第三章 迷子になる条件を満たした結果 <3>
渋々ではあったが信じることにしてくれたのだろう。クレメーヌたちは家の中に招かれた。四人掛けの長方形のテーブルに腰を下ろす。顔を上げると、鍋を混ぜていた台所がよく見えた。親はいないのだろうか。殺風景な部屋を目線のみで見回した。
「それでクルト、カフェ・グスティの店主に家を売るというのはどういうことなんだ?」
お互いの名前を紹介し合うと、レオンが本題を切り出した。少年、クルトはレオンの質問に答えず、カフェ・グスティのことを訊いてきた。
「あんたたちもあいつの店でシャオスィを食べたんだろう?」
口の中にシャオスィの味がよみがえってくる。クレメーヌは頬を緩ませ頷いた。
「ええ。とても美味しかったわ。中のアンコは初めて食べる味だった。リーチュー国のお菓子だっておっしゃっていたわね」
「そのアンコの作り方を、あいつが父ちゃんから盗んだんだ!」
ダンッとテーブルを叩きクルトが立ち上がる。握りしめられた拳が怒りで震えていた。
「盗まれた? それは笑えない冗談だぞ」
「冗談なんかじゃないよ! あのシャオスィはもともと母ちゃんが作ってくれた思い出の食べ物だったんだ!」
怒気を爆発させ大きな声を出す。しかしクルトはすぐに、糸の切れた操り人形のようにがくりと肩を落とし椅子へ座った。そして悲しげに語り始める。
「母ちゃんが病気で死んじゃったあと、父ちゃんと一緒にシャオスィを作って売ろうとしてたんだ。でもその父ちゃんも材料を調達しに行った先で死んじゃって……だから、父ちゃんが残してくれた作り方を元におれがシャオスィを作ろうとしたんだ! なのに……」
クルトが押し黙る。クレメーヌはためらいがちに声をかけた。
「どうしたの?」
「父ちゃんの葬儀が終わった一カ月くらい経ったあとだったかな、あいつがあの店を開店させてうちにやってきたんだよ。この家を売ってあの店で働かないかって」
「なぜグスタフさんの提案を断ってしまったの?」
天涯孤独となった彼には渡りに船だったのではないだろうか。いくらもう働けるからといってもまだ小さい彼が、一人で働き口を探すのは大変なはずだ。そう思い、尋ねてみたのだが、それは火に油をそそぐ結果となってしまった。
「何言ってるんだよ、あいつは盗人なんだぞ! それまでシャオスィなんて誰も知らなかったはずなんだ。それなのに急にシャオスィを売り出すなんて、あいつが作り方を盗んでシャオスィを作ったに決まってるじゃねーか!」
「たしかにクルトの話は筋が通っているな」
「レオン様」
感心するように頷くレオンをクレメーヌは嗜めるように軽く睨みつける。彼はおどけた素振りで肩を竦めて見せると、そのままクルトへ話しかけた。
「それはそうとお前の両親はリーチュー国の人だったのか?」
シャオスィが、海での貿易しか交流のないリーチュー国のものだと知っての確認なのだろう。しかし、肯定すると思っていたクルトの首は横に振られた。
「ううん。父ちゃんは帝国生まれで、母ちゃんはソウウィルの生まれだって言ってた」
「ソウウィルって帝国の西隣にある『龍の息吹』のこと?」
商人の国、ソウウィル共和国。ドラスローブ大陸のほとんどを有している帝国が、侵略を諦めた貿易国家だ。その敵国とも言える国の人間が帝国の住民になっていたことに驚きを隠せなかった。聞き間違いだろうか。だが、こちらの心情など知りようのない少年は呆れたような眼差しを送ってくる。
「それ以外のどこがあるんだよ」
「そうなんだけど……」
なんと言っていいのかわからず口ごもっていると、レオンが話に入ってきた。
「我が国とソウウィルは交易が盛んだからな。最近では共同開発に取り組んでいる商家も多い。だからソウウィルの人間がこちらの国民になることはもちろんだが、帝国の人間がソウウィルへ移り住むことだって不思議な話じゃないさ」
「そうだよ。父ちゃんだって市場に行ったときに、母ちゃんと会ったんだって言ってたもん」
クルトの言葉に、レオンがまたたいた。
「母君は商売でもしていたのか?」
「うん。えっと、母ちゃんの父ちゃんだから、おれのじいちゃん? その人がソウウィルで商売をしてたんだって」
「そうだったの。そのおじい様はソウウィルにいらっしゃるの?」
少年の祖父が生きているのなら彼が一人ぼっちになることはない。しかし、疑問を口にしてから気づいてしまった。この場所にクルトが一人で住み続けているということに。クレメーヌは自分が訊いた質問の残酷さを悔やんだ。だが、少年のほうは何とも思っていないのか、あっ気らかんとした口調で返答してきた。




