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「アンニ、外へ出ちゃったけどこっちでいいの?」
さらに前へ歩を進み、石のトンネルから抜け出す。足元が草地になり、腰までの高さがある垣根に囲まれていた。
「あれ? おかしいですね。私が目指したのは姫様のお部屋だったのに……」
「アンニ……って、ちょっと待って! これ向こう側に通り抜けできるわ」
垣根に人が通り抜けできそうな隙間がある。クレメーヌは一見普通に見えるが迷路のような垣根に興味を惹かれ、そのまま突き進んでいった。
「あ、姫様。お待ちください」
深緑に生い茂った葉が服にこすれるのも厭わず先へ進むと、開けた場所が見えてくる。そこがゴールかとクレメーヌは足を速めた。
「すごいわ、アンニ! 大発見よ! さっきの場所はこの庭園につながっていたみたい」
「へ?」
垣根の迷路に苦戦しているアンニの両手を引っ張り出してやる。アンニはたたらを踏みながら、妃候補たちと開いた茶会の場所である庭園にやっと足を踏み入れた。
「すごいですね。姫様。まさか、あそこからこの場所へ来れるなんて思いもしませんでしたよ」
「本当よね。ふふふ、これも迷子になってくれたアンニのおかげね」
外へ出たときにはどうなるかと思ったが、無事に済みそうで良かった。あの場所までマリヤーレスが追いついてきたとしても、この場所まではやって来れないだろう。
「ここからは迷わず部屋に戻れそうね。それじゃ、マリヤーレス様に見つからないように早く行きましょう」
「はい」
来た道を戻ろうと向きを変える。
「うふふ。追いかけっこでもしているのですか、クレメーヌ様」
「ぎゃー!」
誰もいないと思っていたのに突然声を掛けられ、クレメーヌは悲鳴をあげた。恐る恐る声がしたほうへ目線をやると、そこにはコバルトブルーのドレスを着たコルドゥーラの姿があった。首元までしっかりと隠れているのに、女性らしい凹凸がはっきりしているためか妙に色っぽく見える。後ろでひとまとめされたこげ茶色の髪の毛と、纏まりきらずに両耳の脇に垂らされている髪が余計そう感じさせるのだろう。
「あら? ふふふ。驚かせてしまったようですね」
「こ、コルドゥーラ様はここで何を」
「うふふ、見納めにきていましたの。でもまさかあなたから理由を聞かれるとは思いませんでしたわ」
口元は笑っているのに、少し垂れ目がかった茶色の瞳は一切笑っていなかった。
(困ったわ。彼女も私が紅茶の味をレオノーラ様に言ったせいで城から退去させられると思っているのね)
マリヤーレス以上の嫌がらせをされるのだろうか。走ったせいで出てきた汗とは違うものが頬を伝う。
「いえ、あの……」
クレメーヌは、コルドゥーラがにじり寄るたびに、アンニを背中で庇いながら後ずさる。
「あなたに恨みはないのだけどごめんなさい」
ふいに、コルドゥーラが目配せをするかのように、視線を動かした。クレメーヌもそれにつられるように、顔を逸らす。とたんに目の前が真っ暗になり、クレメーヌは意識を失った。
※※※
「……んっ」
ジメッと湿気を帯びた空気と埃臭い匂いが鼻を刺激し、意識を取り戻す。
「痛っ、え? ここは?」
体を動かそうとするが身動きがとれない。座ったままの状態で、柱にくくりつけられているようだ。
あばら屋か何かだろうか。木造の部屋の中には家具など一切なく、扉と窓が一つずつあるだけだ。ところどころ穴が空いている、むき出しの床にはうっすらと埃が積もっていた。申し訳程度にかかっているカーテンから射し込まれる日の光から考えるに、そう時間は経っていないはずだ。
(たしかマリヤーレス様から逃げてた途中でコルドゥーラ様に会って……)
そこから記憶がないということは、彼女に連れてこられたのだろう。クレメーヌはぼんやりとする頭で気を失う前のことを思い出す。
(そういえばアンニは!)
一緒にいたはずの侍女の姿を探す。だが、顔だけ部屋を見回しても何も見つからない。この部屋には、自分一人しかいないようだ。
(アンニのことだもの。コルドゥーラ様からうまく逃げ出したんだわ)
足は遅いかもしれないが、小回りはきくから大丈夫だ。きっとレオノーラに事情を話し、そのうち助けに来てくれる違いない。ここはへたに動くよりも、じっと待っていたほうがいいだろう。
少し希望が見えてきたことによって、落ち着くことができた。クレメーヌは前のめりなっていた体を起こし、柱にもたれかかった。
(どのくらいこうしてればいいんだろう。でもこんな状態じゃ何もできないし……これで助けがこなかった終わりよね。アハハハって、終わったら駄目よ。やっぱり助けを待つだけじゃ駄目だわ! 自分でなんとかしないと)
『味のわかる仔豚』だけでは心許ないからと『できる仔豚』になると決めたばかりだ。こんなところで他人を頼っていては、『できる仔豚』になんてなれない。ここは自分の力だけで切り抜けよう。
クレメーヌは決意を新たに、腕ごと一緒に巻かれている縄を解そうと身をよじった。だが隙間なく巻いてあるロープは緩むことなく、クレメーヌの体に食い込んでくる。
(今なら糸で縛られたハムの気持ちがわかるかも)
立つこともできずに動き続け、息が切れてきた。小休止と称して柱に体を預けていると、扉の向こう側から音が聞こえてくる。クレメーヌは身を固くさせながら、蝶番を軋ませ開く扉を見つめた。




