アレット
岩人の都にファバ達を残して、レグスはセセリナとゴロムの戦士ブーロンと共に侵入者があるという岩雫の採取場へと向かった。
採取場までは暗い洞窟内をまた進む事になる。
明かりの届かぬその道を行く中で、まるで恐れもなく目的地へと歩を進めていく人間の男の様子にブーロンが言う。
「用心せよ。私達と違ってお前達の体は脆い。あまり敵をなめると痛い目にあう事になるぞ」
「気遣いは無用だ。ゴブリン掃除は慣れている」
邪知深いゴブリンの群れは、暗闇下においてはとくに軽視できない危険な存在である。
だがそれは一般的な力量を持つ人間の話の場合であって、レグスほどの使い手ならば十ほどのゴブリンなど敵ではない。
さらに失敗の許されないこの仕事を果たす為に、彼は万全を期すよう星光露までも使用して事に当たっていた。
洞窟内を明々と見渡せる状態でゴブリンを相手に不覚を取るなど万が一にもありえない。
その確信が彼の歩調の速さに表れていたのだ。
無論、侵入者がゴブリンの集団だというのはゴロム達の見立てにすぎないのだが……。
しばらくして、ブーロンが立ち止まり岩肌の一点を指す。
「見ろ」
そこにはゴブリン達のものと思われる比較的新しい爪跡が見受けられた。
奴らがこの洞窟内に侵入してきたのは間違いないらしい。
ただそれだけでなく、レグスは他にも気になる痕跡を発見する。
「人の毛かしら」
拾い上げた一本の毛を見て精霊が言う。
その見立てにレグスも同意する。
「森の民か」
オルザの森に人間が住み着いているという情報はレグス達も事前に得て知っていた。
逃げる森の民を追ってゴブリン達が洞窟に侵入してきたというのは、十分に考えられる可能性であった。
そしてそうであるならば、あまりゆっくりとはしていられないだろう。
洞窟内でゴブリンに追われ、それを撒ききるのは簡単な事ではない。
過ぎた時間を思えば、すでに手遅れになってしまっていてもおかしくはなかった。
「急ぐぞ」
それまでよりもさらに足を速めながら、男は共に行動する岩人に問う。
「ここから先の分岐はどうなっている?」
「採取場までの長い一本道だ。すでに迷路は抜けている」
ブーロンのその言葉を聞いて。
――運が悪い。
レグスはそう思った。
逃げた人間の事を思えば、複雑な迷路と化していた方がゴブリンを撒ける可能性は上がっていただろう。
一本道では夜目の利く魔物達から逃げたところで追いつかれるのは時間の問題だった。
それでも死んだと決まったわけではない。
「悪いがブーロン、置いていくぞ」
そう告げると、セセリナが通訳し終えるよりも早くレグスは駆け出した。
慌てそれについていく精霊と置き去りにされる岩人の戦士。
空中を飛ぶ精霊と違い、レグスの足元は不安定な岩肌であるにも関わらず、その速度は疾風の如き軽快さであった。
そして一目散に駆ける男は広い空洞部へと差し掛かったところで急にその足を止める。
「どうしたのよ」
採取場まではまだ距離がある。
不思議に思い問うセセリナにレグスは言う。
「奴らだ」
粘りつくような殺気と視線。
視界に捉えずとも、死角に潜む魔物達の気配を彼はしっかりと感じ取っていた。
ゴブリン程度の相手なら精霊の力を借りるまでもない。
レグスはそう判断して、セセリナに採取場の様子を探るよう命じる。
「先にいけ」
「わかったわ」
今優先すべきは洞窟に逃げ込んできた人間の安全を確保することだった。
男の指示に従って精霊は採取場へと急ぐ。
そうして飛び続ける事しばらく、セセリナはゴロム達が管理する岩雫の採取場へと到着する。
――ここね。
採取場の中は天井が高くそれなりの広さを有していたが、人間ひとりを探し出すのにそれほどの手間はかかりそうになかった。
何故なら採取場には二筋の涙を流す巨大な黒岩と、岩から滴る雫を溜め込む為の貯水用の穴、それに溜まった水を汲み上げる道具などが見当たるぐらいで、死角がほとんど存在していなかったからだ。
