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黒い魔剣使い  作者: マクドフライおいもさん
運命の出会い
9/77

フェスタ・アウラⅡ

 老魔術師が探す遺跡はカラロス山より北、馬も使えぬほどの険しい道を行かねばならず日を越す必要もあるという。加えて人の手など及ばぬ無人の地であり、魔物達が蔓延(はびこ)っているだろうと。

 当然道中には危険が付きまとう事になる。

 そしてそれこそが素性もよく知らぬ者にボルマンが協力を依頼した理由でもあった。

 蛇のメダルが意味する力に彼は期待していた。



 村で一日ばかりを費やし休息と準備を済ませると、レグス達はボルマンを伴い遺跡の調査へと向かった。しばらくの間はセイラの実の効果もあってか、魔物に襲われずに移動する事が出来た一行。

 だが、カラロス山を過ぎてさらに奥へと進む頃になるとそれも様子が変わる。

 醜悪な豚面に肥満体を晒す亜人の魔物『オーク』が、狭い崖道を塞ぐようにたむろしていたのである。


「へぇ、あれがオークか」

「なんだ小僧、お前さんオークを見るのは初めてか」


 陰から(うかが)い、遠目に映る魔物の姿に関心を示す少年にボルマンが問えば、彼は頷いた。


「ああ、話には聞いてたし、オークに襲われたって村も見た事あるけど、実物は初めてだ」


 オークは最も有名な魔物の一種である。

 もとからフリアの地で目立って活動する魔物の種類は多くなく、ザナールの辺境で生きてきた少年にとってオークは名前だけでも知っている数少ない魔物だった。


「どうするよレグス」

「多少なりと言語を理解する知能はあるが、所詮は皇帝ボロスの眷属(けんぞく)。傲慢なエルフや頑固なドワーフ達よりも話の通じない相手だ。強行突破するしかなかろう」


 判断を求めるファバと、答えを聞くまでもなく言い切るボルマン。

 二人に対してレグスは結論を告げる。


「私が殺ろう。ファバ、パピーを貸せ」


 オークの数はわずか四体。このぐらいの数ならばレグス一人で処理しきれる。

 ファバを下手に戦闘に加えても足を引っ張るだけであり、魔術師が使う魔法には回数に限りがある。このような場面で無駄に魔力を消費させるわけにはいかない。

 男は少年から矢を込めた機械弓を受け取るとオークの前に飛び出した。


 目で捉えるよりも早く、オーク達は特徴である豚鼻を使いセイラの実の匂いに反応するが、その正体が実を使った人間だと気付くのには遅れた。

 レグスが左手に持ったパピーの引き金を躊躇無くひき、連射された矢が最初の一体の頭部へと突き刺さる。

 その突然の攻撃に周囲のオーク達は唖然とするだけで、次の三、四射目は二体目を仕留めた。

 奇襲に対するこの反応の鈍さが所詮はオークという事だろう。

 オーク達は争いを(いと)わないが高い文明力を持つ人間とは違い、戦い方に関する過去からの蓄積が足りず学ばない。

 だからこそ突発的な戦闘ではどうすればいいのか、その判断や動きに個体差が非常に大きく出る。

 レグスにとってオークのほとんどは戦いの素人を相手にするようなものだったのだ。


 二体の仲間が殺されたところでようやく残りのオーク達は戦闘態勢をとるが、遅すぎた。

 五、六射目の矢を避ける事が出来ずに三体目も殺されてしまう。

 残り一体はどうするか。人間や獣ならば逃げる事も選択肢とする状況。

 しかし魔物は違った。

 激昂しボロボロの剣を手にレグスに襲いかかる。六発全てを射ち切ったパピーに矢を込める時間はない。


 直後の事、機械弓を持つ手とは反対側、片手剣の状態でレグスはオークの剣を打ち上げ宙へと飛ばす。

 そして武器を失い動揺する相手の首をそのまま容赦なく斬り飛ばす。


「さすがは蛇の仔だのう。オーク如きを寄せ付けぬ戦いっぷり、頼りになるわ」


 不意をついたとはいえ四体相手に無傷の圧勝。そこらの冒険者とは格が違う。

