第3話
玄関に着いてすぐ思わず叫んでしまった。
「何でテメエがいる!? 人外!!」
お袋の後ろに何故か黒髪のあの男……、オレにキスまでしやがったあいつが立っていたんだ。
「コラッ! お友達に人外なんて言うことないでしょ!? こんなにかっこいいのに~♪」
最後の方は完璧に猫なで声だ。顔がいいとお袋に取り入るのなんて簡単なものなんだな……。
チラッと男の方を見たら、バチッと目があった。ビックリしてあわてて目を逸らしたら、ヤツもなぜかゆっくりと目を逸らしやがった。そのままキョロキョロと家の中を眺めまわしている。何しに来たんだよこいつ……。しかも視線を逸らしたかと思って安心してお袋の方を見たら、またこちらをちらちらと伺ってくる。何がしたいのかよく分からない。
とりあえず今はお袋もいるし、少しだけ強気に出てみた。
「名前も知らない、ついさっき会ったばかりのアンタとオレ、いつ友達になったんだよ?」
「あら、そうなの?」
お袋と二人でヤツの方を見ているのに、ヤツは気が付いていないのかオレの家中をきょろきょろ、きょろきょろ見回している。まるで獣か不審者のようだ。
「君、お名前は? どこに住んでいるの?」
お袋の質問にヤツは我に返ったみたいだ。キョロキョロと見回しながらもお袋の質問に答え始めた。
「名前……、狼だ。オオカミだから狼だと、この姿になった時初めて出会った人間につけてもらった」
「オオカミ? この姿? 頭大丈夫か?」
そう聞いたオレの質問には、こちらをチラリと見ただけで答えてくれなかった。
「もしかして、オオカミ男ってやつかしら? きゃー! こんなイケメンなオオカミ男なら大歓迎よー!」
お袋が何故か大はしゃぎだ。夢じゃないか、などと疑ったりしない所がお袋たるお袋の所以だろう。呆れを通り越して感心してしまう。
「で、で? 今はどこに住んでるの?」
お袋の質問にヤツ、狼はゆっくりうなずくと続きを話し始めた。オレの質問は無視しやがったくせに……。なんか腹立つなぁ。
「ヤツに力を奪われてこの姿になってしまってからは人間の雌の家に世話になっていた。だが最近妙に子作りを迫ってくるのでイヤになって昨日逃げてきた。人間の雌相手にその気にはならない」
何の話をしているんだこいつは。モテないオレに対するイヤミか!?聞いているだけでどんどん腹が立ってきた。
でも良く考えてみろよ?こいつ、オレにはキスとかしたじゃねーか!!も、もしかして対象外は女の人だけ……とか?
変な想像をしてしまい、オレはついつい青ざめた。だけどそんなオレを無視して二人は話を続けていった。
「力を奪われてその姿になったの? ……そいつ、いいことするじゃない」
後の方はぼそりとつぶやく。
お袋……、顔が極悪人だ。
それにしても力を奪うって、どんなだよ!?……と突っ込みたくなってしまう。元々どんな力があったのか、力を奪ったのはどんな奴なのか、気になって聞いてみた。
今度はちゃんと答えてくれる。回答はこうだ。
百年に一度劉孤って魔物が生まれるらしいんだけど、そいつを倒す力を持ったものが狼の種族には生まれるらしい。それが狼だったけれど、その力を劉孤本人に奪われてしまった……、と。
だんだんオレの頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。訳分かんねー。とりあえず元の姿に戻るため、劉孤を探している……というのが現状らしかった。
「劉孤って魔物、見つかるといいわねぇ」
お袋の言葉がめちゃくちゃ棒読みだ。どこまでイケメン好きなんだお袋……。そんなお袋には気付かずに、狼は話を続けた。
「そうだな。早く元の姿に戻らなければ。今のままでは恥ずかしくて故郷にも戻れないし、満足に狩りもできず食事にもありつけない。今日はそいつのおかげでご馳走にありつけたがな」
そう言うと、こちらをチラリと見てきた。そこで、あああっ!と思い出す。そうだよ!肉!!こいつの腹の中に九百九十八円が収まっているんだった。この流れなら言い訳する必要もない。ここぞとばかりにオレは狼を指差してお袋に説明した。
「聞いてくれよ、お袋! 今日受け取りに行った肉だけど、こいつが全部食べたんだ!! 生のままがぶって!! しかも全部だぜ!? もう影も形も残ってねーんだよ!」
興奮気味に説明するオレの言葉を聞いて、お袋が目を見開いた。高級肉だ、存分に怒られるがいい!!オレ、今すげー悪役の気分だ。
「やだ!? そうなの? 生肉はお腹壊すわよ?」
その言葉を聞いて、オレはガックリとした。……お袋……。驚く場所が違うって……。そんなオレの心は知らずに、狼は話を続けていく。
「? 肉、美味かったぞ? だからそいつに礼をしていたんだが、途中でなぜか逃げられた。ちゃんと最後まで礼をしたいと思ってここまで匂いをたどって追って来たんだ」
お礼!?人の唇を奪ってあっちこっちベロベロ舐めまわすのが礼かよ!?信じられなくて愕然としていたら、お袋がオレの方へ近づいてきて横に並ぶと、オレの尻をきゅっとつねり上げてきた。
「いッて!?」
「ダメじゃない、アキちゃん。お礼はちゃんと受け取ってあげなくちゃ、逆に失礼よ?」
そう言いながら、今度は狼に近づくと、狼の背を押して家の中に導き入れようとしている。
「お、お袋!?」
ちょ、冗談じゃねーよ!!オレがこの男にヤられちゃってもいいのかよ!?
