忌み子Ⅱ
ザナール北部に隣接するパネピア国、この国は一度滅びを経験していた。
かつてアンヘイに君臨した狂王ヌエの軍勢によって、時のパネピア王の末子ただ一人を残し、王家の者達は全て惨殺されてしまう。
唯一アンヘイの魔の手から逃れた末子ナヘルが共に脱出した臣下の手で育てられ、故国の地に帰ってくる時まで、パネピア人達は自分達の国を失っていたのである。
ナヘルは反アンヘイのパネピア人をまとめ上げたパネピア解放戦線を結成し、狂王の支配に抵抗。後にフリア解放戦争を通して、正式にパネピアの王と認められ、独立に成功する。
これらの経緯もあり現在のパネピアはフリアにおいても東黄人差別が非常に強い国の一つとなっていた。
パネピア南部の街ダナも例外ではない。
ダナはもともと東黄人達が暮らす小さな街に過ぎなかった。
だがナヘルが王となりパネピア再建を目指す際、この街を各都市と結ぶ交通の要衝として発展させ、住民の九割もが青目系で占められるようになってしまう。
今では東黄系の住民は貧民区へと追いやられ、かつて東黄人の街だった面影はもはや消えようとしていた。
そんなダナの街にレグス達の姿はあった。
「すげぇ人だな」
石畳の大通りに人が溢れ、様々な店が建ち並ぶ。空いた場所では露天商が声を張り上げ人々の注意を惹こうと争う。活気に満ちた光景がここにはあった。
これだけの人の山を見るのは少年にとって生まれて初めての経験だった。
「パネピアで今一番勢いのある街だろう。……そして人の数だけ情報も集まるものだ」
レグスはまだギュスターヴ・アラスについて多くを知らない。
彼に近付く為には、そのきっかけを掴まなくてはならない。
ダナの街に、その為の情報をレグスは求めていた。
「どうするつもりさ、まさか手当たりしだいってわけじゃねぇよな」
「それも一つの手だが、まずは寄りたいところがある。お前の為にも寄る必要があるところだ、ファバ」
『ファバ』、名を持たぬ東黄人の少年にレグスが与えた名だった。
もとはユロアの古い物語にでてくる豆から生まれた賢人の名だと、レグスは名付けの時に言っていた。
「俺?」
「ああ」
「どこに行くつもりだよ」
「ついて来ればわかる」
「なんだよもったいぶりやがって……」
不満気なファバであるが黙って従うしかなかった。
あまり煩わしく思われても結局は自分が困る事になるのだ。無力な少年は今はまだレグスの旅に寄生しているに過ぎないのだから。
「ここだ」
二人がやってきたのは二階建ての石造りの建物の前であった。
建物の入り口の上部などには大きな看板が出ており、名らしきものがでかでかと書かれている。が、学のないファバにはその字が読めない。
恐らくユロア語、つまりはフリアの地で広く使われている青語で書かれているのであろうという事ぐらいは彼にもわかるのだが、それ以上の事は理解出来なかった。
「でけぇ!!、いったい何の店だ」
「店? 店とは少し違うな」
「え、じゃあ何の?」
「ギルドだ」
「ギルド?」
「共存共栄を目的とした人の集まりのようなものだ。ギルドと言ってもその種は様々あるが、俺達のような者が必要とするとなると限られる。……いわゆる冒険者ギルドというやつだ」
冒険者ギルドは大陸各地に存在し、ギルドに所属する冒険者の手助けを行う施設、集まりである。
もちろん無償ではない。
ギルドに所属する為に莫大な料金を取るところもあれば、施設を利用する度に料金を取るところもある。実力者のみを所属させる為に入会に試験や資格を必要とするところもあれば、宗教や思想に制限をかけるようなところも存在する。