――おかしいわね。
だが中を見渡しても人影らしきものは発見できない。
もし時遅く、逃げ込んできた者が魔物の餌食になってしまったのだとしても血痕などの痕跡は残るはずで、それすらも見当たらないのはおかしい。
一本道を通るうえで、それらの痕跡を見落とし通り過ぎてしまったとも思えない。
どこか岩肌の亀裂などに隠れてやり過ごしたというのだろうか……。
――まさか……。
悪い予感に慌てて貯水用の穴をセセリナは調べ始める。
すると、水深の浅い貯水槽の中に身動きしない人間の少女の姿を彼女は発見する。
――ひどい怪我。
少女は一目でわかるほどの大怪我を手足に負っていた。
ゴブリン達から逃げる為に狭い穴をなんとか降りようとしたものの、滑り落ちてしまったのだろう。
――息はしてるわね……。
少女の息吹を確認し安堵する精霊だったが状況は楽観視できるものではなかった。
手足に負った怪我こそ彼女の霊力での治療が可能だったものの、問題は岩雫の冷たい水に長時間浸っていた事による体温の低下にあった。
どうみても限界は近い。急いで少女を穴底から助け出す必要があった。
とはいえ、セセリナの力だけでは意識を失った少女を穴から引き上げる事はできない。
彼女は怪我の治療を行いながら念話でレグスに事態を知らせる。
――レグス、急いでこっちに来て。
――すでに向かっている。どうした。
――貯水用の穴の中で人間の女の子を見つけたのだけど、あまり状態が良くないの。大怪我をしてるうえに岩雫の水のせいで体が冷えきってて危ないのよ。
――わかった。すぐに行く。
二人が念話を交わしてから間もなく、レグスが採取場に到着する。
「セセリナ!!」
彼の声に反応してセセリナは急いで穴から飛び出して手を振る。
「ここよ、ここ」
彼女が示す穴へと近付き、その中を覗き見るレグス。
だが彼の目には人の姿など映らない。
「死角になっちゃってるのよ」
「壁は登れそうか?」
「中は半球状になってるわ、いくらあなたでも女の子を抱えてとなると、ちょっと厳しいかも」
「ブーロンを呼べ。俺が降りてヤツに引き上げさせる。少女一人分ぐらいの体重なら縄も持つだろう」
レグスの言う縄とは、採取場に備え付けられた道具に使用されていた縄の事だった。
それを使って少女を穴から引き上げようと彼は考えていたのだ。
「わかった、すぐに連れてくるわ」
セセリナはブーロンのもとへと急ぎ向かう。
無論、その間にもレグスは何もせずに待っているだけとはいかない。少女の為にも出来るだけの手は打っておく必要があった。
――これでいくか。
持ち合わせていた火光石の数を確認すると彼は身につけていた外套を地面に広げ、その一端を切り離した。
そして切れ端に火光石を全て包むと、火打ちして燃やしてしまう。
燃え上がる切れ端の中で火光石が反応する。
その反応を確認すると、レグスは光を放つ石を地面に広げた外套へと放り込んだ。
本来闇夜を照らす為に使用される火光石ではあるが、発光する石の温度は人肌程度には達する。
ある程度の数を揃え外套に包んでやれば簡易の暖房器具として機能したのだ。手段が限られたこの状況下、冷えきった少女の体を温める為の応急処置には使える。
その下準備を終えると、今度は身につけていたあらゆる物を地面に置き、レグスはできるだけ身軽となった。
そして汲み入れ用の道具に使用されていた縄の一端を岩雫の落ちる穴に放ると、彼もその中へと足をかけ、底へと降り立つ。
穴底にはセセリナの言葉通り、気を失った少女の姿があった。
青白く生気を失った顔色。だが息はしている。
――血は止まってるな。
怪我の具合を確かめるとレグスは少女を穴の真下へと移動させて、垂れ下がる縄へと彼女の体を結び付けた。
そうしてすぐにでも引き上げられるよう準備を終えると、彼は少女を抱きかかえたままブーロンの到着を待つ。
――セセリナ、引き上げの準備はできたぞ。あとどれぐらいかかる。
――もうそっちに着くわよ。
