目覚め
数奇なる運命の為せる業か。
古き炎の神に敗れた男は、あるいはその運命的な呪縛より逃れる唯一の機会ともする死の間際において、それを得るを許されず。星読みを自称する小男に身を救われた。
それから彼は激戦繰り広げられた巨大な城の比較的損傷の少ない部屋へ運ばれると、そこで一度も目を覚ます事なく眠り続けた。
それほど深き傷を、その男レグスは精神と肉体に負っていたのである。
その傷はたとえ精霊の力があったとしても容易に回復するようなものではなかった。
やがて幾日と過ぎて、戦いを生き残った者達がそれぞれの時を過ごす中、レグスはようやく意識を取り戻した。
その時、見知った精霊の姿だけが彼の傍らにあった。
眼を開いた男の顔を見て、安堵するように、呆れるように、一つため息を吐いて青き精霊の少女は言う。
「気が付いたのね」
そうして部屋の片隅に置かれた水差しを手に取ると、彼女はそれをレグスの口の前へと持っていった。
「さぁ、ゆっくりと飲んでちょうだい」
差し出された水差しより舐めるようにして飲もうとするが、久方ぶりの水分に体が驚いたのかゴホゴホとレグスは咳き込む。
それでも彼は渇き切った体を潤す為に無理矢理にでもその水を口に含み続けた。
そしてある程度の水分を補給すると力無くも落ち着いた口調でセセリナに尋ねる。
「ファバ達はどうなった。あいつらは無事か?」
それが第一声だった。
それが何よりも彼の知りたかった事。
「ええ、二人とも無事よ。今は夜風に当たりに外へ出てるけど、しばらくしたら戻ってくるでしょう。あなたが眠っている間、二人ともすごく心配していたわ」
その言葉を聞いても、男は表面上確たる反応を見せずにいた。
それどころか早々に話題を切り替えるようにして彼は問いかける。
「それで、ここは?」
「お城の一室よ。街の方はここ以上にひどい有り様だったうえに、死にかけている人間を遠くに運ぶわけにもいかなくて、適当に一室用意してもらったの」
「俺はどれぐらい眠っていた」
「あなたが意識を失ってから日が七度昇り、七度沈んだわ」
「一週間も……。ずいぶん時間を無駄にしたものだ」
「無駄? 今のあなたに何よりも必要な時間よ」
そう言って咎めるようにセセリナはレグスに言い聞かせる。
「自分の体の事は自分自身がよくわかっているはず。まともに動けるようになるのにもう二、三週間はかかるわよ」
レグスはあの戦いにおいて、常人には扱う事すら危険な邪剣の力を一日の内に幾度と使用した。
それだけでも尋常ではない負担が体に掛かるうえ、あの死闘の連続だ。
痛んだ彼の肉体は休息の時を必要としていたのである。
「お前の力でどうにか出来ないのか?」
「馬鹿言わないで。そうやって無理を重ねてきた結果がこれでしょ。しばらくは安静にしてなさい」
「悠長にしていればその分冬が近付く」
「だからといってここで無理をしてどうするの。春だろうが夏だろうが、道中での戦いは避けられないわ。休めるうちに休んでおくのも必要な事、そうでしょ? それにどのみち灰の地での冬越えは避けられない」
古い記憶を頼りとするが、目的地である精霊の国への扉が存在するという場所までのおおよその行路をセセリナは把握している。
彼女の記憶が正しければ万事順調にいったとしても、とても次の冬までに辿り着くような距離にはない。
ましてや往くは魔物、蛮人が跋扈する地である。年を何度か越える長旅をも覚悟せねばならなかった。
その事を思えば、一カ月やそこらの遅れなど誤差のようなもの。
彼女の言い分に納得したのか。それともこれ以上の説得は無理だと悟ったのか。
つかのま黙した後、男は話題をさらに別のものへと切り替える。
「……それで、イファートはどうなった。あの怒れる炎の巨神をどうやって止めた。まさか力ずくというわけにもいくまい」
魔剣の力を利用しても討てなかった相手だ、その強力さをレグスは身を以って理解している。
「召喚者である娘が目覚めて送り帰したそうよ」
「ベルティーナか……。古き神の召喚とは、あの女もまったくとんでもない事をしでかすものだ。まさかあれだけの力を有していたとはな。奴の不興を買うような真似は控えるべきだったか」
「そう心配する事もないんじゃないかしら。今度の戦いでの彼女達の働きは大きかったわ。壁の民達も恩赦する方向で動いてるようだから、そうなればあの娘としても私達に構う理由もないでしょ」