 ボルマンはレグスが自分の期待通りの力を見せた事を喜んだ。


「この程度の雑魚ならばいくらでも私が相手してやる。だがボルマン、お前の魔術が必要となる時には、しっかりと働いてもらうぞ」

「わかっとるよ。もとは一人でもなさねばならぬ旅だったのだ。いざという時はわしの魔術、しかと見せよう」


 ボルマンの腕に関しては、村を訪れた際のいざこざや本人の口ぶりから判断するしかない。

 それでもレグスはこの老魔術師を戦力として数えてはいた。少なくともファバよりかは役立つであろうと。


「ファバ、オーク共に刺さった矢でまだ使えそうな物は回収しておけ」


 借りていた機械弓を返しながらレグスは少年に命じた。

 パピー用の矢は入手出来る場所には限りがあるうえに、代用品を無理に使うと故障のもとになる。ある程度は使い回していく必要があったのだ。


「はいはい、わかってますよ」


 面倒そうながらも応じるファバ。

 そして魔物の死体から矢を引き抜く傍ら、彼は思い出したかのように尋ねる。


「なぁレグス、村じゃ結局聞きそびれたけど、蛇の仔とかってのは何なんだ。前に言ってたギルドがどうとかってのと関係あるのかよ。なんかヤバそうなもんってのは聞いててわかるけどよ」

「ほう、小僧の方は何も知らずについてきとるわけかい」

「少し前までちんけな盗賊やってただけだからな。レグスについて知らない事ばっかりだぜ」


 レグスはもとから己の事を話したがる人間ではない。

 無学無知なファバには知らぬ事が多くあった。レグスについても、世界の事についても。


「そのちんけな盗賊がまた何故、蛇の仔に連れられて旅をしておる」

「別にいいだろ俺の事は。それより質問に答えてくれよ、その蛇がどうとかってなんなんだよ」

「話してかまわんのか」


 ボルマンがレグスの方を見て言うが、その反応はあっさりとしたものだった。


「好きにしろ、別に隠してるわけではない。わざわざ話す必要がない、それだけの事だ」

「そうかい、なら気兼ねする必要もないわな」


 まずギルドというものがある。様々な分野において共存共栄を目的とした集まり、冒険、魔術、商業、盗賊から暗殺までその種類は多い。

 だが大抵のギルドの活動は一つの分野に限られている。性質上、冒険ならば冒険者が集まり、魔術なら魔術師が集まる。鍛冶ならば鍛冶師が、暗殺なら暗殺者が集まるものだ。


 しかしレグスの所属する組織はそういった一般的なギルドとは異なっていた。

 彼らの活動は分野を問わない。

 ギルド『アウロボロス』が欲するは全てであり、一つ。


 アウロボロスの目的。

 それは全てを手にし、一つの真理に達する事。

 メダルに描かれた三匹の蛇はその為の手段であり、ギルド員が望む欲望の象徴。

 権、知、富。

 各自がそれを望むがままに追い求めれば、やがてギルドとしては一つの真理を得るという考えがあるのだという。


 だから彼らは基本自由であった。

 通常のギルドとは違い活動の合法非合法も問わないし、ギルド員同士の奪い合い殺し合いすらも自由。

 手段を選ばぬその惨忍さからアウロボロスに所属する者は『蛇の仔』と呼ばれ、人々に恐れられていた。


「おいおい、それじゃあ何の得があるんだよ。そんなヤバそうな集まりに」


 ファバの疑問に老人は言う。


「そんな集まりだからこそ、手に入る物もあるのだ。……そうだろ、蛇の仔レグスよ」

「何が手に入るってんだ」


 少年はレグスに尋ねた。


「一つ大きなモノは『情報』だ。アウロボロスには様々な者がいる。一国の王から乞食まで、人間ですらない者もいた」

「王様までかよ……」

「だからこそギルドには表も裏も問わず多くの情報が集まってくる。そしてその情報を、ギルドから与えられた仕事をこなす事で報酬として得られるわけだ。無論、ギルド員同士での情報のやりとりも行われているが、それも基本は等価交換だ」