――ブーロンに縄を引き上げるよう伝えておけ。
――ええ。
念話を交わし、穴底にて冷えきった空気と水に当てられる事しばらく……、精霊が岩人の戦士を連れ戻る。
「連れてきたわよ」
「縄を引き上げろ。間違ってもぶつける事のないよう慎重にな。万が一途中で縄が持たずに切れたら俺が下で受け止める」
「わかったわ」
ブーロンもセセリナから状況の説明は受けており、引き上げ作業には滞りなく入る事ができた。
彼の膂力ならば少女の体一つぐらい楽に引き上げる事ができる。もし問題があるとすれば、長らく放置され痛んだ縄の方だろう。
岩人の戦士は少女を岩肌にぶつけないように注意しながら、その縄を慎重に引き上げていった。
「火光石入りの外套がそこにあるはずだ。それを使え」
少女が無事に引き上げられたのを確認すると、レグスはセセリナ達にそう指示した。
次に男はあらためて垂れてきた縄を利用し、岩肌を登り始める。
そして難なく穴底より脱すると早々に己の持ち物を回収した。
その姿を尻目に、精霊は意識の戻らぬ少女を心配そうに見つめる。
「無事目を覚ましてくれるといいのだけど……」
「ベルティーナの協力があれば、まず大丈夫なはずだ」
炎を扱う一流の魔術師であるなら直接体温を上昇させる術すら会得していてもおかしくはない。
少なくとも、彼女の協力を得られれば熱源の確保に困ることはない。
「となると彼女をこっちに連れてくるか、この子を向こうまで運ぶ必要があるわね」
「ここは空気が冷えきっている。それに森から魔物共が流れてくる可能性があるとなると置いていくわけにはいくまい。俺が運ぶ」
そう言って少女を抱える男にブーロンが問う。
「その娘を私達の都まで連れ帰るつもりか?」
「何か問題があるのか?」
「その娘にとっては。ゴロムと森の民との間には誓いがあるのだ。互いの住み家に無闇に足を踏み入れてはならないと」
「この子はゴブリンに追われていたのよ」
セセリナが少女の事情を訴えても、ブーロンは表情を変えない。
「ならばなおさらだ。私達の領域に魔物を連れ込むばかりか、あまつさえ岩雫の採取場を汚すなど。王が聞けばお怒りになる」
「どれほどの罰を受ける事になる」
「軽くはないだろう」
「それで、この娘はここに置いていけと言うのか?」
「いや、娘を連れて帰り、王の裁断を仰ぐ必要はある。ただ、お前達が魔女の森へと向かうつもりだというのなら、彼女を下手に庇い立てしない事だ。王の不興を買い、道を閉ざされれば、困るのはお前達のはず」
「親切な助言というわけか」
「そうだ」
「では親切なブーロン、一つ頼まれてはくれないか」
「いったい何を」
「見ての通り、この娘は少しばかり助けが必要だ」
「何が言いたい」
「少し時間が欲しい」
「時間?」
「王へ報告をあげるまでの時間だ」
「娘の事は黙っていろと」
「同行者の中に腕のいい魔術師がいる。その者が治療に当たれば間違いなくこの娘は助かる。治療が終わるまでの時間だ。そう長くはかからない」
レグスの話に唸り考え込むブーロン。彼はしばらく悩んだ後、結論を出す。
「いいだろう。だがそう長く待てはしないぞ」
「感謝する、偉大なゴロムの戦士よ」
岩人の戦士と約束を交わすと、レグスは少女を抱え来た道を引き返した。
そして、ある程度ゴロムの都へと近付いた時点で彼はセセリナにベルティーナを呼びにいかせて、その到着を待つ。
しばらくして、セセリナがベルティーナを連れてくる。
「レグス、貴方に子供を拾って集める趣味があったなんて知らなかったわ」
呼び出された魔術師の娘はその口を開くなり、からかうような言葉を発した。
彼女の視線の先にあるのはレグスと外套に包まれた見覚えなき少女の姿。もちろん事情は聞かされたうえでの発言だった。
「軽口をたたくのは後にしろ」
レグスの注意を鼻で笑いながら、ベルティーナは少女の状態を確認する。
外套と火光石を利用して応急処置を施したにも関わらず顔色は悪く、体温の戻りも鈍い。
