横山さんの言う通り!
会社によっては色々考え方があると思います。
業種や職種によっては違うかもしれないし、同じような企業であっても色々違いはあると思うので、あくまでこういう会社もあるんじゃないかなぁ程度で読んでいただければ
システム運営部第二システム課課長の横山さんは、我が社でも、とびっきりおっかない上司として名を馳せている。
主に社内で名を馳せているという意味ではあるけれど、部の飲み会が開かれた日には真っ先に苦言を集める人物だ。無論、当人が参加しない飲み会に限りだけれど。
眉間にシワを寄せているのがデフォルトで、仕事は鬼のように厳しいし、持前の毒舌を駆使して部下を怒鳴るのは当たり前。
御年三十二歳の独身。容姿は平凡。体型が一般男性よりもちょっと細い。今流行りの細マッチョかと言われれば、三十台に突入してから体力が一気に落ちたし、ビール腹は隠し切れない、と休憩中に部長の美村さんに零していたのをたまたま聞いた。
言いたいことは上司、同僚、部下問わずズバズバ言うし、A型らしくいちいち言う事が細かいので、社内からも結構浮いた存在ではあるが、周囲の評価を全く気にも留めない我が道を突っ走るようなタイプ。
査定に響こうが響くまいが、もらえる基本給は貰っているから、格別気にした事がないという大物。
物怖じしない性格ゆえに上司からの信頼は厚いが、若い社員には敬遠されがち。というより嫌われていると言ってしまった方がいいか。
入社した当初こそ、俺も二つ上の先輩にあたる横山さんが苦手だった。
がっちがちの新人だった俺を見た横山さんが一言「無駄にいい容姿と無駄に振りまく笑顔は、俄然営業向きだな」と揶揄されたことがある。
正直……ぶっちゃけ、俺は女性にモテる容姿をしている。
女性にモテるのは悪い気がしないし、けれどちゃらちゃらと遊ぶ気もさらさらない。
付き合う女性に対しては誠実だし、当初当初で付き合ってきた女性達こそ、自分の最愛であったことに疑う余地は微塵もない。
そんな俺が横山さんを見直すきっかけとなったのは、彼の部下である水沢亜矢子と密かに社内恋愛をしている最中に起こった。
「……純粋に疑問なんだが」
ざわめく昼下がりの社食で、先に昼食をとっていた女性社員達に対し、横山さんはB定食が乗った盆を片手に持ったままポツリとこぼし、それから続けるように尋ねた。
「好意を寄せている相手の恋人に嫌がらせした挙句、別れさせた後に、相手が自分達に振り向いてくれると本気で思ってんのか?」
と、唐突に爆弾発言を投下したのだ。
あちらこちらから聞こえていた雑談がいつの間にか消え、シーンと静まり返った社食で視線が集中する。
横山さんに話しかけられた女性社員は社内でも派手な装いをした四人のグループで、突然割って入った彼の言葉に一瞬ポカンと呆けていたものの、ようやく投げかけられた言葉と、自分達に向けられた視線の数を理解した途端、顔を真っ赤に染めながらふるふると震えだす。
「な、何を根拠に……っ一体何の権限があって課長は私達を見世物にしたいんですか!?」
震える唇から徐々に声を荒げて口を開いたのは、そのグループのリーダ格である横山さんの部下であり、俺の恋人の同僚でもある後藤詩帆璃だ。
容姿は美人と可愛いを半々に持ち合わせていて、自分の容姿をフルに活かして、俺に言い寄ってきている女性の一人。正直、可愛いとは思うけれど、恋人の亜矢子が彼女を苦手としているのを聞いていたから、俺も先入観からあまり好きなタイプではない。
自分達が公衆の場で侮辱された事に憤慨した彼女が、淡いピンクのルージュが引かれた唇を震わせながらも果敢にギロリと横山さんを睨むものの、デフォルトで険しい表情を浮かべている彼には無効化される。
噛みついた彼女とは裏腹に、周囲をとりまいていた女性社員達は視線の多さに萎縮して、震える小さな声で彼女の名を呼んで窘める。
友人に名前を呼ばれた彼女は「でもっ!」と小さく抗議するものの、周囲を見渡し、自分達の分がかなり悪いことを悟って、他の女性社員達と慌てて席を立って食堂を後にした。
彼女達が立ち去った途端、食堂の中を支配していた緊張の糸がプツリと切れて、ざわめきが再来する。
周囲は相変わらず横山さんのマイペースっぷりに苦言を零している者も居れば、彼の発言は一体どういうことだろうと推理し始める者もいる。
後藤さんが俺に言い寄っている事を知っている連中は、もしかして俺の恋人に嫌がらせしてたってことか? と核心に迫っている。
実際、当事者にほど近い俺も、そんな話は初耳だった。
突然の出来事に困惑していた俺は、彼女達を無言で見送っていた横山さんがポツリと「答えてもらってないんだけど……」と不服そうに呟いて。小さく首を傾げながらも彼女達が座っていた場所に腰を下ろして昼食を取り始めた時には度肝を抜かされたけれど。
