未知との対話
ラモリア帝国、オルグレン領西部には荒野が広がっている。王国帝国双方が権利を主張する土地であること、緑が少なく農業に適さぬ地であることや高低差が激しいことなど、人間の生存には適さぬ条件が山ほどある。
そんな土地であるが、人がいないわけではない。むしろ先ほどの条件を考えれば多いほどだ。王国から逃げてくる亜人や奴隷、密輸業者。それを狙って略奪を行う点在する少数部族。この場所にはこの場所なりの生態系が営まれているのだ。
この難民キャンプもその枠組みの一つと言っていいだろう。
王国で暮らしていけなくなった被差別人種や暴君に見切りをつけた元国民達が、帝国への入国をこの場所で待っている。多くの人が、待っているのだ。
現皇帝の意向もあって、帝国は彼らの保護には以前より力を注いでいる。実際、金銭や技術を持った者ならば帝国はすぐに受け入れる用意がある。だが、それ以外となると多少の時間が必要なのだ。
怪我人や老人、教育が不十分な者を受け入れてくれる場所はどうしても限りがある。そういった者達を一時的に保護する場として、この難民キャンプができた。ここにいれば少なくとも屈強な帝国兵が守ってくれ、殺されることはない。
この場所まで来れば、王国にいるより彼らにとって幸せなのだ。
少なくともグリフィスはそう聞いていた。だが目の前に広がる現実は厳しいものだ。
場に漂うのは汚物と死体の焼ける臭い。あるのは泣く元気すらない虚ろな眼の子供に、全てを諦めきった大人の表情。道端には物乞いと自らの下半身を売る女性くらいしか見当たらない。住居も雨風が凌げれば上等なくらいだ。
帝国兵の表情も彼らから伝播しているようだ。
実際の兵士達の仕事は一人でも多くの難民を救うことではない。彼らに温かい言葉をかけてあげるのが仕事でもない。
毎日パタパタと飢えと渇きで死んでいく者達を燃やすのが彼らの主な業務だ。弔っているのではない、業務だ。動かなくなった肉の塊を集め、重ね、油を撒いて焼く。彼らは一日の大半をこの業務に費やしている。
ここは難民にとって王国よりマシというだけで、少しも居心地の良い場所ではない。彼らの地獄は今日も続いているのだ。
そんな状況を見て涙するほどグリフィスは若くはない。彼は淡々と自身の任務を遂行すべく動いていた。
「すまないが、一つ尋ねたい事がある」
「あぁ、なんだ?」
ややガラの悪い男はその風体に似合った口調で答えた。
「この辺りにできた城を訪ねたという人間がいるそうだが、知っているか?」
「……そりゃ俺だ」
「そうか、お前にいくつか質問したいことがあるんだが今いいか?」
「そりゃ構わないが……。んんっ!」
そう言って喉を鳴らすと同時に右手を開き差し出す男。グリフィスは黙ってそこに銅貨を五枚乗せる。こういう仕事ではよくあることだ。
受け取った男はニヤリと笑ってすぐさま銅貨を懐にしまう。
「へへっ、ありがとよ旦那。それで、何から話せばいい?」
「話が早くてありがたい。まずあの城はなんだ、誰が何のために建てた」
「おいおい、そこまではわからねぇよ。俺はただあの城の前で変な貴族みたいなジジイからちっとばかし尋ねごとをされただけだ」
「尋ねごと? どんなことだ」
「あー、この場所は何処かとか自分の顔を知っているかとか……。変な話だろ?」
「確かに変だな……。まぁいい、それでどうしたんだ?」
「どうしたも何もそこで終わりだ。俺はジジイから駄賃代わりに菓子貰ってそこから逃げたよ。へへっ、ありゃあ旨かったなぁ……」
「菓子か? しかも逃げた? どういうことだ」
「まぁ最初はメシでも食っていかないかと言われたんだが……。怖くなってな」
「怖く?」
見る限り彼は裕福ではない。いや、彼の暮らしぶりは明らかに貧しい。着ている服はツギハギだらけで靴には穴が開いている。彼の身に着けている物に価値ある品は何一つない。現状、彼の立場は他の難民達と同じく明るいものではないのだ。
そんな状況にある彼が貴重なタダ飯を断るほどの恐怖とは何なのか。
「……俺の感だがアイツは化け物だ。まず間違いねぇ」
「化け物? 普通に会話をして施しまでして貰った相手に向ける言葉じゃないな」
「菓子貰う時に気づいたんだがよぉ。ジジイの手が冷たかったんだ……」
「それは……」
その見解は少し強引なのではないか。その考えがグリフィスの顔に出たのだろう、男は急いで言葉を繋げる。
