セルトラ
普段は岩人の都に響こうはずもない鳥の鳴き声が洞窟の内に響き渡った時、ゴロム達は驚きと途惑いを覚えた。
聞き慣れぬ鳴き声に何が起こったのか、とっさには判断できなかったのである。
そんな彼らとは違い、この岩人の都に滞在する客人であり虜ともいえる男達だけは、音の先を見るまでもなく鷹が自らの帰還を告げたのだと理解していた。
「ライセンだ!!」
舞い戻る鷹の姿を見守る少年の表情は決して明るいだけではない。
壁の地より運んできた返答によっては多大な困難が待ち受けることになるやもしれぬからである。
他の者達も同じような表情を浮かべていたが、ただ一人、ジバの娘だけは様子が異なっていた。
相棒の鳴き声だけで彼女はその結果をも判断していたのだ。
「吉報だ」
「それじゃあ」
ファバの確認にカムが頷く。
その反応に周囲の男達も安堵したが、やはり実際にモノを確かめるまでは安心しきれないのだろう。どこか落ち着かない様子で彼らはライセンが降り立つのを見つめていた。
「おかえりライセン。……レグス」
戻ってきた相棒を労いカムは彼が運んできた書状をレグスへと手渡す。
黙ってそれを受け取り広げる男の背後からのぞき見るようにしてガドーが問うた。
「何て書いてある」
「岩雫は用意できるものだけでいい。そして鉱石は例年の倍、用意すると」
「おおう、太っ腹だねぇ」
近年の情勢を考えれば壁の民とて余裕があるわけではない。
例年の倍もの鉱石を用意するなど、簡単に決断できるものではないことは確かだ。
にも関わらずこれほど迅速に決定がなされたのは、他ならぬレグスに対する彼らからの敬意と信頼の証であった。
「当然だぜ。あいつら俺達がいなけりゃ今頃全員くたばってたんだからよ」
壁の民の好意をそう評するファバ。
その発言は未熟な少年らしい傲慢さと不遜さの表れでもあったが、誰が咎めるわけでもなかった。
それよりも、もたらされた吉報にセセリナとアレットは素直に喜び合っていた。
「ほらね。言ったでしょ大丈夫だって」
「うん」
「問題はこの書状の話をやつらがちゃんと信じるかどうか」
ディオンの冷静な指摘にレグスは淡々と言葉を返す。
「壁の王の印もある書状だ。これを疑うほどゴロム達も陰険ではあるまい」
「だといいんだがな」
一抹の不安が残る者もいたが、これを頼りにする以外に現状手立てはない。
彼らは鷹が届けた書状を手に岩人の王のもとへと向かった。
そうしてしばらくした後、青殿に座する巨岩の王は壁の王からの書状を配下の者に読み上げさせると、含みある笑顔を浮かべて言った。
「お前は口だけの奴らとは違うようだ。いいだろう。約束どおり魔女の森に通ずる道は開けてやろう。あの愚かな娘を連れて、さっさと森に向かうがいい」
レグスに向けられたその言葉は友好的とは言い難い調子ではあったが、約束が守られる事に一行は安堵した。
ただそんな中で、当人たる男は表情一つ変えることはない。
ひとまずの無事を喜ぶわけでもなく、レグスは巨岩の王を見返して告げる。
「そうさせてもらおう」
巨岩の体躯にまるで怯むことなく、彼は悠然とその場を後にしたのである。
ゴロムの王の正式な許しを得たレグス達は長居は無用とすぐに次の行動へと移る。
荷物をまとめ馬を引き、岩人の戦士に案内を受けながら岩の街より暗い洞窟内を抜けて、やがて彼らは鳴き谷の北側、木々が生い茂る森の中へと出た。
そこは魔女の教えを守り生きる者達が暮らすという『オルザの森』。
木々の合間より零れる太陽の光とゆるやかに吹く風が一行を迎えていた。
「やっぱ外だぜ、外!! 穴ぐらなんて人間様の住むような場所じゃねぇよ」
