襲撃の後
二角の砦の主、ルオンドールの殺害に成功したレグスは救い出した者達と共に西へと向かう。
ときおり雲を帯びて弱くなる月明かりと手にする松明を頼りにして一行は夜の魔境を進んでいた。
その道すがら女達がヒソヒソと声を立てる。
「本当に帰れるのかしら」
「大丈夫なの? このままついていって」
地獄のような日々から助け出されたというのに彼女らに浮かれた様子はあまりなく、それどころか疑心を募らせ不安がるばかり。レグスの方も積極的にその不安を和らげるような行動をしようとはしない。
もとより彼はそこまでしてやるほど慈悲深い人間ではなかったし、たとえ疑われたところで何一つ問題がない事を理解していたからである。
「ねえこのままこっそり逃げちゃわない?」
「逃げるってどうすんのよ。道がわかるの?」
魔境の街に暮らす娼婦達とはいえ危険な壁外へと日頃出歩く事はない。
十キトルと離れぬ場所についてすら土地勘など持たず、暗がりの中を勝手に行動したところで道に迷い魔物の餌食となるだけ。彼女らがどれだけ不安を抱えたところで、結局は見知らぬ男の後ろをついていくしかなかったのである。
そうして、ときおり漏れ聞こえる話し声と不気味な静寂を伴いながら歩きつづける事しばらく。
テサルの街から北東へいくらか離れた林の中で先頭をいく男をよくよく知った声が迎えた。
「レグス!!」
「うまくいったか」
ファバとディオン。他の面々の顔ぶれもそこに並んでいる。旅の仲間達の迎えに対してレグスは目配せで応じ成果を示した。
後ろに連れる女達の数を見ればそれは歴然としている。されども彼女らの存在を目にしてなお表情を固くしたままの者達もいた。
「口だけではなかったようだな」
ふてぶてしく口を開いた男の正体は監視役も兼ねて遣わされてきたエフモント配下の者。彼にはもう一つ別の役目も課せられていた。
レグスは無言のままその男へとある物を投げ渡す。それは手のひらに収まるほどの木彫。ここに来るまでの間にトリクスからエレン、そしてレグスへと秘かに渡されていたもう一つの証であり、女達の救出だけでなくルオンドール殺害までも成功させた事を示す代物だった。
木彫を確認するなり男は控えていた部下の一人へと合図を送る。直後に重みのある皮袋がレグスに手渡された。
「約束の報酬だ」
袋の中には金貨と宝石がズッシリと詰まっていた。
しかし大金の詰まるその皮袋をさほども興味ない様子でレグスはガドーの方へ投げ渡してしまう。
「砦ではお前の財布を探している時間はなかった。そこから盗まれた分を回収しておけ」
「いいのか?」
「計算に入れて金額は交渉してある」
戸惑いながらもハゲ頭の青目人は言われた通りにする事にした。
それを横目にエフモントの使いは話を先へと進める。
「それでは女達を預かり失礼させてもらうとしよう。いつまでもこんな場所に大切な市民である彼女らを置いておくわけにはいかないのでな」
「ちょっと待ってくれ」
仕事を手早く済ませ立ち去ろうとする男らをガドーが呼び止めた。
彼は助け出された娼婦達の中から見覚えのある顔を選ぶとその前に立ち声をかける。
「よお、無事でなによりだぜ。エレンさんよお、家に帰る前にちっとばかし俺に言っておく事があるんじゃねえのか?」
険しい表情で見下ろすガドーに若い娼婦は顔色を青くしていた。
「あ、あの、あたし、ごめんなさい……」
弱々しい声で言葉が続かぬ様子のエレン。それを返答としてガドーは彼女に問う。
「俺の財布を盗んだって認めるんだな?」
「ご、ごめんなさい。お金が、どうしても、必要だったの……」
「必要だからって客から金を盗んでいい理由にはならねえだろ」
反論できずにエレンは沈黙する。気まずい静寂が辺りを覆った。
それを大きなため息で破りながら、ガドーは先ほど手にした金貨の大半を彼女へと渡す。
「えっ……」