「なんか、すげぇ話だな」

「謎も多いギルドだ。俺も全てを知っているわけではない。俺を含め多くの者達は自身が所属する組織の正確な規模も上に立つ人間の顔すらも知らない」

「下っ端ってわけだ」


 少し馬鹿にしたような言い方だがレグスは気にしない。


「そうだな」


 肯定するだけである。


「お前さんはギルドの言う真理とやらには興味がないのかい」


 今度はボルマンが質問した。


「ない。私が求めるのは真理ではない」

「キングメーカー」


 断言する男にファバが言った。

 それを聞き、老魔術師は納得したような顔を浮かべる。


「やはりな。お前さんも伯爵と同じというわけだ。伝説の魔石を追い、村の石に辿り着いた」

「石について隠さず話してくれれば、こっちとしても助かるのだが」

「ほっほっほ、そう焦るな蛇の仔よ。この仕事を終えれば、わしもお前らのギルドを見習って情報をくれてやると約束したのだ」

「蛇の仔の流儀では期待に応えられぬ対価を支払った場合、殺し合いになる事もあるぞ」

「おお、怖い怖い。では万が一の時も思い残す事はないよう、この仕事を成功させねばならんわ」


 レグスの脅すような言葉にもボルマンは余裕を崩さない。

 目の前の男が無闇に人を殺めるような人間ではない事を魔術師は見抜いていたのだ。


「行くぞ」


 ファバが矢を回収し終えたのを確認すると、レグスは移動を急かした。


「ええ!?、まだ聞きたい事が」

「移動しながらでも口は利ける」

「そうだけど、そろそろ休憩もいれようぜ。朝から歩きっぱなしでさすがに疲れたぜ」


 太陽の高さはちょうど昼頃。

 本来ならそろそろ休憩を取ってもおかしくない時間ではあった。


「駄目だ。すぐに移動する」

「どうして」

「他のオーク共が集まってくる恐れがある」

「あの狼共と同じようなもんか?」


 ファバの脳裏にブラディウルフの姿が浮かんだ。


「それも移動しながら教えてやる」


 そう言って男は移動しながらオークの生態を少年に説明してやった。


 オークは基本一体の親玉を頂点に群れを成しており、一定期間縄張りを築き維持した後に定期的な移動を繰り返し、新たな獲物を探すという特徴があった。

 それは人間に置き換えれば、遊牧民が家畜の為の草地を求めて移動を繰り返すのに似ている。

 ただし遊牧民と違い、魔物であるオークは『食』に対する限度を知らない。

 動物達を狩れるだけ狩り、森を荒らせるだけ荒らす。

 時に人すらも、ただ食すという彼らの欲望満たす為の犠牲となってしまう。

 そして、オークが去った後は動物達も死に絶えた痩せた土地が残るだけになるのである。


「しばらく鳥の姿が見えなかった。それどころか鳴き声すらも聞こえなかった」


 言われて確かにそうだったと少年は頷く。

 それが縄張りに入った証なのだとレグスは言う。


「じゃあまだこの辺もずっとか」


 山にありながら周囲には動物達の気配がない。静かな崖道がずっと先まで続いてる。


「そういう事になる。もっと多くのオークが辺りをうろついてる事だろう、気を抜くな」

「ああ……」


 ファバの手が自然と自身の武器へと伸びていた。


「なぁ、道を変えないのか? わざわざ奴らの縄張りに入らなくてもいいんじゃねぇか?」


 その質問をボルマンは笑う。


「怖気づいたか小僧」

「ちげぇよ。無駄に危険を冒す必要はないだろって話だ」

「オーク如きを恐れていてはこの先到底ついてこれんぞ、子供は大人しく留守番させておくべきだったのでは、レグス殿よ」

「て、てめぇ……」


 馬鹿にされ怒る少年。そんな彼にレグスは言う。


「オークは魔物の中でも最も対処しやすい部類に入る。無知で短気、統率に欠け、短絡的な行動を取りやすい。この程度の魔物に苦戦するようでは俺の旅にはついてこれん」

「うっ」

「お前の言うように無駄に危険を冒す必要はない。だが、わざわざ遠回りをして未知の森を通るより、オークの縄張りを通る方がよほど安全だ。特にこちらには魔術師がいるのだからな」