いくら涙光石が照らす美しき岩の街であろうと数日と洞窟内で過ごせば閉塞感を覚えずにはいられない。数日ぶりの外気に、その開放感を堪能しながらファバは嬉々として語る。
「でさ、なんか迎えがきてるかもっつう話だったけど、どこにいるんだよそんなの」
森の民とてアレットの失踪には気がついており、彼らは何もせずにただいたずらに少女の無事を祈っていたわけではない。洞窟に住まう隣人達に返還の交渉人を送り込んでおり、レグス達の試みが成れば無事に返すとの約束が両者の間に成されていたのである。
となれば洞窟の前で数日と見張る者達がいるはずであったのだが……、それらしい人影が見当たらない。
目に映るのは森の草木ばかりであった。
「話がつくなり出てきたからな。向こうも出迎えの準備ができちゃいないのさ」
ディオンのその言葉をレグスは即座に否定する。
「いや、そこまで来ている」
「はっ? どこだよ」
少年が真偽を確認しようと茂る草木にあらためて目を向けた、その時だった。
一角がガサリと揺れて、その合間より巨大な影が飛びしてきたのである。
「うおっ!!」
巨大な影はレグス達の目の前に着地する。
それは全身を長い体毛で覆われた巨大な猿だった。
そして通常の猿と異なり、何よりも特徴的であったのは一つ目であったということ。
壁の民と比べても一回り巨大であろう体躯の大猿に見下ろされて、ファバの手は自然と腰掛けた武器へ伸びていた。
が、それを向けるより早くアレットが声を弾ませて単眼の大猿へと駆け寄った。
「ザモ!! あなたが迎えにきてくれたのね!!」
魔女の教えに従い生きる森の民は人間だけではなかった。
矮人『ポーグル』や『エルフ』、それに単眼の大猿『イパ』などが森の民として人間と共に暮らしていたのである。
つまりアレットにザモと呼ばれた目の前の大猿こそが森の民の迎えというわけであった。
少女を巨大な手でかかえて、ザモはぎこちない青語で話しかける。
「アレット、ブジ。ザモ、ウレシイ。デモ、ケガシンパイ」
「大丈夫よ、このとおりなんともないわ。みんなが助けてくれたの」
アレットが向ける視線の先にはレグス達がいる。
森の同胞を助けた恩人となる彼らに対して、ザモは怪訝に目を細めた。
「オマエタチ、アレット、タスケタ。レイヲイウ」
「礼はいいからよ。お前達の村とやらにさっさと案内してくれないか。アレットの奴を助けた歓迎をしてくれんだろ?」
ガドーの要求に単眼の大猿は首を振る。
「ムラノバショ、ヒミツ。ワルイヤツ、ムラニハ、ハイレナイ」
「おいおいそりゃねぇだろ。アレット、お前からも言ってやってくれよ」
「ザモ、彼らは悪い人たちなんかじゃないわ。私が保証する」
ガドーの求めに応じて森の民の少女も説得してみるが、大猿の態度は変わらない。
「ザモ、キメレナイ。ソレハ、マジョサマ、キメルコト」
「魔女って……」
一行がザモの言葉に困惑していると。
「無事帰ったのですね、アレット」
森の奥より聞き覚えのない女の声が響いた。
一瞬にして場の注目がそちらへと向けられる。
そこには単眼の大猿イパ達と武器を携えたエルフ達を率いる異形の女の姿があった。
「魔女さま!!」
アレットが喜ぶように声をあげてザモの手から降り離れた。
そして彼女は小走りに集団へと近付いて、中でも目立つ異形の女の前に立つ。
「おかえりなさい、アレット」
「ごめんなさい……。私、言いつけを破って……」
「そうね、みんな心配していたわ。約束を破るのは良くないことだけど……、でも、今はあなたがこうして無事戻ってきたことが何よりの喜びです。本当におかえりなさい、アレット」
目を潤ませる少女の頬をなでる女のその姿は、我が子を愛しむ母親のようですらあった。
その振る舞いに、レグス達は彼女が邪悪な魔物とは一線を画す存在であることを理解する。
