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黒い魔剣使い  作者: マクドフライおいもさん
運命の出会い
6/77

忌み子Ⅲ

――くそ!!


 ファバは己の無力を呪い、醜態を悔やんだ。

 レグスと出会ってまだ日は浅い。それなのにもう彼を二度も呆れさせた。それが耐え難かった。

 別にレグスを特別慕っているわけではない。彼の冷酷さ、残酷さは知っている。優しくされるなど期待してはいないつもりだった。


 そのはずだったのに、自分の中の甘えがこの醜態を生んだのだ。

 ダーナンを殺したレグスの持つ『強さ』は本物だと信じ、それを求めたファバにとってこの醜態はひどく苦痛であった。


 レグスはあの時はっきりと言った、殺したいクズはお前だと。

 彼にとって自分は必要のない人間だと、まざまざと見せ付けられたその現実に少年は苦悶するしかなかった。


――同じだ。何てことはない。同じじゃねぇか。


 それは今まで幾度となく経験してきた事のはずだった。それなのに。


――なのに何で……。


 どうしてレグスに失望されたという事実に、己の無力に、今さらこうも胸を()かれるのだろうか。ファバにはわからなかった。


「元気だして、って私なんかが言うのも変かしら」


 落ち込む東黄人の少年をロゼッタが慰めようと試みる。

 彼女はファバを部屋に案内した後もそのままにしておけず、共に寝台の上に腰掛けていたのである。


「もういいよ。ほっといてくれ」


 そんなロゼッタの親切心も、今のファバにとっては鬱陶しいだけ。


「ほっとけって……、落ち込むいたいけな男の子をそのままにしておけるほど、冷たい女じゃないわよ、私は」


 自分を命がけで守ろうとした女。その女の背中に隠れていた惨めな自分。

 彼女が近くにいれば、否が応にもその事を自覚せざるを得ない。


「ほっとけっつってんだろ!!」


 独りにして欲しいと願うファバであったが、ロゼッタもそれをはいそうですかと了承出来るような女ではない。


「だったらそんなに悲しそうな顔をしないで」

「あんたには関係ないだろ!!」

「そうかもしれないわ。……でも、あなたが悲しい顔をしていると、私まで悲しくなってくる、ほっとけないわ。それに独りで塞ぎ込むより人とお話するだけでも全然違うものよ。それとも私なんかじゃあなたの力になれないかしら」


