から這い出ると、ベッドから降りて自分の着替えをとり、部屋の入口へ向かった。背中越しに狼に声をかける。

「もう一度洗い直してやるから来いよ」




 そのまま部屋を出ていく。洗い直してやる……なんて、ただの言い訳だ。本当は一刻も早く自分の顔を洗いたくて仕方がなかった。まあ、これ以上あのぬるぬるした体でベッドを汚されたくないってのもあったけどさ。

 とにかく、ヤツに早く服を着せないと、オレにもお袋にも目に毒だ。あんな巨大と言ってもいい程のものぶら下げられてちゃ困るんだよ。オオカミだって言うくせにあのサイズはないだろ!?背だってオレより十五センチは高そうだ。



 ……って、身長の話はもういい。出来るだけしたくない。

 先に浴室へ行って、そでをめくったワイシャツと裾を折り曲げた制服のズボンのまま、シャワーで顔をジャバジャバと洗っていたら狼が扉の隙間から顔をのぞかせた。

「入ってこいよ」

 言って足元の風呂イスを勧める。狼が恐る恐る浴室の中に入ってきた。あまりにも怯えきったその足取りに、オレはついプッと吹き出してしまった。




「何だよ? ただのシャワーだろ? そんなに怖いのか? 水」

「あ、ああ……。まだ力を奪われる前、オオカミの姿だった時に滝から落ちた事があるんだ。かなりの高さで、あの時俺はもうダメだと思った。だから少しの水ならいいが、たくさん溜められた水や流れる水、上からまとまって落ちてくる水はダメだ」

 あ……、そんな事情があったんだ。ガキかよ……、なんて思って悪かったかな……。

 オレは狼に気を使って、出していたシャワーのコックを捻って止めた。代わりに浴槽の中に溜まっていた湯を近くに置いてあった洗面器ですくう。



「洗い流す時だけは少し我慢しろよ? 出来るだけ気をつけるけど」

 洗面器に張った湯に体を洗うスポンジを浸し、少しだけ水気を絞って石けんをつけた。クシュクシュとしたら上手い具合に泡がモコモコと立ってくれる。

「おお! 何だこれは!? この石けん、こんなにモコモコするものだったのか!?」

 狼の目が輝きだした。勧めた風呂イスに座ると面白そうに泡とたわむれ始めた。




「お前……、石けんとか今まで使わなかったのか? 力を奪われてからはその姿だったんだろ?」

 良く考えれば水嫌いの狼が風呂に入るなんて変な話だ。だとすると、今の姿になってから一度も……?そこまで考えてげっそりとした。オレ、数カ月も風呂入ってないヤツにベロベロ舐めまわされ……。