「ほっほっほ、そういう事だ。奴らのような粗暴なだけの大馬鹿がどれだけ襲ってこようとわしの魔術にかかれば蟻を払うも同然」


 老魔術師は自信を持って断言した。


「とにかく目的地までは最短経路をとるようにする。下手に危険を避けようと時間をかける方が体力、魔力を消耗して危険だ。避けるべき脅威かどうかは俺が判断する」

「わかったよ」


 レグスと行動するようになってからファバはまだ戦闘らしい戦闘すらも経験していない。

 いつも守られているだけ。

 その不甲斐無さに対する苛立ちを彼は自覚していた。


 レグスもそれを見抜いている。


「焦るな。お前は為すべき事を為せばいい。蛮勇は命を落とす事になるだけだ」

「ああ、だからわかってるって、弓の練習だろ……」


 少年にはまだ武器が無い。

 道具の話ではない。技能の問題である。

 剣を、弓を、『扱える』という武器。

 それ無くしては旅の脅威に立ち向かいようもない。

 今はまだレグスの指示に従い、与えられた機械弓を十分に扱えるようになるのが彼のすべき事であった。



 一行がボウル村を出て幾日と時が過ぎた。

 その間にオーク達とは何度か戦闘になりはしたものの、いずれもレグスの活躍によって三人は無事にその縄張り地帯を抜ける事に成功していた。

 そうしてさらに進んだ先、目的の地で彼らは古代人の造った神殿を発見する。


「おお、まさしくこれはカドマ・ドラスに記されたエルド・ダナテーラの神殿」


 魔術師ボルマンは苔に塗れた古びた神殿を目にし感嘆の声をあげた。


「やはり、やはり、ここに存在していたのだ。わしの研究は正しかった」


 驚喜する魔術師に少年が問う。


「神殿? フェスタ・アウラとかいう祭り用の遺跡を探しにきたんじゃなかったのかよ。全然違うもんだろ、これ」


 ファバの前に建っているのは、ボウル村にあった遺跡とは似ても似付かぬ建造物だった。


「何を言うか小僧。フェスタ・アウラはこの神殿の中だ、ダナテーラ人は神殿内に精霊を迎えるフェスタ・アウラを造ったのだ」

「神殿って神様を祀る為のものだろ、古代人にとっては精霊が神様だったて事か?」

「まったく、何も知らん奴だの。いいかダナテーラ人はだな、もともとドーラスという神を信仰していたのだ。そこへある時……」


 その話が長くなりそうだと察したのだろう、ファバが老人の話を止める。


「待った待った。わかった、俺が悪かったよ。とにかく中に入ろうぜ爺さん。レグスもそう思うだろ」

「ああ、無駄話は後で好きなだけすればいい」

「なんだ無駄話とは失礼な。人が丁寧に説明してやろうというのに」


 不機嫌になるボルマンだったが、彼を尻目にレグスは言う。


「早いところ神殿の現状を調べる必要がある。どうやら手放しで喜べそうにもないようだ」


 レグスの顔は目的地に到着したというのに冴えないものだった。

 それもそのはず、神殿から村のフェスタ・アウラに感じたような力を感じる事が出来ないのだ。


「そんな、そんな馬鹿な」


 その事にボルマンもようやく気付いたらしく顔色を変えてうろたえだす。

 ファバだけは事態にまだ気付けていなかった。


「どういう事だよ」

「霊力が感じられない」


 レグスにそこまで言われて少年は理解した。


「おいおい、まさかここまで来て空振りかよ」


 ファバの落胆も大きかったが、ボルマンのそれはその比ではない。

 膝をつき気力を無くした顔。見ていて痛ましくなるほどの様だった。


「なんて事だ、なんという……」

「とにかく中を調べるぞ」

「ああ、そうだな……」


 レグスに促がされようやく立ち上がるものの老魔術師の表情は陰りを帯びたまま。


「大丈夫かよ爺さん」


 ファバの問いかけにもボルマンは答えない。

 そんな彼を連れて古代人の神殿内へとレグス達は侵入する。


 神殿の内部は大部屋といくつかの小部屋によって構成されていた。不可思議な石像や壁画、装飾品らしき物が残されており、長く使用されていない為か床や壁にひび割れが目立ちはしていたが、それでも建造からの年月を考えれば、これだけの姿を残しているだけでも奇跡的だと言えた。

