ガドーとファバ
空が茜色に焼けた夕暮れ時。
日が高いうちから村中で遊び回っていた子供達も各々の家へ帰り始めようとしていた。
ファバも同じように館へと戻る事にしたのだが、向かい歩く途中、その表情はいたく不満気なものとなっていた。
――あのクソ野郎……。
東黄人の少年が内心毒づくのは他ならぬガドーに対してである。
試験だなんだと言ってやらせておきながら、いつの間にか約束をすっぽかして消えてしまった男に彼は苛立っていたのだ。
もちろんファバもこんな時間になるまでガドーの事に全く気がつかないでいたわけではない。
衛兵と盗賊に興じる途中には気がついてちょっとした騒ぎにもなったのだが、結局その時はそのまま自分達だけで遊ぼうという流れになってしまったのである。
最初はひどく不機嫌だったファバも、次は木登りだなんだと流されるうちに、ガドーのことなどすっかり忘れて、アレットやタパニ達と一緒になって夢中で遊んでしまっていた。
だがそれはそれ、これはこれだ。
いざ遊び終えて館へ戻るとなれば、その頃にはまたガドーの行いにあらためて腹が立ってくるというものなのである。
――そっこう問い詰めてやらねぇと。
そう苛立ちながら館の内に戻るなり少年は早々に件の男を発見する。
「あっ!! ガドーてめぇ!!」
「おお、どうした?」
駆け寄ってくるファバにまるで後ろめたさも無くガドーは自然体で応じた。
その態度が余計に腹立たしい。
「どうしたじゃねぇよハゲ!! てめぇ無断で勝手にいなくなりやがって!!」
「ああ、わりぃわりぃ。ディオンの奴が風呂が空いたって言うからよ」
「ふざけんな!! 試験がどうだと偉そうにぬかしてやらせといて、勝手にくつろいでんじゃねぇよ!!」
「だから謝ってんだろ?」
「謝って済むか!!」
「……ったく、うるせぇな」
「うるさくねぇ!!」
「ああもう、わかったわかった。稽古ならまた明日からきっちりつけてやるから落ち着けって」
「信用できるか!!」
なおも不満収まらない少年にガドーはうんざりとした様子で言う。
「あのなぁ、言っとくがこっちは善意でお前のワガママに付き合ってやってるんだぞ」
「何を!!」
「ガキの稽古の面倒なんざ見て、俺に何の得があるってんだ?」
「それは……」
義理立てとしてガドーがファバの稽古の面倒を見る。
それはあくまで男の自己満足にすぎない。それぐらいやれと、レグス達が指図するならまだしも同じ役立たず側の少年がどうこう言える立場にはなかった。
「まっ、そういうこった。ひとっ風呂浴びるぐらい大目に見てもらわねぇとな。おめぇもさっさと風呂ぐらい済ませてこいよ。そんなきたねぇナリで今夜の宴に出てこられちゃあかなわねぇからな」
長旅に加え稽古に遊びにと見事なまで土汚れに塗れているファバ。
その風体は潔癖な人間でなくとも、それが今夜の宴席の場には相応しくないと判断するだろう。
もちろん少年自身にもその程度の弁えはすでに備わっている。
「ちっ、わかってるっつうの」
結局この場ではガドーの勝手な振る舞いを問い詰めきれぬまま、ファバは浴場へと向かうことにした。
――くそっ、ガドーのやつ!!
解消されぬ不満や苛立ち。
そういった荒立つ感情が少年の注意を奪い、視野を狭窄としていた。
脱衣場に入るなり、彼は身につけている物を乱暴に脱ぎ散らかして何の注意もなくその先へと足を運ぶ。
それが失敗だった。
そのせいでファバは慮外の光景に唖然とすることになるのである。
「はっ?」
自分以外は誰もいないはずの大浴場に大勢の者達の姿があった。
それもなんと女ばかり。
立ち込める湯気の中に、老若女々。歳も醜美も問わず女の裸体が並んでいたのだ。
「きゃあぁっ!!」
「いやぁ!!」
一糸纏わぬ異性の侵入に年端もいかぬ娘達がとっさに悲鳴をあげる。
その甲高い声にファバは我に返って、慌て来た道を引き返した。
「わりぃ!! 間違えた!!」
一瞬止まっていた時間が急に動き出したかのように騒然となる浴場内。
そんな中、尻を向けて去っていく少年の後ろ姿を見やりながら中年の女と老女達は落ち着いた様子で口を開く。
「なんだい子供じゃないかい」
「ありゃ魔女さまがお連れしたお客人の子だろ?」
「子供相手にピーピーと騒がしいったらありゃしないよ」
「大切なお客さま相手なら喜んで背中ぐらい流してやるのが礼儀ってものさな」
今さら裸一つ見られたぐらいで動じる歳でもない。
子供相手となれば尚さら何を騒ぐことがあるのかと、彼女らは若い娘たちに呆れて眉間にシワを寄せていたのだ。
その一方で当の少年はというと、己が脱ぎ捨てた物を拾い上げ、身に付けることもままならぬまま、転がるようにして館の廊下へ飛び出していた。
そしてその先で、騒ぎの様子を見に来たエルフ達から彼は声をかけられる。
「どうかされましたか?」
「間違ってこっちの風呂に入っちまって!! なぁ、男湯はどっちだよ!?」
ファバの問いにエルフ達は困惑するような表情を浮かべて言う。
「館に浴場は一つしかありませんが……」
「は?」
「日頃村の者たちで共用しているこの浴場しか、館にも村全体にも浴場なんてものは存在しませんよ。ですから今日は皆様の貸切としていたのですが……」
エルフの言葉に昼食時にもセルトラが同じような事を言っていたのを少年は思い出す。
「そうだよ!! なんで女共がいるんだよ!!」
どうしていないはずの者達がいるのか。
説明を求める少年に、やはり困惑した様子のままエルフらは言う。
「少し前にガドー様が『もう自分達は使用し終えたので、湯も薪ももったいないだろうからそのまま村の者も使ってくれ』と」
「それで、今は村の女達の使用時間として開放していたのです」
話を聞くうちに段々とファバは事態を飲み込んでいく。
やがて彼は頭に血をのぼらせると、唇を震わせながらダンと床を踏みつけその場に立ち上がった。
そして驚くエルフ達を無視して館の廊下を鬼の形相で歩き出す。
――はめやがった、はめやがった、はめやがった!!
枯れ野を焼く烈火よりも激しい勢いで、怒りが少年の全身に広がっていた。
――あのクソ野郎!! 俺をはめやがったなぁ!!
その認識と同時に、怒号が少年の口から飛び出す。
「ガドー!! てめぇ、でてきやがれ!! ぶっ殺してやる!!」
その怒声は館中に聞こえようかというほどに大きく響いていた。
それを何処かで耳にしながら、張本人たる男は満足そうにひとり笑う。
「ほんと、からかい甲斐のあるガキだぜ」