 諭すような口調。優しく微笑む彼女にファバは戸惑った。


 他人の親切というものに少年は慣れていなかった。

 昨日まで顔も知らぬ仲、何故ロゼッタが自分にこれほど優しくするのか。同胞に忌み嫌われ育った者には理解できなかったのだ。


「なんでだよ。そんな事したってあんたに何の得もないだろ」

「得? 言ったでしょ、あなたが辛い思いをするのは私も嫌なの。だから元気になって欲しい。それだけよ」

「だからそれが何で!?」

「何でって、そうねぇ、ただの性分よ」

「性分?」

「そう、こればっかりは私にもどうしようもないわ。他人には馬鹿にされたり呆れられたりするけどね、損する性格だって」

「俺も同感だね」

「ふふ、でもね結構得する性格だと自分では思ってるの」

「どこが」

「だって、落ち込んでいた人が元気になってくれたら、それだけで私も幸せな気持ちになれもの。どう? お得でしょ?」

「理解できねぇ」


 ファバの態度にロゼッタは少しだけ悲しそうにして言う。


「いつかあなたにもわかってもらえるといいのだけど」

「わかりたくねぇよそんなもん。どうでもいいだろ赤の他人がどうなろうと、ましてや……」


 そこでファバの言葉が途切れる。


「ましてや?」


 ついそう返してしまったロゼッタだったが、彼が何を言おうとしたのか少年の表情を見て察する。

 まずい、と思って話題を変えようとする彼女だったが。


「俺みたいなのなんて……」


 吐き捨てるように漏れ出た少年の言葉に、ロゼッタは胸を締め付けられる思いをした。


「そんな事ないわ」

「あるさ、あんたが変わり者なだけだ」

「違うわ、それは違う。きっと彼だって、あなた事をどうでもいいなんて思っていないはずよ」

「彼?」


 誰の事をさして言ってるのかファバにはわからない。


「彼よ。レグスさんだっけ、彼と旅をしているのでしょう?」

「まさか、冗談きついな。あんたも聞いてただろ、奴が俺に何て言ってたか」

「それでも、彼はあなたを助けたわ」


 ロゼッタは優しくも力強く言いきる。


「本当に何とも思っていないのなら、あなたを助けたりしないはずよ。違う?」

「それは……、ただの気まぐれさ」

「気まぐれでお説教までしたりするかしら。きっと心配したからよ、あなたの事を、これから先の事を。もちろんあんな言い方ひどすぎると私も思うけどね。でも本当にどうでもいいと思っている相手には何も言わないものよ。少なくともあなたは、彼にとってそんな人間じゃない」