「寒いからとかそういうことじゃねぇ! 明らかにあの手は死人の手だ! 嘘じゃねぇぞ!」
「ふむ……」
彼の言葉を信じるとして、思い当たる怪物はいる。
所謂アンデッドと言われる怪物は死体が何らかの理由によって動き出したものだ。もし彼が菓子を貰ったという爺さんがアンデッドならば、手が冷たいのには不思議がない。
だがしかし、ほとんどのアンデッドには会話をできるほどの知性がない。ごく稀に『リッチ』を代表とする知性を保ったアンデッドも存在するが、その大半は人間に対して非常に攻撃的だ。
今聞いたような人に施しを与えるアンデッドなど、グリフィスは聞いたことがなかった。
「それにおかしいだろ。俺みたいなヤツに貴族がちっとばかし質問して親切に礼をくれるなんて! 言われるがままに城に入ったら化け物だらけなんてこともあるだろ!」
「……まぁ、その警戒心は悪くない。情報提供に感謝する」
結局男からはこれ以上の情報を聞き出すことはできず、本当に渡した銅貨に見合った価値であった。
それからもグリフィスは城を訪れたという数名の人物に聞き込みを行ったが、どの情報もいまいち核心に迫ることができない。共通しているのは城の前で何者かからいくつか質問されたことのみ。
ただ少し奇妙なのは城の人間に共通点がないことだ。話に出てきたのは貴族風の爺さんに可愛らしい青髪の少女、訛りの激しい獣人に体中に虫を這わせている化け物……。加えて頭に赤い角を着けた変な女もいたらしい。
普通の城なら鎧で身を固めた軍人が数人で門番をするものなのだが、今の情報ではどうもおかしい。グリフィスは自分が今まで生きてきたこの世界との言い知れぬギャップを感じていた。
だが、確実な成果はあった。この件の危険性は低いということだ。
聞き込みを行った人間が五体満足であること、城の人間とも極めて友好的に会話を行えたこと。これらを考えれば、この件にはとりあえず命の危険性はない。
ならば行動あるのみだ。
「……確かに城だな」
彼の前に広がるのは今まで見てきた中でもトップクラスの建造物。
スンッと聳え立つ石垣に載る黒と金を基調とした西洋城。ダークチョコレートを思わせるような見事な加工に、下品になりすぎないほどの金のラインが全体に何とも言えぬ気品を与えている。形状も複雑で、ニョキニョキと端々から生える塔がこの城ならではの特徴を与えている。
サイズこそ小さいが、デザインだけなら王国帝国双方のどの城にも勝ると言っていいだろう。万人受けするようなものではないが。
(外装だけでもやけに豪華な造りだ。けれど荒野に建てるにはあまりに場違い。まるで別の場所から移されたようだな……)
城は本来防衛拠点だ。高い城壁と深い堀で敵の行く手を阻み、蓄えた武器と食糧で兵を維持する。城が城であるためには何かしらの防衛アドバンテージが必須である。
だがこの城には城壁がない。堀もない。兵もいない。見てとれる自衛要素は立派な石垣のみであり、これだけでは攻めてくれと言っているようなものだ。
最初は城の入り口が見当たらず、隠されているのかと思ったがそんなことはない。城の周りをぐるりと回って気づいたが、洞窟の入り口のように石垣に埋め込まれる形で城門が存在していた。
やや奇妙な構造をしているが、この城の価値が比べ物にならないことは彼でもわかる。
「さて、どうしたものか」
話にあったような門番は見当たらない。たまたまタイミングが悪かったのか、それとも会うには何か条件が必要なのか……。
せっかく相手は話が通じそうなのだから断りなしに侵入してトラブルを起こすのも面倒である。グリフィスはこの状況をどうしたものかと考え込んでいた。
「お客人かな?」
「なっ!」
唐突に女性の声が耳に入った。その刹那、反射的にグリフィスの体は後ろに跳び即座に剣を抜き構える。数多もの怪物を屠ってきた業物はギラリとした金属光で周囲を威嚇する。
だが、周囲の何処にも影はない。声だけで言えば目の前の城門から聞こえるが、何の変哲もない鉄の格子門だ。
「何処だっ! 姿を見せろっ」
「その前にまずは剣を下ろしてくれないかな? そんな危ないものを振り回されていたら怖くて出てこれないだろう?」
「……わかった」
多少思うところはあったがグリフィスは素直に剣を収めた。
するとそれを確認したかのように、目の前の鉄の格子から黒い粘液が滴り落ちる。どうやら格子に纏わりついていたようだ。