 そう思ったら自分も石けんをつけて洗いたくなってきてしまった。だけどそれはオレの杞憂だったみたいだ。

「石けんは使ったことがないが、体と頭は以前一緒に居た雌に綺麗にしてもらっていたぞ。ハミガキ……というものも教えてもらったしな」



 ナイス雌!!……と思ってしまってから、心の中ですみませんと謝っておく。オレまでついうっかり雌とかゆっちゃったよ……。

「その歯で歯磨き……とか言われても、できるのか?」

 狼のとがった歯を見て思ったことがポロリとこぼれた。

「ああ、この歯は満月の日だけなんだ。明日には人間のようになる。満月の日だけはオオカミの姿に近くなるんだ」



 オオカミ男……。なるほど。お袋が言っていたことが間違いじゃないと悟った。

「アキヤ、もっと泡を作ってくれ」

 目をキラキラさせながらそう言ってきたので、オレは狼の髪を湿らせるとシャンプーを手にとり泡立てた。

「そっちのは何だ? アキヤ用か? アキヤも泡で遊ぶのか?」



「違うって。これは頭用」

 狼の言葉を否定して泡を狼の頭に乗せてやった。狼はめちゃくちゃうれしそうだ。

「アキヤは泡を作るのが上手いな。アキヤの作った泡は楽しいぞ」


 べた褒めだ。なんだか嬉しくなる。オレ、褒められると弱いんだよなー。

 照れ隠しに狼の頭をワシャワシャと洗った。

「さ、てと……。そろそろ洗い流すぞ?」

 言った瞬間、狼がビクッとした。その反応に、少しだけ気を使う。



「ゆっくり流すから、目ぇ閉じてろ」

 そのまま頭を下げさせ、ゆっくりと流し始めた。ゆっくり流していたはずなのに、急に狼が叫び出した。

「いッ! 痛い! 痛いぞ、アキヤ!!」

「バカッ! 目ぇ閉じてろって言っただろ!?」

 どうやら流していたシャンプーが目に入ったらしい。本当に子供を相手にしている気分だ。

「うー……、うう……。やはり水は嫌いだ」



 そう呟く狼に、何故か笑いがこみあげてきた。何だか弟ができた気分だ。

「仕方ねーなぁ。明日シャンプーハット買ってきてやるよ。だから今日は……、我慢しろ!!」

 そう言って、容赦なく狼に付いていた泡を洗い流した。ついでに横に置いておいた乾いたタオルで急いで狼の頭についた水気をぬぐってやる。

 なぜか、いきなり立ち上がった狼に抱きしめられた。狼の頭の上にタオルが乗ったままになっている。



「ちょっ……、濡れるんだけどっ……! 何だよ? 急に」

 自分からはがそうと胸を押しても、ビクともしなかった。

「気持ちいい」

「は!?」

 訳が分からない。何で急に気持ちいいなんだ?頭の上でハテナを回していたら、狼が言葉を続けてきた。



「今まで会ったどんな奴よりも、アキヤのぐるーみんぐは楽しくて気持ちいい。やみつきになりそうだ」

 言われた瞬間自分の顔が真っ赤になるのが分かった。

「や、やみつきになられても困るんだけど……」

 だいたい、楽しいって一人で泡で遊んでただけだろ?オレ、関係ない気がするし。


 それでも一番だなんて言われたことのない今までが今までだっただけに、一番だって言われて悪い気はしない。オレは狼をなんとか自分から引きはがすと、手を伸ばして狼の頭の上に乗っかっていたタオルで再び水気をぬぐってやった。狼を見上げる。

「早く服着ろよ? 風邪ひくぜ?」



 オオカミが風邪をひくかどうかなんて分からないけれど……。狼は素直に脱衣所の方へ出ていく。浴室の入り口の所で一旦止まると、こちらを振り向いた。

「明日も……、してくれるか?」

「!!」

 オレの頭の中を色々な想像が駆け巡った。

 ち、違うって!そういう変な意味で言ったわけじゃねーだろ!?それでもオレはとっさに左耳を押さえてしまう。照れすぎて声が出てこなかった。



「アキヤ?」

 狼が不思議そうな顔をするので、とりあえずオレはコクコクとうなずいておいた。狼がうれしそうに笑う。

「アキヤも早く着替えた方がいい。すけてる」

 狼の言葉に自分の姿を見直してみる。狼の言う通り、ワイシャツが濡れて肌に張り付いて透けていた。



「お、お前の仕業だろーーーっ!!」



 蹴ってやろうかと思ったら、狼はその前に浴室を出て行きやがった。なんてヤローだ。

 仕方なく狼が脱衣所を出て行くのを確認して、オレは着ていた服を全部脱ぎ捨てた。ついでだ、オレもこのまま風呂に入っていこう。

 いつも通りに浴槽に浸かっていつも通りに体を洗っていたはずなのに、スポンジで石けんを泡だてたとたんつい笑えてきてしまった。あいつ、本当に子供だよな。顔がいいだけに余計に笑えてくる。最初の恐ろしい印象がウソみたいに吹き飛んでいた。



「劉孤って魔物……、この近くから臭ってきたって言ってたよな」

 あんな、子供みたいにはしゃぐ狼をあそこまで怒らせる魔物……。そう考えたら狼を、狼の笑顔を守ってやりたいって思うようになってきた。バカみたいだけど、たかがこの数分でほだされてしまったみたいだ。


「協力するって言ったら、あいつ、喜んでくれるかな?」


 狼の子供みたいな笑顔が見たくて、オレは狼の力を取り戻してやりたいと思った。力になれるかなんて分からない。だけど、あんな怖い顔をもうさせたくないんだ。

 風呂を出たら狼に伝えてみよう。



 いつの間にか、自分の体を洗う手が焦っていた。

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