「どうかな。だいいちあいつと出会って日が浅い、本当にただの他人さ」

「そうなの?」

「そうさ。まだ一月と経ってない。お互いの事も全然知らない。知りたくもない。そんなんで相手をどう思えってんだ。どうでもいいだろ」

「じゃあ、どうしてそんな人と一緒にいるの?」

「利用出来るからだ」

「えっ」

「あいつはすげぇ強いんだ。俺はあいつみたいに強くなりたい。剣を教えてもらって、それで……」

「それで?」


 それで、どうするのだろう。どうしたいのだろう。

 改めて問われると、言葉がでてこない。


「ねぇ、あなたは剣を教えてもらう為として、それじゃあ彼はどうしてあなたと一緒にいるの?」

「それは……知るかよ。それも気まぐれだろ」

「気まぐれで一緒に旅をして、気まぐれで助けてくれるの? 私なんかより、よっぽど変わり者なのね、彼」

「なんだよ、何が言いたいんだよ」

「私はね、きっと彼はあなたの事を好きだと思うの」

「はぁ!? まじであんた頭おかしいんじゃねぇか!?」 

「……聞いて、ファバ」


 じっと少年の目を見て真剣な口調で彼女は言う。


「私はね、人を好きになるのに理由なんていらないと思うの。嫌いになる時だけ理由があればいい。……あなたは彼の事、嫌い?」

「嫌いって、別にそんなんじゃ……」


 むつかく奴だと思う、ひどい奴だと思う、強い奴だと思う。


 それだけならかつて自分を面白半分に手下にしていたダーナンと同じだ。

 なのに何故、あんなにも嫌っていたダーナンと違い、レグスの事は嫌いだと思えないのか。


「あなたも彼の事を好きなのよ」

「そんなわけ」

「そうじゃないなら、あんなに悲しい顔する必要ないじゃない」


 彼女の言葉に、ようやくファバは自分の思いを知る。


――ああ、そうか。


 何故レグスを失望させた事をこんなにも苦しいと思わねばならないのか、彼は知る。自覚する。

 嬉しかったのだ。村の奴らと違い、盗賊達とも違い、自分を忌み嫌わず面白がらず、ただ一人の人間として接してくれた事が。

 名を与え、自分という存在を認識してくれる人がいるという事が、嬉しかったのだ。


 彼が怒鳴ったのは自分が呪われた子だからではない。彼が蹴り飛ばしたのは自分が奇妙な東黄人だからではない。ファバという人間の見て、その愚かさに彼は失望したのだ。


 だからこそこんなにも悲しいのだと、少年は知った。


――ちくしょう。


 自然と目に涙が溢れてくる。


「ごめんなさい、大丈夫?」


 自分が追い詰めてしまったと勘違いしたのか、ロゼッタは謝罪の言葉を口にする。


――違う、違う、そうじゃない。


 そう言葉にする事も出来ず、少年は泣いた。悲しくて、悔しくて、涙した。


「もういいよ。もう平気だから」


 しばらく泣いて吹っ切れたのか、すっきりしたような顔つきでファバが言う。

 その顔を見て安心したのだろう、ロゼッタも笑みを作る。


「そう、よかったわ」


 そんな彼女に、言いにくそうにしながらファバは(たず)ねた。


「なぁ。あんたは……、あんたは俺のこんな顔を見てもなんとも思わないのか?」

「どうしてそんな事を聞くの?」

「どうしてって……」


 ファバはロゼッタにこれまでこの顔にせいでどんな事を言われてきたか、どんな事をされてきたのか簡単に話をした。


「ひどい、ひどすぎるわ」


 憤りと同情、ロゼッタのそんなありきたりな感情すらも、少年にはほとんど与えられてこなかったものだ。

 だから彼には正しくそれを理解する事が出来ない。


「ひどいって、あんたも気持ち悪いって思うだろ」

「そんな事はないわ」

「嘘つけ」

「嘘じゃないわよ、けど……」

「けど、何だよ」

「うぅん、怒らないでね」

「別に顔の事で今さら怒ったりしねぇよ、慣れたもんさ」

「なら嘘をつくのも嫌だし、はっきり言うけど、……不細工だとは思う」

「ほんとはっきり言ったな……」

「だって……、やっぱり嘘でもカッコイイって言った方がよかったかしら」

「いらねぇよ!! そんな世辞嬉しくもねぇ!!」

「あはは、でも不細工だとは思うけど、私はあなたの事好きよ」

「意味がわからねぇ」

「ふふ、でも本心よ。人間顔じゃないわ。あなたと友達になれたら素敵だと思う」

「俺はなりたくねぇよ、あんたみたいな変人と友達になんて」


 そう言いながらもファバは内心少し後悔した。


「あら、残念。フラれちゃったわ。……でも、もう大丈夫そうね。いい加減仕事に戻らないと」


 これ以上の慰めは必要ないと判断したロゼッタは部屋を出よう立ち上がる。


「あっ、そうだ忘れてたわ」


 そして部屋を出る扉の前で、彼女は何を思ったか振り返り、ファバの方を見て言った。


「お姉さんからの助言よ。人に親切されたらちゃんとお礼をするものよ。それがあなたの為にもなるわ」

「礼って、悪いが金なんてねぇよ」

「何言ってるの、感謝の言葉でいいのよ」

「めんどくせぇ……」

「めんどくさくてもするの」

「……あ、ありがとう」

「はい、どういたしまして」


 そう言って笑うロゼッタ。

 それが、ファバが生まれて初めて『人』を見て綺麗だと感じた瞬間だった。



 街の家々のランプに火が灯される頃。

 ようやく用件を済ませたレグスがファバのいる二百八号室へとやって来た。


「ファバ、お前のだ」


 彼は部屋に入ってくるなり早々に見慣れぬ物体を少年に手渡す。


「何だよ、いきなり」


 それは金属で出来ていた。


(いしゆみ)?」


 弩と呼ばれる機械仕掛けの弓にその姿は似ていたが、ファバの知る物と比べて複雑そうな作りをしている。


「間違ってはいないが、それは機械弓と呼ばれる物だ。弩も機械弓の範疇(はんちゅう)ではあるが、そいつは単なる弩とは違う」

「機械弓?」

「機械仕掛けの弓の事をそう呼ぶ。特に弩よりもずっと複雑な作りをしている物をな」

「これが弓ねえ。なんか小さくねぇか」


 手渡された弓は小型で、金属で出来ているわりには子供である彼にすら易々と持てるほどの重さだった。


「機械弓と言ってもいろいろある。それは女、子供でも扱えるよう作られた物でパピーと呼ばれている」

「なんかだっせぇ名前の武器だな」

「かわいらしい名だが、存外、凶悪な代物だ。弩は素人にも弓が扱えるようにと作られた物だが欠点も多い。射出までにかかる時間は大の男が扱っても限度があり、女、子供の力じゃ一矢射るのも苦労する。……だが、この武器はそうした欠点を解消している」