ポタリポタリと地に落ち一か所に集まった粘液は明らかな意思を持って彼の前まで動く。
そしてそこから粘液がせりあがり、人型を形作る。おぼろげであった人型が一秒も満たぬ時間で細部の造形が深まっていく。
「やぁ初めまして、ボクの名前はナイアト。話に応じてくれて感謝するよ」
「……俺はグリフィス。まず答えろ、お前は何者だ」
黒の粘液が姿を変えたのは黒髪ショートカットの美しい少女。十代半ばだろうか。砂埃舞うこの荒野にまるで似合わない派手なフリルの着いた黒のドレス、黒の手袋。そしてずり落ちそうなほどな大きさの丸い帽子。仮装パーティくらいでなければその姿は馴染みそうにない。
異様なのはその姿だけでない。明らかにその外見年齢上のオーラを放っていた。
「ふふっ、『何者』か……。ボクにとっては難しい質問だね」
「難しいだと? どういうことだ」
「それはね、ボクは『何者』でもあるからだよ」
「……それは、つまり?」
「ボクに定型は無いのさ。形だけなら男にもなれるし女にもなれるし、犬にも鳥にもなれる。それに……」
再び彼女の体がドロリと溶け落ちる。一般人が見たら思わず悲鳴を漏らす光景であろうが、グリフィスは目を離さずその様子を険しい顔で見つめる。記憶にない怪物のデータを集めようとする彼の癖だ。
だが、今日初めて会った馴染みのない怪物の姿は、何度も見てきたものの姿に即座に変化した。
彼の目に映るのは黒く染まった革の鎧に腰に下げたロングソード。黒の長髪を後ろに結び、左の目元には大きな傷。
つまり、グリフィス自身である。
「キミにもなれるのさ」
「……まさか声まで真似できるとはな」
少なくともそこそこのユーモアを持っていることを確認できた。
こうなると目の前の相手は『怪物』ではなく『人』となる。体力的には楽な仕事になるが、グリフィスにとってはこういった人物との対話は得意とするところではない。
「まぁ冗談は程々にしておこうか。ボクの正体はスライムだよ」
ナイアトは黒の粘液に戻り、そこから再び少女へと姿を変えた。
「俺の知るスライムはお前みたいに喋らないし、人や家畜を生きたまま食らう化け物だがな」
「ふふっ、この辺りではそういうものなんだね。でもね、ボクはわるいスライムじゃないよ? 現にキミに危害は加えてないだろう?」
「まぁそうだな」
「それで、ボクの正体を教えてあげたんだからキミもボクの質問に答えるのが礼儀だよね?」
グイと彼に上目遣いで迫る彼女。あざといと思っていてもこれほどの美しい異性の顔が迫ると流石にうろたえてしまう。
「あ、あぁ。聞かれたら答えよう」
「じゃあ質問させてもらおうか。まず、この城に何の用事かな?」
「現地調査だ。ある顧客からこの荒野にある謎の城の正体を調べるように言われてきた。具体的にはこの城が何なのか、どういった目的で建てられたのか知りたい」
「なるほどね、だったら中を見学していくといいよ。自分の目で確かめたいだろう?」
「なっ! い、いいのか?」
予想外の返答に驚くグリフィスを気にすることなく彼女は話を続ける。
「実はこの辺りに詳しい人を探していてね。中でボクの仲間に会ってほしいんだ。そこで互いに情報交換をしようじゃないか」
「そ、それは……。」
「キミはこの城についての情報が欲しい。ボク達は城の外の情報が欲しい。互いに貸し借りもない素晴らしい取引だと思うだけどね?」
「確かにそうだが……。いや、だがしかし……」
確かに彼女の言う通り、魅力的な提案だ。貸しはともかく、彼女のような厄介そうな人物に借りを作るのは避けたい。
だからと言って言われるがままに入っていいのだろうか。これが罠という可能性もある。難民キャンプで出会った男の言葉通り中身は化け物の巣窟かもしれない。生きたまま食われるなぞまっぴらごめんだ。
しかし自分を殺すつもりなら、彼女は姿を現さずに先手をとることができたはずである。ましてやこんな会話をする意味もない。やはり安全なのだろうか……。
いくら考えていてもキリがない。どうあがいても答えが出ないのなら、後は己の直感を信じるのみ。
数十秒の沈黙の後、グリフィスは覚悟を決めて口を開いた。
「いいだろう。お前の仲間達に合わせてくれ」
この決断はグリフィスの生涯において最も重要な決断だった。
ただ、この決断が正解だったか間違いだったかはわからない。
次回からまた内容が不真面目になります。