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黒い魔剣使い  作者: マクドフライおいもさん
絶望が哭く夜
37/77

神に挑む者

「まじで全部追い払っちまいやがった……」


 圧倒的な力で魔物の連合軍を蹂躙した古き神イファート。

 彼の神の燃ゆる巨躯を見つめながら、ファバは仲間達に問う。


「俺達は勝っちまったのか……?」


 焼けた大地に転がるいくつもの焼死体。

 そして、命からがら散り散りに逃げていく魔物達を眺めながらセセリナは言う。


「いいえ、まだ終わってないわ。戦いはまだ……」


 青き精霊の少女は視線を城塔に立つ炎を纏いし娘へと向ける。

 一見して悠然としているベルティーナだったが、セセリナにはわかっていた。

 彼女の怒りが微塵も静まる気配がない事を。


「本当に彼女はこの地の全てを焼き払うつもりなのね。このままではいずれこの城も」

「この城もって……、けどどうすんだよ、あんなでっかい化け物止めようったって……」

「古き神はあの娘と共鳴している。どうにかしてあの娘の暴走を止められれば……」

「止めるたって力ずくでか!? 近付くだけでみんな燃やしちまう化け物みてぇな女をどうやって!?」


 イファートだけでなく、ベルティーナ自身もとてつもなく強い力を有している。それは召喚を妨害しようとした者達の末路が証明していた。

 何より、光焔の女王を害せば、大地の太陽の眷属であるイファートのさらなる怒りを買うだけである。


「それは……」


 如何にしてベルティーナの暴走を止めるのか、セセリナがその答えに窮していると……。


「嬢さん!!」


 突如、大声が聞こえてきた。


「ベルティーナ嬢さん!!」


 声がする方を見てみればそこにはローガ開拓団の一員、ガドーが立っていた。

 彼はベルティーナに向かって叫ぶ。


「喜んでくださいよ!! ロブエルの旦那が見つかったんですよ、それも無事に!! マシューの奴が、命懸けで旦那を守って!!」


 ロブエルという言葉に反応する塔上の娘。

 そんな彼女にガドーの後から来たグラスが続けて語りかける。


「ベルティーナ!! 部屋にあった血はほとんどマシューと壁の民のものだ!! マシューはきっちりと役目を果たした、あの人は無事さ!!」

「そうです!! 軽い怪我はしてるが、それもミルカ嬢が手当てしているところで、とにかくロブエルの旦那は無事です!! ピンピンしてますわ!!」

「だからベルティーナ、落ち着け!! 魔物共は追い払った、もうこれ以上戦う必要は僕達にはない。そうだろ!?」


 二人の呼び掛けにベルティーナは沈黙したままだった。


「やっぱ旦那が直接こないと駄目か……。旦那、かなり不安がってましたけど……、来ますよね?」

「いくら肝の小さいあの人でもこの状況だ。トーリやシドさんが無理に引っ張ってでも連れてくるさ」


 グラスの言う通り、間もなくしてシド達に連れられてロブエルがやってくる。

 そして彼は炎を纏うベルティーナの姿に完全に臆しながらも呼びかけ、説得を試みる。


「ベルティーナ。こ、この通り無事だから、あれは、もういいぞ……」


 ロブエルの言う『あれ』とは古き神イファートの事だ。

 暴れるイファートの炎が城へと向けられれば、彼とてその巻き添えとなる。

 怯えながら命じるロブエル。

 対してベルティーナの方はというと、死んだと思っていた主の登場にあからさまな動揺を見せた。


「ウ、ウソ……」


 塔上の娘が纏う炎は瞋恚の炎に他ならない。

 その怒りの根源となっていたのは、大切な主を失ったというその喪失感である。

 それがまやかしとなり崩れ去れば、瞋恚の力もまた失われよう。


 目を見開き、唖然とロブエルを見つめるベルティーナ。

 彼女の脳が主の無事を認識すると同時に、纏う炎が消えた。

 瞳に宿す炎も、燃えるように揺らめく髪も、脈打つ熱血も失われ、人のあるべき姿へとベルティーナは戻る。


「おい、まずいぞ!!」


 人々はどよめいた。