そこまで考えて、自分の考えに再びガックリとした。男にヤられるって……。
「さ、遠慮せずに上がって? 何なら家にいらっしゃい。あなたのご飯も用意してあげるわ」
お袋の言葉をそこまで聞いた狼の目が、キラキラと輝きだした。コイツ、マジでオレん家に居つく気満々みたいだ。かといってあのケチなお袋がご飯まで用意するなんて言ってる状態で、オレの話を聞いてくれるとも思えない。しばらくは我慢するしかないと思い直し、諦めることにした。明日絶対に涼平と透に泣きついてやる。
それでも、ただ諦めるなんてダメだと思い、狼には釘をさしておく。
「いいか、もしオレやお袋や親父に危害を加えたらすぐに追い出すからな。あと、あれが礼だって言うなら礼なんていらねーから!」
そこまで言ってオレは自分の部屋に引っ込んだ。これ以上あの二人に挟まれていたら、オレがおかしくなりそうだ。
部屋へ戻って一番右側の壁沿いに置かれたベッドの上へダイブした。ばふっと、布団がオレの体を包み込んでくれる。
「……疲れた……」
学校から家までほぼ全力疾走の後に、お袋とアイツの板挟みだ。肉体的にも精神的にも、もう限界だった。
オレは誘われるままに、睡魔にのまれていった。
「ん……う……、んン……」
うつ伏せになって眠っていたオレの左耳を、湿った何かが何度も何度もたどっている。時折弱い所を刺激され、背筋に何かがはしった。何が何だか分からなくて、オレはうっすらと寝ぼけたまま目を開けた。
目の前に、たくましく筋肉の付いた腕がある。何でこんな所に野郎の腕が……とそこまで考えて、飛び起きた。
「うわぁぁぁっ!? 何でオマエがオレの部屋にいる!?」
飛び起きたオレのすぐ目の前に、あの男、狼の顔があった。オレはあわてて布団を引っ張り上げて自分をガードしながら壁に背をくっつけて逃げた。おそらく奴に舐めまわされていたであろう左耳は左手でガードする。
「気持ち良かっただろう? 続きをしてやる」
そう言いながら狼はさらにこちらに近づいてくる。や、近づいて来んなよ!?つか、こいつ何でマッパなんだよ!?
