接触
ガァガから三つの宝物を受け取ったレグス達。これらを役立てるのは壁を越えてからの話であり、その肝心の壁越えは旅に必要な物資の調達が済むまで待たねばならなかった。
ある者は鈍った体を慣らし、ある者は翻訳された資料にあらためて目を通し、ある者は弓と短剣の訓練に熱心に取り組む。
そうして思い思いに一行が過ごし、ようやく壁の民達による物資の調達が完了した頃。ひとりの人物がレグスのもとに現れる。
ロブエル達に雇われていたデリシャ人の男ディオン。
これまで城の中で互いを見かける事はあったが、言葉を交わすのはあの夜の戦い以来の事だった。
「壁越えは明日だそうだなゲッカ。……いやレグスだったか」
突如接触を図ってきた男を怪訝に思いながらレグスは冷たくその意図を問う。
「何か用か」
「礼の一つぐらい言っておこうと思ってな」
そう言ってディオンは金貨を一枚手にし宙に弾く。金貨は空中で回転しながら再び彼の手の平へと収まった。
その金貨を握り締めながら男は言う。
「恩赦の計らいのみならず、壁の王はわざわざたんまりと報奨金まで払ってくれたぜ。あんたの差し金だそうじゃないか、ずいぶんと人がいいな」
レグスとしてはこの事を恩に着せるつもりもないが、ことさら否定して隠し立てるつもりもない。
男の問いにレグスは単純に返答する。
「面倒事を避けようとしたまでの事だ」
「まぁ、そういう事にしておくさ。俺としてもこの金で愛する妻が救われるわけだからな、あり難くちょうだいしておくよ」
「話はそれだけか。なら俺は先を急ぐ」
「待てよ」
少々含みのある言い回しによからぬものを感じ取り、さっさと話を切り上げて場を去ろうとしたレグスをディオンは引き止めた。
「なぁレグスさんよ。……壁の先に俺を連れてく気はないか?」
何の意図があって彼がそんな事を問うのかはわからない。
だがレグスの答えは決まっている。
「ないな」
「おいおい即答かよ」
「これ以上足手まといを増やすつもりはない」
「言ってくれるねぇ。俺にだってこいつで食ってきた自負がある」
自身の剣を手の甲で叩いてディオンは訴える。
「ちびっ子の面倒ぐらいは見てやれるぜ」
「出発は明日だ。旅糧も人数分しか用意はしていない。余計な飛び入り参加は計画に支障をきたすだけだ」
「物の心配いらない。誰かさんのおかげで金には少しばかり余裕があるからな。その金で必要な馬も飯も壁の民から買い揃えられる」
「……何を考えている?」
ディオンという男は難病の妻を救う為に、命を賭して壁を越えようとしていた。
その気持ちが偽りであったとは思えない。
レグスの計らいによって薬の代金を確保出来た今、彼が壁を越える理由はない。
彼がすべき事、それは愛する妻のもとに一刻でも早く帰る事ではないのか。
だが男にはどうもその気がないらしい。
ディオンはレグスを真っ直ぐと見据えて言う。
「デリシャの男が他人様から恩を受けっぱなしってわけにはいかねぇよ。受けた恩には己の剣で報いないとな」
「余計な気遣いだ。それとも単にお前の自尊心の問題か?」
「さてね。どっちもって事にしておいちゃくれないかい」
はぐらかすように男は笑った。
「何であろうと答えは同じだ。俺達の旅にお前の席はない」
「そこをどうにか頼むぜ」
「くどい。答えは変わらないと言ったはずだ」
「レグスさんよ、大の男がこうして頭を下げてんだ。ちっとはそいつを汲んでやってくれないものかね」
「俺の知ったことじゃない」
これ以上話を続けても無駄だと、レグスはついに会話を切り上げて場を移動する。
それを男は黙って見送ったが、その内心まったく納得したわけではなかった。