 瞋恚の力を失った娘が意識をも失い、そのまま塔上より落下したのだ。

 人の身にある者が地面へと落ちて助かるような高さではない。


「いやぁ!!」


 姉の危機にミルカが悲鳴をあげる。

 その時、地面より影の手が生え伸び、落下する娘の身を受け止め包み込んだ。


「なんとか間に合ったか」


 地面に叩きつけられずに済んだベルティーナの姿に、息をついて安堵したのはトーリであった。

 影の手の魔法は、彼が急ぎ描いた魔法陣より発生したもの。


「トーリ!!」

「でかした、トーリの爺さん!!」


 開拓団の面々が喜び、地面に降ろされたベルティーナのもとへと駆け寄る。


「大丈夫?」


 身動きせぬ姉の様子を窺うミルカ。

 心配する彼女にトーリは言う。


「息はしとる、気を失っとるだけよ。命に別状はない」


 老魔術師のその言葉に集った一同愁眉を開くが、そんな彼らに対してトーリは険しい口調で言葉を続ける。


「だが消耗が激しい。あれだけの事があったのだ、無理ないがの」


 急激な力の覚醒と古き神の召喚。

 その大業の反動は大きく、精神的にも肉体的にもベルティーナにはまだその負担を耐えきるだけの力が備わっていない。

 ロブエルの無事を知り、光焔の女王としての力より醒めた彼女がこうして気を失ってしまうのも当然であった。 


「この様子ではいつ目が覚めるか見当もつかん」


 そう言ってトーリがため息をつくと、頭上より聞き覚えのある少女の声がした。


「それは困った話ね」


 見上げてみれば、そこにいたのは宙に浮く青き精霊セセリナ。

 老魔術師は彼女に問う。


「精霊よ、何用だ」

「何用だ、じゃないわよ。あなた達だってわかってるでしょ? 呼び出した古き神を送り帰す事が出来るのは、召喚者であるこの娘だけよ」


 ベルティーナだけが城外で暴れる巨大な炎の神を従える事が出来る。

 それは古き精霊のセセリナにも出来ぬ事、光焔の女王である彼女だけがこの場で唯一その資格を有しているのだ。

 トーリとてそれぐらいは理解している。


「無論わかっておるとも。だが、これはただ気を失ったわけではなく、あれほどの力の反動でこうなってしまったのだ。深く沈んだ意識を呼び戻すのはそう簡単に出来る事ではない。それとも精霊の力を以ってすれば、それが可能だと?」

「いいえ、そんな事私だって簡単には出来ないわ」


 古き精霊とて万能の力を有しているわけではない。

 セセリナが深く沈んだレグスの意識を呼び戻せたのは、彼との関係がそれだけ密であったからだ。

 生まれた直後、赤子の頃からレグスの肉体も精神もセセリナと共にあった。

 あれは、それほどに密接な関係だからこそ出来た芸当。ベルティーナ相手では同じようにはいかない。


 精霊の返答に開拓団の面々はため息をついた。

 そのうちの一人、ミルカは自身が纏っていた外套を姉に被せてやりながらセセリナに尋ねる。


「では精霊様、私達はどうしたら?」

「そうねぇ……」


 姉の身を案じる少女の問いに青き精霊が考え込む仕草をみせた時だった。


――ウボオオォォ!!


 城外からイファートの咆哮が聞こえた。

 古き神のその声に、精霊は深刻な表情をつくり告げる。


「まずいわね。共鳴者を失い、さらに昂っている。完全に暴走し始めたわ」


 神の咆哮とセセリナの話に一同が動揺する中、ガドーが慌てた口調で言う。


「おいおい、どうにかしねぇと!!」

「だからそのどうにか出来るのがこの娘だって言ってるでしょ。いい? 少しでも早く彼女の目が覚めるよう、何でもいいから皆で呼びかけてやってちょうだい」


 魔術師と違いその手の知識に疎いガドーには、この切迫した状況下でずいぶんと間抜けにも聞こえる指示だった。


「声をかけろって、そんなんでどうにかなんのか? 他にもっと何か特別な方法でとかは!?」


 戸惑う青目人に精霊は言う。


「単純だけど結局この手の方法が一番なのよ。底に沈んだ意識へと届き易いのは当人にとって親しい者達の声。それに、このお嬢さんはずいぶんとご執心な殿方がいらっしゃるみたいだし、多少なりとは効果があるでしょ」


