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不浄なる者

 太陽が沈んでからいったいどれほどの時間が過ぎただろうか。

 そしてこの闇夜の中で、いったいどれほどの血が流れた事だろう。

 矢が飛び交い、魔法が放たれ、怒声と悲鳴が響き渡る。

 大男と大女の骸が城内に溢れ、城外には魔物の屍骸が山のように転がっている。

 しかしそれでも、壁の民と魔物の大軍勢の凄惨な戦いに終わりは見えない。

 この状況でどちらが勝つかなど、両軍の指揮官にだってわかりはしない。

 彼らにわかっている事、それはこの戦いが決して負けられぬものであるという事だ。


「止むを得ぬ……、ノフラを連れてこい」


『煉撰隊』全滅の報を受けてからまもなくして、魔軍を率いるダークエルフは大きな決断を下した。

 シュドゥラが同胞に連れてくるよう命じたのは、森でも随一の嫌われ者にして変わり者の老エルフであった。

 村外れに隠れ住まい、日々怪しき魔術に傾倒していると噂される男。彼が研究する魔術の中には恐ろしき禁術もあるという。


「あの変人をですか?」


 命じられたダークエルフが聞き返すと、シュドゥラは声を荒げ急かした。


「そうだ!! 早くしろ!!」


 そうして苛立ちを募らせながらシュドゥラが待っていると、そこへ腰を曲げ杖をついた老エルフが姿を見せる。

 ノフラだ。

 彼は卑しき笑みを浮かべながら、自分を呼び出した枯れ森の長に言う。


「ほっほっほ、ずいぶんと追い込まれなさってるようで。秘術が破れ、秘蔵が破れ、最後に頼るは我が術ですかな、新しき長殿よ」


 新しき長。

 ノフラはシュドゥラの事を皮肉めいた口調でそう呼んだ。


 戦争前、枯れ森の民の中には、魔物と手を組み壁に侵攻する事に対して反対する者が大勢いた。

 とくに前長を始めとする年寄り連中にはそうした考えの者が多く、どれだけこの戦争の必要性を訴えたところで、彼らが考えを変える事はなかった。

 枯れ森のエルフ社会において年長者は絶対的な影響力を持っている。年寄り連中の同意なしに枯れ森の民として戦争を強行する事は不可能であり、このままでは死にゆく森と共に彼らダークエルフも滅するしかない状況になってしまっていた。

 そこでシュドゥラは実力行使に出る。

 賛同者達と共に血の粛清によって戦争反対派の重鎮達を排除し、長の立場を簒奪。

 強権を振るい恐怖政治による戦時体制を調えていく。


 こうしてシュドゥラは枯れ森の民を率い、魔物の大連合軍を結成するまでに至るのだが、それゆえにこの戦争での失敗は絶対に許されない立場でもあった。

 もしもこの戦いに敗れるような事があれば、彼は枯れ森のエルフ史上もっとも愚かなエルフとして壁の民達によって語られ、後世の人々の笑い草にされるやもしれない。

 そしてそれこそが、シュドゥラ自身が認める事がなくとも、彼が死よりも恐れたものである。


「黙れノフラ、貴様とくだらぬ問答をかわすつもりは毛頭ない」


 老エルフを睨みつけながら枯れ森の長は強い口調で断言する。


「お前はただ指示に従えばよい。それだけの為に生かしてやってるのだ」

「ほっほっほ、それはそれは。……ではどのような術をご所望で、長殿?」

「例の禁術の出番だ。お前が以前口にした言葉がハッタリではないと言うのなら、その禁術で、あの忌まわしき壁の民の城を落としてみせろ!!」

「ひっひっひ、結構、結構。では(にえ)の準備のほどは?」

「レヌロアに話は通してある」

「御意に、御意に、長殿」


 そう言って一礼するとノフラは禁術の儀式へと取り掛かった。

 老エルフの手によって大地に歪な模様の巨大な魔法陣が描かれ、その上には毒々しき生き物の亡骸や植物が並べられていく。彼の指示によって魔法陣の外縁部から中心部へと規則正しく杭が打たれていき、そこには憔悴したダークエルフ達が縛り付けられた。