 古き時の一景を残す神殿。

 されどここにボルマンが望む物は残されていなかった。神殿内のどこを探してもフェスタ・アウラを見つける事が出来なかったのである。


 代わりに三人が発見したのは古代人が残した石碑と消えかかった魔法陣であった。

 風化が進み解読が困難になった石碑を魔術師は必死の思いで読み上げようとするが、かろうじて読み取れたのは一部分、そこに記された古代文字だけ。


――我らの『よ』は過ぎた。古き友よ、せめて約束の日をここに。


「どういう意味だ?」


 ファバがボルマンに尋ねるが彼は首を振る。


「わからん。だが確かな事はここがエルド・ダナテーラの神殿であり、フェスタ・アウラがもはや存在しておらぬという事……」


 最後の希望が潰えた老人に少年もどんな言葉をかけるべきか迷う。


「まぁ、元気だせよ爺さん。村が無くなるかもたって皆死んじまうわけじゃねぇんだ。俺だってこんな面でひでぇ目にあってきたが、こうやって生きてんだ。人間なんとかなるもんだぜ」

「……下手な慰めはよしてくれ」


 気まずい空気が流れる中でレグスが口を開く。


「約束の日をここに、か……。見ろ」


 己の左手を上げる男の小指であの指輪が光っていた。

 ボウル村のフェスタ・アウラに反応していた時と同じように、青白い光を放っている。


「また指輪が!!」

「お前さんの指輪が何故!?」


 驚く二人にレグスは言う。


「指輪がこのような反応を見せる事はそうはない、皆無と言ってもいいほどにな。それほどに村での一件は珍しい出来事だった。それが今、再びこの場所で起こっている。ただの偶然はありえない」

