ポーション作りの秘術
父から子へ、伝えられる秘術がある。剣にしても、魔法にしてもそうだ。本当に重要な機密であれば、それは親子の血縁を用いて秘密を守る。
剣術の場合は、広まってしまえばその技を破るための技が開発されてしまう。魔法の場合は、その術を防ぐ策を練られてしまう。そうならないために、秘密は守られるべきなのだ。
ジョナサンの場合は、違った。ごく普通の薬師の家庭に育ち、剣にも魔法にも縁はない。代わりに、二十歳の誕生日、ジョナサンが授かったのは、ポーションの作成秘術である。
「いいか、ジョナサン。絶対に、この秘術は外に漏らしてはいけない」
「ああ。こんなこと、誰にも言えるもんか」
「父さんも、秘術を継いだときはそう言ったよ」
ジョナサンと父のあいだで、そんな会話があった。
時は流れて、ジョナサンは薬師の店を継いだ。父は、第二の人生を謳歌してくる、と書置きを残して母と共に旅立った。それから間もなく、ジョナサンは窮地に立たされることになった。
一人の女性を、助けた。ひどい怪我をしていたので、ポーションをふんだんに使って助けた。白い肌の綺麗な女性で、魔術師のローブのようなものを羽織っていた。女性の傷はあっという間に塞がり、影も形もなくなっていた。
感激する女性と、親密な付き合いをすることになるのは、自然の流れだった。ジョナサンは彼女の一目惚れしてしまっていたし、女性も危ないところを救われ、感謝はいつしか愛へと変わる。バラ色の人生が、そのときのジョナサンには見えていた。
「父と、会ってほしいの、ジョナサン」
窮地は、この一言から始まった。洒落たカフェバーで、食後のコーヒーを楽しんでいたときのことだ。
「うん。いいよ」
気軽に答えて、それから三日後、ジョナサンは王宮へ呼び出されていた。厳めしい兵士が立ち並び、赤じゅうたんが真っすぐに敷かれている。突き当りにいるのは、もちろん王様だ。牡牛のような立派な体躯で、眼光鋭くこちらを見ている。
「ジョナサン、こちらへ」
王様の隣に立つ恋人に声をかけられて、ジョナサンは震える足取りで王様の前にやってきた。
「まずは、礼を言おう。娘の命を助けてくれて、感謝している」
重々しいバリトンの声が、腹に響いた。ジョナサンとしては、平伏するしかなかった。
「それから、君は、その、娘と、付き合っている、のかね?」
下げた頭の上から、絞り出すような声が届いてきた。
「ははあっ、仰せの通りにございます、王様」
隠し立てはできない。相手はいろんな意味で王者なのだ。
「どこまで、進んでいるのかね」
「父上!」
「黙りなさい! これは、大事なことなのだ」
気まずい、沈黙が流れた。やがて意を決して、ジョナサンは答える。
「その、彼女、姫様とは、週に一度、デートしています」
「週に、一度……?」
「はい。習い事がある、ということでして、門限の夕刻まで、デートしています」
「どこへ行っているのだ」
「はい。市場を冷やかしてみたり、劇場へ行って芝居見物を」
「芝居……暗い劇場の中で、隣同士の座席かね」
「父上!」
「ええい、黙れと申しておる! これは、重大なことなのだ!」
たまりかねて声を上げた姫を、王様は一喝した。
「手を、握ったり、したのかね」
圧力が、上から降ってくるようだった。ジョナサンは顔を上げて、王様の眼光を真正面から迎え撃つ。
「はい、彼女が差し伸べた手を、そっと握り返しました!」
「暗い座席で、目と目が、合ったのだな……」
「はい、そして私は、彼女とキスを……」
「ジョナサン! 父上! いい加減にしてください!」
姫の叫びに、ジョナサンと王様は我に返った。ジョナサンは再び平伏し、王様はゴホンと咳払いをする。
「さて、本題に入ろう。そなたが娘とそういう関係にあることは、すでに密偵よりの報告で知っておる。目の中に入れても痛くない娘であるが、わしとて一国の王。別れろなどと野暮なことは言わぬ」
「ジョナサン……」
感涙を浮かべた姫と、ジョナサンは視線を交わしあう。荘厳な玉座の間に、恋人たちの空間が生まれた。赤じゅうたんのあちこちに薔薇の花が咲き、風がそよ吹き小鳥が愛をうたう。
「ゴホン!」
王様が、大きな声を上げた。恋人たちの空間は消え失せて、厳めしい玉座の間へと引き戻される。姫は、うつむいて頬を赤く染めた。