「さぁどうかな。ずいぶんと高慢な女だからな。勝手をした人間を許せない、その私情の一心で害意を持ち続けても驚かん」
「考えすぎよ。こんなところで騒動を起こせば、せっかくの恩赦も台無しよ。そんな馬鹿な真似、いくら彼女だってしやしないわよ」
ベルティーナにとって優先すべきはロブエル・ローガの身の安全だ。
いくらあれだけの力に目覚めたといっても、まだ十分にその力を扱えきれてるとは言い難く、騒動を起こして壁の民と再度揉めれば、己の身だけならともかく主の無事を保障出来ないだろう。
そのような状況で彼女が自分達をどうこうするとは精霊には思えない。
「それにレグス。今はあの娘よりも、別の厄介事を心配する必要があるかもしれないわ」
含みある物言いにレグスは訝しげに目を細める。
「あなたが助けた壁の民がいたでしょ?」
「マルフスの事か」
「ええ。彼が処刑されそうになってた時、言っていた事を覚えてる?」
「ああ、おおよその事ならな」
「星々の王。それが見つかったと大騒ぎしているわ」
「星々の王……」
「なんでも、星に選ばれた救世主だそうよ。黒き予言に語られた大いなる破滅より人々を救う者だって」
彼女の話を聞いてレグスが真っ先に思い浮かべた人物はベルティーナであった。
絶望的な戦況をひっくり返し、勝利を決定付けたのは他ならぬ彼女である。
星の預言に語られる危機が訪れるとすれば、神をも従えたあの力ほど頼もしく思えるモノもないだろう。
しかし、それではセセリナの前言と辻褄が合わない。
単なる言葉のあやのせいという可能性もあるが……。
「それが俺達に何の関係がある」
疑問に思いながらレグスは目の前の精霊へと尋ねる。
すると彼女は大きく息を吐き出すと、彼の顔を真っ直ぐと見つめて言った。
「マルフスの言う救世主様ってのが、あなただからよ、レグス」
「馬鹿馬鹿しい。ペテンにも使えぬ戯れ言だな」
セセリナの言葉をレグスは鼻で笑うが、彼女の表情は真剣そのものであった。
「あなたがそう思っていても、他の人間は違うわ。壁の地に住まう者にとってマルフスの言葉はいまや戯れ言で片付けられるものではないのよ」
眷属の異なる魔物達が手を組み壁を襲撃するなど常識では考えられない異例の事態である。
予言されし時代の凶兆であると、壁の民は不安を覚えずにはいられないのだ。
そしてまさしくそれを訴え続けてきた男の言葉を、彼らはこれ以上無視出来ない。
星々の王なのか、そうではないのか。
本当にそうだとしていったいどうすべきなのか。
レグスが眠り続けていた間にも、その扱いをめぐって王と元老院は討論を積み重ねていた。
「お前はどう考えている」
「私は占い師や預言者じゃない。未来の事などはっきりとわかりはしないけど、全てがただの偶然などとは思えない」
「奴が本物の星読みだと?」
「わからない。けれども、もしもそうならその言葉を無視するわけにもいかないわ」
真剣に訴えるセセリナに、レグスはうんざりとした表情を浮かべてため息をついた。
「だけどこれはあなたにとって悪い事ばかりではないはずよ」
「どういう意味だ」
「あなたが立ち向かおうとしているモノはあまりに強大な敵。彼ら壁の民の力はきっと大きな助けとなってくれるはずよ。それだけではない。この地にとどまらず、その影響力はどんどんと広がっていく」
「救世主という立場を利用しろと?」
「言い方は悪いけれどもね。それにあなただって世界の破滅など見たくはないでしょ?」
精霊のその問いに、間を置いて男は答える。
「世界を救いたい。そんな殊勝な心掛けを持てるのなら今すぐ首を吊って死ねばいい。俺は魔人の器だ。世界に破滅をもたらす、その危険を承知し生き長らえ続けている」
「だけどそれは……」
「だけどそれでいい。『奴』を抹殺する。ただその為だけに俺は剣を振るう」
己の内に宿る衝動を確かめ、噛み締めるようにしながらレグスは断言する。
「これは俺の戦いだ、セセリナ。世界の為だとか、誰かを救いたいだとか。そんなもので飾り立てるような真似はしたくはねぇのさ」
古き精霊は男の揺るがぬ覚悟に、次に掛けるべき言葉を失った。
されど驚きはなかった。彼女とて端からわかっていたのだ。
