第一章 二人きりの晩餐会 <4>
「ええ。公国からすぐに城へ入ってしまいましたので。ですが、城下の街並みは馬車からでも少し見ることができましたよ。とても活気のあるいい街ですよね」
「そうだろう。それでだ。明日、俺と一緒に城下へ降りないか?」
「え? いいのですか?」
レオンからの提案に目を瞠る。なかなか夕食も一緒にとることができないほど忙しかったはずなのに、出歩くなど不可能ではないのだろうか。クレメーヌは疑問を口にした。
「でも忙しくなるって……私も何か手伝えたらよいのですけど」
「姫にはいつも手伝ってもらっている」
「え? 私は何もしていませんよ」
「あなたに会えるだけで疲れた身体が癒されるんだ」
「レオン様」
彼の甘い言葉が嬉しくて、頬が緩む。クレメーヌは両手を顔へ当てた。
「それでどうだろうか? 一緒に行ってくれるか?」
「はい、もちろんです! 私に断る理由はありません」
激しく首を縦に振りながら応えると、レオンが安堵したように短く息を吐いた。
「そうか。よかった。では明日行こう。城下へ行くには少し変装が必要になるんだが問題ないか?」
公国にいたときはよく城から抜け出していたが、さすがに帝国では初めてのことだ。期待で胸が躍る。クレメーヌは満面の笑みで返事をした。
「お忍びってやつですね。ふふふ。もちろんです!」
少年のような無邪気な笑みでレオンが、城下へ降りたら何をしたいかなど、矢継ぎ早に訊いてくる。クレメーヌも彼の勢いに負けないよう応えていった。
二人の会話が途切れることなく続くなか、ふいに大きな影が差し込む。不思議に思い、影のほうへ視線を向けると、野太い声が降ってきた。
「陛下、本日のお食事はいかがでしたか?」
料理長のベルノルト・フォルマーだった。真っ黒な服で全身を包んでいるせいか、巨大な岩のように見える。
「今日の料理も美味かったぞ、ベルノ。そなたの腕は帝国料理だけではないのだな」
親しみを込めるように愛称で呼ぶレオンに、料理長もホッとしたのだろう。肩の力が抜けたように見えた。
「ありがとうございます。クレメーヌ様はいかがでしたか?」
料理長がレオンへ恭しく頭を下げ、顔を向けてくる。堀の深い顔立ちだからだろう。目力が強い。しかも頭の毛をすべて剃り上げているせいで、怖面だ。だがクレメーヌは、彼を怖いと人だと思ったことはない。なぜなら彼の手から作り出された料理の美味しさを知っているからだ。人を笑顔にする物を作れる人間に、悪人なんていない。そんな持論を掲げている自分が、料理長の見た目を気にするわけがなかった。
「はい。もちろん今日もとてもおいしかったです。公国ではサクランボの蒸留酒ではなくリンゴの蒸留酒をチーズに混ぜるのですが、リンゴ酒とは違った香りが楽しめて懐かしさと一緒に新しい発見もさせてもらいました。これも料理長のおかげですわ」
クレメーヌはチーズフォンデュを味わったときの感動と感謝をにこやかに伝える。しかし、料理長は静かに首を横へ振った。
「陛下からのご提案にございます」
「まあ、そうでしたの? レオン様、ありがとうございました」
「いや、頼んだのは余だが、ベルノの腕のおかげだ。だがさすが姫だな。中に入っている酒の種類に気づくとは」
感心するように頷かれクレメーヌは恥ずかしくなる。それでも食い意地が張っていたからこそ培えた能力だ。それを認められたようで、嬉しくなった。
(レオン様だけだわ。私の特技をからかわないで素直に誉めてくださるのわ)
家族ですら、『味のわかる仔豚』なんて揶揄してくるくらいだ。それでもその言い方に愛情が籠っているとわかっているからクレメーヌも卑屈にならずに済んでいる。
(みんなどうしてるかな)
公国にいる家族のことを思い馳せる。その傍らで、レオンと料理長の会話が続いていた。
「ベルノ、今度は姫の言ったリンゴの蒸留酒のチーズフォンデュを作ってくれ」
「かしこまりました。陛下と姫様の期待に添えるようさらに精進いたします」
礼儀正しくお辞儀をする料理長に、クレメーヌは日ごろから伝えたくてしかたなかった気持ちをぶつけることにした。
「今夜のチーズフォンデュも美味しかったですが、私は料理長の作る帝国のお料理が大好きですわ。ソーセージの種類の多さはもちろんのこと、毎食欠かさず出されるパンの種類に脱帽です」
息継ぎもせずに言い切る。毎食の感動を少しでもわかってもらいたくて口に出してみたが、上手く伝わっただろうか。クレメーヌは料理長の顔色を窺い見る。すると、厳めしい彼の顔が微かに綻んだように見えた。
「お褒めいただきありがたき幸せにございます」
料理長の言葉に、パァッと晴れやかな気持ちになる。クレメーヌはさらに胸の内に秘めていた感動を語り始めた。
「特にゴマやヒマワリの種、それにあわ、ひえなどの穀物がたくさん生地に練り込んである穀物パンが私は好きです。あ、もちろん混ぜパンも大好物ですよ。公国の黒パンは少し酸味が強いのですが、混ぜパンは程よい酸味でお肉を挟んで食べたらとまらなくなりますよね。それに薔薇パン! 花のように可愛らしい形をしていて、中々手が出せないのが困ります」
料理長の作ったパンを脳裏に浮かべながら話していると、レオンが声をあげて笑い出した。
(やだ、私ったら)
クレメーヌは顔が熱くなる。
「ああ、余も穀物パンは好きだな。だが姫は、先日編み込みパンが好きだと言っていなかったか?」
「も、もちろん編み込みパンも好きです。シナモンと砂糖を編み込んで焼くことを発明した人は神様だって思いましたもの! って、もう、レオン様! からかわないでください! と、とにかく料理長の作るパンはなんでも美味しいってことなんです!」
涙が出るほどおかしかったのだろうか。レオンが目尻を指で触れながら料理長へ顔を向ける。
「ああ、わかっているとも。なあ、ベルノ?」
「はい。敏感な舌をお持ちのクレメーヌ様にそうおっしゃっていただけて明日からの励みになります」
真面目くさった料理長の言い方に笑みがこぼれる。
「ふふふ。大げさですわ」
「いや、姫が美味しいと言ったものは本当にすべてが美味しい。ベルノの言葉も当然だ」
「まあ、レオン様まで」
レオンが至極真面目な面持ちで頷く。その姿が逆におかしかった。クレメーヌがくすくす笑っていると、料理長が髪のないつるりとした頭を撫でた。
「お二人の仲は本日お出ししたチーズフォンデュのように熱々ですな。早く姫様がこの国の国母になってくださる日が待ち遠しいです」
「こ、国母!」
「ああ、余も待ち遠しい」
クレメーヌが口の開閉を繰り返すなか、レオンは満面の笑みを料理長へ向ける。
「それでは、デザートをお持ちいたしますのでしばしのご歓談を」
料理長はレオンの返答に満足したようだ。頭を下げその場を去って行った。




