三日目
テサルの街滞在三日目。ベルティーナの悪い予感は的中した。
街の情報屋と接触し帰ってきた男はまた一つ厄介な問題を持ち帰ってきたのである。
「最悪。何をどう考えたらそういう勝手が出来るわけ?」
一同を集めてのレグスの説明に、魔術師の娘は批難の声を上げずにはいられなかった。
されどその男の毅然とした態度は変わらない。
「ガドーの解放を大人しく待つより、早く動けると判断した」
「馬鹿じゃないの、悪くてもたかが数日の違いでしょうに」
「一日でも時は惜しい」
「割に合わないと言ってるのよ。そこまで時間を惜しむなら、使えない男を見捨てて出発する方がよっぽど理にかなっているわ」
「俺はそれでも構わないが、そうは思わない者もいるだろう。そこでまた揉めるだけ時間の無駄だ」
幾人かの面々を念頭において発言するレグス。
それを受けてカムが口を開く。
「私は反対しない」
一瞬、ガドーの処遇についての事かと驚く者達もいたが……、当然そんなはずもなく。
「街の女達が不当に監禁されているというのなら、助け出してやりたい」
レグスの勝手に対する一応の賛意であった。
予想された彼女のその反応に、べルティーナは苛立ちを隠せぬ低い声色で言う。
「それはこの街の人間が解決すべき問題でしょ」
「だがその動きが鈍いとなれば、そうも言ってはいられない」
「いられるわよ、部外者が首を突っ込むような話じゃないのこれは」
「囚われの身の者にとっては一日ばかりの時が命運を分ける事になることもある。救出を急ぐに越したことはない」
「本当にいい加減にしてちょうだい。貴方達、困ってる人間を見つける度にそうやって手を貸してやるつもり?」
「助けられる者は助けてやりたい」
「その勝手に迷惑する人間がいるって言ってるのがわからないの?」
それは何も自身の事だけを指して言っているわけではなかった。
良かれと思いやった事が裏目に出るなど珍しくもない。浅慮な偽善は時に状況をより悪化させる。
連邦の植民市とゼティス教徒の揉め事、そんな厄介なものにわざわざ首を突っ込もうなど、まさに馬鹿の偽善としか言いようがない。
少なくともべルティーナはそう考えていた。
「まあまあ、落ち着けよべルティーナ」
「ディオン、貴方までこの馬鹿達の味方をするつもり?」
「味方するとかしないとかじゃなくて、実際レグスの奴がやらかしちまった後なんだ、今更文句を言ったところでどうにかなるってもんでないだろ」
レグスの不遜な要求は情報屋からその飼い主へともう伝わってしまっているだろう。
事はすでに次の段階に移っている。ここで騒いだところでその流れを止める事はもはやできない。
べルティーナは大きくため息をつくと、思考を切り替えて言い放つ。
「……そうね、今更取り返しのつかない事ね。いいわ、好きになさい。ただし私は手は貸さないわよ」
「もとから必要ない」
レグスの返答に対して鋭く睨みつけるような仕草はするもののべルティーナはそれ以上何も言わなかった。
彼女の代わりに口を開いたのはカムである。
「私は協力するぞ」
「ああ、最初からそのつもりだ。とはいえ、やるべき事はエフモントとの交渉の結果次第でも変わってくる。段取りについてはまた後で話す」
その言にディオンが疑問を呈した。
「後で?」
「交渉の前に手の内を事細かに明かしてやる必要もないからな」
一瞬何の事を言ってるのかわからずにデリシャ人の男は困惑の表情を浮かべる。
だが、すぐにハッとして彼は周囲の気配を探った。
ここは酔いどれの狼亭、その一階。飲食する客達にこちらの様子を熱心に窺う者が混ざっている。
「気づいてたのか!?」
声を落として問うディオンにレグスは言う。
「気づくもなにも最初からわかりきったことだ」
彼の区切った期限は今日まで。
となれば、交渉前に相手の情報を少しでも仕入れようとエフモント側が動くのは容易に想像できる事だった。
駆け引きはすでに始まっている。
「……それで交渉成立の見込みは?」
「よほどの阿呆でも無ければ判断は間違えない。エフモントは優秀な男だそうだ、問題ないだろう」
素性不確かな旅の者に街の未来を左右するような大役を任せる方が『よほどの阿保』のする判断にも思えるが、場が場なだけにディオンは言葉を選びながら問う。
「判断を間違えたら?」
「相応の手段をとる」
抽象的な返答が多いレグス。
それはエフモント配下の人間が聞き耳を立てている状況では仕方のないこと。
それでもあえて確かめておかずにはいられない事もある。
