ジャンル別恋愛日間ランキング(2015/4/25) ランクイン記念お礼
以前、皆様のおかげで日間ランキングにランクインすることができました。
ありがとうございます。<(_ _)>
そときに書いた番外編を再アップいたします。
婚約式を数ヶ月後に控えた、ある晴れた日の昼下がり。クレメーヌはレオンから遠出へ誘われ、外門へ繋がっている広場で彼が来るのを今か今かと待ち焦がれていた。
「ねぇ、アンニ。遠出ってどこに行くのかしらね?」
レオンから真実を教えてもらった日から互いに忙しく、なかなか会うことができていなかった。それが今日は一緒に外出できるとあって、朝から待ち遠しくて仕方なかったのだ。
ときおり、ソワソワする気持ちを落ち着かせようとクレメーヌはお気に入りの深緑のスカートを翻してみる。しかし、焼け石に水のようで、まったく効果はなかった。
「どこでしょうかねぇ? それより姫様?」
「なーに?」
アンニが先ほどから何度も何か言いたそうな素振りを見せていた。それが気になっていたのだがやっと聞いてくれるのだろうか。クレメーヌは首を横に倒し、彼女の言葉を待った。
「背中に背負っていらっしゃる袋はなんですか?」
「ああ、これのこと? これはおやつよ。おやつ。バタークッキーに、ゴルディ商会のショコラでしょう。それとゴルディ商会の新商品、ガトーショコラって言ったかしら? コルドゥーラ様から昨日いただいたでしょう。せっかくだからレオノーラ様と一緒に食べようと思って……」
アンニの疑問がわかり、クレメーヌは背負っていた袋を芝の上に下ろす。中の物をアンニへ見えるように袋の紐をほどいた。
「もちろんアンニの分だって入っているわよ。馬車の中で食べましょうね」
ニコリとアンニと微笑み合うと、草を倒す複数の足音が背後から聞こえてくる。
「レオノーラ様!」
クレメーヌは反射的に振り返った。一般騎士を表す鉛色の軍服を着たレオンが、黒毛の立派な馬を従えて歩いてきた。
(……格好いい)
「すまない、姫。待たせたか?」
後ろで一つに纏められているレオンのアッシュグレイの髪と馬の黒い毛が日の光に反射している。それはまるで、黒光りするビターチョコの上に銀色の砂糖菓子が飾られているゴルディ商会のショコラのようで。クレメーヌは、近づいてくる彼らにうっとりと見とれていた。
「姫?」
「あ、レオノーラ様。申し訳ありません。その、レオノーラ様の恰好に……」
見とれていました、と続けることが恥ずかしくなり言葉に詰まる。そのうちに、レオンが馬の手綱を持ったままさらに近づいてきた。
「レオンだ。言っただろう?」
「あ、申し訳ありません……レ、オン様」
手綱を持っていないほうの手で頬を撫でられる。なんのためらいもなく触れられたレオンの少し固い手のひらに、体温が一気に上昇した。赤くなった顔を隠したくて俯こうとするが、彼の手がそれを阻む。せめて目線だけは彼から外そうと視線をさまよわせると、頬にあった温もりが離れていった。何もなくなった頬をふわりと風が通っていく。レオンの暖かな手とは違う冷たさに心細くなり、クレメーヌは目線を彼へ戻した。
「それにこれから馬に乗るんだ。男の恰好していたって不思議ではないだろう」
イタズラを企てた少年のような笑みを浮かべたレオンと目が合う。
(良かった。見とれていたことには気づかれていないみたい)
レオンは女装をしていないことに驚いていると思っているようだ。クレメーヌは彼の綻んだ口元に再び魅了されそうになったところで、ハッと我に返った。
「え? 遠出ってこの馬で行くんですか?」
てっきり馬車で行くとばかり思っていた。クレメーヌが驚く傍らでレオンが馬の背を撫でながら頷く。
馬に乗ることは、ヤギを追いかけるのに必要だったため問題はない。だが乗馬用の服ではなく、踝まであるスカートを履いてきてしまったのは失敗だった。
(アンニったら大事なことを言い忘れたわね)
クレメーヌはレオンに気づかれないよう侍女へ視線をやる。しかし、素知らぬ顔で明後日のほうを見る彼女を睨みつけることはできなかった。
(もう、仕方ないわね。いいわ。罰としてアンニにはクッキーを一枚減らしてやるんだから)
侍女への処罰を密かに決め、クレメーヌは自分が乗るであろう馬を探す。が、それらしい馬はどこにも見あたらない。クレメーヌは首を傾げ、レオンへ顔を向けた。
「……あのそれでは私の馬はどこにあるんですか?」
「もちろん姫は俺と一緒だ」
間髪入れずに聞こえてきた言葉に耳を疑った。
「……へ? ……すみません。今、一緒に馬に乗ると聞こえたのですが……」
「あぁ。あたっているぞ。姫は俺と一緒にこの馬で遠出に行くんだ」
レオンがポンと軽く馬の背を叩くと、馬がよろしくと言わんばかりにクレメーヌの前にブルンと鼻面を出してくる。澄んだ茶色の大きな瞳を向けられ、クレメーヌは挨拶がてら馬の鼻面を優しく撫でた。
「さぁ、姫、手を」
馬の滑らかな毛を堪能している間に、レオンは馬の背に跨がったようだ。馬上がから差し出された手の意味がわからず、クレメーヌはまじまじとレオンの節くれだった大きな手を見つめた。
「手を乗せて。俺が姫を引き上げるから」
(引き上げる? 私を? レオン様が?)