「マジョサマ、トウチャク、ハヤイ。モットジカン、カカルト、オモッタ」
同胞達の早い到着を意外そうに思い問うザモ。
彼の質問に魔女さまと呼ばれた異形の女は穏やかな口調で返事をする。
「ええ、占いで吉兆と出たものですから、もしやと思って……。ザモ、あなたもお疲れさまでした」
見張りを務めた大猿を労う女の姿を眺めながら、ディオンとガドーの二人が小声を立てる。
「あれが森の魔女……」
「どう見てもありゃ人間じゃねぇよな」
すらりと伸びた二本の手足に、膨らみのある胸を持つ胴。
遠目から見れば、人間の女と見紛うに近しい容姿をしていたが、これだけ近付くとそれはありえない。
白い樹皮のような肌。体毛と呼ぶより枝と呼ぶ方が自然に思える太いそれが複雑に絡まるようにして伸びている髪。
貝殻のように巻かれた耳は、人が持つものとは明らかに異なっている。
奇妙にして異形の女。
けれども男達はその姿に、魔物達を相手に感じるような禍々しい邪悪さと危険を覚えはしなかった。
彼女のそれは朝霧がうつろう森のような静謐さを思わせ、不思議な魅力に満ちており、彼らは姿が異なる者に対する強い嫌悪感よりも、むしろ神聖な気品と美しさをその外形に感じていたのである。
「まさか森の魔女が『ラカミィ』だったなんてね」
「ラカミィ?」
セセリナから発せられた聞き慣れぬ言葉にファバが問い返すと、彼女は他の者達の耳にも届くよう話してみせた。
「『高潔なる白きドライアド』とも呼ばれていた白妙の森の女神ラカの子。木人の中でも特に強い魔力を持っていた種族だったと伝わっているわ」
「ずいぶんとお詳しいのですね」
精霊の説明に魔女自身が反応する。
「私達の静かな森にこれだけ多くの方が一度にいらっしゃるなんてとても珍しいことです。それも精霊をお連れになられているとなれば余計にです」
「スティアのセセリナよ」
「スティア……。まぁ驚きました、まさか古き風の精をこの目にすることがあるなんて。でも、たしかに古き風の精ならば白妙の森のことを知っていても不思議ではありませんね。……しかし、古き風の精は遥か昔に私達とは異なる世界へ移ってしまったと聞いていましたのに」
「それはこっちの台詞よ。ラカミィは『クジャの災厄』によって白妙の森ごと滅んでしまったと私は聞いていたわ。まさか生き残りがいただなんて」
セセリナの言葉に白き木人の女は微笑を浮かべた。
「私はこうしてここにいます」
そして彼女は一行に対して自己紹介を始める。
「皆様初めまして。私はこの森の村の長を務めていますセルトラと申す者です。皆にはただ『魔女』と呼ばれています」
その挨拶に応じたのはガドーであった。
「俺達はミドルフリアから壁を越えてきた、まぁ旅の者ってやつだ」
「壁を越えて、ですか。話は聞いています、春先に多くの者が壁の王の許しを得て開拓の旅に立ったと」
「なら話が早い。俺達は今『テサル』に向かってる」
「テサルの街ならば丁度この森を抜けた先にありますが」
「そう。もとは鳴き谷から赤牙の荒野を抜ける計画だったんだが、そっち方面で戦が始まったって情報が入ってね。急遽予定を変更してこの森を通らしてもらおうってことになった」
男の言葉に森の民の何人かが顔をしかめた。
自分達の縄張りに許しもなく足を踏み入れ、通り道としようなど彼らからすればいい気はしない話だったのだ。
だがそんな反応にも構いなくガドーは話をつづける。
「それでそのついでと言っちゃなんだがゴロム達の洞窟で、あんたんところのアレットを助けてやることになったわけだ。恩に着せようってわけじゃないが、一宿一飯の礼ぐらい期待したってバチは当たらないと思うぜ」