「ガドーの奴はどうする? 交渉が失敗に終わればあいつもタダじゃすまない」
「危険を承知で壁を越えたのなら、それぐらいの覚悟はしていてもらわねば困る」
「見捨てるのか?」
「降りる機会は何度とあった。忠告に耳を貸さなかったのはあの男自身だ」
本心からのモノであろうとなかろうと、それは予想できた返答でもあった。
――まっ、そう言うしかないよな。
エフモントとの交渉前。ガドーが人質に取られかねないこの状況では救出にこだわり弱みを見せるわけにはいかない。
それがわかっていてディオンがとっさに仲間の事を聞いてしまったのは彼に宿る無意識の甘さ、その表れだったのかもしれない。
取れる行動は限られている。
そして結局はレグスという男の旅に乗っかろうとする限り、滅裂や無謀に思えるような彼の計画に対してすら付き従うしかないのである。
それから日が暮れての夜半。レグスは昨日と同様にひとり宿を出てエフモントとの交渉に赴いた。
相手方からの接触は夕刻のうちにあった。
彼らは時間と場所を指定して隔離区画の中心部より外れた離れ小屋へとレグスを呼び出したのである。
普段は利用されることもなく忘れ去られたように存在するそのボロ小屋は、人知れず会談を行うにも、あるいはその事実を闇に葬りさるにしても都合の良い場所に違いなかった。
友好的にといくはずもない。大きな危険もが伴うことになるだろう。
それでもこれは自身が望んだ場でもある。
夜陰に紛れるいくつかの気配を察知しながら、レグスは目的の小屋に到着する。
小屋の前にはフード付きのローブを纏う男が立っていた。その者は警戒心を露わにした鋭い目つきのままに告げる。
「武器は全てこちらで預かるとしよう。話し合いの場には必要ない物だ」
「丸腰になれと?」
「当然だ。間違いがあっては困る」
「これは我が身を守るに手放せない物だ、危険多き魔境の地では尚更にな」
「我々が信用できないと言うのか」
「『剣を捨てよ』と剣を忍ばせ言う者の言葉を、お前は信用するのか?」
護衛を兼ねるその男がローブ内に武器を持っていることなどレグスは見透かしていた。
だが彼らにしてみれば他所からやって来ては勝手に騒動を起こそうとする者に対等に接しろという方が無理のある事。
詭弁に付き合う気はないとその者は言い放つ。
「御託を並べるな。そもそもこちらの信頼を損なうような真似をしたのは貴様らの方だ。従えぬというのなら中に通すわけにはいかない」
「そうか、ならばそれも仕方があるまい。掃除はお前たちの力を借りずに済ませるとしよう」
「貴様っ!!」
レグスの態度に我慢ならぬと男が憤ったその時……。
「かまわん。通してやれ」
小屋の中より声がした。それも聞き覚えのある声。
「ですがっ……」
「通せ」
落ち着いてはいるが有無を言わさぬ迫力がその声には宿っている。
上下の関係は明白。男は声に従いレグスに道をあけるしかなかった。
「このような形でまた会うことになろうとは、意外でもあり残念だ英雄殿」
ボロ小屋の中で声の主が迎えて言った。
振る舞いに激しさは無くともその表情には静かな怒りにも似た疑いと不満とが滲み出ている。
エフモント。市長に代わり市政の多くを実質的に取り仕切る男。
今夜の交渉相手となる街の実力者がそこにいた。
「それはこちらも同じだ。あらぬ疑いをかけられこんな所で足止めを食らうとは思ってもみなかった」
「捜査上必要な取り調べで、事は合法的に行われている。街に滞在する者ならば当然為すべき協力でもある」
「犯人がわかりきっているのにか?」
エフモントとの会話を交わしながらレグスは周囲の状況を確認する。
主の脇を固める者や物陰に潜む者、一様にフード付きのローブを身に着けている者達が小屋の中に九人。
――外の奴らも含めて二十人足らずといったところか。
小屋の前に立っていた男もそうであったが纏う気配一つにしても、ただの衛兵達とはまるで異なっている。
彼らの多くはエフモント配下の精鋭であるに違いなかった。
「慎重に慎重を期して事に対処するようにしているものでね。私もこの仕事は長く、早急な結論は痛い目をみることになると身を以って学んでいる」
「次は決断の遅れが事態をより悪化させるという事を学んだ方がいい」
「それは心入る助言だな。では私からも一つ忠告するとしよう。旅人よ、どうか無用の混乱を引き起こすような真似は控えてもらえないだろうか」
一顧だにせずレグスはそれを拒絶する。
「ネズミに伝えておいたはずだ。これは奴らが支払うべき代償だと」
「取り立てがうまくいく保障もあるまい」
