第三章 迷子になる条件を満たした結果 <5>
「もうレオン様、わからなかったらどうするんですか」
「メーヌなら大丈夫だ。何せ、紅茶の味に気がついたすごい舌の持ち主なんだぞ」
レオンが自分のことのように胸を張る。恋人の得意げな笑みに、怒っていたことなど一瞬で消え去った。クレメーヌは自然と緩む頬をそのままに彼を見つめる。
「持ってきたよ」
クルトが、コトンと小さな音を立て小皿をテーブルへ置いた。皿の上に盛られたアンコをじっと眺める。
(やっぱり紫に近い黒だわ)
グスティで食べたシャオスィのアンコは、クルトの髪の毛と同じくらい艶のある黒色だった。だが、このアンコには色もだが、照りのようなものも見当たらない。
(味はどうなのかしら?)
皿と一緒に置かれたスプーンを手に取り、アンコを口の中に入れる。
「! 甘い」
「グスティのシャオスィだって甘かったぞ?」
不思議そうに訊いてくるレオンに、クレメーヌはすぐさま反応した。
「いえ、違うんです。説明が難しいのですが、少し表現があれですけど、歯が軋むような、そんな甘さなんです」
明確な答えを期待していたのだろう。希望に満ちていたクルトの表情が曇ってしまった。
「そんなんじゃわかんねーよ。大体何かが違うってのはわかってるんだ。父ちゃんもアンコの味が違うっていつも言ってた。これじゃシャオスィじゃないって。だから新しい材料を買いに行ったんだ……でもそのせいで父ちゃんは……」
クルトが唇を噛みしめ黙り込む。短慮に味見をさせて欲しいなどと言わなければよかった。クレメーヌは自分の不甲斐なさを悔やんだ。
「メーヌ、さっきのシャオスィとどこが違うかわかるか?」
重苦しい雰囲気のなか、レオンだけが空気に呑まれず冷静だった。クレメーヌは彼の言葉に目の前がパッと明るくなったような気がした。
「あ、はい。色が違います。このアンコ、グスティのアンコと比べて少し淡い色をしてますよね? グスティのアンコはもっと真っ黒でした」
「そういえばそうだったな」
しげしげとアンコを見つめるレオンの横から、クルトが身を乗り出してくる。
「え、どういうことだよ」
クレメーヌは少年の質問には答えず、言葉を続けた。
「それにあちらのアンコには独特の風味がありましたよね……んー、つい最近、どこかで味わったような」
脳内に食べ物を巡らせる。しかし、お菓子に加えられそうな黒い食材は思い浮かんでこなかった。
(そもそも黒い食材なんてそうそうないわよね)
「クルト、アンコ以外に黒い食材を使ったりはしないのか?」
「黒い食材?」
クルトが腕を組み考え込む。クレメーヌはシャオスィを食べたときの記憶を呼び戻した。
「口に入れた瞬間に、鼻に抜けるまろやかで芳ばしい香り……」
昨夜の晩餐で口にしたのだろうか。チーズフォンデュにそんな香りの食材はなかったはずだ。では、どこで食べたのだろう。首をひねりながら記憶を探っていくなかで、ふいに料理長へ話したパンのことを思い出した。
「あ! 穀物パンです、レオン様。穀物パンの中に入っている黒ゴマがアンコの中に入っているんだと思います!」
「黒ゴマ! そうか。確かに黒い食材だな。なるほど、言われてみればそんな気もする」
「黒ゴマならうちでも他の料理に使ってたよ」
もやもやしていた胸のつかえがとれたような気分だ。クレメーヌはさらに言葉を続ける。
「ええ。でもゴマを噛んだ感じはしなかったからきっとすり潰してアンコと混ぜているんだと思うわ」
「姉ちゃん、ありがとう! 早速作ってみる」
クルトが喜色を浮かべ調理場へ向かう。クレメーヌは少年の背中を見送りながら、レオンへ感謝の気持ちを口にした。
「レオン様がありがとうございます。レオン様の質問がなかったら思い出せなかったです」
「俺は何もしていないさ。さすが俺の自慢の婚約者殿だ」
熱のこもった眼差しにクレメーヌは頬を火照らす。クルトの役に立ったことはもちろん嬉しいが、レオンに褒められたことが何よりも嬉しかった。
※ ※ ※
どのくらい経っただろうか。アンコが完成したようだ。席を外していたクルトが戻ってきた。
「姉ちゃん食べてみてくれよ」
机の上に置かれた皿の上からは、まだ湯気が立ち上っている。先ほどとはまったく違う艶のある真っ黒なアンコにクレメーヌは目を見開いた。これは成功したかもしれない。クルトも自信があるのだろう。早く食べろと言わんばかりに見てくる。クレメーヌは期待に胸を膨らませ、アンコを口に入れた。
「……美味しい。さっきグスティで食べたアンコの味によく似ているわ」
「本当か? 俺も食べてみよう」
一口含み、一瞬後。レオンの蒼灰色の瞳が輝いた。
「すごい! ゴマを入れただけでこんなにも味が変わるのか!」
味見程度では満足できなかったのだろう。レオンが何度もアンコを口へ運んでいる。その姿にクルトが両手を挙げて喜んでいた。
「やったー! これであとは生地に入れて蒸すだけだ。これで家を売らないで済む!」
「ウェッヘッヘ。それはどういう意味ですかな?」
突然聞こえてきた声に驚き、振り向く。そこには勝手にドアを開け中へ入ろうとしているグスタフの姿があった。