 彼女の言葉に一同の視線がロブエルに集まる。


「よ、呼びかけてやるだけでいいのか?」

「そうよ。とにかくやれる事はやってちょうだい。彼女の目が覚めなきゃ下手すりゃこのまま全滅よ」


 セセリナがローガ開拓団の面々にそう告げた時、離れた位置でカムと共に城外の様子を見守っていたファバが大声で叫び、イファートの異変を知らせる。


「おい!! やべぇぞ!! あいつがこっちに向かってくる!!」


 それまで城外の生き残りの殲滅に専念していた炎の神だったが、ついにその標的を城の方へと変更したのだ。


 方向転換し、ゆっくりとではあるが一歩また一歩と、大地を焦がしながら城に近付くイファート。

 壁の民の巨城とて、あの圧倒的な炎の力に対抗など出来るはずもない。

 古き神の接近に籠城者達がざわつく中、青き精霊は次の行動へと移る事を決意する。


「時間がない。あなた達、その娘の事は任せたわよ」


 そう言ってこの場を離れようとする彼女にミルカは尋ねる。


「精霊様はどうなさるおつもりで?」

「少しでも足止めして時間を稼いでくるわ」

「そんな事が出来るのですか?」


 驚く少女に精霊は言う。


「さぁ、どうかしらね。だけどやれるだけはやってやるわよ。あなた達はその間にどうにかしてその娘を呼び起こしてちょうだい」


 古き精霊の力がどれほどイファートに通ずるかはセセリナにもわからない。

 しかしこの城の内に、彼女以外に炎の巨神の歩みを止められる可能性を持つ者はいないだろう。

 目の前で気を失っている彼の神の召喚者である娘を除けば……。


「どうかお気をつけて」

「ええ、あなた達もね。とにかく、その娘の事は任せたわよ」


 ベルティーナの事をしつこいほどに念を押して、セセリナはミルカ達のもとを離れた。


「ファバ!! カム!!」


 イファートの足止めに向かう前に彼女は二人のもとへと寄り、声をかけた。

 古き神の召喚の影響によって術の効果が切れており、今はもう風は言葉を運んでくれない。だから危険な役目を負うからには万が一の時に備え、直接彼らに伝えておかねばならない事があった。


「あなた達はいよいよとなったらここから逃げなさい!!」

「俺達はって、お前はどうすんだよ……」

「私は今からあいつの足止めに向かうわ。心中する気はさらさらないけど、相手が相手だから何が起こるかわからない。だから、いざとなったら二人だけでも逃げてちょうだい」

「逃げろたって何処へ!? それにレグスはどうすんだ、生きてんだろ!?」


 一連の騒ぎの中、セセリナはレグスの無事を念話を通して確認している。その事は少年も聞かされていた。


「ええ、心配ないわ。あの子にも私から伝えておくから。北と南から壁の民達の救援の軍が向かってきているはず、まずは彼らに助けてもらいなさい。その後は……、ラザリックで合流しましょう」


 エントニアのラザリックは騒動の当初、レグスがファバ達に命じた避難先でもある。

 少々強引にでも話を進めるセセリナに、ファバは困惑の色を浮かべた。


「けど……」

「『けど』はなしよ。とにかく、何があろうとカムの言う事に従って動きなさい。彼女なら上手くやってくれるわ。いいわね」

「ああ……」

「カムもこの子の事頼んだわよ」


 セセリナの言葉にカムは頷き、危険な役割を果たそうとする彼女の身を案じた。


「わかった。セセリナ、気をつけてな」


 それは少年も同じ。


「セセリナ!! 無茶すんなよ!!」


 仲間の二人に見送られ、セセリナは古き神イファートのもとへと向かう。

 その燃ゆる神に近付けば近付くほどに、空気は熱を帯びていった。

 途中、事の連絡の為にレグスとの念話を挟みながら彼女は飛び進む。

 そして霊体で無ければそのまま燃え尽きかねないほどの距離まで近付くと、宙を舞う古き精霊は念話による説得を試みる。


――炎の大神ファラの子、大地の太陽の眷属イファートよ。お願い、止まってちょうだい。私達はあなたの敵ではないわ、戦うつもりなんてないの。お前の女王も無事よ。光焔の女王は私達が保護している。危害を加えなどしないわ。