「偶然じゃないったって、どうすんだよ」

「村では指輪は明らかにフェスタ・アウラに反応していた。残されていた霊力に反応したと考えるのが自然だろう」

「でもここにはそんなもんないぜ。なのになんで指輪が」

「そこが重要な点だ。もはやこの神殿からは何の霊力も感じられない。それでも指輪が反応する理由。恐らく石碑の一文と、この魔法陣に関係があるのだろう」


 床に描かれた巨大な魔法陣。石碑同様に床の風化も進み消えかかっているが、こんなものにレグスの指輪は本当に反応しているのだろうか。


「関係があるのだろうって、どうやって調べるつもりだよ」

「それは……」


 レグスとファバの会話、その途中。

 突然遮るように彼らの頭の中で声が響く。


――サレ、ココヲ、サレ、ノゾマレヌモノタチヨ。


 それはひどく不気味で不快なもので、脳裏に響く声に少年は動揺する。


「なんだ!?」

「念話だ!!」


 同じくその声を聞いた老魔術師が叫んだ。


「念話!?」

「思念によって意思疎通を可能とする方法だ」

「どういう事だよ!?」


 問答する間にも不快な声は脳裏に繰り返されている。丁寧に説明している暇などない。


「ええい、質問は後だ!! 念話を扱う者は魔術師でもそうはおらぬ。よほど強い力を持つ者しか扱えん。人でなければ精霊か神々か、あるいは悪魔ぐらいであろうよ」


 ボルマンの言葉にレグスが緊張感を持った声色を返す。


「どうやら、悪魔の方みたいだな」

「えっ!?」


 慌ててレグスの視線の先を見るファバ。そこには禍々しい何かが立っていた。


 奇妙な頭蓋骨と骨で出来たような翼。それらを含め体全てが空間に歪み、実体を曖昧にしている。

 悪霊、そう呼ぶべきなのだろうか。

 そしてそれは少なくとも人の霊ではないだろう。


「古い遺跡にしては珍しく魔物の気配がないと思えば、奴が神殿の番人だったというわけだ。ファバ、荷の中にある聖水を用意しておけ」

「聖水!?」

「色のない液体が入った小瓶だ。奴が霊体ならば通常の武器は一切通じない、急げ!! ボルマン、お前の魔術が役立つ時がきたぞ」


 悪霊を前に意気消沈している余裕などありはしない。

 ボルマンは手にした杖を頭上に掲げ応じる。


「任せておけ!!」


 魔法を全く知らない者からすれば、それは摩訶不思議な光景であったろう。

 老人の掲げた杖の先に突如、炎が灯り。その灯火に集まるようにして炎の渦が巻かれながら呑み込まれていく。

 やがて魔術師の杖に生まれた炎は大きな火の球へと変貌した。


「まずはこいつをお見舞いしてくれるわ」


 ボルマンが杖を振り下ろすと火球は悪霊に向かい飛んでいく。

 そして赤々と燃えるその炎がぶつかると、火の球は怪物が喰らうが如く標的を呑み込んだ。


「すげぇ……」


 生まれて初めて見る火球の魔術にファバの聖水を探す手が止まる。


「手を止めるな!!」


 魅入られる少年をレグスは注意した。悪霊から感じられる力の強さを思えば、この程度で倒せるとは思えなかったからだ。


「ボルマン!! 容赦はいらない、撃てるだけ撃て!!」

「わかっておるわ!!」


 再び魔術師が杖を振り上げたその時、悪霊が炎に身を焼かれながら切り裂くような叫び声をあげる。

 今度は思念ではない、はっきりとした音。不快な叫びが三人の動きを封じる。

 ファバにいたってはたまらず自身の耳を両手で塞いでしまうほどだった。


 悪霊の絶叫は鼓膜だけでなく心、精神をも切り裂く。

 魔術師は術を強制的に中断され、その場に膝をついてしまう。

 ただ一人、超人的な精神力を持った男だけが剣を手にどうにか立っていられた。


 レグスは決断する。

 絶叫の防壁を不屈の精神力で越えて距離を詰めると、炎に包まれた悪霊に彼は斬りかかる。

 悪霊は炎ごと両断された。

 その光景にファバは自分達の勝利を確信するが、戦いは終わらなかった。


 両断されてなお続く悪霊の絶叫に神殿の魔法陣が反応する。


「逃げろ!!」


 レグスとボルマンが同時に叫んだ。

 しかしその声はファバには届かない。悪霊の絶叫が二人の声を掻き消していたのだ。


「うわぁ!!」


 行動よりも早く、魔法陣から凄まじいほどの邪気が溢れて床一面に強い影が広がった。

 その影からいくつもの手が踊り生えるようにして出現し、少年と老魔術師の肉体を捕らえる。


「う、うごけねぇ……」

「なんという力、なんという悪意。これはいかん、いかんぞ……」


 影の手に体を抑えられ苦悶の表情を浮かべる二人。

 魔術師は影の手の持つ力が単純な物理的な力とは違う事を理解していた。


 これは肉体ではなく精神を支配する為の力。

 影の手に重量はない。重さのない手は相手の精神に干渉する事で肉体の自由をも奪ってしまっているのだ。

 魔術と精神の関係は深く、魔術師は本来こういった攻撃に対し強い耐性を持っているのだが、そのボルマンすらもこの影の手の力には抗う事が出来ない。


――まずは魔法陣を止める!!


 唯一、影の手を素早い身のこなしで逃れたレグス。

 彼は状況を瞬時に判断し標的を変更すると、手にした剣で迫る影を次々と斬り裂きながら魔法陣へと近付く。

 魔法陣とは複雑かつ繊細なもの。部分的に傷が付いているだけでも効力を失う事もある。

 逆に言うなら、傷付ける事ができればその力を止める事が可能かもしれない。


 この場に来た時は消えかかっているようにすら見えた魔法陣が今は魔力によりくっきりと浮かび上がっていた。

 それを床ごと斬ろうとレグスは剣を振り下ろす。

 だが魔法陣に封印されていた強力な魔力は影の手のみならず、悪霊の霊力と反応し合い強力な結界をも作りだしていた。

 剣は宙で止められ、凄まじい力の反動でレグスは体ごと吹き飛ばされてしまう。


「くっ!?」


 宙に投げ出された肉体に、再び影の手が伸びていく。


「失せろ!!」


 だが彼は体勢を崩しながらも剣を巧みに操り、それらを斬り払い見事着地する。

 そして三度標的を変更し、魔法陣よりも影に捕らわれたファバ達の救出を優先。何度でも襲いかかってくる無数の影の手の攻撃をかわしながら、二人を取り押さえている手を順に斬り払った。