「クソっ!!」
苛立ちを露わにディオンは地面を蹴った。
それから夜になっての事。
己の部屋へと戻ったディオンは静かに物思いにふけていた。
ここ最近、彼はずっとこんな調子だった。
何をするにもどこか上の空で、焦燥と苛立ちに駆られている。
そんな男の様子に、同部屋で過ごすツァニスとて気づかぬわけではない。
魔物の大軍勢と戦ったあの日からディオンはどこかおかしい。
そう気づいてはいたものの、あえて彼は何も言わずにいたのである。
二人の付き合いは長い。
良き友、良き戦友、そして時に恋人として信頼を重ねてきた彼らには押し付けがましい親切など必要ない。
悩みがあるにしてもそれをしつこく問いただすのではなく、自ら口にするまでただ黙って待てばいい。
それだけの信頼が二人の間にはあるのだとツァニスは信じていたのだ。
そしてこの夜、明日に備えてそろそろ眠ろうかという時になってディオンはついに己の内にあるモノを吐き出そうとしたのである。
「なぁ、ツァニス」
その一言でツァニスは理解した、その男が大きな決意を以って何かを話そうとしている事を。
「どうした」
「お前に頼みがある」
頷きもしないし、首を横に振る事もない。
ただ黙ってツァニスは次の言葉を待つ。
「……デリシャに帰ったら、エトナの奴に俺は死んだって伝えておいてくれないか」
ディオンが口にしたのは彼の妻の名だった。
愛する妻に自分は死んだと伝えろ、そんな事を言い出す理由がツァニスには皆目見当つかない。
「俺の聞き間違いか? 今何つったお前」
「ディオンは死んだって、エトナに伝えてくれ」
「何言ってんだ。酔ってんのか?」
わけがわからずツァニスは相手の顔をのぞく。
だがその男は素面そのものだった。どうやら本気で言ってるらしい。
「話が見えてこない。なんだ? エトナを驚かせようって算段か? 笑えねぇぞ、そんな冗談」
「今日、あいつに会って少し話をしたよ」
「あいつ?」
「黒い魔剣使い。壁の民達が救世主と騒ぐ男。奴に金貨の礼と、一つ頼み事をした」
「頼み事?」
「報奨金を払うよう壁の王に計らってくれた恩に報いる為、俺も壁の先に連れてってくれってな」
「はっ!? 何考えてる!! 馬鹿じゃないのかお前!!」
命を懸けてでも手に入れようとしたエトナの薬代、その金ならもう手に入った。
ロブエルとの契約も彼の恩赦が正式に決まれば、そこで完全に打ち切りだ。
それで自分達はデリシャに帰れる。帰らない理由がない。
なのに、ディオンはあの男に壁の先に連れて行ってくれるよう頼んだと言う。
その理解できない行動にツァニスは声を荒げる。
「壁の先って何だよ、俺達はこれからデリシャに帰るんだろうが!!」
ツァニスの言葉にディオンはただ黙っている。
その沈黙が示すのは否定の意に他ならなかった。
「ちょっと待てよ。金の事はたしかにでかい借りだが、だからってそこまで義理立てするような相手かよ。あの男だって俺達に恩を返してもらおうだなんて期待してねぇだろ!?」
「だろうな。……見事にフラれたよ」
「当たり前だ!! あの男の化け物染みた戦いっぷりはよく見てたろ。俺達とはモノが違う。壁の向こうについていったって単なる足手まといにしかならねぇよ。お前だってそれぐらいわかるだろ!?」
「ああ」
「だったらなんでそんな馬鹿みたいなことっ……!!」
咎めるように捲くし立てるツァニスに、自嘲の笑みを浮かべながらディオンは語る。
「オデゥーオスもヘカトールもいないって思ってた」
「はっ?」
「竜殺しの伝説に一つ目の巨人殺しの物語、ガキの頃はあんなにも夢中になってたのに、いつのまにか見向きもしなくなってた」