 それはこの戦争に反対しシュドゥラによって粛清された者達の生き残りや近親者達で、それが禁術の贄に選ばれた理由でもある。


「悪魔共め……。貴様ら……、ろくな死に方はしないぞ……」


 魔法陣から漂う異様の気配に己の運命を察したか、贄の者達が恨めしく呟く。

 されどその言葉を耳にしても老エルフは卑しい笑みを浮かべるばかり。


「おやおや、今からそのろくな死に方をせぬのはお前達だろうに」


 同胞を犠牲にしようという後ろめたさはノフラにはまるでなく、それどころか喜びすら感じているようであった。


 やがて魔法陣が完成すると、老エルフは古き巻物を広げながら詠唱を開始する。

 すると彼の呪わしき詠唱に魔法陣が呼応し、悪しき力が溢れた。杭に縛り付けられた贄の体の節々からは出血が始まる。

 耐え難き苦痛に悲鳴をあげて血の涙を流す贄のダークエルフ達。

 彼らの血によって魔法陣の線形が赤く染まっていく。

 そして魔法陣が完全に赤く染まると、今度は強い瘴気が生じ始めた。


 何か恐ろしき事が起きようとしている。


 儀式を見守るレヌロア達の予感は正しく、ノフラが詠唱を終えるや否や魔法陣に渦巻く瘴気より不浄の者共が声をあげて飛び出した。


 禁術によって呼び出された不浄の者共はそのまま空へと昇り、厚い雲のような群れを成して壁の民が立て籠もる城へと向かっていく。

 そうして無数の悪霊共を送り出した後、魔法陣にはボロ衣を纏う何かが立っていた。


 レヌロアは息苦しさを覚える。魔法陣に立つ者の姿を目にするだけで彼は苦痛を感じていた。

 なのに、その存在から目を離せずにいる。


「あ、あれはもしや……」


 レヌロアが声を震わせるのを聞いて、ノフラは邪悪に笑う。


「けひひひ。そう恐れる事はないぞ。我が儀式によって正しき契約を交わしたところなのだからな」


 そう言って躊躇なく魔法陣へと近付き、その内に足を踏み込む老エルフ。


「歓迎しよう、不浄の王よ!! 我らと共に、偉大なる皇帝陛下に壁の者共の魂の慟哭を届けてみせようではないか!!」


 目を輝かせながら両手を広げて語り掛けるノフラに、不浄の王はこの世のものとは思えぬほどにおぞましき叫び声で応えた。



 ダークエルフの禁術により生み出された戦場の異変に、城で戦う者達が気付くのに時間はかからない。

 強力な召喚術だ。禍々しき力の流れ、風に紛れた穢れの変化を敏感に感じ取りながら、古き精霊は仲間達にその事を知らせる。

 そして彼女は城外に広がる深き闇夜の先にて、その恐ろしき軍勢を目にした。


「……何か来る!!」


 それは空に群れ成す怨霊の大軍勢だった。


「なんてこと、あんなものを呼び出すなんて……、しかもなんて数なの……」


 数える気にもなれない膨大な数の悪霊が自分達の城目掛けて飛んできていた。


「おいおい、なんだよありゃ!!」


 ファバが新手の敵に驚きの声をあげ、彼を守るカムも険しい表情を浮かべる。


「まずいな、あの数は」


 悪霊の群れを目にしたレグスも重い口調でそう呟いた。


 霊体の敵に単純な物理攻撃は通用しない。

 魔力なり霊力なりを帯びた物でないと、霊体を傷付ける事は出来ないのだ。

 城を守る兵士達の多くは戦い続きで疲弊しているうえに、霊体に通用する武器には限りがある。

 圧倒的不利。

 尋常じゃない悪霊の数を見れば、絶望的なほどの戦力差と言ってもいいほどだった。

 まともにやりあっては勝ち目は薄い。


「セセリナ、ダナテーラの時のようにはいかないか?」


 以前、ボウル村の魔術師ボルマンの依頼を受けて向かったエルド・ダナテーラの神殿。

 そこに巣くっていた悪霊共を古き精霊はレグスの目の前で見事説得してみせ、彼を絶体絶命の危機から救い出している。

 あの再現を起こせるなら、戦わずしてこの難局を乗り切れるやもしれない。


 だがそんな期待も虚しくセセリナはその可能性をすぐに否定する。


「無茶言わないで。あの悪霊達は皇帝アングスタの眷属よ。神殿にいた彼らとは違う。言葉なんて通じないわ」


 一概に悪霊といってもその種は様々に存在する。

 そして人が男と女に分けられるように、悪霊も大きく二種類に分ける事が出来る。

 一つは正常な肉体を失い、怒りや未練などの感情に囚われ、現世に魂を伴い迷う霊。

 この類いは人格というものを完全に消失しているわけではなく、場合によっては戦う事無く浄化し天へと送り出す事も可能であった。悪霊といえど、まだ言葉の通じる相手というわけだ。