たしかに自分の助けが必要な状況らしい。
「私がいたことに感謝するのね。すぐに終わるわ」
そう言って外套を解き少女の胸へと手をかざすとベルティーナは詠唱を始めた。
紡ぐその言葉と共に、彼女の手の平からは揺れる炎のような輝きが発せられ、それはゆっくりと少女の体へと落ちて広がっていった。
そして熱を帯びた輝きに包まれた体は次第に血の気を取り戻していく。
「さすがね」
その様子に感心する精霊の言にもベルティーナの反応は素っ気なかった。
「こんなものたいした術じゃないわ。ほら、もうこれでいいでしょ」
あらためて少女の血色を確認すると、彼女は肌けた外套を戻して立ち上がりレグスに問う。
「この子、オルザの森の子よね?」
「ああ、まず間違いない」
「そう、悪くない拾いモノね。森を通る時に使えるわ」
少女の恩人として森の民との接触をはかり、オルザの森を穏便に通過する。
そんな計算はレグスの頭の中にもある事だった。
「だが問題もある」
「問題?」
「ゴロムと森の民の間には互いの領域には足を踏み入れないとの誓約があるらしい」
「つまりこの子はその禁を破ったと」
「そうなる」
「それで? その取り決めを破った女の子にはどんな未来が待ってるのかしら」
「軽い罪ではないと聞かされている」
レグスの口調、表情から言外の意味をベルティーナは察する。
「死罪もあるってことね。それは困ったわね、どうするつもり?」
「考えはある」
「あの岩人間の口をさっさと封じてしまうとか?」
視線をブーロンへと向けながらベルティーナは平然と恐ろしい事を言い放った。
そんな彼女をレグスは無言で睨む。
「冗談よ。この子にそこまでの危険を冒すような価値はないわ」
セセリナがとても訳せぬような戯れ言は横において、レグスは現実的な対処法についてを語る。
「ゴロム達は壁の民と岩雫の交易を行っている。それを取引の材料にする」
「壁の王と話をつけて補償させようってわけ?」
「そうだ」
交易の条件をゴロム達にとって有利なものとする。
そんな取り決めをゴルゴーラに働きかけ成立させる事ができたなら、岩人の王の怒りもいくらかは静まるはずだろう。
ゴロムは貪欲で浅ましい種族ではないし、獰猛で残酷な種族でもない。
誠意と利得をしっかりと示す事が出来れば十分に話の通じる相手だとレグスは考えていた。
「話をするって言ったって、ここは鳴き谷の洞窟奥深くよ」
「ライセンなら数日あれば壁の地とは行き来できる」
「ああ」
カムの使役する鷹の存在を失念していたのか、得心したような表情を浮かべてからベルティーナは言う。
「それでももし、彼らの王が取引に応じなかった時はどうするつもり? まさかたかが子供ひとりのために力ずくなんて言い出さないでしょうね?」
「そこまでの危険を冒す価値はない。お前が先ほど言っていたことだ」
「わかってるならいいわ。だけど、貴方のそういう所はどうも信用できないの」
小馬鹿にするような笑みを浮かべるベルティーナ。
彼女は冷めた口調で言葉を続ける。
「誰かさんがつまらない憐憫を垂らしたせいで、馬鹿な巻き添えを被るってのだけは遠慮したいのよ」
「俺がそんな馬鹿に見えると言いたいのか?」
「さぁ。でもどこかの誰かさんは何の役に立つかもわからない連中をつれてらっしゃるから、つい心配してしまうの」
「不満があるならお前が外れればいいだけの話だ」
「ええ。場合によってはそうさせてもらうわ。とにかく、たかが子供ひとりの為に面倒は起こさないでちょうだい、救世主様」
そのように会話を交わしていると……。
「レグス!!」
唐突にセセリナが声をあげた。
二人が会話を中断して視線を向ければ、そこには外套に包まれてキョトンとこちらを見つめる少女の姿があった。
「大丈夫?」
セセリナが声をかけると少女はびっくりしたように反応して口を開く。
「妖精さん?」
彼女が口にしたのは青語だった。
「スティアのセセリナよ」