「何言ってんだよお前」
唐突に昔話を始める男の意図がツァニスには読めない。だが途惑う彼に構うことなくディオンは語り続ける。
「一端の大人を気取る頃には現実ってやつを知った気になってたから……。てめぇの小さい世界で決め付けちまってたんだ。オデゥーオスの伝説もヘカトールの物語もしょせん作りもので、俺はそういう夢物語とは一生無縁に生きていくんだってな。そうやってガキの頃に宿してたはずの火は完全に消えちまった。……そう思ってたよ」
どこか物悲しいその口調には焦りと後悔の念、そして行き場のない怒りが込められている。
「でも違った。そいつはずっと俺の中で燻り続けていたんだ。震えたよ。あいつが、あの男が、たった一人で炎の巨人と戦う様は、まさにガキの頃夢中になった英雄オデゥーオスそのものじゃねぇか」
言葉は熱を帯びていた。
それは、まやかしや冗談の類いではなく己の内から吐き出される本音の証だった。
「オデゥーオスはたしかに存在したんだ。それをいったい誰が否定できる。あの光景を目にして竜殺しの英雄オデゥーオスの存在を誰が否定できるよ」
伝説の英雄の名を繰り返し、その男は訴える。
「あの日、奴は俺達の目の前で証明してみせたのさ。俺達がガキの頃夢見た英雄達がたしかに存在したって事を」
「……だから何だってんだよ」
「俺は俺の中に燻り続けてきたこの火を消したくない。英雄達の伝説を尻目に知らぬ顔なんてもうできねぇんだ。……ツァニス、俺は、俺の胸の内にある灯火が照らす先に進みたい」
「それが、お前が壁を越える理由だってのかよ」
「ああ」
「馬鹿じゃないのか!?」
たしかにツァニスも剣を手に生きてきた男として、レグスという人間の見事な戦いっぷりには驚かされ、胸を打たれるモノがあった。
それは否定しない。
けれどもだからといって、その者の旅についていこうなど、分別を知らぬ夢見がちな馬鹿の言うことだ。
戦場もろくに知らない新入りの傭兵や兵士が馬鹿げた夢想を語るのと変わらない。
どう考えてもディオンのそれは、愚か者の戯言にしか聞こえなかった。
「そういう馬鹿げた夢を見る阿呆を、功に焦る馬鹿共を、せせら笑うのがディオンって男じゃなかったのかよ!!」
沈黙する男の表情が彼の意志を告げていた。
信じられない。信じたくない。
己が信頼してきた男が、頼りにしてきた男が、愛してきた男が、これほどまでに愚か者だったなんて。
「お前本気で言ってるのかよ、笑えねぇよマジで……。ガキの頃憧れた英雄と勝手に重ねて、わけもわからん男の旅についていくって!! じゃあ何か!? お前はオデゥーオスに付き従った従者フィリクスにでもなりたいって言うのか!?」
「……フィリクスか、悪くない」
「ふざけんじゃねぇ!!」
衝動をおさえられず拳をディオンの顔面へと振りぬくツァニス。
目の前の男を殴り飛ばし、彼は激する。
「いい歳した人間がガキみたいな寝言こいてんじゃねぇ!! そんなことの為にお前の帰りを待ってるエトナを放っておくって言うのかよ!!」
「……終わりたくねぇんだ。このままデリシャに帰って。平穏に生きて、爺になってくたばる。そんな終わり方、もう俺にはできねぇんだ」
「英雄なんて馬鹿がなるもんだって、てめぇが日頃から言ってた事だろうが!!」
「俺は俺自身が思ってたより、ずっと馬鹿だったみたいだ」
「てめぇ、まじでどうかしてるぞ。ここまでの大馬鹿野郎だったとは……。エトナに言えるのよ。お前の帰りをずっと待ってるあいつに、そんなクソみたいな言い分、言えるのかよ!!」
ディオンの胸倉を掴みながらツァニスは言う。