「礼を言うぞ、蛇の仔よ」

「すまねぇ、レグス」


 影の手の力による精神的な影響もあってか二人にはもう疲労の色が窺えた。

 対してレグスによって斬り裂かれたはずの悪霊は既に形を戻し、炎も消えて悠々と浮遊している。

 戦況は明らかに不利だった。


「ボルマン!! 仕事はここまでだ!!」


 レグスの判断に、依頼者本人でもあるボルマンも同意する。


「やむを得まい。まさかこれほど強力な悪霊が住みついておったとは……、だが、どうやってこの場を脱する。簡単に逃がしてはくれそうもないぞ」


 会話の間にも影の手は三人へと襲い掛かる。レグスが斬っても斬っても、ボルマンが魔法で焼き払っても、手は魔法陣から無数に出現し続けていた。

 そして悪霊は結界の張られた魔法陣の中へ移動し、そこから防戦一方となった人間達の様を見つめている。


「ファバを連れて先に村へ戻れ!!」


 レグスの命令にファバは驚きの表情を浮かべ、ボルマンの顔は険しさを増す。


殿(しんがり)をつとめるつもりか」

「大丈夫かよ、レグス!!」

「誰かがこの悪霊を抑えておかなくては共倒れだ」


 肉体的に衰えのきた老人に、未熟な子供。

 彼らと共に戦いながらこの難敵から逃げ切るなど不可能に近い。現実的に判断すれば、二人をこの場から逃がすにはレグスが残るという判断が一番であろう。


「若いのに無理をするな。わしがやろう。どのみちこの老体ガタもきとる。小僧を連れて村まで戻るなら、お前さんの方が適任だろう」

「お前にこいつは止められない」

「そう言うな。さっきはちょいと油断しただけよ。わしとて魔道に入って五十年、その間、無駄に歳だけ食ってたわけではないわ」

「はっきり言おう。お前がいたところで邪魔になる」

「邪魔だと!? 虚勢ならばやめておけ蛇の仔よ。お前さんがどれだけ優れた戦士であろうと、こやつは一人でどうこうできる相手ではない」


 短い旅ではあったがレグスの強さの一端を見てきた。それでもなお、この悪霊を一人の人間がどうこう出来るとはボルマンには思えない。


「そうでもない。俺にはこれがある」


 これとはレグスがいつも使っている剣の事だった。


「ケルサスケントゥリア……、まさか使うつもりか!?」


 ボルマンの途惑い、その意味が、二人の成り行きを見守るファバにはわからなかった。

 剣は使われてきたはずだ、出会った時からずっと。

 剣を『使う』、その意味がわからない。


「そうだ」


 ボルマンの問いにレグスは即答した。


「だが、それは……」

「迷っている暇はない。安心しろ、こいつを使うのは何もこれが初めてというわけではない」

「しかし」

「行け、ボルマン!! 俺はお前を無事この地に連れてきた。次はお前がファバを村まで無事届ける番だ。それを報酬としてこの仕事は仕舞いだ」

「だが」

「ごちゃごちゃうるせええぇえ!!」


 初めて聞いたレグスの激しい怒声。


「早く行け」


 そしてその表情はぞっとするほど冷たい。

 この手の表情をファバは何度か見てきたはずだった。


――違う。


 しかし少年の本能が言う、これまでとは何かが違うのだと。


「……こい、小僧!!」


 老人はレグスを残し、この場から脱出する事を決意する。


「け、けど……」

「ここにいても巻き添えを食らうだけぞ!!」


 ボルマンの言う通りだろう。

 ここにファバが残ったところで何の役にも立ちはしない。


「ちくしょう!!」


 また何も出来なかった。その事実が、逃げるという決断に際して否応無しに突きつけられる。


「レグス、勝手にくたばんじゃねぇぞ!! あんたが約束したんだ!! 俺に剣を教えるって!! 守れよ!!」

「お前もな。死体に剣は教えてやれんぞ」


 レグスなりの少年の身を案じた言葉なのだろう。ボルマンはそんな彼に約束する。


「任せおけ、わしの身にかえても小僧は村まで届けてやる。礼をいうぞ、レグス」


 ファバとボルマン、荷の回収も満足に出来ないまま惨めな逃亡を図る二人。

 影の手は逃すまいと押し寄せるが、レグスは一手たりとも彼らに近付けさせず斬り払う。

 次々と襲い掛かる影の手に対して悪霊は相変わらず魔法陣からこちらを見ているだけだった。

 いや、正確には見ているだけではない。


 笑っていた。

 邪悪な愉悦に浸るように、悪霊は笑う。


「人間をなめるなよ……」


 レグスの黒き剣が鈍く光った。

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