告げられた言葉を脳内で繰り返し、やっと理解する。同時に血の気が引いた。
「無理です。無理! 絶対無理! 私なんかを引き上げちゃったらレオノーじゃなくてレオン様の腕が抜けちゃいますから!」
「大丈夫だ。俺はそこまでひ弱じゃない」
首を激しく横に振り拒否するが、レオンはそんなことをわかりきっていたかのようにきっぱりと否定してくる。それでもクレメーヌは承諾することはできず。慰めようとしているのか、頭を下げ押してくる馬へ隠れた。
「無理です。馬さんだって私なんかを一緒に乗せたら潰れちゃいます」
「大丈夫だ。この馬もそんな柔な体はしていない」
なっ、と馬上から鬣を撫でると、馬はもちろんだと言うようにブルンと顔を縦に振った。
「ですが……アンニ……」
馬からも否定され、クレメーヌは侍女へ助けを求めようと彼女の姿を探す。しかし、先ほどまで近くにいたはずのアンニの姿はおやつが入っている袋と一緒にいなくなっていた。
「え? アンニ?」
「ああ。アンニなら馬車で先回りしているはずだ。さ、早くしないと日が暮れてしまう」
頼みの綱のアンニがいなくなり、クレメーヌは途方に暮れる。だがたとえレオンの頼みだったとしても手を乗せることはできない。どう断ろうか思案しているとレオンが馬から降り、両脇腹をつかんできた。
「きゃぁ!」
あまりにぐずぐずしていたから痺れを切らしてしまったのかもしれない。気がつけばクレメーヌは馬上に横座りになっていた。
「平気だっただろう?」
「平気だっただろう? じゃありませんよ、レオノーラ様。大丈夫ですか? 腰とか肩とか痛めてません……きゃっ」
レオンを見下ろしながら文句を言うが彼は気にしたふうもなく、さっきと同じように素早く馬へ跨がった。横座りしていたこともあり、バランスを崩す。しかしレオンの見た目とは反した固い腕に支えられ事なきを得た。
「馬の背中でそんなに動いては危ないぞ」
「それは急にレオノーラ様が……」
クレメーヌはクスクス笑いながら窘めてくるレオンに文句を言いながらも、顔を上げる。今にも頬に口づけされそうなほど近くにある彼の蒼灰色の瞳と目が合い、言葉をとめた。
(ち、近すぎじゃない?)
「どうしたのだ、姫?」
レオンの手が、頬にかかったカーキ色の髪の毛を優しく後ろへ流す。
(きゃー、耳に息が!)
クレメーヌはレオンとの距離を少しとろうとする。だが、馬の上ということはもちろんのこと。レオンが手綱を握ったせいで、抱え込まれてしまい身じろぎすることもできない。
(髪に手が、耳にレオノーラ様の手が!)