「伝えねぇからな。エトナにはお前が死んだなんて絶対伝えねぇよ。ディオン、てめぇがどうしても壁の先に行くってんなら、俺はあいつに言うぜ。ディオンって男は家族を見捨てて自分勝手に壁を越えるようなデリシャ一最低のクソ野郎だってな。それでいいっていうのかよ!!」
「……ああ」
「てめぇ!! ここで俺がぶっ殺してやる!!」
怒りのままに散々とディオンを殴りつけるツァニス。
殴られる男は全くの無抵抗で反撃してこない。
やがて、ただ殴られるままのディオンを前にして自然とツァニスの振り下ろす拳が止まる。
「ふざんけんなよ、マジで……」
震えるその声には彼の怒りと悲しみが込められていた。
ツァニスにはわからない。
何をどう考えたら、あの心優しいエトナを放っていくなんて選択ができるのだ。
自分の帰りを健気に待つ彼女を見捨てるような真似がどうしてできるのだ。
そんな振る舞い、まるで自分達がずっと軽蔑してきた典型的なデリシャの男達そのものではないか。
悔しくて涙が出てくる。
情けなくて涙が出てくる。
ディオンという男も結局、その程度のクソ野郎だったというのか。
「……頭冷やせよ。そしたら自分がどれだけ馬鹿言ってるか、よくわかるだろうよ」
そう口にしたもののツァニスにはわかっている、目の前の男の決意が変わることがない事を。
彼は次の朝旅立つだろう。
愛する妻よりも、支えあってきた友よりも、失ったはずだった童心にともる小さな炎を絶やさぬ為に、彼は壁の先へと行くのだ。
翌朝、ついにレグス達が壁を越えるというその当日。
地平線の彼方より太陽がわずかに顔を出す頃に、ディオンは早々と己の寝台から起き上がった。
そして彼は荷を手にし、傍にいる男には何も言わずそのまま部屋を出ようとする。
その気配にツァニスは気がついていた。
彼はベッドの上に横たわり顔を背けたまま、去り行く男へと告げる。
「万が一にでもデリシャに生きて帰るような事があったら、俺がお前を殺してやる」
静かに怒りが込められたその言葉に、ディオンは一瞬の間を置いて答えた。
「ああ」
そのわずかなやりとりが別れの言葉となる。
男はそのまま振り返りもせず部屋を後にして外へと向かった。
結局こうなることは昨日の内にわかっていた事だ。
それでも、ツァニスの胸中は穏やかではいられない。
「っざけんなよ、クソ野郎が!!」
ひとり部屋に残された男は手近にあった物を扉へと投げつけて叫んだ。
長らく行動を共にし続けた親友と別れたディオン。
彼はまず壁の民から事前に買い取っていた馬を連れ出そうと厩舎へ寄った。
そして自らの馬に用意しておいた荷を取り付け終えると、すぐに大門の方へと向かう。
そこで待てばレグス達と必ず接触できるはず。
昨日と同様、いい顔をされないであろう事は重々承知のうえでの行動だった。
ディオンが大門の前に着いた時、まだ早朝とあってか周囲に人影は少なかった。
されどそのまばらな人影の中に見覚えのある姿も発見する。
自分と同じように荷を背負わせた馬を連れている見慣れたハゲ頭の男、ガドーだ。
彼はディオンの腫らした顔を見るなり言う。
「うおっ、ひでぇ面だな。どうした」
「まぁちょっとな」
「ツァニスのやつと喧嘩でもしたか」
「まぁな……。それよりガドー、なんでお前がここにいるんだ」
ディオンの質問に男は答えない。
「それはこっちの台詞だぜ、ディオンさんよお」
二人の間に漂うしばらくの間の沈黙。
やがて彼らは互いに小気味よく笑って言葉を口にする。
「考える事は同じか」
「おうよ。この好機を逃す手はねぇぜ」
この男もまた無謀にも壁の先を目指す事にしたディオンの同類だった。