恐らくは、レグスという男はそのような事を言うであろうと。
そしてどれほど他の言葉をぶつけたところで、その気持ちが変わる事はないであろうと。
互いに発する言葉を失い、重苦しい沈黙が場を覆う中、二人の耳に石造りの床を鳴らす軽快な足音が聞こえてくる。
やがてその足音と共に、沈黙を破るようにしてこの部屋に飛び入ってきたのは少年ファバであった。
彼は壁の民達の騒ぎにレグスの目覚めを知り、急ぎ部屋へと駆け戻ってきたのだ。
「レグス!!」
寝台の男の様子を確認しながら、安堵するような笑みを浮かべて少年は言う。
「ったく、ようやくお目覚めかよ。心配させやがって。……どうよ調子は?」
「これが良いように見えるのか?」
「ははっ、まさか」
肩をすくめるファバ。
その背後には、遅れて部屋へやってきたカムの姿も見えた。
「まったくお前には驚かされる。数々の無謀もそうだが、まさかあれだけの爆発に巻き込まれて、こうして生きているとはな」
呆れ半分で言う彼女に、レグスは皮肉めいた口調で答える。
「どうやら俺は死神にすら嫌われているらしい」
「それは何よりだ」
そう言って少しだけ笑みを浮かべるカム。その笑みはレグスの無事を喜んでいる証でもある。
そんな彼女に、寝台に横たわる男はファバを一瞥しながら言う。
「世話をかけたな」
「気にするな。むしろ戦いにおいては頼もしかったぐらいだ。それに彼女の苦労を思えば何て事はない」
カムの視線がセセリナの方へと向く。
まだ短い付き合いではあるが、古き精霊がどれほどレグスの為に働いているのか、それをもう彼女は理解していた。
「ほんとそうよ。誰かさんの方がよっぽど手間のかかる子供ね」
「俺はそんな世話、頼んだ覚えはないがな」
悪びれる様子もなく言い切るレグスに、セセリナは声の調子を強める。
「よく言うわ。私がどれだけあなたの為に力を使ったと思ってるのよ。少しは感謝してほしいものね」
「……しているさ」
レグスの短くとも真面目なその一言に、緩い空気が乱される。
そして微妙な間を置いて、乱された空気を断つようにセセリナは言う。
「まっいいわ。とにかく今は体を休めて回復させる事に集中なさい。何をするにしても全てはそれからの事よ」
彼女の言葉にカムも同調する。
「そうだな。存外、顔色は良さそうだが、それでも飲まず食わずの寝たきりだったんだ。まともに動けはしまい。いろいろと考えるのはそこで体を休めながらでも出来るはずだ」
今レグスが置かれている少々厄介な立場についてはカム達の耳にも入っていた。
寝台の上での考え事とはその事を指していた。
「今日はもう軽く何か食べたらさっさと寝ておけ」
「彼らに言って重湯でも用意させましょう」
セセリナは男の体を気遣い、消化に負担のかからない物を壁の民に用意させようとする。
だが精霊が部屋の外で待機する見張りの壁の民に声をかけるより早く、一人の人物がレグス達の部屋に踏み入ってきた。
それは彼らが見知った大男、ガァガであった。
「調子はどうかな勇者殿よ」
穏和に聞こえる口調で声を掛ける大男の背後からは、これまた見知った小男が顔をのぞかす。
マルフスだ。レグスを救世主と騒ぎたてる自称星読みの小男は言葉を発さず、寝台の上の当人をじっと見つめている。
二人の訪問者に、瞬時にして部屋の空気が張り詰めた。
「見ての通りの様だが、慈悲深き戦士達のおかげでなんとか生き長らえる事が出来た。礼を言おう」
言葉とは裏腹にレグスの表情は硬い。
それは彼の仲間達も同様であり、ガァガ達の訪問が歓迎されていないのは明らかだった。
「働きに報いたまでの事、礼を言うべきはこちらの方だ。黒き剣を手にする勇者の活躍が無ければ、我らはあの戦いに敗れていたことだろう」
「あの戦いに勝利をもたらしたのはベルティーナと彼女が呼び出した古き炎の神だ」
「謙遜するな勇者ゲッカ。いや、レグスと呼ぶべきか」
戦場での出来事を含めゲッカの名が偽名である事は壁の民達に知れ渡っていた。
それだけの事であるなら、今さら問題とするような事は何もない。
されど、真の名が持つ意味までも知られるとなると話は別である。
救世主とされる者の出自を壁の民達は調べ知ろうとするだろう。だがそれはレグスにとって都合が悪い事でもあった。
狂王の堕とし仔は火刑に処され死んだ。ロレンシアの王子レグスは、公には生きていてはならぬ存在だったからだ。