のぼせたときのように顔が火照る。このままでは気を失ってしまうかもしれない。クレメーヌが沸騰しそうな頭でぐるぐるこの場をどう乗り切るか頭を悩ましていると、レオンの甘い声が再び耳朶をくすぐった。
「姫?」
「ああの、レオノーラ様。姫って呼ばないで貰えませんか? レオノーラ様に呼ばれると力が抜けちゃいそうなんです」
必死に紡いだ声はひどく頼りないものだった。アンニや故国の家族に言われてもなんとも思わないのに、レオンの声を聴いているだけで夢見心地になってしまう。
「ではなんと呼べばいいのだ?」
レオンが蒼灰色の瞳を丸くする。一瞬後、その瞳を細め、とろけるような笑みを浮かべた。間近で受け止める結果となったクレメーヌは息も絶え絶えに、なんとか願いを口にした。
「名前でお願いします。クレメーヌと」
「いいのか? それならば、姫などと遠慮せずに最初から名前で呼んでいればよかったな。クレメーヌ」
「ひゃあ!」
耳元に囁かれるように言われた自身の名前に、心臓が震えた。
(姫より名前で呼ばれるほうが、攻撃力が大きいだなんて……)
「では、行くとしようか。クレメーヌ」
レオンは機嫌良さそうに名前を呼んでくる。このままでは心臓が保たない。
「あの、レオノーラ様。やっぱり元の呼び方に直してもらっても?」
頼んだばかりで撤回するのは心苦しいが、背に腹は替えられない。しかしレオンはにっこり笑うと、首を横に振った。
「却下だ」
「ですよね……」
あれほど喜んでいたのだから予想はしていた。クレメーヌはがっくり肩を落とす。
「と、言いたいところだが……」
「え?」
元の呼び方に戻してくれるのだろうか。クレメーヌは、密着していることも忘れレオンの顔をまじまじと見つめた。
「姫が俺の名前をちゃんと呼んでくれれば、考えて」
「本当ですか?」
「あぁ」
彼の言葉を遮るほどの勢いに苦笑される。だが、クレメーヌは気にならなかった。
「言います、言います。レオン様、これからはきちんとお名前を呼ばせていただきます。ですからどうか、姫と呼んでください」
前後不覚になるほどの威力を持つ名前で呼ばれるくらいなら、恥ずかしいがレオンを名前で呼んだほうがいいに決まっている。クレメーヌは、レオンの気が変わらないうちに彼の名前をにっこり笑いながら呼んだ。すると、今度はなぜかレオンのほうが目を丸くして動かなくなってしまった。
「レオン様? 大丈夫ですか? もしかしてさっき私を引き上げたから具合が悪くなったんですか?」
クレメーヌは心配になり、そっとレオンの胸を触れる。それと同時に、レオンは手で顔を隠し項垂れた。レオンの反応にクレメーヌは、サアーっと血の気が引いていく。
「レオン様、どこか痛いんですか? だから言ったじゃないですか! 私なんか持ち上げたらダメだって! 今度からは絶対そんなことしないでください」
罪悪感でいっぱいになる。嫌われてもいいから拒否すれば良かった。クレメーヌは涙を滲ませ、唇を噛みしめた。
「自主的に呼ばれる名前は威力がすごいな……」
「レオン様? 大丈夫ですか?」
くぐもった声で呟くレオンの言葉が聞き取れず、クレメーヌは馬上の上だということも忘れ、顔を近づける。
「問題ない。あなたの可愛さにやられただけだ。クレメーヌ」
「かっ!」
吐き出されたレオンからの言葉に、目を見開く。下がっていた血が一気に体中を駆け巡っていった。
「レオン様、さっき名前は言わないって約束したじゃないですか!」
「言わないなんて言ってないさ。考えてやると言ったんだ。そして考えた結果名前で呼ぶと決めた」
「なっ!」
あまりにあっさりと言い切られ、クレメーヌは二の句が継げず口の開閉を繰り返す。それをレオンが愉しげに見てくる。
「それに、勝ち逃げはされたくない性分だからな」
「勝ち逃げ? 私がですか? 私なんてずっとレオン様に負けっぱなしじゃないですか」
自分だけがわかっていればいいと言わんばかりににやりと笑うレオン眺めながら、クレメーヌは頬を膨らませた。
「さぁ、アンニたちが待ちくたびれてしまうからそろそろ行こうか」
そう言うや、レオンは馬へ合図する。
(私が勝ったことなんてあるわけないじゃない?)
上手くレオンに言いくるめられた気がしてならない。だが、せっかく遠出だ。どこへ連れていかれるのか見当もつかないが、レオンに任せておけば間違いはないだろう。クレメーヌは馬が歩き出した拍子にレオンの胸の中でもたれかかりながら、これから向かう先でレオンと一緒に食べるガトーショコラの味を想像した。
≪了≫