レグス達が訪れたのは『クガの赤帽子』、通称赤帽子と呼ばれる冒険者ギルドのダナ支部であった。
「……へぇ、じゃあレグスは赤帽子の人間ってわけだ」
「いや、違う」
「はっ? だってここは赤帽子ってギルドの建物なんだろ?」
「そうだ」
「じゃあ何で? ……まさか今からここに入るつもりか?」
「それも違うな。俺はもう別のギルドに入っている。そのうえ掛け持ちはほとんどのギルドじゃ禁止だ」
「ますます駄目じゃねぇか」
「それがそうでもないのさ」
そう言ってレグスは建物の中へと入っていく。
「お、おい!!」
慌ててファバはそれについていく。
「うおっ、すげぇな」
中は広く、格調高い造りとなっていた。
品のある花や絵画で飾られ、大理石の彫刻までもが置かれている。一流の宿泊施設でもここまで見事なものはそうそう見れはしないだろう。
「さすがは赤帽子だな」
レグスが皮肉めいた口調で漏らした。
クガの赤帽子は主に東フリアを中心に拠点を置いており、フリアでも有数の規模を誇る冒険者ギルドである。
国籍や人種、宗教、思想といったものの制限はほとんどなく広く門戸を開いており、さらに冒険活動における支援の手厚さは素晴らしく、結果多くの冒険者を抱える事に成功していた。
人がギルドに財をもたらし、その財がさらなる人を呼ぶ好循環によって、これまで赤帽子はその規模を拡大してきており、一見無駄に見えるほど金の掛かりそうな建物の造りも、ギルドの財力を印象付けるという役割があるのだった。
「で、どうすんだよ。こんなとこ入って」
フードを頭に被ったまま汚れたローブを纏う大小二人の東黄人。旅を生業とする冒険者の格好など知れたものだが、それでもレグス達の格好はこのクガの赤帽子では目に付いてしまう事だろう。
中にいた人間達の視線が二人に集まる。
「なんだあれ」
「見ろよ、東黄人だ」
赤帽子の冒険者らしき者達が二人を見て何やら言っている。ある者はこそこそと、ある者はわざと聞こえるように。
人種の制限はない赤帽子ではあるが所属する人間の多くは青目系、さらにはここは東黄人差別の強いパネピア国ダナの街である。二人は歓迎されぬ存在に違いなかった。
「なぁ、レグス」
「相手にするな」
悪意ある視線に不安そうな少年にレグスはそう言い、堂々と歩を進める。
受付らしき場所には何人かの青目人が並んでいたのだが、彼はそこに並ぶのではなく右隅の誰も並んでいない場所、若い女の受付ではなく、気難しそうな老人が座るところに向かう。
「おい、あっちじゃ」
ファバが列に並ぶ青目人達の方を指して言うが、レグスは止まらない。
「俺達が用があるのはこっちだ」
目的の老人の前まで来ると、レグスは何か硬貨のような物を取り出しそれを老人の机に置く。
そして彼は言った。
「協約に基づき助力願いたい」
老人が顔を上げレグスの顔を見る。
「協約ね……。それじゃあ、メダルの確認させてもらうよ」
レグスの置いた物を手に取りながら老人が言った。
「こいつぁ……」
硬貨らしき物の正体、それは三匹の蛇が描かれたメダルだった。蛇にはそれぞれ片目に色の違う宝石が埋められており、彼らの回りには文字らしきものが彫られている。
「本物かい?」
このメダルが持つ意味に、老人の表情が変わる。
疑い、軽蔑、恐れ、一種の緊張感が老人に芽生えていた。
「疑うならいくらでも調べてもらって構わない。が、こっちも無駄な時間はかけたくはない。ご老体には賢明な判断を期待しているのだが」
レグスの言葉にはどこか棘があった。
老人が溜め息を一つつき言う。
