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(ああああー、誰か嘘だと言ってぇー)
クレメーヌは、レオノーラの部屋から逃げ出した勢いのまま廊下を疾走していた。
青天の霹靂とはまさにこのことだろう。以前レオノーラが皇帝陛下だとわかったときにリーンハルトが笑っていたのは、性別を勘違いしたからに違いない。
(ちょっと待って。もしかして私ってばあの時からレオノーラのコンプレックスをチクチク刺激していたってこと?)
思いついた考えに愕然とし、走っていた足を失速させる。
(あー、過去に戻れるなら戻ってやり直したいー)
クレメーヌは頭を抱える。なんて酷いことをしていたのだろう。知らなかったとはいえ、レオノーラをどれほど傷つけてしまったのか。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
(しかも何も言わずに逃げてきちゃった……レオノーラ様、悲しそうな顔してたな)
苦しそうに眉間へ皺を寄せ俯くレオノーラを思い出し、落ち込む。幾度となく助けてもらった上、何かと気を使ってくれた相手に対し何をしているのだろう。
(抱きしめられたって思うから恥ずかしいのよね! 太い体にレオノーラ様が貼りついてきたって考えれば……)
駄目だ。思い出すだけで顔に火が点る。
(このままじゃ、レオノーラ様の顔が見られないわ)
「……ひ、姫さまー」
クレメーヌが一人ジタバタしていると、背後から今にも倒れてしまいそうな足音とアンニの声が聞こえてきた。
「やっと追いつきました」
アンニが息も絶え絶えに言ってくる。早く逃げようという意識しかなかったため、今のいままで彼女のことを忘れていた。
「ごめんなさい、アンニ。置いてきちゃって……ああ、返事はしなくていいわ。まずは呼吸を整えて」
クレメーヌは倒れそうになっているアンニの元へ駆け寄る。呼吸がヒューヒューと乱れているにも関わらず喋ろうとするアンニを止め、背中をさすってやった。
「近くにお水でもあればよいのだけど……」
あたりを見回す。だが、目につくのは庭園に咲いている連翹が綺麗に活けられてある花瓶だけだ。
「だ、大丈夫です。ハァー。落ちついてきましたから」
「そう? それならよいのだけど……」
「はい。ご心配かけて申し訳ありません」
アンニは大きく深呼吸をすると、深々と頭を下げてきた。
「元はと言えば私がアンニを置いて行っちゃったせいなんだから気にしないで……ねぇ、ところでここがどこだかわかる?」
さっき周囲を確認したときに気づいたのだが、闇雲に走っていたらしい。見覚えのない場所にクレメーヌは首をひねる。
「たぶんここは……」
アンニが言葉を途切らせ、視線を外した。後方から何かくるのだろうか。クレメーヌはアンニの目線を追うように、後ろへ振り返った。
「マリヤーレス様……」
イエローグリーンのドレスを翻しながら、マリヤーレスがこちらへ近づいてくる。その姿に前回のことが蘇った。すでに城を後にしたのかと思っていたが、違っていたようだ。
(まずいときに遭遇しちゃったわね)
嫌な予感しかしない。しかし、すでにマリヤーレスと目が合ってしまった。このまま知らん顔をして逃げることは難しいだろう。
「こ、こんにちはマリヤーレス様。ご機嫌はいかがですか?」
クレメーヌは引きつる頬へ愛想笑いを貼りつけてみたが、失敗に終わった。マリヤーレスが、ぎらついた眼差しで指を差してくる。
「あなたのせいよ! あなたがこの間のことを皇帝陛下に告げ口したせいでお父様が!」
今にも殴りかかってきそうな勢いで突っかかってくるマリヤーレスに、身の危険を感じた。前回のように都合よく、助けがくることはないだろう。クレメーヌはアンニの手を掴み、マリヤーレスから逃げるため来た道を駆け戻った。
「待ちなさい、卑怯者!」
背後からマリヤーレスの叫ぶ声が木霊する。山びこのように繰り返される彼女の悲鳴にも似た声と足音が、クレメーヌの恐怖心をこれ以上もなく増幅させた。
「ヒッ! なんで追ってくるのよー」
マリヤーレスが髪を振り乱し、しつこく追いかけてくる。いつも済ましてばかりいたから走れないと高をくくっていたのが間違いだった。普通の令嬢に比べれば、ミクたちの世話をしている自分に分があると思う。しかし、体重のことを考えると追いつかれる可能性を否定できない。
「姫様、こっちです」
アンニの指示の元、クレメーヌは目の前の曲角を右折する。これまでに何度階を変え、いくつの角を曲がったことか。アンニがいなかったら確実に迷子になっていると断言できる。
「はぁ、はぁ、はぁ。マ、リヤー、レス様は、諦め、たようね」
何度目かの曲がり角のあと直線だけとなった廊下を走りながら後方を確認したが、あとを追うマリヤーレスの姿はもちろんのこと足音すら聞こえてこない。クレメーヌは走るのをやめ、アンニと手を繋いだまま歩いて前へ進む。木製の廊下を抜けると、石畳の廊下へ変わった。それと同時に漆喰の壁が石ブロックを積み重ねた壁になり、気がつけば白い薄雲が漂う青空が目の前に広がっていた。