 通常の弓を十分に扱えるようになるにはそれなりの訓練を詰まねばならず、戦時において徴兵された農民達でもすぐに扱えるようになる弩は特に軍に重宝された。

 弩は構造上、矢の射出までの時間がどうしてもかかってしまうという欠点があるが軍では『数』を活かす事によってその欠点を補っている。


 だが数を用意出来ない者達ではそうはいかない。

 そこで作られたのが他の機械弓である。


「そいつはすげぇがなんでわざわざ女、子供の為にこんな複雑なもんまで、……俺には理解できないね」


 女の兵士や冒険者というのは存在しないわけではないが多いとも言えない。そして子供がこれを必要とする機会はさらに少ないだろう。

 そんな少数の為にこれだけ複雑な作りの弓を開発したのか、その動機がファバにはわからなかった。


「パピーは解放戦争の時に発明された物だ」

「解放戦争ってあの?」

「そうだ。フリア解放戦争では国家の枠を越え、性別年齢を問わずフリアの人々は武器を手にしアンヘイの脅威に立ち向かった」

「俺達、東黄人は立ち向かわれる側だろ」

「表面だけを見ればそう見えるだろう。だが実際はアンヘイの軍勢と戦う東黄人も多くいた。フリアに暮らす東黄人の全てがアンヘイ人ではなかったし、狂王の統治に不満を抱えるアンヘイ人も大勢いたからな。そして、人種どころか、種族を越えた共闘でもあった」

「種族を越えた?」

「そのパピーを考案し作り上げたのも人間ではない。パネピアのドワーフがそれを作ったのだ」

「ドワーフ?」

「お前は亜人(あじん)を見た事がないのか?」

「ねぇよ、そんなもの」

「そうか、ザナールの辺境では見る機会もないか」

「どうせ俺は田舎者さ。で、なんだよそのドワーフって奴は」

「亜人は人間と似ており、人間とは異なる種族だ。特にドワーフは亜人の中でも人間とよく似た方だろう。言葉を話すし、家も建てる。商売はするし、武器を持って戦う事もある。結婚もする、女は子供も生むし、皆年をとる」

「それじゃあまるっきり人間じゃねぇか」

「だが決定的に違うところもある。まず成人したドワーフでも背丈は子供ほどにしかならない。お前と同じぐらいだ」

「なんかそりゃあえらく弱そうな奴らなんだな、ドワーフって」

「話は最後まで聞け。背丈は子供ほどだが筋力は人間よりもはるかに大きい。多少鍛えた程度の人間じゃとても歯が立たない」

「チビの癖にムキムキってわけだ」

「そのうえ武器の扱いにも長けた戦士でもある。ドワーフ一人で人間の兵士十人に値すると言われるほどにな」

「で、そんな強い戦士様達がなんで女、子供の武器なんかを?」

「さきほど言ったはずだ、解放戦争では種族すらも越えてアンヘイと戦ったのだと。ドワーフ達は個体として見れば確かに強力な戦士だが、数は決して多くない。フリアの地にはいくつか彼らの村があるが、自身の国を持ってはいない。皆どこかしら人間社会に混じり込み生活しているのだ。だから彼らはドワーフというより、それぞれがそれぞれの国民としてあの戦争を戦った」

「この武器を作ったていうドワーフも」

「そうだ。ドワーフは戦士でもあるが、鍛冶仕事や大工、兵器、城造りまで、何かを作るというのが好きな職人気質でも有名でな。パピーも鍛冶職人の男が考案した機械弓だ。……ここパネピアは解放戦争で最も戦いの激しかった地でもある。多くの男は死に、女、子供すらも武器を手に戦わねばならなかった。そんな彼女らの為に同じパネピア人として一人のドワーフがこの武器を生み出したというわけだ」