「くそめんどくせぇ。……で、何が欲しいんだ」
「マフの雪ウサギの耳と巣が欲しい。それとマルガ狼の牙もな」
レグスの要求は言葉通りを意味しない。
耳は情報を、巣は寝床、牙は武器を意味する隠語であった。
老人の表情がより険しくなる。
「あんたこの国の法はわかってんだろ」
声を殺しながら老人が言った。
ナヘル王の命によりパネピアでは国籍を問わず、東黄人の武器の売買は禁止されていた。貧民層である東黄人達の不満は常に燻っており、彼らの反乱を警戒したわけである。
そのうえ、異国の東黄人がパネピアに滞在する際には指定の街で滞在許可証を発行する必要があり、武器売買の禁止についても当然その時に説明される事になる。
レグス達もパネピア入国時に訪れた最南端の街レザールで滞在許可証を発行された際にその説明は受けていた。
「だからこそ力を貸して欲しい」
「たっく、何でわざわざこの街で、……外に出りゃいくらでもその機会はあるだろ」
パネピア国外に出れば武器の売買など簡単に行える。ダナの街から国境までそう日にちはかからない。
老人の言う事にも一理はあった。
「そう言うな、こっちも至急の用だ。それにこの街だからこそ手に入る物もある」
「とにかくここじゃなんだ、奥の部屋で話そう」
老人は自身の背後にある扉を指差し言った。
あまり人に聞かれたくない話なのはレグスも同じだ。拒む理由はない。
「ああ、そうしてくれると助かる」
「ロゼッタ!! ちょっと席を外す、この客人と話があるんでな」
老人が受付の若い女に言う。
「は、はい。えっと、ヤーコブさん、どのくらい……」
女は話がどれだけかかりそうか聞きたいらしい。
「さぁな。時間の食う話でないと良いんだがな。なぁ、客人」
老人がレグスを見て言った。
「私もそう願っている」
レグスの返答は素っ気無い。
「とにかく頼んだぞ!!」
「はい、わかりました!!」
女にそう言い残し奥の部屋に引っ込む老人、部屋の扉を開ける際に客人を一瞥しついて来いと合図を送る。
「少し込み入った話になるかもしれん。お前はここで待っていろ」
レグスはファバに残るよう命じた。
「えっ、けど……」
青目人の冒険者達の方を見て少年は言う。一人残されるのが不安なのだろう。
「気にするな。この程度の事で恐れを抱いていては、これから先の旅、到底耐えれるものではないぞ」
「別にびびってなんかねぇよ!!」
「だったら堂々としていろ。それから常に頭は冷やしておけ、お前は少し軽率なところがあるからな。……もう一度言っておくぞ、つまらぬ奴らの事など気にするな。」
「なんだよ、揉め事起こすなってんだろ……」
「本当にわかっているなら良いんだがな」
「わかってるって!! はやく行けよ!! あのじじいが待ってんだろ!!」
不機嫌なファバを残し、レグスは奥の部屋へと消えていく。
そしてその扉が閉められると、この場に東黄人はファバだけとなった。
彼は青目人達に絡まれぬように部屋の隅へと移動し座り込む。
そんな東黄人に向けられた視線。少年の本能がその視線にざわつく。
何事もなければそれでよかった。
しかし、嫌な予感に限って当たるものなのだろう。
二人の青い目の冒険者が、一人残された少年のもとへ近付く。
――くそっ、こっち来やがった。
冒険者。
何も知らぬ子供達の中には身一つで危険な旅をする彼らに憧れる者もいるが、世間の彼らに対する一般的評価は、命知らずのならず者である。
実際ガラの悪い者も多く、国にいられなくなった犯罪者崩れも混じっている。
あまり関わり合いたくない種類の人間と言えるだろう。