「スティアのセセリナ……」
スティアと言われても何の事だか理解していないであろう少女にレグスは言う。
「風の精霊だ」
「……風の妖精さんってことなんですか? すごい……、初めて見ました!!」
精霊は霊体から成る者と決まっているが、妖精という言葉にはそのような定義はない。
人から見て不可思議な存在を大雑把に指す時に使われている。
「森から来たのか?」
「あっ……、はい。魔物に追われて無我夢中で逃げててそれで……、絶対に洞窟には入ってはいけないと言われていたんですけど……」
事情を説明する少女の表情を窺うかぎり、後ろめたさはあるようだったが恐怖の色は薄い。
自分のしでかした事の重大さを、まだ子供に過ぎない彼女は理解出来ていないようだった。
「お前を追っていたのはゴブリンで間違いないな?」
レグスの確認に少女は頷く。
「はい」
「数は八体」
「たぶん……、それぐらいはいたと思います。あの、私を追っていた魔物は?」
「始末した」
「そうですか、よかった……。あの、助けていただいて本当にありがとうございました。みなさんの助けがなかったら私……」
ゴブリンの脅威から逃れた事に安堵し、レグス達に礼を告げる少女。
そんな彼女にセセリナが何かを思い出したかのように問う。
「そういえば足の方は大丈夫? いちおう怪我の治療はしておいたから問題なく動かせるとは思うのだけど」
「え……、あっ」
足の具合を確認しようと己を纏う外套の中を覗き見た少女は、そこでようやく自分がどのような格好しているかを知って顔を赤らめた。
「どう?」
「大丈夫……、だと思います」
「そう、よかった」
「あの、私の服は?」
恥ずかしそうに服の在り処を尋ねる少女に、セセリナはレグスを見た。
その視線を受けて、男は己の足もとに無造作に置かれていた服を黙って拾い上げると、それを投げ渡す。
「あ、ありがとうございます!!」
「まだ乾ききってないわよね、それ」
服の状態を確認すると精霊は話題を炎を操る魔術師の娘へと振った。
「ねぇベルティーナ。あなたの魔法で乾かしてあげてちょうだい」
彼女の頼みにベルティーナは眉をひそめる。
「冗談きついわ。人を何だと思っているのよ、私は貴方達の使用人じゃないのよ」
「何よ、時々やってたじゃない」
長旅の途中で雨に打たれるなど珍しい事ではない。そういった時にベルティーナは己の魔法で衣服を乾かしていた。
それを見ているセセリナとしては軽い気持ちでの頼み事だったのだが、気位の高い娘は乗り気にならないらしく、拒絶する。
「他人から命令されるのは好きじゃないの」
「命令なんてしてないでしょ。頼んでるだけじゃない」
二人の口論に慌てて少女が口を挟んだ。
「あ、あの!! 私はべつにこのままでも大丈夫ですから!!」
乾ききっていない服を身に付ける少女。
その姿を目にしながらセセリナは当て付けるように言う。
「かわいそうに。誰かさんが意地悪なせいで」
「馬鹿言わないで欲しいわね。誰のおかげでその子が助かったと思ってるのかしら」
つまらない事で空気を悪くする二人。
その間に入ってやるほどレグスもお人好しではない。
彼女らの事は一切無視して、彼は少女に質問する。
「一つ聞いておきたいことがある」
「はい、なんでしょうか?」
「お前はセセリナを見てひどく驚いていたが、ブーロンに対してはずいぶんと反応が薄かったな。何故だ」
「そういえばそうね。でもそれは仕方がないんじゃない? だって誰だって偉大な精霊の姿を目にしてしまったら、石人間の事なんて霞んじゃうものでしょ」
「お前は黙っていろ」
レグスの素っ気ない対応に不機嫌そうな表情を浮かべるセセリナ。
そんな精霊の様子も気にかけながら、少女は質問の答えを口にする。
「あの、ブーロンさん? にもびっくりしましたよ。こんなに大きな岩の妖精さんを見るのは初めてでしたから。でも、風の妖精さんは今まで一度も見たことがなくて、だから本当に驚いて……」