「小さな砦一つぐらい何とでもなる」
「自信があると?」
「三欲の蛇の名は軽くない。疑うのなら少しばかり試してみるか?」
わざとらしく自身の剣に手をかけるレグス。それに応じるように周囲の護衛達も身構える。
場の空気は瞬時にして張り詰めた。
エフモントが手の仕草のみで護衛達を制しながら問う。
「それほどの自信があって何故我々に協力を求める?」
「無用の混乱を望まないのは私も同じだ。情報を共有し協力する事によって掃除をより速やかに済ませられ、その後の混乱も抑えられると判断した」
「協力とは互いの信用あって成り立つものだと思うが?」
「何を以って信用とする。いたずらに積み重ねた時よりも悪名こそが信用に足る場合もある。要は使える人間かどうか、その価値を見極めればいい」
「自分にはそれだけの価値があると?」
「でなければ今夜この場にはいない、互いにな」
エフモントの立場は決して軽いものではない。
彼ほどの人物が夜中にわざわざこんな離れ小屋へとやって来ている時点で、交渉はうまく進むだろうとレグスは読んでいた。
そしてその読みが図星であったのだろう。エフモントは皮肉めいた失笑を漏らして言う。
「……それで、蛇の仔は我々にどのような協力を求めるつもりかな?」
「砦の構造を含めた詳しい内情が知りたい。侵入するにあたって内から直接手引きできる人間も欲しい」
「簡単に言ってくれているが、庭の内ならばともかく異教徒の砦にこちらの手の者を送るなど容易にはいかない」
「街の人間には無理でも同じゼティス教徒ならば不可能ではないはずだ」
その言葉にエフモントの瞳の鋭さが増す。
「恵与派の横暴は昨日今日の問題ではない。ここ数年まさか何の手立ても講じなかったわけではあるまい。テサルの街が打てる対応策の中で最も有効的かつ現実的な手段は教導派の協力を得ること。その成果として奴がこの場にいる」
フードを被る九人の男達のうちの一人に視線を向けてレグスは言った。
その瞬間に、他の者達からはわずかな動揺が見て取れた。
全く見当外れの発言であったのならばこうはならないだろう。
視線を受けた男がおもむろに口を開きながら問う。
「何故私が教導派の人間だと?」
場に九人男がいて何故彼なのか。その答えは至極単純なものである。
「剣に手をかけた時、お前だけが身動き一つせずにいた。護衛の者ではありえない対応だ。陰にあろうとするばかりが気配の殺し方ではない」
「なるほど……、よく観察していらっしゃる」
感心するように言いながら男は深く被っていたフードを外す。
金髪碧眼。角のない顔立ちの年若き青年だった。
「お初にお目にかかります、トリクスといいます。お察しの通り、本国から送られてきた教導派の人間です」
「会うのは今日で二度目だ」
「おや、覚えておいででしたか」
「あれだけの騒ぎを起こしておいて忘れるはずもない」
テサルの街に到着して早々に宿で起こった騒ぎ。
暴れるゼティス教徒の大男を最終的に止めたのが、このトリクスと名乗る目の前の青年だった事をレグスは忘れていない。
「では話が早い。現在私は二角の砦に詰めていまして、砦の構造や人の配置を把握できる立場にあります。侵入する際に手引きすることも不可能ではない」
「申し分ない内通者だ」
「それだけの信用を得るに時間もかかりましたがね。我々教導派としても恵与派の勝手には日頃頭を痛めていまして、とくにルオンドール達に関しては対処を急ぐ必要があると考えているのですが……、あの男は猜疑心が強く、既に仲間の何人かは彼に殺されています。機会は限られており事の失敗は許されません」
「失敗など百に一つとありえない。お前達の協力があれば尚更にそうなる」
「ですが千に一つはどうでしょう。いいえ、何も蛇の仔の力を、壁の王に英雄として認められるほどの方の実力を疑っているわけではありません。ただ我々は恐れている。万が一に事が失敗し、企ての全てが露見するような事態を」
落ち着いてはいるが警告めいた緊張感を孕みながらトリクスの言葉は続く。
「内輪の揉め事、それも荒事に異教徒や異端者の力を使ったとなれば、事態は最悪の方向へと転がりかねない。少々考えに違いはあれど同じゼティス教徒同士、剣を交え争い、血で血を洗うような泥沼に陥る事は避けたいのです」
教導派と恵与派の全面戦争を避ける為には、ルオンドールを殺すにしてもその実行役をよく選ぶ必要があった。
相応しい者は限られている。
テサルの街や教導派との関係が薄く、関与を疑われてもシラを切りとおせるだけの人間。それでいて口堅く恐ろしく腕の立つ者。