 けれども、それが絶対に不可能な悪霊も存在している。

 苦痛と絶望の皇帝アングスタの眷属、魂無き不死者達である。

 彼らは魂すらも失った完全なる負の残滓にすぎず、説得する方法など皆無であり、力による排除以外にその驚異を取り除く術はない。


 そして今まさに飛んで来ている悪霊達こそが、他ならぬその皇帝アングスタの眷属だった。


「そうか。やはり実力行使でいくしかないか」


 他に方法がないのなら戦い続けるまでと覚悟を決めるレグス。


「来るなら来やがれってんだ!! オークも悪霊も今さら同じようなもんだぜ!!」


 強がり交じりではあるがファバも戦意を喪失していない。

 緊張感を伴う張り詰めた空気が場を覆っていた。


 そんな中で、セセリナは迫る亡霊の群れを見つめながら不思議がるような口調で言う。


「だけどあんな数を呼び出すだなんて無茶苦茶よ。魂無き悪霊に言葉は通じない、奴らは生ける者を見境なく襲うわ。あれじゃあ自分達だってただじゃ済まないでしょうに……。ヤケを起こしたのかしら」


 上手くいかない城攻めに、味方もろとも葬るつもりなのだろうか……。

 皇帝アングスタの眷属である悪霊共を呼び出すなど、それほどの暴挙であると古き精霊には思えたのだ。


 しかしそんな彼女に対してカムが悪霊の異変を見て知らせる。


「どうやらそうでもないらしい」


 カムの言葉に闇夜に浮かぶ者達をよくよく見れば、確かにいくらかの悪霊は城外の魔物に襲い掛かっているものの、全体から見れば極々小数に過ぎない。

 ほとんどの悪霊は近くの魔物達には目もくれずこの城へと向かってきているではないか。


 レグスが言う。


「なぜ魔物共を無視する」

「おかしい……、そんな事あるわけ……、まさか!!」


 数多の知識を有する古き精霊は現状の答えとなる存在に思い当たる。


「どうした?」

「リッチよ!! 不浄の王が悪霊共を操っているのよ!!」


 偉大な者達が皇帝アングスタの悪しき力に屈し呑み込まれた、その成れの果て。

 魂を持たぬ皇帝の操り人形と化した魔物。それが『リッチ』である。

 腕の立つ魔術師や聖職者、武勲多き騎士や王、リッチとなるのはいずれも生前に大きな力を有していた者達であり、アングスタの眷属と化した彼らはその力を苦痛に満ちた魂の叫びを求める己の主の為にただ揮い続ける。

 悪しき力に呑まれ、歪に強化された高い戦闘力を持つ不死者というだけで、十分すぎるほどに驚異的な魔物であるが、その真の恐ろしさは個体としての戦闘力にあるわけではない。