「なるほどね。そりゃあご立派な話だが」


 パピーを自分の横に放るように置きファバは言う。


「悪いが俺はこんな物が欲しいんじゃない。あんたに剣を教えてもらいてぇんだ」

「駄目だ」

「なんで!! 俺はその為にあんたの旅についてきたんだ!!」

「物事には順序がある」

「順序? 俺は弓が使いたいんじゃねぇ、剣だ。あんたみたいに剣を使えるようになりたい」

「剣を教える前にやるべき事があると言っている」

「それがこの玩具だってのか!!」

「お前が玩具だと思うのは勝手だが、『私』から言わせれば、お前の持つ短剣の方がよほど玩具に見えるがな」

「な、なんだと」

「ファバよ。お前はその短剣を使って、どうやってその身を守るつもりだ」

「どうって……」

「その短剣で盗賊から狼から、そして恐ろしい魔物達からどうやってその身を守る」

「それは……」

「私は言ったはずだ、地獄を見る旅になると。遊びではない。その細腕と短剣だけでどうにかなると思っているのなら、その命も一月持つまい」

「……だったらこいつを、この弓を扱えるようになれば剣を教えてくれるってんだな?」

「それまで生きていられたらな」

「わかったよ。覚えればいいんだろ覚えれば、こいつの扱いを!!」

「使い方はまた明日教えてやる。が、その前に一つ忠告しておく。そのパピー、あまり人に見せるな」

「はっ? なんで」

「優れた機械弓は熟練の職人だけが作れる代物だ。とくにそれは名匠の特注品、魔石まで使われた超一級品だ。それ一つで小さな城が建つほどの価値がある」

「城? 冗談だろ?」

「『俺』がそんなつまらない冗談を言う人間に見えるのか?」

「いや……、まじかよ……、でもこんな小さな弓が……」

「ただの石ころを宝石と呼び大金を払うのに比べれば、良い武器に金を出す、なんてのは、よほど理解出来る話だろう」

「そりゃそうかもしれんけどよぉ」

「優れた機械弓を製造する難しさは個人の技術力だけの問題ではない。鍛冶や武器ギルドの連中は製造法を秘匿していて、秘密の法に触れられるのはギルドに所属する者でもごく一部。現物をばらして真似しようとする者も大勢いたが、そう上手くはいかないものだ。その為生産数に限りがあり、武器としても優秀だが収集家の間でも人気がある。何が楽しいか理解に苦しむがそういう人間が大枚をはたくから余計に値がつりあがるというわけだ」