その条件に当てはまる男が丁度この場にいる。
「だからこそ使える人間がここにいる」
「ええ、あなたの立場は魅力的だ。ですから急な求めにも関わらず、私もエフモント殿もこうして応じ、あなたと会うことにした。……我々が『掃除』に協力するにあたっての条件は一つ。事は表向き、蛇の仔によるルオンドール達に対する報復であるということ。その体を守っていただけるのなら可能なかぎりの協力は惜しみません」
失敗した時は切り捨てられる。協力も大々的にとはいかない。
言ってしまえば捨て駒のように扱われかねない話であるのだが、レグスにとってそれは問題にはならなかった。
「いいだろう。もとより独力であってもルオンドールという男は始末するつもりだった」
「では交渉成立ということで……」
そう言いながらトリクスは街側の代表者となる男の方を見た。
その視線を受けて、エフモントもまた静かに頷く。
「街側の同意も得られたところで、今後の具体的な手立てについてもこの場で決めてしまいましょう。あまり長々と時間をかけて接触回数を増やしたくはないので」
それはレグスの方とて望む事。彼らはそのままルオンドールを殺す具体的な方法についても話し合いを始める。
事の重大さに関わらず、時間はさほどとかからなかった。
やはり砦の構造や人の配置まで知る内通者の存在は大きく、通常は難儀するであろう侵入経路の見当などが速やかに進んでいったのである。
それでも全てがトリクスの言うままに決まるわけではない。
大方の流れが決まっていく中でレグスが口を開く。
「侵入経路についてはそれで問題ないが、砦に入る前にやっておきたいことがある」
「というと?」
「いくらか砦の戦力を削っておく。その為に必要な駒がある」
「駒ですか?」
「ガドーだ。街の衛兵に取り調べを受けているあの男を使う」
その提案にトリクスとエフモントは互いの顔を見合わせた。
「ですが彼は……」
「その駒は我々としても使い道を考えていないわけではない。いわゆる次善の策というものだ。クイーケルからも聞いている、蛇の仔は手駒の身の安全よりも報復を優先すると」
それは交渉の為のハッタリだったのか、試すようなエフモントの言葉にもレグスは動じない。
「次善の策に身柄の引き渡しを考えているのならやめておけ。その程度で疑いが晴れるものか。奴らもそこまで馬鹿ではない」
「疑いを晴らしきる必要はない。こちらとしてはあくまで剣を抜かせぬだけの材料にできればいい」
「ならば尚更ガドーを解放しておくことだ。よく考えてみろ。街や教導派と無関係の人間が事を起こすに、仲間の一人が捕らえられたままの状態と、解放された状態、どちらがより自然であるかをな」
街側がガドーを手元に置いてしまえば、彼を人質にレグスを動かし恵与派を襲撃させたのだと、そう考える者が出てきても不思議ではない。
これでは失敗時に関与の疑いを晴らすどころか、まるで裏目となる。
そうなってしまうくらいなら他に利用するのが賢明。
トリクスもこの考えには同意できるらしい。
「なるほど、とくに彼にはあなた方のうちでもゼティス教徒を強く恨むだけの事情もある」
「そういうことだ」
恵与派が起こす事件のせいで巻き添えを食らい不当な取り調べを受けたというだけではなく、酔いどれの狼亭での騒ぎの際には直接揉めてすらいる。
今回の襲撃においてガドーほどに報復者を演じるに相応しい人間もいないというわけである。
そしてこれを利用すべきだと、レグスは言う。
「不当な取り調べを受けた身というだけでなく、奴にはゼティス教徒ととの因縁がある。その因縁を使って砦の兵を分散させる」
「面白い手だとは思いますが……」
トリクスが窺うようにしてエフモントの方を見る。ガドーの身柄を握っているのはテサルの街側で決定権は彼にあるのだ。
市政の代行者たる男はわずかに逡巡する。
目の前の蛇の仔にとってガドーが本当に手駒の一つにすぎないのか、それともそうではないのか。
もしも多少なりにも仲間意識というものが存在するなら、虜の解放はレグスの枷を外してしまうことを意味する。
だがそれでも……。
「いいだろう。お前の希望の時間までに取り調べを打ち切り、あの男を解放させるとしよう」
「我々からの信頼の証です」
二人の言葉にレグスが表情を変えることはない。
彼はただ当たり前の事だというように振る舞うだけである。
「それでいい。ルオンドールを殺すにそれが最善の手だ」
事の成功を確信するように不遜なる蛇の仔は言い切った。