「大きな岩の妖精を見るのは初めてだった、つまり大きくはない岩の妖精なら以前にも見たことがあると」
「えっ、はい」
頷く少女を見て、レグスは僅かに笑みを浮かべた。
「詳しく話せ」
「もう十日以上前だったと思いますけど、村の大人達と木の実集めをしていたんです。いつもは村の近くからはそんなに遠くまでは行かないんですけど、その時は集まりが悪くて……、それで少しだけ奥に入ろうってことになって。私もファローネと一緒に……、あっ、ファローネは私と仲のいい年上のお姉さんなんですけど、彼女と一緒に行動してたんです」
記憶を辿りながら過去の出来事を語る少女にレグスは黙って耳を傾ける。
「それで彼女と木の実集めをしている時に見慣れない小さな生き物を見つけて……。最初はリスか何かかと思ったんですけど、よく見たら石の体をしていて。そんな生き物初めてみたから私びっくりしちゃって、そしたらファローネが教えてくれたんです。あれはゴロムっていう岩の妖精なんだって。私達村の子供達が絶対に近付いてはいけないって教えられてる洞窟の中で暮らしてるご近所さんなんだって」
「『森の中で小さなゴロムを見た』間違いないな?」
「はい」
彼女の語ることが事実なら、その岩人は森の民との間に交わした誓いを破ったことになる。
少女の身の安全を確保するに重要な点だ。レグスはより詳しい話を聞こうと尋ねる。
「その小さなゴロムに何か特徴はなかったか?」
「特徴ですか?」
「何でもいい。目立つ傷やら何かなかったか?」
「それは……、ごめんなさい。わかりません」
「そうか」
「でも、たぶんあの子の名前なら、私わかりますよ」
「森で見つけたというゴロムの名をか?」
思わぬ言葉にレグスがあらためて問い直すと、彼女はあっさりと頷き答える。
「はい。最初にあの子を見つけた時、私、声をかけようと思ったんですけどファローネに止められて……。昔、私達と岩の妖精達の間に大きな事件が起こって、それで出来るだけお互い関わりを持たないようにしたんだって。だから結局その日は木の実だけ集めて家に帰ってしまったんですけど、私あの子の事がやっぱり気になってて。それで、もしかしたらと思って翌日も同じ場所に行ってみたら……、やっぱりあの子がいて。勇気を出して声をかけてみたんです。そしたらあの子、最初はびっくりしてたみたいですけど私に興味を持ってくれたみたいで。お話しできたんです」
「言葉がわかったのか?」
「いいえ。でも私が自己紹介すると、あの子にも伝わったらしくて。『メットル』って言ってました」
少女が口にした名にブーロンが僅かに反応したのをレグスは見逃さない。
彼は証言がでまかせではない事を確信する。
「呼びかけるとちゃんと反応してくれてましたし、きっとあの子の名前で間違いないと思います」
「ひょっとしてお前がゴブリン達に追われたのは、そのメットルというゴロムに会おうとしての事か?」
「はい。毎日ではないですけど、あの子とはよく遊ぶようになってたので……。今日だってあの子に会うつもりで森の奥に入ったんですけど、途中で魔物にでくわしてしまって……」
「慌てて洞窟に逃げた」
「はい」
「メットルというゴロムが森にいた事を知るのはお前とファローネという女だけか?」
「はい、たぶん……。私、メットルとはファローネにも内緒で会ってましたから……」
己の行いに対する後ろめたさからか少女の表情が陰る。
すると、それまで長くなりゆきを黙って見守るだけであったブーロンが口を開いた。
「お前達、さっきからいったい何の話をしている?」
その問いをレグス達は正しく理解する事ができなかった。
何故ならセセリナが岩人の戦士の言葉を通訳しなかったからである。
「セセリナ」
レグスが呼びかけるが、精霊は口を噤んだまま顔を背けてしまう。
「何のつもりだ」
「何って、黙ってるのよ。あなたが『お前は黙ってろ』なんて言うから。通訳して欲しいなら『セセリナ様、どうか通訳してください』と言いなさい。そうしたらしてあげる」