「なんでそんなすげぇもんを俺なんかにくれるんだ。あんたにとって俺は……迷惑なだけの存在のはずだろ」


 当然の疑問だった。


「質問の答えは簡単だ。その弓が良い武器だからだ。それと確かに今のお前は俺にとって非常に鬱陶しいだけの存在だ」

「だからだったらなんで!!」

「だからだ。少しは自分で自分の尻ぐらい拭けるよう成長しろファバ。その為にその弓が最適だと考え、渡しただけの話だ」

「……俺が持ち逃げしたらどうするつもりだよ」


 その言葉に珍しくきょとんとした表情をするレグス。

 そして、彼は顔を伏せて笑い出した。

 そんな姿を見たのはファバが出会ってから初めての事だった。


 笑っている。

 あの冷めた、残酷な男が笑っている。


 ファバはレグスの予想外の姿に、どう反応していいかわからない。


「な、なんだよ。笑うような事かよ」


 戸惑うファバに笑い止んだレグスは言う。


「いや、そうだな。その時は俺の見る目がなかった。それだけの話だ。好きにしろ」

「好きにしろって……」

「そのままの意味だ。別にそれを持ってどこかに消えたいのならそうすればいい。俺としても邪魔者がいなくなるなら安い出費だ」

「なんだよ……、そこまでして厄介払いしたいのかよ。だったらなんで……、なんで騒ぎの時に俺を助けた」


 何かを期待したのか、それとも……。

 ロゼッタの言っていた事がふと頭をよぎる。


「勘違いするな」


 レグスの声はいつものように冷酷なものだった。


「『私』が助けたのはロゼッタとかいうギルドの女だ。お前はそのついでにすぎない」

「ついで……」

「そうだ、ついでだ」


 ふっと力が抜けた。背負っていたモノが消えたように。何かが軽くなった。


「そうかい、よくわかったよ……」


 ファバの内にあった感情的な荒波は静まり、代わりに無機質に近い何かが彼の体内をめぐる。


 この感覚には覚えがある。少年にとって久しく忘れていた感覚。

 バハーム砦でレグスに打ちのめされた時の自棄とは違う。冷静でいて心地良い空洞。


「わかったのならもう寝ておけ、明日は早いぞ」


 レグスの言葉に素直に従い寝台に入るファバ。

 そしてそのまま少年が眠りにつこうとした時、自然と乾いた笑いが漏れた。


 理由はわかっている。


 やがて夢の中へと沈んでいく彼の意識。何故だかそこにはロゼッタの姿があった。

 二人だけの世界で彼女が笑う。



 翌朝、赤帽子の施設内にある食堂で朝食をとるレグス達。

 食事の最中、誰かの気配がする度にファバはどこか忙しない。


「どうした」


 レグスの問いにも。


「いや、別に……」


 誤魔化すだけ。


「用があるなら済ませておけ」


 おおよその見当はレグスにもついている。


「は? なんだよ」

「お前の顔に書いてある」


 自分の全てを見透かしているというような男の態度は少年を不愉快な気分にさせた。


「勝手に決め付けんな」

「そうか、それならそれで良いんだがな。……食事が済んだらすぐに街をでるぞ」

「えっ、もうかよ」

「この街にこれ以上留まる理由もない。少しでも早くザネイラに向かう」

「けどよ、俺にこいつの使い方教えるってのはどうなるんだよ」


 ファバはローブの内に隠したパピーを軽く叩きながら言った。


「道中教えてやろう。どのみちお前が街中で使うには目立ちすぎる代物だ」

「盗まれるようなへまはしねぇよ」

「こそ泥だけが相手ならそうかもしれんな。だが、お前も山猫にいたのならよくわかっているだろう」


 殺してでも奪い取る。平気でそういう事が出来る連中が世の中にはわんさかいる。

 少年自身そういった人間の集まりに最近までいたのだ。理解出来ないはずがない。


「ちっ」


 不満があるのか舌打ちをするファバ。

 それからは不服そうながらも黙々と食事を済ませていく。


 朝食を食べ終わると二人はそのまま荷物を手に、受付のある広間までやってきた。

 まだ朝早いという事もあって人影はまばらで従業員も暇そうにしている。

 そんな中レグスは自分達を見つめる老人の方へと近付いていく。


「助力感謝する」

「感謝ね……。本当にそう思ってるなら早いとこ出て行ってくれると助かる。わかるだろ?」


 老人の正体、それは昨日レグスの交渉相手であったヤーコブという男だった。

 東黄人差別の激しいダナの街で、ギルドの人間でもない二人にうろつかれるのは揉め事のもとだと彼は言いたいらしい。

 実際昨日面倒事が起こったばかり、その懸念も当然といえた。