「皆様がこの子の為に手を尽くしてくれたことは、私達も岩人より聞いております。無論、できるだけのお礼をしなくてはと考えておりました」
「おおっ、じゃあ!!」
「はい。私達の村で旅の疲れを少しでも癒していただければと思います」
「いやぁ助かるね。実はアレットにあんたんところの自慢の酒を飲ませてもらおうって話をしててさ。こんな長旅なもんでね。美味い酒にありつけるってだけで疲れなんて吹っ飛ぶってもんだ」
「まぁそれはそれは。この森で作っている林檎酒や蜂蜜酒でよろしければ、出来るだけの数を用意させましょう。味の方もご期待にそえるものであるといいのですが」
「そえるそえる。安心しな魔女さま、俺は大概の酒は美味いと言い切る男だからよ」
「それはよかったです」
微笑むセルトラに、それまで黙って話を聞いていたエルフの男がその背後へと近付き彼女に囁く。
それはエルフの言葉で成されていた。
「魔女様、本当にこの者達を村へ通すつもりで?」
エルフの囁きに白き木人の魔女は穏やかな表情を崩すことなく、レグス達のみならず己が連れてきた従者達にもよく聞こえるようわざと声量をあげて言った。
「同胞の恩人であるばかりか、古き精霊を連れる者達を無下に扱ったとなれば私達の品性が疑われましょう。では皆様、村に案内致しますのでどうか後についてきてください」
客人達を連れて自分達の村へ戻ろうと歩みだす魔女。
その後ろ姿を眺めながらファバが口を開く。
「えらく信頼されてんな」
それは傍に浮かぶセセリナに向けられたものだった。
「当然よ。人間なんかと違って私達はあっちこっちで悪さなんてしてないもの。精霊が自分達の村に現れたら丁重にもてなす、古来からのしきたりよ」
「丁重にもてなしたシルフ達に悪戯されたという話も各地に残っているみたいだがな」
得意気に言う精霊にカムが口を挟むと、彼女は少しムッとした様子で言い返した。
「あんな連中と一緒にしないでちょうだい」
同じ風の精霊でも『スティア』と『シルフ』は異なる種である。
気まぐれさと浅慮な悪戯心が目立つシルフ達と風の精霊で一括りにされて論じられるのは、セセリナからすれば不本意も甚だしい。
「そうだったな。悪かった」
失笑して謝る女に古き精霊は己が種の矜持を示すように断言する。
「そうよ、シルフなんかとじゃあ品格ってものが違うのよ」
一行はセルトラ達に案内されてオルザの森を進んだ。
森の中は春を迎えたとあってか、蕾を開いた草花や生命を感じさせる若々しい緑に色づく草木たちが多く見られた。ときおり木々の枝に留まる鳥の姿も見えて、その鳴き声は心地良く森に響いており、一帯には『魔女の森』という言葉から連想するおどろおどろしさとは程遠い景色がつづいた。
そうした春の森の光景に、一時ではあるがセセリナ達もここが魔境の地にあるということを忘れそうになっていた。
「結界のおかげね」
森の様子に感心するようにセセリナが言うと、セルトラが応えた。
「お気づきになられましたか」
「ええ、たいしたものね。これだけ広い結界を張るだなんて」
森へと足を踏み入れしばらくして感じた魔力の気配。
それが森を治める白き木人の魔法によるものだと古き精霊は早々に察知していたのだ。
ただ誰もが彼女と同じく気がつけたわけではない。
魔法の力に疎い者はセルトラの張った結界の存在に全く気づけずにいた。
「結界? 全然気がつかなかったぜ」
ガドーが周囲を見渡しながら言うと、ベルティーナは短く辛辣な批評を飛ばす。
「貴方が鈍すぎるのよ」
「いやっ、ほら、壁の地での戦いであったような、あんなすげぇ結界なら俺にもはっきりとわかったんですが……」
言い訳するように話す男に、精霊が結界の性質について講釈する。