「続きを聞くがよい。そなたは、薬師の店を開いておるそうだな。そして娘の命を救ったのは、秘術を用いて作ったポーションである。相違ないか」
「は、はい」
「では、その秘術とやらを、わしに見せてはくれまいか」
ジョナサンの背中に、冷たい汗が流れた。
「しかし、王様。これは一子相伝の秘術なれば」
「わしの娘と良い仲ということは、わしとお前はいずれ父と子となる。何も問題はなかろう? それとも、まさか娘とはお遊びでした、などとは、言うまいな、ジョナサン?」
ちりちりと音立てて、射抜く眼光がジョナサンに突き刺さった。王様と、そして姫もまた、ジョナサンを注視している。逃げ隠れは、できない。悟ったジョナサンが、口を開いた。
「……わかりました。お見せ、いたします」
顔を上げたジョナサンの目には、死を覚悟した者の強い光があった。秘術を漏らせば、死を覚悟せよ。父に言われたことはなかったが、それはジョナサン自身で律したことだった。姫に、視線を向けてうなずいた。姫は、ジョナサンの覚悟を感じたのだろうか。胸を押さえて悲痛な表情になっていた。
「何か、用意するものはあるか?」
「薬瓶と、それから人払いを。これはあくまで、義父たる王様と妻となる姫にしか、お見せできない秘術でございます」
「あいわかった。誰か、薬瓶を持て。それから、姫とジョナサン以外は皆外へ出るのだ」
王様の命令は、迅速に実行された。ジョナサンの前には薬瓶がひとつ、そして、王様と姫を残して兵士たちはいなくなった。
「では、始めます」
ジョナサンは胸ポケットに手を入れて、中にあるものを取り出した。
「それは、何だね」
「ポーションの精です」
丸い、ヒトを模った人形だ。
「これに、生命の息吹を込めるのです」
掌を当てて、ジョナサンは生命の息吹を込める。丸い木偶人形はむくむくと姿を変えて、やがて別の形になってゆく。
「これは……?」
「ポーションの精の、完全体です」
ジョナサンの手の中にあるものは、マッチョな肉体を青いタイツで包み、口元までを青いマスクで覆った手のひらサイズの怪人だった。
「ひっ……」
姫が、息をのんだ。怪人は小さな手を動かし、逞しさをアピールしている。ジョナサンは慣れた手つきで怪人の首筋をつまみ、薬瓶の中へ落とした。
「あとは、こうすれば完成です」
「ぬ、おおぉ……!」
「やっ……!」
王様は目を見開き、姫は目を閉じ顔を背ける。ジョナサンは瓶に入れた怪人を、上から拳で押し潰したのだ。怪人はなぜか歯を見せて笑い、親指を立ててどろどろに溶けてゆく。ジョナサンが拳を瓶から引き抜くと、青い液体がちゃぷんと音立ててそこにあった。
「これが、私の家に伝わる一子相伝の、ポーション作成秘術です、王様」
「こ、これが、本当に……?」
「お疑いに、なられますか。王様、剣をお貸しください」
王様に手渡された剣で、ジョナサンは自分の左腕に深い切り傷を作った。血が噴き出て、赤じゅうたんに染みを作る。
「ジョナサン……!」
姫が、声にならない声を出した。ジョナサンの痛みを、姫は自分のことのように感じてくれている。ジョナサンには、それだけで十分だった。左腕の傷に、ポーションを塗布する。傷は、跡形もなく消えていた。
「このように、切り傷、刺し傷や胃のもたれ、睡眠不足にまで効くのです、王様」
「し、信じられぬ……」
「あのようなマッチョなおっさんを煎じたものを、緊急時とはいえ姫に飲ませた罪、万死に値します。どうぞ、私を罰していただけないでしょうか、王様」
「……良い。ジョナサン、そなたに罪はない。先祖伝来のポーション、見事であった」
疲れたような顔で、王様はジョナサンの肩を掴んだ。
「今後とも、娘をよろしく頼む」
「父上……」
「王様……私を、許すのですか?」
「ここで見たことは、全部忘れる。もちろん、娘もそうする。ジョナサン、そなたはこれまでどおり、ポーションを作り続けるが良い」
驚いて顔を上げたジョナサンに、王様は重々しくうなずいた。
窮地を脱したジョナサンは、姫との付き合いを深め、そして結ばれた。王国貴族の一員として迎え入れられたジョナサンは、小さな領地を与えられ、そこで薬師の店を開き、民に無料でポーションを施した。
民は喜び病気や怪我のときにはポーションを使ったが、王様と姫だけは決してポーションを口にすることはなかったという。