驚きながらもつい頭の先からつま先までじろじろと眺めてしまった。どこからどう見ても、ヤツは全裸だ。
しかも、細身だと思っていたのに意外と筋肉がついている。腹筋だってかなり引き締まって思った以上にしっかり割れ目が……。
ヤツの裸に気を取られてじろじろ見ていたら、いきなり右腕を掴まれた。あまりにもビックリして、その反動で狼の胸を押したら何故か手がぬるっと湿った。
「お、お前……、何でそんなにぬるぬるしてんだ?」
良く見てみれば、髪まで微妙に湿っている。しかも、あちらこちらに泡がついていた。オレが触ったのもおそらくその泡だろう。
「せっけん、というものは楽しいが水は嫌いだ。洗い流せとハルカに言われたが、水が怖くてそんな事はできないと伝えたら『アキちゃんに洗い流してもらったらいいんじゃない?』と言われた」
「ちょっと待て……」
言いたい事が次から次へと浮かんできて、一度頭の中を整理しないと爆発しそうだ。とりあえず順を追って考え直してみる。……まずは、水が怖いってガキかよ!?って突っ込みは置いておくとして……。こいつは風呂に入ってたってことだよな。確認のために狼に問うてみた。
「えっと……、狼……さんは風呂に入ってたってこと……だよな?」
今さらだが、とりあえず年上っぽいのでさん付けで呼んでみる。狼が小さく首をかしげた。
「ローサン? フロ?」
狼の反応を見てオレは悟った。こいつはアホだ。透とは分野が違うけれどアホの部類に間違いない。まともに話していたら埒があかない気がした。
「お前は今まで水が溜めてある場所で石けんとたわむれてたのかって聞いてんだ!!」
「ああ。ハルカに案内された。以前世話になっていた雌もあの場所が好きだったな」
雌って……。言う事がやっぱり人外だ。
「それで石けんを見つけたわけか」
「どう使うかハルカに教わった。泡で遊ぼうと俺が服を脱ぎはじめたら声をあげながらどこかに行ってしまったが」
そこまで聞いて青ざめた。まさかその格好でお袋の前に行ったわけじゃないよな?だとしたらお袋、今頃『いい物見たわ―』とウッキウキなはずだ。
「狼。人前……、特に女の人の前で裸はやめろ」
オレの言葉に狼があっけらかんと答えた。
「おんなのひと……雌のことだな。問題ない。以前一緒にいた雌に、たおるというものを巻けと教わっている。今の格好になったのは礼をすることに夢中になっていたからだ」
それを聞いてほっとした。ほっとして、ギョッとした。礼に夢中って……、まさかやっぱり寝ているオレの左耳を何度も伝っていたのは狼の舌……。
「お前には感謝している。あの時の俺はかなり空腹で、しかも劉孤の匂いがかすかにして気が立っていたからな。やはり礼だけはしっかりとさせてくれ」
そう言い終わるなりガードしていたオレの左手を握ってはがし、オレを壁に押し付けてきた。再び左耳に舌を這わされる。
「だから!! こんなの礼じゃねーよ! 何でそんなベロベロ……んっ……んんッ……!」
途中から狼に唇を塞がれて、言葉が出てこなかった。壁に押さえつけられた背中が痛い。
「俺の口を舐められるのはお前だけの特権だ。アキチャン」
そんな特権いらねー!!……という突っ込みと同時に全身に鳥肌が立った。あきちゃん……。あきちゃんって……。コイツからそう呼ばれると無性に気色ワリ―ッ!!なんとかコイツから逃げようと、体を右にひねったら、何故かバフッとベッドの上に転がってしまった。狼がそのままのしかかってくる。危険を感じてオレは思いついたことを叫んだ。
「こっ……これ以上舐めたら飯抜き!!」
言ったとたん、狼の動きがピタリと止まった。
た、助かった……。
俺は狼の裸の胸を押しのけ、再びベッドに座りなおした。ベッドの上に胡坐をかいて狼に向き直る。
「お前……、何でそんなにオレの事舐めるんだよ? オレはお前に舐められたって嬉しくも何ともないってのに!」
「人間の言葉でぐるーみんぐ……というやつなんだが、イヤなのか? 気持ち良さそうにしていた気がしたんだが」
「きっ……」
あーあー。してましたよ。してましたとも。オレのモテない人生初の体験でしたよー。
だけど、ヤローにこんなことされたってオレの気分が沈むだけだ。
「おかしいな。今まで会った人間はみなこうすると喜んでくれたんだが」
「どうせ女の人だろ。いいよな、顔がいいって。うらやましい限りだぜ」
イヤミもこめて言ってやったのに、狼は少しだけ首を傾げただけだった。少しだけカワイイと思ってしまった事はナイショだ。
「しかし……、礼をしようにもこれ以外にオレにできることなどない。かといって礼をしないなど、俺自身がいやだ。どうしたら俺の礼を受け取ってくれる?」
狼にめちゃくちゃ真剣な顔で言われた。断るのがかわいそうなぐらいだ。
「う……。分かったよ。じゃあオレの服は脱がさない、口も舐めない。それなら礼を受け取ってやってもいいよ」
狼がにこっと笑った。女の子なら軽くノックアウトできそうな笑顔だ。
「分かった。ありがとう、アキチャン」
背筋に寒気がはしる。そうだった。そこを訂正するのを忘れていた。
「狼、オレの事は秋夜だ」
「アキヤ……?」
「そう。もしアキちゃんって呼んだら、それも飯抜きだからな」
狼は真剣な眼差しでうなずいた。
狼に対して『飯抜き』はかなり最強の呪文らしい。オレの頭の中でレベルアップ音が鳴り響いた気がした。文字にするとこうだ。秋夜はレベルアップした。『飯抜き』の呪文を覚えた。……なんて、な。
そんなアホな事を考えていたら、狼に再びベッドへ押し倒された。狼の舌が左耳に触れる。
ガマン……。少しだけの我慢だ。
オレはギュッと目を閉じた。