 昂り我を忘れる炎の神は聞く心を持たない。

 傍を舞う精霊の事など気にもせず、ひたすら城へと向かって歩を進めるイファート。


 説得が通じぬのならばやむを得ない、セセリナは決断する。


――聞く耳ならぬ、聞く心持たずってわけね。いいわ、最初から覚悟のうえよ、力ずくでいかせてもらうわ。


 青き精霊の少女は詠唱する。

 古き精霊の言葉を紡ぎ、霊力を高めて、風を呼ぶ。

 それもとてつもなき強き風、大木を薙ぐほどの突風を。


 その風はイファートに向かって吹き付け、炎の巨神はまるで何者かに殴られたかのように体勢を崩す。

 よろける。我関せずと歩を進めていた巨躯がセセリナの起こした風に打たれ、よろめいたのだ。


「どう? 少しは目が覚めたかしら?」


 よろめく巨神は体勢を立て直すと、あからさまな敵意を挑発的に笑む精霊へと向ける。

 そして燃え盛る拳で握り潰そうと、イファートは炎の巨腕を伸ばす。

 それをセセリナはひらりと舞い躱した。

 ならばと、もう一方の腕を伸ばすイファート。

 それも空振りに終わると、今度は火弾を飛ばし精霊を打ち落とそうとする。


 セセリナも防戦一方というわけではない。

 機敏な動きで相手の攻撃を避けながら、術を使い反撃する。

 炎の巨躯を風が打ち、切り裂く。

 しかしその威力ではイファートに致命の一撃を与える事は出来ない。


 圧倒的な破壊力に、圧倒的な強靱性を持つ炎の巨神。

 わかっていた事だ。

 今のセセリナの力ではイファートを打ち倒す事は出来ない。

 彼女に出来るのはこうして戦い、注意を引きつける事。

 そうしてベルティーナが目覚めるまでの時間を稼ぐ事だった。


「聞け!! イファート!!」


 戦いの最中、セセリナは古き言葉で呼びかける。

 それは流浪の民と化したフラーマ人すら忘れてしまったミダンディアの炎の王国でも使われていた神聖なる言語。


「穢れの軍勢は払われた。光焔の女王の絶望は慰められ、怒りは既に静まったのだ。お前はもう役目を果たした、もとの世界へと帰るがいい!!」


 だが力強く呼びかける精霊の言葉も虚しく、荒ぶる神は攻撃を止めはしない。

 自身を傷つけた者の言葉に耳を貸そうとはしない。


――無駄みたいね……。


 先に攻撃を仕掛けたのは悪手だったろうか。

 いや、そうしなければ炎の巨神はあのまま歩を進め、城を焼き払っていただろう。

 他に選択肢はなかった。


――だったら、やれるだけやり続けるだけよ!!