「聞いちゃいるよ、弟の薬代が必要なんだってな。奥地に入ったら使う機会もそうあるもんでないだろうからな、腐らせていても仕方がねえ。それだけありゃあ必要な薬ぐらいは買えるだろ」
「どうして、助けたくれたあなたを裏切ったあたしなんかの為に、どうして……」
「勘違いするなよ。病気だっていうあんたの弟の為だ、恩人の金を盗むような薄情女の為じゃねえ」
口ではそう言ったところで女の望みをかなえてやっている事には違いない。
「ごめんなさい、ありがとう、ごめんなさい」
若い娼婦は泣きながら繰り返し感謝した。
しかしガドーも大仰な礼を期待していたわけではない。また大きなため息をつくと彼は使いの男達へと声をかける。
「もういいぜ。こっちの用は済んだ」
やがて娼婦達は連れていかれ、場にはレグス達旅の一行が残るだけとなった。
そうしたところでそれまで気難しい顔をしているだけであったべルティーナが口を開く。
「ずいぶんと優しいのねガドー。貴方いつからそんな慈悲深い人間になったのかしら」
「えっ、いやあ……」
棘のある物言いにバツの悪そうな顔をして言葉を濁すガドー。
そんな彼に対してべルティーナは冷ややかに言葉を続ける。
「『染めた手の色は落ちきらない』。盗人に施しを与えてやったところで、あの女、繰り返すだけよ。そもそも弟が病気だっていう話も、どこまで信憑性があるものか」
「そりゃあそうかもしませんけどね」
煮え切らない返答を続ける男に灰瞳の娘の言葉はさらに鋭さを増す。
「安い情けをかけて、今さら自分が何か上等な人間にでもなれたつもり?」
「おいっ!!」
あまりの言い様に黙って聞いていられずファバが怒るが、べルティーナがそれを気にかける様子はない。
言われた当人の方は苦笑しながら彼女の疑いを否定する。
「相変わらず嬢さんは手厳しいなあ。……別にそんなつもりはありゃしませんよ。まあ早い話、単なる気まぐれですよ、気まぐれ。それだけです」
「気まぐれ、ね」
嘘を言ったつもりはない。
何かハッキリとした信念があっての行動ではなかったし、ましてや施し一つで善人ぶろうだなんてつもりもない。
ただあのままエレン達を見捨ててしまえば少し寝覚めが悪くなるような気がしただけ。それだけの事だった。
人を斬って食ってきた身なればこそ、気まぐれな慈悲の無意味さなど誰に言われるまでもなくガドーも理解している。
「そう、ならいいわ。ちょっと心配したの、誰かさんの馬鹿が貴方にまでうつったんじゃないかって」
言葉とは裏腹にまったく納得いっていない様子でべルティーナは微笑を浮かべていた。
高慢なれど本来彼女はここまで他人の情けを毛嫌いするような娘ではない。
それを馬鹿にし呆れ、あるいは無関心である事は多々見られたが、自らの迷惑になるわけでもないのにこうまで突っかかるような反応をする事は珍しかった。
その変化はべルティーナがレグス達と旅をするようになった事と無関係ではないだろう。
「口を動かすのはそこまでにしておけ。出発を急いだ方がいい」
悪くなった空気を払うようにカムが言った。
自分達はゼティス教徒を襲撃したその犯人である。
トリクスの工作があるにせよ新たに追手が放たれる可能性は十分に考えられ、今夜のうちに少しでも距離を稼ぐ必要があった。
危険は承知のうえでの強行軍。それは事前に決まっていたことでもあり、不毛な会話で時間を潰している余裕など無い。
不機嫌さを隠さないながらも灰瞳の娘は矛を収め、何も言わずに己の馬の背へと跨った。
――やれやれ。
べルティーナの機嫌が直るには今しばらくかかる事だろう。こうなった時の彼女は下手に声をかけるだけ逆効果だとディオンは知っている。
彼と顔を見合わせる仲間達もそれはよくわかっているらしい。
火の娘に触れるなかれ。
その考えを同じにして、一行は夜の暗がりの中を言葉数少なく歩み出した。




