第三章 迷子になる条件を満たした結果 <4>
「おれが小さい頃死んじゃったんだって。ばあちゃんに故郷を見せるために海を渡ってそのまま帰ってこなかったって母ちゃんが言ってた」
「なるほど。つまり、クルトのおばあ様がリーチュー国の生まれだったのだな」
「そうだよ」
クレメーヌはクルトが気にした様子もなく話す姿に安堵しながら相槌を入れる。
「だから思い出の味なのね」
シャオスィはリーチュー国でよく食べられている食べ物だとレオンが言っていた。きっとクルトの母親も自分の母親から教わったのだろう。
(クルト君のお父様は奥様から作り方を教わったんだわ)
「だからあいつが父ちゃんから作り方を盗んだに決まってるんだ!」
(店長さん、絶対にいい人だと思ったのだけど、レオン様の言っていたほうが正しかったのかしら?)
クルトが怒りを再熱させる。クレメーヌはグスタフに感じた印象が間違っていたのかと不安になった。
(でもまだ店長さんの言い分を聞いていないわ。片方の意見を鵜呑みにしてしまったら不公平よね)
もしかしたら互いの意思疎通が上手くいっていないだけかもしれない。しかし、クレメーヌがそれを提案する前にレオンがクルトの意見に同意してしまった。
「そうだな。そう考えるのが妥当だろう。あの店主は何か悪いことをしているような顔だった」
「え!」
「どうした?」
レオンが驚いた様子で顔を覗き込んでくる。吸い込まれそうな蒼灰色の瞳に、クレメーヌは場違いながらもドギマギと胸を高鳴らせた。レオンのことでいっぱいになった頭の回転をなんとか正常に戻し、先ほど考えていたことを口にする。
「いえ、まだそうと決まったわけではないと思いまして……」
「だが、クルトの話を聞く分にはその可能性が高いぞ」
「そうだよ、姉ちゃん。兄ちゃんの言うとおりだ」
「でも、グスタフさん本人に確かめたわけでもないでしょう」
クレメーヌは、自分の言い分ばかりを主張してくるクルトを嗜めた。レオンがふむ、と言って顎へ手をあてる。
「確かに一理あるな」
「もう兄ちゃんはどっちの味方なんだよ!」
「もちろんメーヌだ」
間髪入れずに応えるレオンにクレメーヌは胸を熱くした。しかし簡単に意見を翻されたクルトはたまったものではないだろう。素っ頓狂な声をあげ、椅子から立ち上がった。
「は? なんだよそれ! もういいよ。おれは明日までにアンコを完成させなくっちゃいけないんだ!」
「明日までってどういうこと?」
話の流れが急に変わり、クレメーヌはまじまじと少年の顔を見つめた。
「何度断ってもしつこく言いに来るから頭にきて、明日までに完成できなかったら家を売ってやるって言っちゃったんだ」
すべてを言うつもりはなかったのだろう。不本意と書いてある顔で告白され、クレメーヌはなんと言っていいか分からず黙り込む。
「作り方は盗まれたんじゃなかったのか?」
それで作れるのか。言外に含ませたレオンの問いに、クルトが頷いた。
「作り方が書いてある紙はなくなっちゃったけど、父ちゃんと一緒に作ってたんだ。だからだいたい分かる」
「だからさっき鍋で作っていたのね」
匂いに誘われ顔を覗かせたときに見た光景が脳裏をよぎる。だが、深刻そうに顔を曇らせるクルトに、クレメーヌは内心で首をひねった。
「うん。でも母ちゃんの味とは何かが違うんだ。まあ、それは父ちゃんと作ってたときもそうだったんだけどさ」
泣くのをこらえるように顔を歪ませたクルトに、クレメーヌは胸が痛んだ。グスタフが悪い人なのか今はどうでもいい。家族との思い出の菓子を必死に作ろうとしている少年の力になりたい。気づけばクレメーヌは提案を持ちかけていた。
「よければ味見させてもらえない?」
「え? 姉ちゃんアンコの作り方を知ってるの?」
「作り方は知らないんだけど、食べてみたら何かわかるかと思って」
期待に瞳を輝かせるクルトに申し訳なさを感じる。言い訳がましい言葉を重ねたが落胆しないでもらえるだろうか。少年の顔色を窺っていると、きょとんした顔のまま見つめ返された。しかし、レオンの一言でそれが満面の笑みに変わる。
「そうだな。メーヌが食べたら足りないものがわかるかもしれない」
「そうなの? それじゃ、早速お願いするよ!」
「絶対にわかるってわけじゃないのよ」
レオンの一言にクルトは、こちらの言葉を最後まで聞くことなく、席を立ってしまった。これで違いが分からなかったらどうすればいいだろうか。難易度が上がってしまった。クレメーヌは恨めしい気持ちでレオンを見た。