 再び風を呼びセセリナはイファートを攻撃する。

 対するイファートの方も反撃の手を緩める事はない。

 そうして古き精霊と古き神との間で、何度かの激しい攻防が繰り返された。


 術を使い、イファートの熱波に耐える内にセセリナの霊力はどんどんと消耗されていく。

 この戦いに入る前から彼女はレグスの為に力を割き、幾度となく術を使い、城の魔法陣を復活させるのにも霊力を消費している。

 そのうえでの古き神との戦闘。

 限界は近付いていた。


――まずいわね……。


 セセリナ自身、それが近い事は感じていた。

 それでも残り少ない霊力を上手く使いながら、出来るだけ戦いを引き延ばそうとする。


 無理を重ね、次第に鈍り出す精霊の動き。

 それを炎の巨神は見逃しはしない。

 セセリナの避けきれない軌道でイファートの巨拳が飛んでくる。


 一瞬意識が飛ぶほどの痛撃だった。

 彼女の体が霊体ではなく、人の肉体であったなら間違いなくバラバラに砕け散っていた事だろう。

 それほどの一撃。


「痛ぁっ……。死ぬかと思ったわ……」


 手痛い一撃を食らって、勢い良く弾き飛ばされたセセリナ。命に別状はないものの、疲弊の色は明らかだった。

 対する炎の巨神はうるさい蠅を追い払い満足したかのように、もう古き精霊に対する興味を失ったらしく再び城へと向かい歩み始める。

 セセリナとしてもそれを黙って見ているわけにはいかないのだが、彼女の継戦能力はほとんど残されていない。


――退き際ね……。


 内心そのような事をセセリナが考えていると。


「セセリナ、大丈夫か」


 覚えのある声がした。

 声のする方へと目を向ければ、そこにはレグスが立っていた。

 どうやらイファートの一撃で弾き飛ばされた先が、偶然彼がいる近くだったらしい。


「あなたまだこんな所にいたの?」


 レグスとの再会にセセリナは小さな驚きと呆れを抱く。

 せっかく戦いに巻き込まれないよう念話を使い避難を命じていたのに、こんな近くから様子を窺っていたのでは注意を促がした意味がない。

 他人の言葉を素直に聞くような男でない事はわかっていたが、彼女はつくづくそれを実感する。

 この場で文句の一つ、二つ言ってやりたいところだがそんな暇もない。

 レグスの方へと近寄ると、セセリナは険しい調子で言った。


「見ての通りよ。もう打つ手なしよ。さっさと逃げるわよ」


 そう言って場を離れようとする精霊だったがレグスは動かない。


「何をしているの。あれはもう止められやしないわ。ここを離れてファバ達と合流するのよ」


 怪訝な面持ちを浮かべる青き精霊の少女に、黒剣を手にする男は言う。


「それは出来ない」


 想定外の返答にセセリナは戸惑った。


「何を言ってるの……?」

「あれをこのまま放っておけば、想像もつかぬほどの犠牲が出るだろう」


 そんなことはセセリナも承知している事。言われるまでもない。

 だが、いったいどうするというのだ。

 精霊の術を受けてなお致命に至るに程遠きあの炎の巨躯に、誰が立ち向かえるというのか。


「まさか……、あなたがイファートを止めると言うの?」

「他に手は無さそうだからな」

「馬鹿を言わないで伝えたはずよ、あれは古き神だと。見ていたはずでしょう、炎の巨神がどれほどの力を有しているか」

「ああ、十分と見ていた」

「だったらわかるはずでしょ!! 不浄の王などと比べようもないほどの存在だと、とても人が敵う相手ではない事は!!」


 炎の巨神を相手に、人の身では攻撃を浴びせるどころか近付く事すら困難極まる。

 レグスとてその事は理解している。


「だからこそ、お前の力を借りたい。セセリナ」


 古き精霊だけが唯一多少なりとも古き神の力に抗えていた。

 彼女の協力があれば神と呼ばれる存在と自分も戦えるかもしれない、レグスはそう考えていた。


「生憎もう力はほとんど残っていないの。諦めなさい」

「一振りでいい。この剣を一振り浴びせられれば、倒せる可能性は零じゃない」

「そんな無茶……。レグス、どうしたのよ」


 セセリナにはわからなかった。

 悪行三昧だったわけではない。かといって善行を積み続けたわけでもない。

 あの日、あの時、火刑に処され生き長らえた男は恣意的であれど『キングメーカー』、彼の魔石を探し、彼の魔石に抗う為に生きてきた。その一点にぶれはないはずだった。


 なのに何故、今になって、この時になって、古き神に挑むなどという無茶を言い出すのか。


「何をそんなにムキになっているの? 今さら人助けに目覚めたとでも!?」


 セセリナの問いにレグスは言う。


「この地が灰燼に帰せば、フリアの地も安泰ではいられまい。灰の地より魔が押し寄せ、いったいどれほどの人間が犠牲となる。ロレンシアも無事に済む保障などない」


 ロレンシア。己を火刑に処した故国。

 母親が治める国の為に、彼は命を賭して神に挑むというのか。

 それほどまでに国を、民を、母を、思っているのか。

 仮にそうだとしても、このような無謀をリーシェは望むまい、無論セセリナも。


「あの国の者達がお前に何をしたというの!? 石を投げ、人が焼ける様を笑った人間達に、お前に何の義理があるというの!!」

「そんな人間と同じ真似を俺にしろと? ロレンシアの民が蹂躙され昨日生まれたばかりの幼子が死ぬのを、ざまぁ見ろと笑えと言うのか?」

「違う!! そうじゃない!! そうじゃない、けど……」


 言葉に詰まる精霊にレグスは問う。


「教えてくれ、セセリナ。神の一柱や二柱止められない人間が、どうやって『奴』を殺す」


『奴』。超常の石ラグナレク。

 あれは神の力に匹敵する存在。もしかすればそれ以上の力すら有しているかもしれない。

 レグスはそんな存在を世の全てから抹殺しようとしているのだ。


「だからそれを知る為に、その術を得る為に私達はノレヴァのもとへと向かっているんじゃない!!」

「同じ事だ。まさか寝て全てが解決するような魔法があるわけじゃあるまい。古き精霊の王に会ったところでそこにあるのは、か細い可能性。そのか細い可能性にかけて戦わねば、あの石は殺せない」

「だとしてもこの戦いじゃないはずよ、お前が命を賭すべき戦いは」

「いいや、ここだセセリナ。……ガルドンモーラは言っていた」


 レグスは師のかつての言葉を用い語る。


「お前が目指す地は千の道を進もうと途切れ、届く事はないと。されど万に一つ、幾万に一つ、細き一本の道だけがそこに至るのだと。その道はいくつもの避けて通れぬ高き壁が連なり、苦難と修羅が待ち受けている。それを避けてしまえば、道は違われ、二度と目指す場所へと届く事はない。もし俺が抱くものが本物ならば、越えるべき壁を違える事はないだろう、と」

「あれがそうだと言うの? それが今だと言うの?」

「ああ」

「愚かな。そんな無謀は間違っている」

「最初から愚かで無謀だった。旅はずっとその連続と繰り返しだった。だからこそ俺の剣は鍛え上げられた。ただその繰り返しだけが俺の剣を、神をも穿つ鋼へと鍛え上げてくれる」