「結界の種類が違うのよ。この結界は侵入者が無意識のうちに森の外へと足を向けるよう力が働いている。壁の民の城の結界を鉄の扉とすれば、これは入り組んだ迷路のようなもの。力の流れを意識して足を進めなければ正解の道には進めなくなっているのよ」
その説明にファバが疑問を口にする。
「けどそんな結界張ってるつうのに、アレットの話じゃこの森の中でゴブリンに追われたんだろ?」
「お恥ずかしい話ですが……」
そう切り出して少年の問いに答えたのは、森に結界を張った当人たる魔女であった。
「私が施す結界は未熟なもので、稀に魔物達の侵入を許してしまうのです。ですから、村の者達の力を借りて巡回の警備に当たらせているのですが、届く目にもどうしても限界がありまして」
「なるほど、それで運悪く警戒網を抜けた奴らにアレットが見つかってしまったってわけだ」
ディオンが相槌を打つとセルトラは少し暗い口調で言葉を続けた。
「私に祖母と同じような力があれば、皆に負担をかけることもなく危ない目に合わせなくてすむのでしょうが……」
「魔女さまは立派だわ!! いつも優しくて、みんなを守ってくれているのだもの!! みんな魔女さまに感謝しているわ」
「ありがとうアレット」
「魔女さま、あんたの祖母っていうと……」
予感めいたものを感じて問うたガドーに彼女は頷いた。
「ええ、……魔女オルザ。この森に名を冠した偉大な魔女です。そして彼女は恐らく、白妙の森に生まれ育った最後のラカミィであったでしょう」
「最後の……」
「クジャの災厄。ラカミィの故郷であった白妙の森を滅ぼした災いはそう呼ばれています。その災厄から生き残った祖母は同胞を探して、長らくの間世界を放浪したそうです。ですが、とうとう一人も見つけることのないまま、彼女はこの森へと流れ着いてしまった」
「そしてここが魔女オルザ、安住の地となった」
セルトラはディオンのその言葉に頷き、周囲のエルフとイパ達を一瞥しながら言った。
「ええ。彼女がこの森に流れてきた時、彼らの先祖は互いの縄張りをめぐっての争いが絶えなかったそうです。それを収めた祖母は長として、ここで暮らす者達を導くことになった。それが私達、森の民の始まりでもありました。やがて森の民として過ごす日々の中で彼女がそうであったように、森の外から流れ着く者達もいました」
彼女の言にアレットが反応する。
「私のご先祖さまだわ」
「そうね。祖母はそうして流れ着いた人間との間に子をなした。それが私の母です。そして母もまた人間との間に子をなしました」
「それがあんたってわけだ」
「はい。ですから私はこのような身なりをしていますが純粋なラカミィではないのです。祖母や母と比べても魔法の力はずっと弱く、寿命も短いものになるでしょう。もし私がいつか人の子との間に子をなしたのなら、それは余計に……」
魔女の話にディオンが気の毒そうに言う。
「村のことを考えると惚れた何だの前に、相手を選ぶ必要がある。結婚相手も好きに選べないか。不憫な話だが、家の都合だ何だと俺達の世界でもよくある話だ」
「ええ、ですが私の場合、むしろそうしたくとも出来ないのです」
「出来ない? まぁこんな森の中じゃ理想の相手はそうそう見つからないだろうが……」
「いいえ、そういう話ではないのです。残念ながらラカミィは種の特性として心から愛した者が相手でないと子をなすことが出来ないのです。私は純粋なラカミィではありませんが、その特性は受け継がれています」
「乙女が喜びそうな素敵な話だな。けど現実問題、厄介極まりない特性だ」
「はい」
頷く魔女にガドーが呑気に言った。
「なぁに愛情なんてのは後からついてくるもんさ」
「そうですね。人の場合はそういうこともあるとは聞いていますが、私の場合は……」
何かを言おうとしたセルトラだったが途中で言葉を止めてしまう。