「そうか」
「そうよ」
「セセリナ」
「なぁに?」
何かを期待するかのような顔つきで見つめる彼女にレグスは言う。
「馬鹿を言ってないで、さっさと訳せ」
「もう!! ほんと可愛げのない奴!!」
可愛げのない男に意地を張るのは諦めて、精霊は通訳を再開する。
岩人の言葉を人間へと伝え、人間の言葉を岩人へと伝える。
そうして彼女が少女の重大な証言をブーロンへと伝えた時、彼は激してレグス達を非難した。
「嘘を言え!! なんというでまかせだ!!」
同胞の者が身勝手に誓いを破るなど彼は信じたくなかった。
身の危険を感じた少女から出た嘘、そう思いたかったのである。
「ではメットルという名に覚えがないというのか?」
レグスの冷静な指摘に、ブーロンは何も言えない。
返す言葉に窮するその姿こそが答えを示していた。
「この娘の証言を疑うならば、まずはメットルという名の者から確認を取れ。お前達は人間を嘘つきで欲深いと非難するが、まさか保身の為に嘘をつくゴロムなどいやしまい。その者なら疑いようもない真実を語ってくれるはずだ」
挑発的にも聞こえるレグスの言葉にブローンは勢いよく洞窟の壁を叩いた。
「ここで待っていろ!!」
そして肩を怒らせるように歩きながら彼は場を後にする。
「あ、あの……、私、何かまずい事を?」
荒々しく去っていくゴロムの姿に、自分の証言に何か問題があったのではないかと不安を覚え尋ねる少女。
そんな彼女にレグスとセセリナは言う。
「いや、むしろ逆だ」
「これ以上とない証言だったわ」
しばらくして、ブーロンはレグス達のもとへ戻ると手にした丸い物体を乱暴に彼らの前へと投げつけた。
音を立てて転がったその物体は少女の目の前で止まり、むくりと起き上がる。
小さなゴロムだった。
「メットル!!」
見覚えある小さな岩人の姿に少女が声をあげると、岩人メットルも驚く。
「なんで!? なんで『アレット』がここに!?」
アレットとは少女の名であった。
どうして洞窟暮らしのメットルが森で暮らす者の名を知っているのか。
彼が発した最初の一言で答えが出たも同然だった。
怒気を含ませた口調でブーロンは問い詰める。
「メットル、お前は何故この娘のことを知っている」
「あっ、あのう、それは、あのう……」
言葉を詰まらせる同胞にブーロンはさらに怒気を強める。
「メットル!!」
響き渡る怒声にたまらず竦み上がり、小さな岩人は白状した。
「ごめんなさいブーロン、ごめんなさい!! 駄目だってわかってたけど……、けど、どうしても森に入ってみたくて!! でも少しだけ、少しだけだから!!」
「愚か者が!!」
ゴロムは嘘と裏切りを嫌う、人のそれよりもずっと激しくだ。
誓いを破り魔女の森へと足を踏み入れていたメットルの行いは、どう言い繕ったところで正当性を持ち得ない。
それは森の民どうこう以前に、同胞に対する裏切りに他ならなかった。
だからこそブーロンは激怒していた、目の前の同胞を叩き潰してしまいそうなほどに。
そして鬼気迫るその怒りに圧されてメットルはアレットの背中へと逃げ隠れてしまう。
「メットル……」
震える小さなゴロムを心配そうに見つめる少女。
二人の様子を一瞥しながらレグスは怒れる岩人の戦士に言った。
「ブーロン、この小さなゴロムは大切な証人だ。罰を与えるなら全てが済んでからにしてもらおう」
「私が嘘の証言をすると? 愚か者の罪をごまかす為に、この私が王を欺くとお前は言うのか!!」
「そうは言っていない。だがこの小さき岩人はお前達の王の前で真実を語らねばならないはず。それによってどのような罰が与えられるか、それもお前達の王が決める事だろう、違うか?」
レグスの言葉に怒りを抑えてブーロンは振舞う。
「いいだろう……。メットル、恥知らずの愚か者よ。心して証言するがいい。己がしでかしたことを、私達の王の前でな!!」