 レグスの言う剣とは己の存在そのものだ。

 超常に抗う精神と肉体を剣に例え、己を語っているのだ。


「まともではない。今のお前は我を忘れ、正気を失っているだけよ」

「まともでいたなら生きてはいまい。正気でいたなら生きてはいまい」


 大衆に死を望まれてなお、母の手によって火刑に処されてなお、男が生き長らえた理由。


「『奴』を必ず殺す。その焦燥と怒りだけが死地を往く俺を生かし、衝き動かす」


 それだけだ。それだけの理由が男が今だ生きている訳。

 あれを殺す為ならば、どんな無謀も厭わない。


「セセリナ、もう決めた事だ。ここは、退き際じゃない」


 レグスが語る言葉は、もはや万人が理解出来る理屈、道理を超えている。

 なんと愚かで傲慢な男だろうか。

 しかしセセリナは、彼女は、そんな男を見放す事が出来ない。


 レグスの揺るがぬ決意に当てられ、束の間の沈黙の後、古き精霊の少女は言う。


「わかった……。一つだけ手があるわ……」


 嘘はつけなかった。

 そんな事をしても、この男は諦めず単身、古き神へと戦いを挑むだろうから。

 それがどれだけの無謀だとしてもだ。

 だから彼女は素直に自分が思いついた戦い方、一つの可能性について語り聞かせた。


 イファートの炎の巨躯は近付くだけで人の身を燃やしてしまうほどの力を有している。

 対抗せんと魔剣の力を使ったところで、黒剣の力の多くは炎と熱より身を守る為だけに消耗されてしまうに違いない。

 それでは一撃を浴びせられたとしても、とても炎の巨神を打ち倒せるほどのものには至らない。

 剣の力は全て攻撃に回さねば、万に一つと勝てる可能性はない。

 だから守りに関してはセセリナの術、風の力に任せなければならなかった。


 だが精霊の残り少ない霊力の中で、古き神の力に対抗出来るだけのモノとなると、特別な方法を用いる必要があった。

 それはセセリナの霊体をレグスの肉体に宿らせる事によってその内に魂を共存させ、二人の存在を最大限に同調させるというもの。

 いわゆる憑依術と呼ばれるもので、こうする事によってレグスは始まりの大風より生まれし精霊『スティア』の存在に近付き、一時的ではあれど強力な風の加護を受ける事が出来るようになる。そうすれば黒き魔剣はその力を攻撃に全て回す事が出来る。