「そのつもりだ。このまま街を出る」

「そりゃいい。まぁ祈るだけならタダだ。旅の無事ぐらいは祈っておいてやろう。あんたには必要ないかもしれんがな」

「祈りもいいが聞いておきたい事がある」

「なんだ」

「ロゼッタとかいう女の姿が見えないが」


 レグスからその名がでた時、ファバはどきりとした。


「あいつに何か用かい」

「昨日いろいろと迷惑をかけたのでな。礼ぐらい言っておきたい」

「残念だが今いるのは泊まりと早番の奴だけだ。あいつは違う」


 ヤーコブの告げた事実に少年は内心がっかりする。


「そうか残念だ」

「まぁ時間も時間だ、いつも通りならそろそろ来てもおかしくないが、どうする?」


 ヤーコブの問いかけに一瞬ファバの方へ目をやるレグス。

 それに対して何か言おうとする少年であったが、その言葉は途中で詰まり出てくる事はない。

 夢の世界ではない現実。ここでは今だにつまらぬ物が彼の内にひっかかっている。


「いや、いいさ。あんたの方から伝えておいてくれ」

「ああ、わかったよ」

「行くぞ」


 赤帽子をあとにする時、少しだけ名残惜しそうにするファバであったがどうする事も出来やしない。

 そのまま二人は街を出る為に北門へと向かった。


 特に会話もなしに歩を進めるレグス達。

 ダナの街に来る道中では、頼んでもいないのにあれこれと喋り、レグスについて探りを入れていたファバだったが今は別人のように押し黙っている。

 このまましばらく気が重くなるような空気のまま二人は旅する事になるのだろうか。


 否、そうはならなかった。


「ちょっと!! ちょっと待って!!」


 二人の背後から女の声がした。それも聞き覚えのある声が。

 その声にファバは慌てて振り返る。


「よ、よかった。間に合って」


 そこにはよほど急いで走ってきたのか息を切らすロゼッタの姿があった。


「な、なんだよ」

「何って、見送りよ。まさかこんな朝早くに行っちゃうなんて思わないもの」

「別にいらねぇよ、そんなもん」

「もう、そういう事は言わないの。こういう時はね、素直に受け取っておくものよ。淑女の気持ちをね」


 そう言って笑顔を見せるロゼッタ。

 ファバは彼女の顔を気恥ずかしくてまともに見る事が出来ない。


「昨日迷惑をかけたうえにわざわざ見送りまでとは、すまないな」


 レグスの謝罪にロゼッタは首を振る。


「いえいえ、気になさらないで下さい。うちに所属する冒険者があなた方にご迷惑をおかけしたのです。むしろ謝るのは私達の方」


 申し訳なさそうに頭を下げる彼女を少年が止める。


「やめろよ!! 悪いのはあんたじゃない!!」


 つい大きな声をだしてしまいハッとするファバに、驚いた表情を見せるロゼッタ。


「あら、優しいのね」


 そして彼女はまた笑顔を見せた。


「そんなんじゃねぇよ」


 顔をそむける少年にロゼッタは近付く。


「な、なんだよ」

「これを渡そうと思って」


 彼女が取り出したのは濃い青色の水晶がついた簡素な首飾りだった。


「旅のお守りよ」

「お守りって……」

「ちゃんとご利益あるのよ。なにせ私のお爺さんから兄まで、親子三代に渡って受け継がれた由緒あるお守りなんだから」

「はぁ? そんな大切なもん受け取れねぇよ」

「いいから、受け取って。このお守りも街で暮らすだけの私なんかより、旅をする人に持っていてもらいたいと思ってるはずだわ」

「いや、だけど、親子三代って、家宝みたいなもんだろそれ。あんたの一存で決めていいのかよ」

「いいのよ。私しかいないから」


 ロゼッタが悲しそうに笑う。その意味を二人は察した。


「……それはそれで縁起の悪そうなお守りだな」


 下手な慰めよりもこんな言葉が出てきてしまうのは少年の性なのだろうか。


「失礼しちゃうわね。これはあくまで旅のお守りなの。旅からは三人とも無事に帰ってきたのよ」

「……でも大切なもんなんだろ?」

「ええ」

「だったら」

「だからよ。だからこそ、あなたに持っていてもらいたいの」

「なんで俺なんかに」

「心配だもの」


 この時になってようやくファバは自身の内につっかえていたモノの正体を知る。

 何故、あの時素直になれなかったのか。何故、言葉がでてこなかったのか。


 閉ざしていた扉から、押し止めていたはずの物が溢れ出す。


 それは臭いを放つ泥だ。

 必死になって隠し、目を背けてきた泥。


「……俺はあんたに心配されるほどの人間じゃない」


 少年の声は震えていた。


「ごめんなさい。でも別にあなたを子供扱いしようと思ってこれを渡すんじゃないのよ」