そんな奴らがニヤつきながら近付いてくれば、たとえファバでなくとも警戒し嫌悪するに違いない。
「なんだよ。なにか用かい」
心のざわつきを隠しながら少年は男達に問う。
「くっくっく、こいつぁ驚いた」
「すげぇ顔だな。いったいどうなってんだそれ」
ファバの顔を見るなり二人が言った。そこには悪意しかありはしない。
「ああ、これか」
ファバは自身の顔を手で撫でながら言う。
「病気さ、ちょっと悪い病でね。おっさん達むやみに俺に近付かない方がいいぜ。俺みたいになりたくないのなら」
男達がぎょっとし後ずさる。
その様が滑稽だったのかファバは馬鹿にしたように笑った。
「ははっ、冗談だ。生まれつきさ。そうびびるなよ」
「てめぇ」
コケにされ腹を立てる男達。
「生意気な小僧だ」
「ちょっとむかつくなぁ、こいつ」
座り込んだファバの前に見下ろすような形で二人が立つ。
「立てよ、小僧」
「ちょっとお仕置きしてやらんとな」
「嫌だね。なんであんたらに命令されなきゃならねぇんだ。……ガキ一人に無理矢理絡んで、勝手に腹立てて、みっともねぇぜあんたら。用がないなら散れよ。鬱陶しい」
ファバの拒絶と挑発に男達の怒りが頂点に達する。
「てめぇ!!」
「立てこらぁ!!」
一人が怒鳴りながらファバの胸倉を掴み無理矢理立ち上がらせる。
そして強引に立たされ全く無防備となった少年の腹に。
「ぐっ!!」
男の拳がめり込む。
「おいっ、誰がみっともないだって」
拳の一撃にうずくまるファバの頭を足で押さえながら男は言った。
「ちょっと!! あなた達やめなさい、こんな場所で!!」
さすがにこれだけの事を起こせば周囲も気付く。他の冒険者や受付の女達が騒ぎだし、そのうちの一人、老人にロゼッタと呼ばれた女が男達を止めようと声を上げた。
「黙っときな姉ちゃん、こいつはちょっとした教育よ」
「大丈夫、大丈夫。これから先こいつが困らないようにちょっと躾けてやってるだけだから。無茶はしないって」
悪びれることなく言う男達にファバは反発を強める。
「何が教育だ!! てめぇみたいな頭の悪そうな面したおっさんに教わる事なんかねぇよ!!」
少年がそう叫んだ途端、彼の体が宙に浮き、吹っ飛ばされた。
男に蹴り飛ばされたのである。
「ちょっと!!」
女の悲鳴や、見物人達の戸惑いの声がする。
ロゼッタの制止を聞く耳など二人の冒険者は持っておらず、その悪意は今だ収まる様子はない。
「おい誰か止めろよ」
「あれやばいんじゃないか」
「でも、あいつらクレイグとジャコモだろ。俺は関わり合いたくないぜ」
どうやら二人は悪い意味で有名らしく、他の冒険者達は気後れしてしまっている。
彼らの援軍は期待出来ない。ファバは今、一人で戦うしかなった。
「くそったれが!!」
「なんだそのへなちょこ」
クレイグ達は殴りかかってくる少年の拳を簡単にかわし、反撃に一発食らわせる。
その繰り返し。
殴り合いでファバに勝ち目はない。
「ちっきしょう!!」
冷静さを失っていた。
いや、もとより彼はその事の意味を、深刻さを、理解できていなかった。
少年は叫び、己の持つ短剣に手をかけ、抜く。
剥き出しの刃が男達に向けられる。
「おいおい、小僧」
「まじか、お前」
空気が変わった。
どこか弛んでいた猥雑なものではなく、冷え切り緊張したものへと。
「冗談でしたじゃすまねぇぜ。そいつを抜いたって事はよう!!」
男達も剣を抜く。
「うっ」
目の前の現実、剣を手にする大人の男二人。
彼らの殺意は自分に向けられている。
それを本能が察知してやっと、ファバは今、自分が何をしてしまったのか理解したのだ。