 生まれて間もなくしてスティアの力を肉体の内に宿らせ続けた男だからこそ可能な方法だった。


 しかしそれはレグスのみならず、セセリナにも相応の危険が伴う事を意味する。


「たとえ偉大な風の守りがあれど無敵にはなれない。もしあなたがイファートに敗れるような事があれば……、私も運命を共にする事になるわ」


 レグスの傲慢が彼女を殺す事になるやもしれない。

 その事実を理解してなお、彼は自然と、それが極当たり前の事であるかのように言ってのける。


「そうか。だったらその時は、死んでくれ」


 彼にはわかっていた、その傲慢な言葉をセセリナは決して拒まぬ事を。

 それはある種の信頼。


 そして精霊もまた理解している、男の言葉に込められた覚悟を。

 それはある種の憐憫。


「人の為に命を懸けようなど、昔の私が聞いたらきっと笑うでしょうね」


 馬鹿げていると思っていた、精霊が人の為に命を懸けるなど。

 理解出来なかった、永き時を経て賢知を身に付けたはずの者が、どうして定命の者の為に愚行をおかすのか。


 湖の娘ニュミエは何故掟を破り、聖剣を与えたのだろう。

 そのせいで聖なるヴィヌ湖は枯れてしまった。


 山の子ラゼブルは何故誓いを破り、山を出たのだろう。

 そのせいで豊かなるノーファの恵みは失われてしまった。


 谷の王イワナは何故盟約を破り、人の世に介入したのか。

 そのせいで美しきモラ聖谷は滅んでしまった。


 かつては理解しようもなかった、人ごときの為に大いなる精霊達が永遠を捨て、滅んだ理由。


 皮肉な笑みを浮かべる精霊の少女に、レグスは真剣な眼差しを向け一言だけ口にする。


「俺は笑わない」


 その一言で十分だった。


 迷いを押し殺し、無謀を為す手助けをするその術に入る前にセセリナは注意を与える。


「いくら相手があなたと言えど、心に恐れや疑いを抱いては、この方法は上手くいかないわ。私を信頼して頂戴、レグス」

「何度となくお前に救われた命だ。今さら何を恐れ疑うものか」


 それは心の底より出でた紛れのない言葉。

 レグスのセセリナに対する信頼に嘘はない。


「そう……」


 それがわかるから、彼女は自然とその言葉を口にしていた。


「ありがとう」


 そして精霊の少女はレグスの体にそっと触れ、古き言葉を紡ぎだす。

 レグスにはわかった、己の内に宿るセセリナの力が彼女の詠唱に共鳴している事が。

 同時に彼は不思議な感覚に襲われる。

 目の前の少女との境が消え、まるで一つの存在になってしまうかのような感覚。

 それがどんどんと強くなっていく。

 不快さはない。まるでそれが当たり前の事であるかのように、もとからそうであったかのように、互いの存在が溶けて混じりいく。


 その感覚にわずかに惑う男に対して、少女は優しく微笑んだ。


「リティメーレ」

――大丈夫だから。


 己に向けられた知るはずもない精霊の言語をレグスは自然と理解してしまう。

 それがセセリナの術の影響によってもたらされたものである事は明らかだった。

 二人の存在はそれほどまでに近付き、一体となっていた。


「マナリゼルクファナリゼール、ツァンヌースカナン」

――母なる風にして父なる嵐、始まりより吹く大風よ。

「ナクヤーンマーンク、ツァンマーンスティア」

――我は汝の子にして、元始の子スティア。

「バナファーンニムル、ヤーンマーンルイスヲダーナ」

――黄昏の世に生まれし、汝の子の声を聞き届け給え。

「ドゥナセイン『ミニュエリルエリシナ』」

――我が真名は『温かなる希望の娘』。

「ドゥナウィムヤーンシー、メナオルクルリゼルガナテヨール、オゾバーダフロエルクヲシーターナ」

――我が望むは汝の加護なれば、その偉大なる風の力にて、暗き滅びより愛し子を守り救い給え。


 古き精霊の詠唱に応え、風が吹きレグスに纏う。

 大いなる風の力を浴びる男にセセリナは言う。


「これであなたは始まりの大風の加護を得た。あとはあなた次第よ」


 その言葉を残し彼女の霊体は青き光の粒子となりレグスの内へと消えた。


 風の力を纏う男は己の内にもう一つの温かなる存在を感じていた。

 セセリナは死んだわけではない。自分の体の内に彼女はいる。まるで眠るように、無防備に。

 己に纏う偉大な風の力は本来、そんな精霊を守る為のものなのだろう。


「セセリナ、すまない」


 言い訳になるはずもない言葉。詫びるぐらいなら古き神に挑む無謀など止めればいい。

 そんな事はレグスとてわかっている。

 それでも己の性が、愚かなる衝動が、ただ嵐が過ぎるのを待つような真似を許してはくれない。

 自分はファバと同じだ。いや、それ以上の愚か者なのだろう。

 許せぬものを許したくはない。

 その単純にして明快、傲慢にして狂気なる闘争心が死地を往く理由だった。


――さて、往くか。


 戦いの備えを終え、見上げる視線の先に立つ炎の巨神。

 彼の神を打ち倒しに向かうその最中、レグスの前に一頭の獣が立ちふさがるようにして吠え現れる。


「お前は……」


 それは獅子馬だった。

 一連の混乱の中で城より飛び出してきたのか、あるいは壁が破られた時に既に外に出ていたのかはわからない。

 全身傷だらけの獣は唸り、レグスを見つめている。

 だがその瞳に見える闘争心は彼に向けられたものではなかった。


「そうか、お前も古き神と戦うのか。誇り高き戦士よ」


 その言葉に獅子馬は吠え答えた。

 そしてレグスは眼前の獣の求めに応じる。

 鬣を腕に巻きつけ、黒き魔剣を手にその背へと立つ。

 そうして誇り高き戦士の獣を走らせ、レグスは古き神のもとへと急いだ。


 彼らが標的に十分と近付く頃には、巨大な炎の神もまた城まで後少しという距離にまで来ていた。

 あといくらか遅れていれば、城の者達に多大な犠牲が出ていた事だろう。

 猶予はない。

 迷う事無くレグスと獅子馬は炎の神の背後より一気に駆け襲いかかった。


 猛獣の背に立ち振るう黒き魔剣がイファートの大きな脚を深々と斬り抉る。

 それは重く、確かな手応えだった。


――ウボオオォォ!!


