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「そこまでだっ!」
かけ声とともにレオノーラが入ってくる。ドレスではなく、肩に金の房がついた紫紺の軍服を着ていた。どこから見ても女性には見えない。
(レオノーラ様よね? え? どうして?)
目を丸くし動けずにいるのは自分だけではなかったようだ。レオノーラの後ろから入ってきた複数の騎士たちに、エルヴィラとマリヤーレスがあっさりと拘束されていく。
「な、何をするのです! 私が誰だか知っているのですか!」
「キャッ! 痛い! 離しなさいよ。私はヒューバー家の娘よ! あなたたちのことをお父様に言いつけやるわ!」
二人が動かないよう、騎士たちは彼女たちの両手を背中へ回した。しかしそれでも彼女たちは髪を振り乱し、拘束から逃れようと暴れている。だが鍛えている騎士たちにとってエルヴィラたちの抵抗は、なんの意味ももたないようだ。騎士たちは、顔色を変えることもなく彼女たち抑え込み、主であるレオノーラへ視線を向けた。
「ヴィルデュハグーン公国第三公女誘拐の現行犯だ。連れて行け」
『はっ!』
レオノーラの命令に、一分の乱れもなく騎士たちが返事をする。そしてそのまま彼女たちを連れて部屋をあとにした。
(助かったの?)
レオノーラの登場によって、あっという間に事態が急転したことがにわかに信じられず、クレメーヌはまばたきを繰り返す。室内を調べている騎士たちに指示するレオノーラの姿をぼんやりと眺めていると、ふいに誰かが背後へ回ったのがわかった。
(騎士さん? 良かった。やっと、この窮屈なロープから抜け出せるのね)
クレメーヌは急かしたい気持ちをぐっとこらえつつ、ロープを切りやすくしようと身じろぎをした。
「姫様、大丈夫ですか? 今ロープを解きますからね」
おもむろに聞こえてきた耳慣れた声に、目を大きく見開く。
「……ア、ンニ」
幼い頃からずっと聞いていたのだ。間違えるはずはない。アンニの声だ。コルドゥーラから始末したと聞かされた時は最悪の結果を想像して絶望したが、背後にいる彼女の気配にクレメーヌは嬉しさから胸を震わす。じわりと滲み出した涙が瞳を覆っていく。クレメーヌはぼやける視界をまばたきで正常に戻し、唯一動かすことのできる首を後ろへひねった。
早くこの目でアンニの無事な姿を確認したい。その一心で顔を動かしたのだが、俯いてロープを解いていたため、アンニの顔を見ることができないでいた。今は、声だけで我慢しておこう。クレメーヌは無理な態勢をしていた顔を正面へ戻し、アンニへ話しかけた。
「アンニ。無事だったのね。良かった。もう、心配したんだからね。ねえ、アンニ聞いているの?」
思いのまま口を開くが、返事が一つもないことに不安になる。もしかしたら幻聴だったのだろうか。後ろにいるのはアンニではなく騎士なのだろうか。底なしの穴にでも落下しているような速度で血の気が引いていく。ドクドクと、周囲の音をかき消すほど早く脈打つ鼓動の音が耳の奥に響いている。
「アンニ? ねぇ、アンニってば返事をしてよ。アンニ。お願いだから、アンニ」
クレメーヌは声を震わし、何度もアンニの名を呼んだ。
「そんなに何度も呼ばなくてもアンニは姫様のおそばを離れませんから大丈夫ですよ。っと、やっと取れました。姫様、お待たせいたしました。体動きますか?」
悲痛な思いで呼びかけると、あっさりとアンニの声が返ってくる。同時に拘束されていたロープがふわりと緩まり、床へ落ちた。
体内にため込んでいた息を吐き出すと、アンニがひょっこりと目の前に現れる。頬にそばかすを散りばめ微笑む侍女の姿に、クレメーヌは勢いよく彼女の体へ抱きついた。
「アンニ! 無事で良かったぁぁぁぁぁぁ」
我慢していた泪が一気に流れていく。クレメーヌは制御できなくなった涙腺を気にすることなく、アンニを強く抱き締めた。
幻聴でも幻覚でもなく、本物のアンニが腕の中にいる。そのことが何よりも嬉しくて、クレメーヌはさらに力をこめる。
「ひ、姫様、少し緩めて……ぐぇ」
腕の中で蛙が潰れたような音が聞こえ内心で首を傾げていると、ふいに近づいてくる人の気配に気づく。顔をそちらへ向けると、首謀者の一人だったはずの人間が立っていた。
「コルドゥーラ様」
「うふふ。侍女さんが今にも本当に天へ召されちゃいそうですわよ?」
エルヴィラたちと一緒に捕まったと思っていたのに、どういうことなのだろうか。クレメーヌは彼女の登場に、アンニを抱き締めていた力を緩めた。その隙にアンニが腕の中から離れる。
「コルドゥーラ様、お疲れ様でした」
「え?」
アンニの口からコルドゥーラの名前が出てきたことに驚き、目を丸くする。想定外のことに、とめどなく流れ続けていた涙も止まった。クレメーヌはゴロゴロする目で、アンニとコルドゥーラを交互に見つめる。