後悔するにはもう遅い。
「止めなさい!!」
躊躇する少年とやる気満々の男二人の間に、ロゼッタが割り込む。
「何のつもりだ、姉ちゃんよお」
そこをどけと言外に圧力をかける男にも彼女は退かない。
「それはこっちの台詞よ。子供相手にそんな物だして。あなた達、恥ずかしくないの」
「おいおい、先に得物を抜いたのはそのガキだぜ。俺らは自分の身を守ろうとしてるだけだ」
「嘘おっしゃい。あなた達からこの子にちょっかいかけたんでしょうが。とにかく、そんな物早くしまって」
男達に剣を収めるよう要求するロゼッタ。
「これ以上無茶をするようならギルドとしてあなた達の処分を考えなきゃいけなくなるわ」
ギルドという言葉に男達の顔色が変わる。
「おいおい冗談きついぜ。ただの受付の姉ちゃんが俺達をどうこう出来るつもりか?」
「さぁどうかしら。それにここには大勢の目撃者がいるのよ。皆様方の声もギルドとして無視はできないでしょうね」
「こいつ……、ジャコモどうするよ」
「ちっ、女が調子に乗るなよ。理屈こねようが、先に得物だしたのは糞ガキの方だ。邪魔しようってんなら、かまう事はねぇ!! てめぇごと、ぶった斬ってやる!!」
頭に血が上っているジャコモ。
この行動には相棒のクレイグもさすがに驚き、制止の声をかけようとする。
「お、おい」
が、その声は彼の耳には届いていないらしい。
ジャコモが剣を高く振り上げる。
その光景に周囲の冒険者達はざわめき、ギルドの職員である女達は悲鳴を上げる。
ジャコモの剣を前にさすがに恐怖心に負けたのだろうかロゼッタは目をつぶってしまう。だが、それでも背後の少年を守ろうと彼女は一歩も動きはしなかった。
「死ね!!」
剣がロゼッタに向けて振り下ろされたその瞬間、何者かの黒い剣がジャコモの剣を撥ね上げた。
「なに!!」
この場にいる全ての者にとって予想外の展開だった。
「てめぇ、いつのまに」
ジャコモの前に立っていたのは奥の部屋に消えたはずのレグス。この騒ぎに話を中断して戻ってきていたらしい。
彼の姿を見て、ファバは安堵の表情を浮かべている。
「悪いな旦那方、どうやら私の連れが迷惑をかけたらしいが、何せまだ子供だ。しっかりと言いきかせおくので許してやってはくれまいか」
「ふざけんな!!」
レグスの頼みをジャコモが聞く様子はない。それどころか邪魔された事で余計に腹を立てたらしい。
「てめぇもそいつを抜いちまってんだ。覚悟してもらおうじゃねぇか、えぇっ!!」
鼻息荒く怒鳴るジャコモ、それを見てファバが動く。隠れていた女の背後から飛び出しレグスのもとへ近付くと彼は言った。
「レグス!! つまらねぇ遠慮してんじゃねぇ!! こんなクズども殺っちまえ!!」
少年の罵倒にクレイグとジャコモの我慢も限界を超える。
だが、彼らが怒りにまかせ斬りかからんとするその前に、ファバの体が飛んだ。
この場の多くの者がその光景に戸惑う。さきほどまで斬りかかる勢いであったクレイグとジャコモまでも唖然としている。
レグスがファバを思いっきり蹴り飛ばしたのである。
「ちょっと何考えて……」
そう言いかけたロゼッタをするどく睨みつけるレグス。
その迫力に彼女は続く言葉を失った。
蹴り飛ばされ壁に叩きつけられたファバは激痛と衝撃にのたうちまわる。
そんな彼にゆっくりと近寄るレグス。対立していたはずの二人の冒険者の方を気にする様子など微塵もない。
「な、なんで……」
声をしぼり出し、涙目でレグスを見るファバ。
彼の髪をわし掴みして頭を持ち上げ、レグスは言う。