 イファートが悲鳴をあげ、その炎の巨躯が揺らぐ。

 黒き魔剣の一撃が効いている証拠だ。 


――不可能ではない!! この剣とセセリナの力があれば、古き神とて殺れる!!


 確信と共に、素早く獅子馬を反転させ、レグスは再び神の巨躯に斬りかかる。


――ウボオオォォ!!


 二撃目にイファートの巨体はさらに揺らぎ、崩れかける。

 だがまだ足りない。頑強な炎の巨神を打ち倒すには完全に崩れ落ちたところに必殺の一撃を浴びせなければ……。


 レグスは何度となく斬りかかる。、

 古き神イファートも黙って攻撃を受け続ける事はない。

 巨大な拳を振り下ろし、火弾を撃ち、反撃する。

 大いなる風の力は熱波より身を守ってはくれど、炎の神の破壊的な一撃までも防ぎきる事は不可能。一撃を貰ってしまえばそれまでだ。

 レグスだけでなく彼を乗せる猛獣とてそれは理解している。

 獅子馬は機敏な動きでイファートの攻撃を避け続けた。


 全ての攻撃を躱す、されど余裕など有りようはずもない。死線の際、紙一重の連続だった。

 神に挑む者達の戦いはその上に成り立っていたのだ。


 軍勢を以ってしても相手にならなかった圧倒的なる強者。

 そんな存在とレグスは戦えていた。

 古き精霊と魔剣の力に頼れど、人の子が一頭の獣と共に炎の巨神と戦っている。

 その姿は傍から見れば、まるで叙事詩に謳われる英雄達が如き様。

 そのような光景に、戦いの民として生きてきた者達は胸を打たれ、感嘆する。


「おお、なんという事か。信じられん。人が戦っている。たった一人の人間が、あの炎の巨人と!!」

「不浄の王のみならず、異形の神すらも打ち倒そうというのか!! いったい何者なんだあの男……」

「何者だろうが関係ない。あの男こそ真の勇者よ。見よ、奴を乗せているのはドヌーガではないか!!」

「あの暴れ馬がまさか人を再び乗せるとは、それも異国の男を!!」


 ドヌーガは獰猛な獅子馬の中にあってその凶暴性と自尊心が目立つほどの猛獣だった。

 獅子馬は己が認めた者にしかその背に乗る事を許さない。

 ドヌーガのその基準は特に厳しく、過去に多くの勇者達が従えようと挑戦したが袖にされ、失敗している。

 そんな獅子馬を唯一従え、その背に跨っていた勇者がいる。

 今春、念願叶い重兵団入りするはずだったブノーブ。彼の兄ドドガである。

 既に戦死していたその兄に代わり、ブノーブはドヌーガを従え、勇者として戦うつもりだった。

 しかし彼は決闘裁判に敗れて死んでしまった。そして何の因果か、ブノーブを殺した当人が今まさにドヌーガに跨り、炎の巨人と戦っている。


「なんという性よ。よりによってブノーブを決闘で破った男をその背に乗せるかドヌーガ」

「認めているのだ。あれが、あの男が、己の背に相応しき勇者である事を!!」


 誰もが食い入るようにレグス達の戦いを見つめていた。

 そんな中でただ一人、小柄な男だけが天に一つの星が瞬いた事に気付く。

 星読みのマルフス。

 彼だけがその星の声を聞いていた。


「そうか……、そうだったのか……」


 星告を得て、マルフスは知る。


 己が今だ宿命のもとに生きている事を。

 星はまだ見捨ててなどいなかった事を。

 そしてこの出会いの意味を、運命の存在を。


「あの男が、あの方こそが、我らの王であったのだな!!」


 星が伝えるは暗黒の世より人々を救う者、『星々の王』の存在。

 自身の目の前でそれは猛獣の背に立ち黒き剣を振るい、古き神と戦っている。


「俺の運命は……、偽りのモノなどではなかった!!」


 マルフスは泣いていた。

 その溢れ出た涙は喜びと過去の苦しみに満ちていた。

 嘘付きだと馬鹿にされ、臆病者だと蔑まれ、気狂いだと笑われた。

 それでも、己の宿命を信じ生きた全ては無駄ではなかったのだ。

 この邂逅が他の何よりも優るその証明。


――ウボオオォォ!!


 万感の思いに打ち震える彼の目の前で炎の巨神が叫び、崩れ落ちる。

 地面に倒れ伏す古き神の姿に城内の者達が沸いた。

 レグスの一撃がついに頑強なる神の巨躯を斬り倒したのだ。


 血塗られた長き夜の戦い、その決着の時は近付いていた。

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