 一体ずつではたいした戦闘力を持たぬうえに、統率に欠け、闇雲に生者を襲うだけの悪霊共をリッチは操り従える事が出来るのだ。

 通常の武器が通じない無数の亡霊共を自在に操る。人にとってそれがいったいどれほどの驚異となろうか。

 そしてその能力ゆえにリッチは『不浄の王』の二つ名で呼ばれてもいた。


「なんて愚かな事を……」


 精霊の嘆きを耳にしながら、レグスが言う。


「リッチを呼び出し、悪霊共にこの城を襲わせるか。とんだ奥の手だな」

「呪われた禁術にそういったものがあるのはたしかよ。だけど……、こんなもの一時的にすぎない。アングスタの眷属がいつまでも大人しく従ってるわけがない」

「後で仲間割れを起こそうが起こすまいが、どのみち俺達はこの悪霊共とやりあう必要がある」

「あの数よ。まともにやったって勝ち目は薄いわ」

「だが説得が通じないというのなら、他に方法はない」


 セセリナがレグスの言葉に意味深に沈黙する。


「何か考えがあるのか?」


 そう問われ、精霊は一つの可能性を口にした。


「地下にあったもう使えなくなった結界用の古い魔法陣。あれを使えれば……」


 壁の王の信頼を得ていたレグス達は城の防衛装置についてある程度の事を戦いの前に知らされており、簡単な調べを済ませていた。

 その中には地下にある魔法陣についての情報も存在していた。

 それは強力な結界を作り出す為のものであったのだが、傷みが激しく使用できる状態になく、修復も簡単にはいかないと、この戦いでの利用を完全に諦めていたのだ。


 しかし、状況が状況だけにそうも言っていられなくなった。


「出来るのか?」


 問い掛けるレグスにセセリナは一瞬言葉を詰まらせる。

 魔法陣は繊細なものだ。修復に失敗した状態で利用すれば力が発動しないだけならまだマシで、下手をすれば暴走を招き、術の力が強力であればあるほど大きな破滅をもたらす事になりかねない。


「……わからない。でもそれをやってみるしか」


 不安を入り混じらせたセセリナの言葉にレグスは言う。


「わかった。出来るだけ時間は稼いでやる」


 彼とて地下の魔法陣を利用するその危険性に気付いていないわけではない。

 それでも、男は古き精霊を信じる事を選ぶ。


「頼んだぜ、セセリナ!!」

「困難に挑む時には小さな迷いも捨てるべきだ。セセリナ、私もお前を信じよう」


 ファバやカムも同様に彼女の力を信じていた。


「ったくもう、私を誰だと思ってんのよ。スティアのセセリナよ。だてに千年、二千年、軽く生きちゃいないってのよ!! 任せてもらおうじゃないの!!」


 仲間達の言葉に背中を押され、覚悟を決めた青き精霊は城の地下に眠る魔法陣へと急いだ。


 そしてその間にも、悪霊の群れは城の上空に到達する。

 壁の民達は火矢や聖水を浸した矢で迎え撃つが、圧倒的多勢を前に効果は薄い。

 魔術師達の魔法ですらも焼け石に水の状態であった。

 空を飛び楽々と城壁を越えて、次々と雪崩れ込んでくるアングスタの眷属に壁の民達は苦戦した。

 肉体を持つ者が相手ならいざ知らず、霊体の敵となるとなおさらこれまでとは勝手が違うのだ。

 近接戦においても壁の民の体躯や膂力が優位に働かず、彼らは悪霊達にしがみつかれ、たちまち精気を奪われていく。

 そうしてそのまま絶命する者もあれば、弱ったところをオークやリザードマンといった他の魔物達に襲われ、命を落とす者もいた。

 そう、敵は厄介な悪霊の群れだけではなかった。

 肉無き魔物の攻勢に乗じて、肉持つ魔物共も城壁を越えて乗り込んできていた。


 絶望的な戦況。

 これを覆す為には、他ならぬセセリナの成功が必要不可欠となっていた。



 広い地下空間に描かれた巨大な魔法陣。

 その中央に、青き精霊の少女は深刻な表情を浮かべ立っていた。


――さてと、どこから手をつけようかしらね……。


 目の前の魔法陣を観察、分析していくセセリナ。

 数千年と生き大陸を流浪してきた精霊には、下手な魔術師連中よりもよほど優れた魔術的知識がある。

 彼女に無理ならば、城で戦う他の者達の誰にもこの魔法陣を甦らせる事など出来はしまい。


――基本はミドナリアのルーン文字のようだけど、だけどこっちはオゼスのルーン文字ね。これはレナトリアのミゾス文字かしら……。それを様々な術式を応用して繋げてるわけね。でも、そうなるとこっちは……、えぇと……。