「お前はいったいなんだ。どれだけ阿呆になれば、ヒトの忠告をそこまで簡単に無視出来るようになる。教えてくれないか、少年」
レグスの瞳には静かな怒りが宿っていた。
「ち、ちがう。あいつらの方から俺に絡んできたんだ。俺が悪いんじゃない」
ファバの言葉にレグスがクレイグ達の方を見る。
その瞳の迫力に、さきほどの光景で怒りの熱が一度冷めてしまった二人の冒険者は気圧されてしまう。
「な、なに言ってやがる。先に得物を抜いたのはてめぇだろうが糞ガキ!!」
クレイグのとっさの反論。
「それはお前達が喧嘩を売るから」
ファバもさらに反論しようとするがレグスはそれを許さない。
「よく聞けファバ。お前がその短剣を抜くって事は理由はどうあれ、それはもう単なる揉め事じゃすまない。殺し合いをするって事だ。今のお前にその覚悟があるのか?」
「そ、それは……」
少年は口ごもる。
「お前にその覚悟があるというなら好きにすればいい。だがな、私を当てにするな。私はお前の母親でもなければ父親でもない。阿呆一人を助ける義理など持ち合わせてはいない」
「別に当てにしてるわけじゃあ」
「だったら私の姿を見つけた時の、あの安堵した顔はなんだ? 女の背中に隠れて震えていたお前のどこに命を賭す覚悟があったというのだ。お前は言ったな、クズどもを殺してしまえと。……私が今一番殺してやりたいクズはお前だ、ファバ」
静かにも怒りの込められたレグスの口調に、ファバは唇を噛み黙るしかなかった。
「ちょっとあなた言いすぎよ!! 何もそこまで言わなくたって!!」
さすがに聞いていられないとばかりにロゼッタがレグスを注意する。
が、レグスには何の効果もない。
「部外者は黙っててもらえないか」
「なっ」
「旦那方も剣を収めてくれ」
体を張ってファバを守ろうとした女を部外者呼ばわりするレグスは、クレイグとジャコモにも納剣を促し事態の収束を図る。
「ちっ、仕方ねぇな」
「ふん、糞ガキ、その男に感謝しとけよ」
レグスとファバのやりとりもあってかもうこの場に殺るか殺られるかの空気は漂っていない。二人の殺気は完全に冷めていた。
それに彼らも修羅場をくぐってきた男達である。冒険者としての本能がレグスは危険な男だと告げていた。
「ご老体、悪いが先に部屋を用意してもらえないか」
もはやクレイグ達に戦う気がない事を確認したレグスは、この騒動に同じく奥の部屋から戻っていたヤーコブに自分達が泊まる為、そしてファバをこの場から移動させる為、部屋を用意するよう頼む。
「あ、ああ。ロゼッタ、二百八号室だ。連れてってやれ」
「わかりました。……大丈夫? ほら立って、部屋に案内するわ」
ロゼッタは少年にやさしく声をかけた。
彼女に連れられて暗い顔をしたままファバは二階へと向かう。
その途中、同僚の女達や一部の冒険者は勇敢なロゼッタにわあわあと称える言葉をかけていたが、ギルドの古株の反応は違った。
「ったく、あの馬鹿も無茶をする」
二人の姿を見送ったヤーコブは呆れながら頭を掻く。
その後、クレイグ達にはヤーコブからギルドとしていくつか注意が与えられたが、それ以上の処分は今回は見送られる事となった。
先に武器を手にしたのがファバであった事、死人がでていない事、そして何より、職員であるロゼッタに対する逆恨みをヤーコブは警戒せざるを得なかったのだ。
ガラの悪い人間を多く抱える冒険者ギルドならではの苦労が見える配慮だった。
そして。
「さて、それじゃあ話の続きといこうか」
一応の解決を済ました老人は中断していた話を再開させる為、レグスと共に再び奥の部屋へと消える。