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「あの!」
マリヤーレスが反論でもする気かと言わんばかりに瞳をつりあげる。クレメーヌはそれに気づかない振りをし、彼女へ感謝の意を込めた笑みを向けた。
「我が国にトウモロコシを優先してくださってありがとうございます」
「優先? 何をおっしゃっているのかわからないわ。帝国に縋ってる弱小国にそんなことするわけないじゃない」
「え、でも」
去年不作だったんですよね。そう続ける前にマリヤーレスがキッと睨みつけながら遮ってきた。
「なんなのその笑み。私をバカにしてらっしゃるの? だいたいあなたのような人がなんで妃候補になんてなっているのよ? 自分の容姿わかってらっしゃるの? 皇帝陛下がお優しいからと言っていつまでも居座って。目障りだわ。しかもちょっと見た目がいいからって皇帝陛下にすり寄る没落貴族の娘におべっかなんて使って恥ずかしくないのかしら?」
途切れることのないマリヤーレスの言葉に、クレメーヌはあ然とする。しかも内容の大半が彼女の被害妄想だ。元から皇帝の妃になるつもりなどないと訂正したいのだが、それもままならない状況にクレメーヌは顔をしかめる。
「ちょっとなんですの、その目つき。何か言いたいことでもあるとおっしゃるの?」
「いえ、あの」
否定しようと口を開いたとたんにマリヤーレスがすぐさま遮らってくる。
「家畜の世話ばかりしている田舎者のくせに、私に刃向かおうとするなんて! 私にまで家畜の匂いが移ってきそうだから近寄らないでくださらない」
マリヤーレスは何を思ったのか、そばに置いてあった花瓶からアーモンドの花を取り地面へ投げ捨てた。
(まさか花瓶を投げようとしてる?)
命の危険を感じ、血の気がひく。
「やめっ……え?」
クレメーヌは頭を守ろうととっさに腕をあげ、目をつむる。同時に誰かに背後へ引っ張られ、バランスを崩した。顔面を弾力のあるものへしたたかに打ちつけクラクラしていると、爽やかな石鹸の香りが鼻孔をくすぐる。どうやら誰かの腕の中にいるらしい。頭を抱え込まれ身動きがとれずにいるクレメーヌの眼前に白いレースの服が見える。
窮屈な腕の中からもがくように顔をあげると、そこには鋭い目つきのレオノーラの姿があった。
(え? レオノーラ様? 見た目と違って意外としっかりとしてるのね)
折れてしまいそうなほど華奢だと思っていたが、そうでもないらしい。ほとんど寄りかかっている状態にも関わらず、彼女はふらつきもしないで立っていた。
「どういうつもりですか?」
普段のレオノーラからは想像もできないほどの重低音が鼓膜を震わす。当事者ではなくても、怖じ気づいてしまいそうな声音だ。案の定、反論するマリヤーレスの声は怯えているかのように弱々しかった。
「わ、私はただヤギ臭い彼女にみ、水をかけてさしあげようと思っただけですわ!」
(なんだ花瓶じゃなくて、中身の水をかけようとしてたのか)
それならば避けきることができなくても怪我をすることはなかっただろう。自分の早合点に苦笑していると、侮蔑を含んだレオノーラの声が廊下に木霊した。
「なんて愚かな」
「なっ! 私を侮辱するつもり! 没落寸前の貴族のくせに!」
怒りを露わにした声をあげるマリヤーレスへ、レオノーラが間髪入れずに応戦する。
「自分が何をしようとしていたのか本気でわかっていない相手を愚かだと言って何が悪いのですか? あなたは今、帝国と公国の間に亀裂を生じさせる行為をしようとしたのですよ。これが陛下に知られればヒューバー辺境伯はどうなることでしょうね」
ひと息で言い切るレオノーラを、ポカンと口を開けたまま見上げる。
(陛下に知られるも何もレオノーラ様が皇帝陛下じゃない)
しかしながら、候補者たちはその件について知りようがないためマリヤーレスにはなんの効力もないだろう。それにいくら皇帝の覚えがめでたいからと言って、そんな脅しが彼女に通じるだろうか。クレメーヌは内心で首を傾げた。だが、こちらの予想に反してレオノーラの脅しは覿面にマリヤーレスの勢い削いでしまったようだ。
「ああああなた、私を脅迫する気」
こちらへ突き立てている指先が小刻みに震えている。声を荒げ真っ赤に染まっていたマリヤーレスの顔色が一瞬にして青ざめていった。
「脅迫? 何をおっしゃっているのかわかりかねますが」
レオノーラの冷たい視線を浴び、倒れそうなほど顔色の悪くなったマリヤーレスへクレメーヌは心底同情した。先ほどまでは自分が攻撃されていたはずだ。それなのに、レオノーラの出現によって気がつけば、いつの間にか二対一の弱い者虐めをしているような展開になっている。クレメーヌはこの状況に罪悪感を覚えた。何より未だにレオノーラの腕の中にいることがつらい。端から見たらレオノーラが抱え込んでいるのではなく、襲われていると勘違いされるのではないだろうか。クレメーヌは早々にレオノーラの腕から離れるべく、マリヤーレスへ加担することにした。
「あの、レオノーラ様もう大丈夫ですから。マリヤーレス様も今日はお引き取りください」
「ふ、ふん。今回は私が引いてさしあげるけど次は覚悟なさい!」
これ幸いと逃げるように、マリヤーレスが去って行く。その後ろ姿をレオノーラの腕の中から眺めていると、レオノーラが噛みついてきた。




