オルグレン領西部異状あり
王国に従うか帝国に従うか、無頼の道を行くか。それがこの世界だ。
今回はラモリア帝国内、オルグレン領から話が始まる。
石造りの長い廊下を二人の男が歩く。腰にレイピアを刺した金髪の清廉な男が前を行き、黒髪のガタイの良い男が後ろを行く。
金髪の男はある部屋の前で立ち止まりノックする。
「父上、あの男を連れて参りました」
「うむ、入れ」
口元に上品な髭を蓄えた気難しそうな白髪の男が答え、扉が開く。
名はズリエル・オルグレン。帝国でも名高い貴族であり、その領地の広さとっても帝国貴族の中で五本の指に入る。
「ほう、傷が一つ増えたようだなグリフィス。しかも顔とは……。随分厄介な怪物を倒したようだな」
「まぁ、そんなところだな」
答えたのは目元に傷を負った男。彼は後ろで縛った黒い長髪を揺らしながらズリエルのデスクに迫る。
彼の名はグリフィス。帝国では知る者が多いモンスタースレイヤーだ。
「長旅で疲れたんじゃないか? まずはゆっくり食事でもとりながら……」
「近況を語り合うほどの仲ではないだろう。さっさと本題を話せ」
「やれやれ相変わらず連れないヤツだ。まぁ察しの通りそこそこ面倒な要件だ。とりあえず座れ」
すぐさまドスという音と共に赤いソファが沈む。
本来なら貴族を前にして許される態度ではないが、ズリエルは気にすることなく話を進める。
「ワシの領地の西……。については知っているな?」
「秩序無き地、亜人の巣窟。まぁ謂れは様々だがあまり面白い場所ではないな。そこがどうした?」
「そこに城が出来た」
僅かばかりの静寂が流れる。
オルグレン領の西には広大な荒れ地が広がっている。そこは王国帝国双方が権利を主張する土地ながらも、他の地域に比べて互いに侵略行為はほぼない。
それは土地自体が農業に適さぬ不毛の地ということもあるが、それ以上に野蛮な者達の住まう影響が強い。王国から逃げてきた者、帝国から逃げてきた者、何処にも属さぬ蛮族……。
そういった輩のせいで拠点を建てようにも上手くいかず、拠点がないせいで侵略もできぬ。手を持て余すというのは正にこのことである。
「……それは王国の?」
「わからん。見た者は一部の放浪者達や王国からの移民だが、嘘の話だとしたら数が多すぎる。遠目から見た限りでは王国の馬の紋は無いそうだ。さらに言うと、非常に豪華な造りをしているそうだ」
「……信じられんな。いや、それよりも何故俺に頼む。俺の専門は化け物退治で……」
「あんな場所に我が軍を送ったところで補給費用は掛かるわ、士気は下がるわでうま味がない。多少高くてもお前のような強い個人を送り込んだ方が結果的には安くつく」
「なるほどな、お前らしいよ」
フンと笑うグリフィス。
こういった細かな金勘定の上手さは昔から彼の得意とするところなのだが、どうしてもそれが貴族のイメージとのギャップを生んでしまう。
しかし、だからこそ金払いは期待できる男だ。払うと言ったら確実に払うし、払わないと言ったら払わないのがズリエルだ。
仕事の後に金払いで揉めることがどれだけ多いか、それを考えなくていいという安心だけでも彼の仕事を受ける価値はある。
なのに、控えていた金髪の男が割って入る。
「父上、やはりここは私が! 私と部下達だけなら先に言ったような心配もなく事を進められます!」
「……こちらはこう言っているが?」
「はぁ……。まったく、お前は……」
目元に手をやり軽く仰け反る。
彼の息子、アレックスは真面目で熱意のある性格だが時折暴走しがちだ。もちろんやる気があるのは素晴らしいことだが、こういった場で考えもなしに発言するのが彼の悪い癖だ。
その親であるズリエルは叱責することもなく、明らかな作り笑いを浮かべて尋ねる。
「では愛する我が息子よ。今の情報を聞いてこの問題についてどう思った?」
「え……。な、何もわからないから偵察を行うべきかと……。そ、その後は迅速な対応をっ!」
「なるほどな。で、お前はどう考えるグリフィス」
「ふむ、そうだな……」
顎に手を当て考え込むグリフィス。
今思いついたというよりも、考えを口に出すためにまとめたのであろう。彼は数十秒ほどで口を開いた。