騒ぎ起こしておきながらその場に留まれる勇気はさすがに無いな、と考えたものの、彼の言葉を完全に理解したのはその日の終業後、俺のマンションで亜矢子に会った時だった。
ホントに間抜けだと思う。
誰がって自分が。
一層首を絞めて殺したいとさえ思った。
社食であった出来事について亜矢子に静かに問えば、彼女ははらはらと涙を零し、謝罪を繰り返しながら教えてくれた。
密かに社内恋愛が出来ていたと思っていたのは俺だけだったらしく、亜矢子が俺の恋人である事は公然の秘密になっていたこと。
俺の恋人である亜矢子が、後藤さんを中心とした女性達に陰口と嫌がらせを受けていたこと。
そんな事に俺は気づきもしないで、亜矢子が一人耐え忍んでいたこと。
謝るのは俺の方だと、泣いている彼女を抱きしめ、二人で繰り広げられた謝罪大会は、やがて苦笑の中に幕を閉じる。
泣きやんだ亜矢子はほんのりと鼻先を赤く染めながら教えてくれた。
「私の状況を真っ先に気づいてくれたの、実は横山課長なの」
あの時の横山課長は面白かった、と亜矢子が言った時、俺は耳を疑ったけれど。
亜矢子の置かされた状況に横山さんが気づいた時、彼は無理矢理亜矢子に残業を押し付けて、二人きりになった状況で言ったそうだ。
『業務に差支えるようなら、お前が自分自身でそれをカバーしろ。彼氏に告げ口されたくなかったら、一心不乱に働け。嫌がらせしてくる連中の度肝を抜いてやれ。だから――騒動を起こすのは俺に任せとけ』
と。
最近、亜矢子の残業が多くてなかなか会う時間がないと思っていたら、そういう事だったのかと苦渋をなめる思いしか浮かばない。
どうして彼女達の嫌がらせの負担を亜矢子自身に背負わせるのかと俺は腹を立てたが、彼女はクスクスと笑って教えてくれた。
横山さんに言われた通り、彼女達の嫌がらせは業務にもささやかに影響を与える事が増えたが、そのたびに亜矢子は自分で踏ん張ったそうだ。
残業を繰り返す日は必ずと言っていいほど横山さんも残業をして手伝ってくれたこと。
彼女のミスになりうる嫌がらせをことごとく潰し、次の日の業務に何の影響も出ていない振りをして日中の仕事をこなせば、彼女達は怪訝な表情を浮かべるも、何も行動を起こしてこなかったこと。
ミスをしない自分を見てやきもきしていた彼女達を見ているうちに、胸がスッとすく思いをしていたこと。
流石に女性社員のロッカー内で囁かれた嫌味や陰口までは横山さんもフォローしきれなかったらしいけれど、彼女達の嫌がらせ以外にも、本当に自分で引き起こしそうな仕事での失敗が格段に減ったのは、亜矢子にとってプラスに動いたらしい。
そんな日常にも慣れ始めた、とある残業時間に、亜矢子は横山さんに感謝の意を伝えたそうだ。
すると横山さんは相変わらずしかめっ面のまま亜矢子に言ってのけた。
『彼女達にとっては嫌がらせだったかもしれないが、どこでミスをしやすいか、どうしてミスは起こるのか。後藤にとっては起こりうるミスを想定し、どう対応するかを理解する、いい模擬訓練になっただろう』
言われた当の亜矢子は、開いた口がふさがらなかったそうだ。
横山さんは彼女達の嫌がらせを逆手にとって、亜矢子の仕事に対するスキルアップを施したのだから。
流石に聞いた俺も唖然とした。
発想が予想の斜め上を行く横山さんには敵わない、と亜矢子は言う。
亜矢子にとって横山さんはどういう人なのかを尋ねてみたら、これまた意外な回答が返ってきた。
「横山課長はすごく仕事ができる人なんだよ。私はすごく尊敬してる」
彼女は続けて言う。
知ってた? と。
横山さんの下についていた当初こそ、皆こぞって根掘り葉掘り悪口を言うけれど、彼の管轄外に異動した人達は、口を揃えて「横山さんの下で働いていた方がよほど仕事がやりやすかった」と苦言するそうだ。
以前、彼の下で働いていた人達が集まって飲み会が開かれてた時の会話がいい証拠だと彼女は言う。
「うちの課長の口癖がホント腹立つ! 『そこは適当でいいから』とか『うまくやっとけばいいから』とか曖昧な指示しか出さないの! 横山課長なら細かいところまで指示して教えてくれるのに、曖昧すぎてどこをどうしたらいいのかさっぱりわかんない! システム管理してんなら曖昧なトコ端折れってーの!」
「わかる! 俺のトコなんか、部長の腰巾着でさー。昨日言ってたことと今日言ってる事がまるっきり違うんだよ! 丸一日かけて作った書類が使い物になんねーの! 横山さんって、経過は自分達にまかせてくれるけど、結論ははっきりしてるじゃん? 結論に至るまでの書類なのに、結論ブレたら全部意味なくなんの。マジで何回目だよ! ってなるんだよなー」