「それでいったい何の用だ。まさか、わざわざ見舞う為だけにその男を連れてきたわけでもあるまい」
警戒心を露わに問うレグスにマルフスが何かを言おうと身を乗り出すが、それをガァガは大きな手で制止する。
そして傍らの小男に代わり、彼は言う。
「そう構えないでくれまいか。ただ少しばかり話を聞きたいだけだ」
「待ってちょうだい」
ガァガの言葉に真っ先に反応を示したのは寝台の男ではなくセセリナだった。
「それはどうしても今しなくてはならない話なの? この子はさっき目を覚ましたところ、十分に体力が回復したわけではないの。ややこしい話ならまた今度にしてもらえないかしら?」
ガァガ達が尋ねたい事、そのおおよその内容は察しがつく。
それが愉快な話ではない事も、易々と答えられるような類いのものでない事もわかりきっていた。
だからこそ彼女は、死闘からようやく目を覚ましたばかりのレグスをそこから遠ざけてやりたかった。
たとえそれがいずれ話し合わねばならない事であっても、その喧騒からしばらくの間だけ遠ざけてやりたかったのだ。
「古き精霊よ、これは大切な話だ」
我慢できず二人の会話に割って入ってくるマルフス。
そんな小男をセセリナは強い口調で注意する。
「黙りなさい。私は彼に言っているのよ。あなたには聞いていないわ」
彼女が把握する人となりから考えれば、ガァガは無粋に物事を進めるような真似を良しとする性格にはない。
己の信ずる宿命との邂逅に気持ちがはやるマルフスと違い、この老兵ならば事の重大さを認識していながらも、自分の思いを汲んでくれるのではと古き精霊の少女は期待していた。
「たしかに……。我らもすこしばかり焦りすぎていたようだ。礼を欠くような振る舞いをしてすまなかった」
そう言って詫びながらガァガは言葉を続ける。
「話は日をあらためてという事にしよう。先の戦いの功労者に我らも出来るだけの事はさせてもらうつもりだ。何かあれば気兼ねなく申してくれ」
呆気なく話を切り上げ立ち去ろうとするその対応に、もう一方は納得いかず声を荒げる。
「何を悠長な事を!! 古き精霊よ!! お前とて黒き予言を知らぬはずはあるまい!! 彼だけが……」
「よせマルフス!! いいかげんにしろ!! 話はまた次の機会と言っておろうが!!」
激する大男に圧されマルフスは口をつぐむしかなかった。
「失礼した。気を悪くしないでくれ」
そうしてその言葉を残し、ガァガは傍らの小男と共に部屋を後にする。
「勇者ガァガ、本当によろしいのか?」
部屋の外で待機していた部下の一人が退出と共にガァガに声をかけてくる。
「何がだ」
「わざわざ王があなたにと任じた命であったのに……。それをこんなあっさりと話を切り上げてしまうなんて、そのうえ何も聞けずじまいでは……。元老院はあなたを批難するに違いない」
懸念を抱く若き勇者に、老いたる勇者は廊下を歩みながら言う。
「ならば、『我らが救世主よ』と助けを乞う事になるやもしれぬ相手に対して礼を欠き、機嫌を損ねるような振る舞いを続けろと言うのか」
「それは……」
「話を続けたとして、必要な事に口を閉ざされたらどうする。次は拷問にでもかけるか?」
何も言えず目を伏せる部下の様子にガァガは続けて言う。
「どのみちあの体ではどこぞへといけるわけでもないのだ。ならば二、三日待てば気持ちよく話してくれるというのなら、それに越した事はあるまい」
実際のところそう上手く物事は進まないだろう。そんな事はガァガとてわかっていた。
だがこれから先、何がどうなるにせよ。あの男にはわずかな休息を与える事ぐらいの配慮はあってしかるべきだと彼は考えていた。
戦いの民として生きてきた男だからこそ、あれほど見事に戦ってみせた者に対して畏敬の念を抱かずにはいられない。
それは王や元老院、そして彼の傍らに立つ若き勇者とて同じであるはずだ。
「心配するな。たとえ何も聞けずじまいだとして我らが王は重い処罰をくだすような真似はなさらん」
そう口にしながらもガァガの足取りはどこか重かった。
彼の気を重くしていたのは処罰に対する恐怖や議員達から浴びせれられるであろう罵倒などではない。
王の失望。
その一つの事だけが彼を幾ばくか憂鬱な気分にさせていたのだ。