「この件について可能性が高い順に三つ、予測を建てた」
「言ってみろ」
「まず一つは怪物に幻覚を見せられている可能性。人間に幻を見せてくる怪物は多くはないが、確かにいる。吸血鬼やレイス、妖精なんかが有名だな。無論、城ほどの大きさの幻覚を見せることができる怪物は聞いたことがないが、可能性は大きい。時折怪物の中でも抜きん出たヤツが出てくるからな」
「ふむ、それなら確かに説明がつくしあの辺りは化け物も少なくない。お前が今挙げた化け物からの被害報告もあるしな」
「二つ目は王国側の仕業。何かのからくりや魔法を使って一夜城を建てたのか、それとも単純に虚偽の報告を掴まされているか……」
「ありえない話ではないが、あの辺りは王国でも持て余すほどの不毛の地。そこにわざわざ城を建て……。いや『何か』がそこにあったから建てたのか……。もう一つは何だ?」
どちらもありえる話ではある。
怪物の脅威はズリエルの日頃の悩みの種であるし、領内西部ともなるとその怪物の数は段違いだ。ましてや碌に巡回もできていない土地なのだから、どんな怪物がいるかわかったものではない。
もちろん王国の関与も否定できない。帝国にとって不利な事が起きたら、それは王国の仕業。と考えるのは少し極論に過ぎるが、現在の両国の関係を思えばそう考えるのは自然なことだ。
「……もう一つは『転移』の可能性だ」
「つっ! 貴様、父上を馬鹿にしているのか!」
「落ち着け、最も少ない可能性の話としてだ。こういった前例のない全容が見えない事件というのは大体馬鹿みたいにくだらないことが原因のこともあるが、その逆も少なくない。ましてや話に聞いただけのことをそのまま照らし合わせると……」
「確かに突然巨大な建造物が生えるなどと聞けば、誰もが頭の中に『転移』の伝説が過る。……が、これは信じがたいな」
この世界に根付く伝説、転移。
今より遥か昔、文明というものがない時代に異界から飛ばされてきた人々と物資によってこの世界は発展したという話がある。そう、話があるだけだ。
魔法や技術が進んだ今でさえ、何処かの世界への転移に成功した者はいない。
故に現在ではこの話は数ある伝説の一つとして、または宗教の一部として組み込まれているに過ぎない。話として伝えられてはいるが、それを心の底から信じているものは極めて少ないのだ。
「まぁ三つ目を数に加えるかはともかくとしてだ。息子よ、こいつはあの少ない情報からこれだけの推測をしてみせた。それだけのことができる経験と知識を持っている者に、この案件を任せるワシの判断は間違いか?」
「うっ、そ、それは……。」
「わかったら早く自分の仕事に戻れ。その足りない経験と知識を少しでも埋めてこい」
「わ、わかりました……」
肩を落としトボトボと部屋から出るアレックス。
彼は貴族として、父として、誰よりもズリエルを尊敬している。彼が斯くありたいと思うのは物語出てくる勇敢な騎士でもなく、偉大な皇帝でもなく、父ズリエルだけなのだ。
そんな父から呆れ口調で戻れと言われたのだから、彼の心中は決して明るいものではない。
そんな彼が部屋から出たのを確認すると、二人の男は口角を上げた。
「……良い息子だな」
「まぁ、実際俺よりもずっとよくできたヤツだよ。俺には『人望』というものがないが、ヤツにはある。そこは認めるよ」
「それほどか」
「それほどだ」
二人は僅かに息が漏れるほどの微笑を零す。
その後、ズリエルは金庫から金貨を取り出し袋に詰めてグリフィスに差し出した。
「まぁそれはともかくとしてだな。事態は緊急を要しているわけではないが、その不透明さが気になる。なるべく早い報告を待っているぞグリフィス」
「あぁ、金は受け取ったのだから仕事はするさ。きっちりとな」
グリフィスは金貨を受け取り、扉へ向かう。
ズリエルは仕事に向かう彼の背中を見て、安心感を感じた。まるで戦友に背中を預けるような気持ち。自身は貴族で、彼はモンスタースレイヤー。
この数十年、立場は違えど漢として友として、互いを信頼してきた。
この時までは信頼していたのだ。