3
(でもレオノーラ様って皇帝陛下なのよね)
先ほど見た冷たい眼差しがレオノーラの皇帝の顔だとしたら、偽りばかりだと思っていた皇帝陛下の噂はあながち間違っていないかもしれない。国を守るということはそれだけ大変なはずだ。ただでさえレオノーラの場合はリーンハルトという影武者を用立ている。人々を不審がらせないよう、畏怖を植えつかせるため悪い噂ばかりを拡散させてるのかもしれない。
(きっと本当のレオノーラ様を知っているのはリーンハルト様だけなのね)
民を守るために他者から侮られないよう別人として生きているレオノーラが、クレメーヌには痛ましく思えてならなかった。
(偶然だったとはいえ、レオノーラ様が皇帝陛下だってわかって良かった)
今はまだすべてを打ち明けることはできないだろうが、いつか帝国の国民にもレオノーラという一人の少女を知ってもらいたい。クレメーヌは心から願った。
「レオノーラ様、私で力になれることがありましたらいつでも言ってくださいね。微力ながらお手伝いしますから」
満面の笑みをレオノーラへ向ける。鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった彼女へさらに笑みを深くすると、リーンハルトが声をあげて笑い始めた。
「アハハハ。それはいい。ちょうど妃はクレメーヌ姫に決まりましたから、もってこいですね」
「え?」
リーンハルトが落とした言葉に、今度はこちらがきょとんとしてしまう。突然何を言いだすのだろうか。思考が追いつかず、まじまじとリーンハルトを見つめる。
「何をそんなに驚いているんです?」
心底わからないというように、リーンハルトは腕を胸の前で組み首を傾げてきた。見つめ合うことしばし。このままでは埒があかないと、クレメーヌは口火を切ることにした。
「あの今回の妃候補選びは膿を出すためのものだったんじゃないのですか?」
「違いますよ」
「え?」
「確かにクレメーヌ姫がおっしゃったことも一理ありますが、きちんと選出もしておりましたよ」
平然と言い切るリーンハルトの台詞に身体が固まる。妃選びはないものだと考えていたのに、このままでは妃になってしまう。クレメーヌはレオノーラへ助けを求めた。
「で、ですが、レオノーラ様がいらっしゃるではないですか。それなのになぜ私が選ばれたのですか?」
「クレメーヌ姫は何か勘違いされてますね?」
リーンハルトが顎へ手をあてながら見据えてくる。妃に選ばれたと聞こえたのは聞き間違いだったのだろうか。
「恥ずかしい。私の早合点だったのですね。でもそうですよね、私が妃に選ばれるだなんて」
「あー、違います。そういう意味ではありません。姫は確かに妃に選ばれました。俺が勘違いだと言ったのはそういうことではありません。お忘れかもしれませんが俺は皇帝ではなく、レオの近衛騎士です。つまり、クレメーヌ姫はこいつの妃になるということです」
「は?」
確かにリーンハルトの言うとおりだ。レオノーラが皇帝なのだから妃になるのはレオノーラの妃なのだろう。だが彼女は女性で、自分も太ってはいるがれっきとした女だ。公国では認められていないが、帝国は同性婚が認められているのだろうか。
「あれ? クレメーヌ姫が動かなくなってしまったぞ」
「お前のせいだ、愚か者!」
悶々と考え込んでいるこちらをよそに、砕けた様子でレオノーラたちの会話が続いている。
「なんでだよ」
「俺はまだ話してない」
「はあ? 話してないってお前がオトコモガッ」
「わっ、バカ!」
聞くともなしに入ってきていた彼女たちの会話が突然なくなる。
クレメーヌはそれを訝しく思いながら、リーンハルトが最後に言った言葉を心の中で繰り返した。
(おとこもが? お、とこもが? おと、こもが? おとこ、もが? ……!)
「男!」
導き出した答えが信じられず、レオノーラの全身をじろじろと舐めるように見る。何度見ても、どこから見ても、レオノーラは女性にしか見えない。今度こそ自分の聞き間違えなのだろう。照れ隠しに愛想笑いを浮かべると、レオノーラがしょぼくれたように肩を落とし、頭を下げてきた。
「すまない。姫を騙していたつもりはないんだ……」
「え? 冗談とか勘違いじゃなくて、本当にレオノーラ様は男だと?」
レオノーラが殊勝に頷く。しかしクレメーヌはまだ自身の早合点ではないかと、リーンハルトへ目線を移した。
「いやー、まさかまだ打ち明けてなかったとは思いませんでした。申し訳ありませんでした」
「こんな可愛いのに? 折れちゃいそうなほど華奢なのに?」
リーンハルトが無言のまま、しっかりと首を縦に振る。
確かに抱きしめられたとき意外とがっしりしていたと感じたし、自分より低いと思っていた背も近づけば同じくらいだと気づいていた。それでもレオノーラが男性だとは想像もしていなかった。
(あれ? てことは、私男の人に抱きしめられたってこと? この身体で?)
クレメーヌは座ったままの状態で、自分の身体を見下ろす。赤茶錆色のベストの上からでもわかる肉づきのいい体が目に入り、クレメーヌは勢いよく席を立った。
「し、失礼しましたっ!」
レオノーラたちの目に自分の姿を入れたくない。ただそれだけの理由から、クレメーヌは挨拶もせず、彼女の部屋から出て行った。