「あー、横山課長って、一度結論出したら、上がどう方針変えようとしても噛みついて結論はブレさせないもんね」
「結論ブレる事になったら、ちゃんとどこから直せばいいか指南してくれたもんねぇ」
「私さー、横山さんに習ったやり方で手順書作ったら『細かすぎるから、もうチョイ削って』って言われたんだよねー。てか、削ったら使い方わかんなくなるっつーの! 何のための手順書よ! 誰でもすぐに使えるものじゃなきゃ、急な引き継ぎとかで苦労すんのは自分達のクセに!」
「それ! 私、苦労かけられた方! 今の部署に異動になってから、引き継ぎの資料見ながら作業したら、ミスっちゃってさ。『手順書に書いてなかった』って言ったら『そんな細かいとこまで書いてるわけないだろ! 指示仰げ!』とかエラそうに。暗黙知にすんなって話!」
「横山印の手順書に慣れてたら他の部署に行くとミスるよねー」
「システム運営だから細かいんだって言われるけど、ぶっちゃけ、会社全体でシステム開発して運営してんだから、手順書とか作成資料とかテンプレ統一しとけって思うんだけど」
「私、システム開発とか運営ってド素人で入社してきてたから、さっぱり分かんなくて不安だったけど、横山印の資料って細かいところまで書いてあるから、分かりやすくてミスも全くしなかったんだよね。普通、資料ってそうあるべきだと思うんだけど」
「あーわかるわかる」
出るわ出るわ、横山さんへの賛辞。
今までの悪口が一掃されて、いかに横山さんが凄い人かって離れてからわかるというのもまたすごい話だ、と亜矢子は自分の事のように嬉しそうに語る。
確かにうちの会社は外部企業向けのシステム開発及び運営を行っているから、手順書が命だ。
営業部の俺には無縁だけれど、あの細かい資料に括目しながらデスクワークしている連中を心底尊敬するくらいには手順書は大切なもの。
曖昧な部分はミスにつながるし、暗黙知なんてもってのほか。
誰もが当たり前と思っている事も、他部署から異動してきた人にとってはその部署特融の仕様で、戸惑う事の方が多いのに、それを理解していない連中の方が多い。
ぐちぐちと自分の上司に対する愚痴をこぼす同僚達に、亜矢子は「いいなぁ、横山さんの下で働けて」と、飲み会の度に言われていたらしい。
彼女も彼女で横山さんを怖い上司としか認識していなかったけれど、なんだかんだと部下に慕われる人なのだと考えを改めたきっかけにもなったそうだ。
……うん、確かにすごいかもしれない。
納得しきれないながらも、無理矢理納得しようとする俺に対し、亜矢子は笑って「今度、横山課長に話しかけてみたらどう? 百聞は一見にしかず」と言ってきたので。
曖昧に「機会があれば」と告げてから、誤魔化すように彼女を味わう事にしたのだけれど。
後日、その機会はあっさりとやって来て、たまたま給湯室で居合わせた横山さんに意を決して話しかけた。
「……あの」
「ん?」
「……最初、俺に会った時、なんであんなこと言ったんですか?」
本来であれば亜矢子の事について礼を言うのが先だったのに、思わず口から出たのはそんな言葉。
『無駄にいい容姿と無駄に振りまく笑顔は、俄然営業向きだな』と言われた事をずっと気にしていたんだと、この時初めて自分自身で気が付いたものの、彼はコーヒーを自分のマグに注ぎながら、思い出したように「ああ」と呟いて、無表情のまま告げた。
「天職だろうなと思っただけだ」
「……天職?」
「ああ。俺は生憎と、外面も内面も、対人にいい印象を与えない事ぐらい、自身で理解してる。外面も内面もいい印象しか与えないお前にとって、営業職は適材適所だろうなと、羨ましく思っただけだ」
彼は相変わらず無表情のまま淡々と告げたけれど。
初めてあの言葉の意味を理解した俺は言葉を失った。
あの横山さんが、俺に対して羨望の念を抱いていたなんて思いもしなくて。
「……無駄に、は余計だったと思います。おかげで理解するのに八年かかりました」
「無駄に、は正しい枕詞だろう。おかげで俺の部下が成長する機会が与えられたようだが」
その時になって初めて横山さんが口元にクッと笑みを浮かべたのを見て、俺はあっけなく降参した。
「分かりました。無駄に振りまくのはやめにします」
「その方が利口だな。無駄な愛想は客先だけでばら撒いとけ。そん時になったら祝儀は弾むぞ」
「……期待してます」
それを聞いて立ち去って行く横山さんを視線で見送りながら、俺は盛大にため息をついた。
「これは確かに……おっかないや」
2年前に書いていた小説を掘り起こしました
続きが書けたらいいなと思いながらも、希望は希薄なので短編です