 ロゼッタはファバが機嫌を損ねて言ってるのだと勘違いした。


「違う、そうじゃない。俺は、……あんたに言わなきゃならない事がある」

「言わなきゃいけない事?」

「俺は、俺は……、俺はドルバンの山猫にいた」

「えっ」


 ドルバンの山猫の悪評はダナの街にも届いている。冒険者ギルドで働くロゼッタが知らぬはずはない。


「ひどい事はたくさんされたよ、だけど同じぐらいひどい事もたくさんやった」


 自分が盗賊に拾われた事、そこでもおもしろ半分に暴力を振るわれた事、自分がされた事は昨日の時点で話していた。

 だが、拾った盗賊というのが悪名高いドルバンの山猫である事、そこで自分が彼らの悪行にどのように加担していたかは話せなかった。


 怖かったのだ。彼女に真実を知られる事が。


 心優しい彼女に軽蔑される事が、何より怖かったのだ。

 ファバという人間を知れば間違いなく彼女は失望するだろう。その思いが昨日からずっと心の内にひっかかっていた。


「俺は、あんたに助けてもらえるほど立派な命なんて持っちゃいない。俺は、あんたに心配してもらえるほど立派な人間じゃない」


 耐えられなかった。人を欺く事がこれほど辛いものだとは今まで思いもしなかった。


「たくさんしてきたんだ……、あんたに嫌われるような事をたくさんしてきたんだ……」


 涙を堪えながら、少年は真実を吐き出す。

 もう彼女の顔をまともに見る事は出来ない。


 顔を伏せるファバ。その頬にそっとロゼッタの手が添えられる。


「こっちを向いて」


 彼女の声にファバが恐る恐る顔を上げる。そこにはロゼッタの悲しくも優しい瞳があった。


「きっとあなたはこれまでにたくさんの罪を犯したのでしょう……。でもねファバ、誰もがいろんな罪を背負って生きているのよ。私も、あなたもそれは同じなの。償いも確かに大切だわ、でももっと大切なのはこれから同じ過ちを繰り返さない事よ、人はそうやって成長していくの。あなたなら大丈夫よファバ」

「俺、俺は」

「それとあなたの事を嫌いになんてならないわ」

「どうして」

「言ったでしょう、人を好きになるのに理由なんていらないと。私はあなたの事が好きよ」


 たぶん、救いというものは神が与えるのではなく人が人に与えるものなのだろう。

 ロゼッタがファバに与えた物、それは間違いなく彼に対する救いであるに違いない。

 だが、その救いも、全てを解決するわけではない。

 結局これを活かすかどうかはファバ自身のこれからにかかっている。


 男は二人のやりとりにそんな事を考えていた。


「ファバ、お前はこの街に残れ」


 レグスの唐突な一言に、ファバとロゼッタの二人は驚く。


「もう理解出来たはずだ。必要なのは剣の力などではないと。彼女なら、お前に本当に必要な物を与えてくれるだろう。無論、お前も学ぶ努力をせねばならんだろうがな。餞別(せんべつ)はくれてやる。お前にやった弓、売れば一生食うには困らんだけの金になる」


 迷いがあるのかファバは何も言わない。


「俺が行くのは外道の旅、救いのない旅だ。今のお前にはもう必要のない世界だ」


 レグスの言葉に少年は覚悟を決める。


「いや、救いならもう貰ったよ。あんたについて来て、このダナに来たからこそ、ロゼッタと出会えた。感謝してる」


 その言葉に力がこもっていく。


「だからこそ、だからこそ今の俺には夢がある!! 強くなりたい。ずっと強く。そして世界を知りたいんだ、誰も見た事がないような世界を。俺はいつかこの街に帰ってくる、その時、堂々とロゼッタの友達だと街の奴らに言えるぐらいの男になりたいんだ!! 連れてってくれ、レグス!! 覚悟は出来てる!!」

「後悔するぞ」


 レグスが何を言おうがもうファバの考えは変わらない。

 彼の瞳がそう語っていた。


「同じ事さ。今ここであんたと別れたら、俺は一生自分の愚かさを許せなくなる。そんな生き方御免だね」


 少年のそれだけの覚悟を見てロゼッタは言う。


「ファバ……、止めても無駄ね」

「ああ、ありがとうロゼッタ。あんたにはほんとに感謝してる、けど俺は行くよ」

「ええ」


 優しく頷く彼女は手にした青水晶のお守りをファバの首へとかけた。


「どうか二人共、お気をつけて。旅の無事を女神フリアに祈っています」


 ロゼッタ。ダナの街に暮らす女。

 彼女の言葉と優しさに見送られて二人は次の目的地へと向かう。

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