「ごめんさい。皆様にこのような話をしても困らせるだけでしたね」
そして彼女は話題をもっと他愛のない雑談に切り換えてしまった。
それから森の中を歩くことしばらく、一行は前方に緩やか傾斜を発見する。
その傾斜を指して白き木人の魔女は言った。
「あの坂をのぼった先が、私達の村になります」
彼女の言葉通り、レグス達が森の緩やか傾斜をのぼった先に立つと途端に視界が開けて、それまでの景色ががらりと変化した。
人の気配を感じぬ自然豊かな深い森の木々の姿は消えて、切り開かれた平地に草地と畑が広がっている。
並ぶ家々はフリアの寒村に見られるようなボロ小屋ではなく非常にしっかりした作りの木造の建物であり、大都市のような壮観さに及びはしないが、それでも事前に抱いていた想像よりもずっと立派で規模の大きな村には違いない。
そのことにガドーとディオンは素直に驚いた。
「おおっ、どんな秘境かと思っていたがいい村そうじゃねぇか」
「ボロ小屋に押し込められる心配はしなくてすみそうだな」
当然ながら、村の方にも帰還した集団に気がつく者達がいる。
いくつかの人影が声をあげながら一行へと慌て駆け寄ってきた。
「アレットだ!! 魔女さまがアレットを連れて帰ってきた!!」
「すげぇ!! 変な奴らも連れてきてるぞ!!」
「妖精だ!!」
一番に駆けつけたの村の子供達であった。
年頃はファバとそう変わらぬ彼らはアレットの無事を喜び、見慣れぬ訪問者を興味深げに見つめていた。
そんな彼らに少しばかり遅れてアレットの両親もやってくる。
セルトラ達が娘を連れて戻るのを今か今かと待っていたであろう母親が数日ぶりに再会する我が子を見て、目に涙を浮かべながら言った。
「ああ、アレット!! お前はまったく馬鹿な子だよ、みんなに迷惑をかけて」
「ごめんなさい」
そうして母と娘が抱擁を交わす間に、傍らで父親が頭を下げる。
「魔女さま、ありがとうございます。こうして無事娘が帰ってこられるだなんて、何とお礼を言ったらいいか」
「私はただ洞窟の入り口まで彼女を迎えにいっただけ。礼は彼らに」
「こちらの人達は例の……」
「はい、西の地からはるばる大壁を越えて旅をなさっているそうです、今はテサルの街に向かう途中だと。彼らのおかげでアレットは無事に帰ってこれました。そのお礼をしなくてはなりません、私達の村で精一杯のもてなしを受けていただかなくては」
長たる者の言葉に男は大いに賛同する。
「はい、それはもちろん!! 私らにできることなら何だってさせてもらいます!! 旅人の皆様方、この度はうちのアレットを助けていただいて本当にありがとうございました」
「もてなしの方はせいぜい太っ腹に頼むぜ。美味いメシに美味い酒、そいつにありつけてこそ人助けをした甲斐があったってなもんだからよ」
ガドーがそんな事を口にするのを聞く横でアレットは己の母親に告げる。
「あのねお母さん、大切な話があるの」
そう言って彼女はザモの方へと近付く。
その単眼の大猿の腕には少女に代わって抱きかかえていた小さな岩人の姿があった。
彼からゴロムの子を受けとるとアレットは言った。
「カロンよ!! 私達の新しい家族になるの!!」
「カロンって……」
母親は途惑いの表情を浮かべた。
その名はアレットの妹が生まれた際に『もし弟が生まれたなら』と家族で決めていた名だったからだ。
しかも連れてきた岩人を唐突に新しい家族と言われても……。
彼女は娘が何を言い出しているのか、事情が理解できずに混乱していた。
「魔女さまもね、うちで面倒を見るのがいいって言ってくれたの。だからお母さん、お願い!!」
「ちょっとお待ちよアレット、母さん何がなんだか……」
