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「うふふ。絶妙なタイミングでしたわ」
「皇帝陛下をお止めするのが大変でしたよ」
楽しそうに会話を続ける二人の関係性がわからない。クレメーヌはひっく、と横隔膜を震わせながらまぶたの開閉を何度も繰り返した。
「うふふ。そろそろ真相を話したほう良さそうですわよ、皇帝陛下」
「そのようだな」
コルドゥーラが思わせぶりな笑みを向けてくる。だがそれはこちらにではなく、いつの間にか隣に立っていたレオノーラへ向けられているものだった。
城内にいるときはドレスだったためか女性にしか見えなかったが軍服を着ている今は、ちゃんと男性に見える。見た目の印象が、服装だけでこうも違って見えるものなのだろうか。あまりの違いに、クレメーヌは舐めるようにレオノーラを観察した。
「クレメーヌ姫、すまない。あなたを囮に使わせてもらった」
苦笑しながら呟かれた言葉に瞠目する。
「囮? ですか?」
「ええ。バーレ伯爵嬢を捕まえるために、姫に協力してもらいました」
今まで姿すら見えなかったリーンハルトがレオノーラの隣に立った。レオノーラの紫紺とも、他の騎士たちとも違う藍色の軍服を纏っている。色以外に何か違いがあるのか確認していると、突然耳をつんざくような声が聞こえてきた。
「キャー! リーンハルト様。私、リーンハルト様のために頑張りましたのよ」
コルドゥーラが、リーンハルトへ飛びつく勢いで近づく。
「ご助力感謝します。コルドゥーラ様」
「私とリーンハルト様の間でそんな言い方! 他人行儀ですわ」
さっきまでの妖艶で落ち着いた印象とは違うコルドゥーラの姿に、クレメーヌはポカンと口を開ける。だが、そんなことに気づくこともなく二人は会話を続けた。
「男爵令嬢とは他人ですから仕方ありません」
「まぁ! リーンハルト様、コルドゥーラとお呼びしてくださいと言ったではありませんか。もう、いけずな方なんですから」
「え、いや、ちょっと離れてください」
リーンハルトが、腕にしなだれかかってくるコルドゥーラを引き離そうと躍起になる。しかし、コルドゥーラは放すものかとしがみついてた。
(何がどうなってるの? コルドゥーラ様はリーンハルト様が皇帝陛下じゃないってわかってるってこと?)
「うふふ。照れていらっしゃるのね」
「違いますって。あ、そこのお前、見落としがないように徹底的に調べ上げろよ」
逃げるように別の部屋にいる騎士に話しかけ、リーンハルトが部屋を出て行った。
「お待ちになってリーンハルト様」
コルドゥーラもリーンハルトのあとを追いかけ、部屋をあとにする。台風が去ったあとのような静けさが室内を覆う。
(今のって本物のコルドゥーラ様よね?)
コルドゥーラの変わりようが未だに信じられない。何が起こったのか。あまりの衝撃に、目の前で起きていることが理解できずクレメーヌはレオノーラへ助けを求めた。
「コルドゥーラの実家は代々、公にはされていないが我が一族の子飼いなんだ」
肩を竦めながら発せられたレオノーラの言葉に、クレメーヌは息を飲む。
「それじゃ、ゴルディ商会が偽装していたというのは」
「嘘だ」
「うそ!」
間髪入れずに告げられた言葉にクレメーヌは目を白黒させる。レオノーラが申し訳なさそうに眉を下げた。
「言い訳になるかもしれないが。余は姫を疑っていたわけではない。ただ万全を期すためにこのように画策せざるを得なかったのだ」
「姫様はお顔に出やすいですからね。コルドゥーラ様が味方だってわかってたら、バーレ嬢たちにすぐに見破られてしまいましたよ」
レオノーラを擁護するかのようにアンニが間へ入ってくる。しかしその内容は揶揄が多分に含まれ、クレメーヌは顔を熱くさせた。
「アンニ!」
恥ずかしさにアンニへ八つあたりすると、レオノーラが肩を落として悲痛そうな眼差しを向けてくる。
「本当にすまなかった。バーレの娘があそこまでの暴挙に出るとは思わなかったのだ」
まさかエルヴィラが毒を持っているとは思ってもみなかったのだろう。しかもエルヴィラは貴族の娘だ。そんな彼女が別の者に命令するならいざ知らず、自らの手で人を殺めようなどと考えつかなかったに違いない。現に自分ですらエルヴィラに毒だと言われ、初めて命の危険を感じたくらいなのだ。それでもレオノーラは己が許せないのか、両脇に降ろしてある拳を固く握りしめ眉間に皺を深く作っていた。
(レオノーラ様が悪いわけじゃないのに……)
クレメーヌはレオノーラへ近寄り、彼の手を包み込みながら持ち上げた。
「私はピンピンしてますからそんなふうに謝らないでください、レオノーラ様」
大丈夫だということを伝えるためニッコリと笑うと、レオノーラが瞳を丸くする。しかしそのすぐあと、頬を綻ばせた。それはどんなものでも魅了してしまいそうなほどキラキラと輝き、クレメーヌは一気に体温を上昇させる。見つめられていることに耐えきれず、手を離して距離を取ろうとしたが、逆にレオノーラに手を取られる。
「あ、あああの!」
「余のことは、レオノーラではなくレオンと呼んではもらえないだろうか」
「え?」
「姫様、レオノーラというのは皇帝陛下のお名前じゃありませんよ。ラウリヴォルフ・L・グラジスドラコ皇帝陛下ですよ」
そうだった。女性だと思っていたから皇帝陛下の名前のほうが偽名だと思っていたが、レオノーラは男性だったのだ。アンニの言葉に今更なことを気づかされ思考を停止させる。
「LはレオンのLだ。親しい者だけに呼ばせている」
「あ、でも、その」
断ろうと口を開くがうまくいかず口ごもる。その合間を縫って、レオノーラがさらにぐいっと近づいてきていた。
「姫に呼んで欲しい」
レオノーラの整った顔に迫られ、鼓動が早くなる。きっと顔は真っ赤になっているだろう。元々女性だと思っていたときから心拍数が上がっていたのだ。今は女性ではなく男性に見える上、頬を僅かに赤らめ瞳を潤ませている彼の姿は妙に色っぽい。このままでは心臓が破裂してしまうかもしれない。纏まらない思考でグルグルしていると横から助け舟がやってきた。
「皇帝陛下。申し訳ありません。今は城へ戻り、姫様を休ませて差しあげたいのですが」
「あ、ああ。そうだな。配慮が足らずすまなかった。姫が落ち着いたらもう一度話をしよう」
「ははい! それはもちろん」
早くレオノーラから離れたい一心で食い気味に返事をする。こんな簡単に助けられるのならもっと早く助けて欲しかった。クレメーヌが恨みがましくアンニへ視線をやると、彼女はニヤニヤと嬉しそうな笑みを向けてきた。
(なんなのよ、あの顔。何かよからぬことを考えているんじゃないでしょうね)
笑顔の意味がわからず、顔をしかめる。おもむろにレオノーラが近くにいた騎士を呼びつけた。
「姫を城へ」
「はっ」
真剣な顔つきで騎士に短く命令するレオノーラを格好いいと思うと同時に、その視線を自分へ向けて欲しいと思ってしまう自分がいることに気がつく。目が合えば恥ずかしくて視線を逸らしたくなるのに、合わないと寂しいとさえ感じる。クレメーヌはままならない自身の気持ちに、深く息を吐いた。




