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「今回選んだ候補者たちの家は悪い噂が絶えなくてな。ハッキリとした証拠がない分、今までのさばらしてきたが面倒になったというわけだ」
証拠がないのならこちらから作らせてやればいいだけのことだからな。そう言ってニヤリと口角をあげるレオノーラに、クレメーヌは全身血の気が一気に引いていくのがわかった。
帝国の怖さはいくつも聞き及んでいる。数多の国を侵略し属国にしたり、攻めてきた国を逆に返り討ちにし、見せしめのため王族全員を皆殺しにしたりと身の毛がよだつ噂が絶えない。噂のすべてが真実かどうかはわからないが、実際帝国領は拡大し続けているし、王族がいなくなった国もある。その中でヴィルデュハグーン公国が侵略されずにすんでいるのは、帝国には逆らわないという盟約を交わしたからだ。それは公国に住んでいる者ならば誰もが知っている。だから帝国へ反旗を翻そうと考えている公国の人間などいない。しかしながら、レオノーラは『候補者たち』と言った。それはつまり、自分も入っているということだ。クレメーヌは身の潔白を証明するため、再度勢いよく立ち上がった。
「わ、我がヴィルデュハグーン公国はけ、健全です。て、帝国の足を引っ張るようなことは一切しておりません! つ、つ、つ、慎ましい生活を送っております」
「ああ、わかっている。公国を疑っているわけではない」
「へ?」
あっけらかんと肯定された言葉にクレメーヌは目をまたたかせながら立ち尽くした。
「膿は帝国内だ。クレメーヌ姫を候補者へ選んだのは別の理由だ」
「別の理由?」
「ああ。それに関係している」
そう言うとレオノーラはこちらへ指を差す。クレメーヌは目線だけで彼女の指先を辿った。
「……リッツ織物、ですか?」
「そうだ。知っているとは思うが、リッツ織物はヴォーリッツ公爵領の伝統織物なんだか、残念ながら数年前から衰退の一途を辿っている」
「はあ……?」
レオノーラの真意がわからず、クレメーヌは曖昧な相槌をうつ。だがレオノーラはそれを気にすることなく、ニヤリと何か企んでいるような笑みを浮かべた。
「そこでだ。我が帝国はクレメーヌ姫が育てているヤギの毛を使ってリッツ織物を再生させたいと考えている」
クレメーヌは息を飲む。
(ミクの産毛のことはまだ公国内でも一部の者しか知らないのに!)
確かにレオノーラの言うとおり、公国では今ヤギの毛を使った産業を研究していた。しかしそれを知っている人間は公国内でもほんの一握りのはずだ。
(なんでレオノーラ様が知っているの……)
帝国の情報網は、公国の機密情報など簡単に知り得てしまうほどなのか。クレメーヌは帝国の力を改めて目のあたりにし、愕然とした。
「もちろん無料でとは言わない」
レオノーラのハッキリとした声がぼんやりしていた脳に響く。腰が抜けソファへと座り込んだ拍子に俯いていた顔をあげると、レオノーラが獲物を狙った狩人のような鋭い目つきでこちらを見ていた。
「聞くところによると研究費がなかなか集まらず、研究自体が滞っているらしいな。どうだろう。ヴォーリッツ領のみにその毛を輸出してくれると契約してくれれば研究費はすべて帝国が負担しよう」
破格な申し込みに目を見張る。たとえ研究費を出してもらったところで、研究そのものが失敗に終わる可能性だってあるのだ。それなのに独占権が欲しいだけで費用を負担するなど、何か裏があるのだろうか。
(あー! どうすればいいのよ)
助言をもらおうと、ずっと黙ったままソファの脇で控えているアンニへ視線を送る。しかしアンニは茶会のとき同様、ガッツポーズを向けてくるだけだった。
(だから何を頑張れっていうのよ、アンニ)
ひと目がなければすくにでも頭をかきむしりたい。クレメーヌがそんな気持ちに駆られていると、レオノーラから妥協案が提示された。
「すぐに返事をもらうつもりはない。もちろんこの件を断ったからといって公国をどうにかするつもりもないから安心するといい」
「は、はい。あ、ありがとうございます。ですが、私個人では決められないことですので……」
「ああ。もちろんわかっている」
良かった。とりあえず公国にいる家族に知らせよう。話はそれからだ。レオノーラとの二人きりの茶会が続く中、クレメーヌは気もそぞろにこれからどう動くべきかの算段をつけていた。