混乱する母親よりも先に父親の方がある程度の事情を察する。
「ひょっとして魔女さま、この岩人は……」
「はい。ファローネの話にあったゴロムの子です。森に入った事を彼らの王に咎められて追放されることになったようで、私達の村で面倒を見ることに」
セルトラの言葉にアレットの両親は対応に困ったような顔をして見合わせた。
彼らにしてみれば目の前の岩人は娘が村はずれで魔物に追われることになった元凶ともいえ、アレットが無事に戻った今、それを荒立てて責めるつもりもなかったが、かといってその面倒を見ろと言われてもすっきりとは腑に落ちない。
複雑な表情を浮かべる両親にアレットは懇願した。
「ねぇいいでしょ? お父さん、お母さん。カロンはとてもいい子よ!!」
「しかし、岩人の子供なんていったいどう世話をすればいいのか」
「心配はいりません。彼ら岩人は砂と石を食べて生きる者達であり、石で出来た体は丈夫で病を知らぬともいいます。大きな負担にはならないでしょう。もし万が一何かあったとしても私達が力になります」
魔女の言葉に父親は観念するように大きく息を吐いて言った。
「そういうことなら……」
「やった!! よかったねカロン!!」
我が家に新しい家族を迎えられる事を、アレットは小さな岩人を抱きしめて頬をすりつけて喜んだ。
そうしていると……。
「おおっアレット無事だったかぁ」
「よかったよかった、さすが魔女さまだ」
「アレット!!」
場にはさらに多くの村人が集まり出す。
そして彼らもまた同胞の娘の無事を確認すると口々に礼を述べて、レグス達の身なりや精霊の姿を話題に好き勝手に話すのであった。
普段は外から人が訪れることもない森の奥深くに存在する村。
そんな場所で日頃過ごす者達にしてみれば、外からの珍しき客人の登場は村の祭事よりも騒ぎになろう出来事で。村の誰もが彼らがいったいどんな世界からやってきたのか興味を持っていたし、とくに好奇心の強い子供達なら尚更の事だった。
「ねぇ!! お兄さん!! 森の洞窟には大きな岩の怪物がいるってほんと!?」
「ゴロムの王のことか?」
利発そうな少年の問いにディオンが返答すれば。
「ドラゴン!! ドラゴンは見た!?」
「ドラゴンだぁ!?」
ガドーは快活そうな少女の突拍子もない質問に閉口していた。
そしてセセリナに至っては。
「妖精だ、ほんとに飛んでる!! 虫みたい!!」
「誰が虫よ!?」
子供ならではの遠慮のない表現で評されている。
その純朴な視線と好奇心にさらされる事に一行は多少の途惑いを覚えはしたが、疑いの視線や排他的な警戒心を向けられるよりは余程マシで悪い気まではしなかった。
そしてそうならずに済んだのは、長たる魔女に対する信頼やレグス達のアレットに対する行いあってのものであり、何よりエルフ、ポーグル、イパと人間、異なる種族と共に暮らす日常が当たり前に存在するこの村では人種の違いや種族の違いすら、たいした問題にはならなかったからだろう。
「お城!! 大きな石のお家は見たことある!?」
「海は!! 海は見たことある!?」
「こんなでっかい船があるってホント?」
放っておけば限のない質問を浴びせるであろう子供達。
だがいつまでも恩人として招いた者達にその相手をさせ、立ち話させるわけにもいかない。
「皆さん、彼らは大切なお客様です。まずは長旅の疲れを癒し、くつろいでもらわなくてはいけません。聞きたい事は山のようにあるでしょうけど、それはまたあとにしましょう」
セルトラは村の子供達の質問攻めを止めると、周囲の大人へ指示してレグス達が宿泊する為の部屋の準備を急がせた。
というのも、人の出入りが限られた秘境の森の中に宿というものが存在するはずもなかったからである。