 一目見た時からわかっていた事だが、改めてよく見れば見るほど、この魔法陣に使われた術式の複雑さには驚かされる。

 わざとらしいほどに高度な術式とその組み合わせの連続。

 結界用という重要な防衛装置でありながら、機能しなくなってからも長年放置され続けた理由はまさにこの複雑さが原因だろう。

 一介の人間の魔術師達が手に負えるような次元を遥かに凌駕していた。


――時代も地域も流派もばらばら。よくもまぁこんなものを一つの魔法陣として成立させたものね。どだい人間には無理な代物ね。


 誰が造った魔法陣だろうが関係ない。

 セセリナはこの複雑な魔法陣を己が持つ知識を以って修復しなければならないのだ。

 そうしなければ自分達は戦いに敗れ、尊い仲間の命すらも失う事になる。

 失敗は許されない。


――とにかく手がつけられそうな所からしていくしかないわね。


 己の霊力を使い魔法陣に手を入れていくセセリナ。

 淡く青い光を放つ文字や線形がどんどんと刻まれていき、擦れ消えかけていた魔法陣が甦っていく。

 そうして作業を進める中で、彼女のもとに、レグスからの進捗状況を問う言葉が風によって運ばれてくる。


「まだかかりそうか?」

「ええ、予想通りと言うか、予想以上と言うか。かなり厄介な相手ね、これ」

「わかった。出来るだけ急げ。こっちの戦況も芳しくない」

「わかってるわ。絶対修復してみせるから、なんとかそれまで耐えてちょうだい」


 セセリナも必死に事に当たっているが、時間は限られている。

 刻々と悪化していく戦況。

 魔法陣の修復は終わったが、その頃には戦いの勝敗がついてしまっていましたでは話にならない。

 素早く、そして完璧に作業を進める必要があった。


――こっちのは完全に消えちゃってる。それにあっちは自作の暗号文字かしら……。


 多少擦れ消えかけた部分を修復するだけならセセリナにとって訳が無い事であった。

 しかし、あまりに消失している部分が多い場合や暗号文字を使った術式となると話は別である。


――これじゃあ自分で他の術式に置き換えるしかないわね。


 周辺の術式を手がかりに推測し、新たな術式を刻み込んでいくしかない。


――ここはファーバナントの新式を使えばいけるはず……、こっちはあっちの連華式に作用してるわけだから……。


 思考と確信。

 それを繰り返し、次から次へと術式を刻み込んでいく。


 そして。


――出来た……。これでいけるはず。


 暴走を起こす事がないよう何度も出来上がった魔法陣の確認を終えてから、精霊は言った。


「ちょっと力技も使ったけど、修復完了よ。まさか皆やられちゃってはいないでしょうね」


 セセリナの問い掛けに地上で戦う仲間達が返答する。


「ああ、問題ない」

「なんでもいいから早くしてくれ!!」

「セセリナ急げ、私達以上に壁の民達が限界だ」


 レグス、ファバ、カム、三人の声を聞き届けた後、彼女は魔法陣の中央へと移動した。


「それじゃ、いくわよ」


 そして淡き青の手を添えるように魔法陣へ置くと、セセリナは詠唱を開始する。

 彼女の美しき詠唱の旋律に魔法陣が反応を強め、やがてどんどんとその力は強まり、文字や線形が輝かしき光をも放ち始める。

 古き魔法陣が精霊の手によって甦ろうとしていた。


 そして地上で戦う者達にも、地下の魔法陣の力が感じられるほどに高まった頃……、突如としてそれは消え失せた。


「どうして!! もう一度!!」


 焦るセセリナはすぐに詠唱をやり直そうとするが、今度は魔法陣がまるで反応しない。

 これが成功するかどうかに地上で戦う者達の生死がかかっているというのに、魔法陣は沈黙したままであった。


「どうして、どうしてよ!!」


 己の理論は完璧だったはず。

 間違いがないか何度も確認したのだ。

 それなのに……、魔法陣が上手く動かない。

 彼女にはわからなかった。

 完璧に直したはずの魔法陣がどうして動かないのかが、どこが間違っているか皆目見当がつかなかったのだ。


 これではたとえ時間がどれほどあろうと手の施しようがない。

 時間がないのなら、なおさらどうしようもない。


「駄目!! 失敗よ!!」


 青き精霊の少女の絶望的な叫びの音が寒々しい地下部屋に響いた。


「落ち着けセセリナ。急ぎの作業だったせいで、どこかに間違いがあるのだろう」


 風に乗り届くレグスの言葉にも、彼女の焦りは募るばかりである。


「何度も確認したわよ!! だけどわからない!! 理論上はこれで上手くいってるはずなの!! なのに、動かない!!」

「焦りゆえに見落とす事もある。一見簡単に見えるものほど、そういった事は起こりやすい」


――簡単に見えるもの……。


 レグスの助言によって、天啓を得るかのようなひらめきがセセリナに生まれる。

 所々に散見された何の変哲もない簡単な術式。

 あれを初めて目にした時、彼女は違和感を覚えていた。

 他の部分はまるで魔術的知識を自慢するかのように、わざとらしいぐらい高度で複雑な術式が使われていたのに、どうして所々に非常に初歩的で簡素な術式が使われているのか……。

 時間の猶予の無さもあってか、その時は違和感を振り払うようにして修復作業を進めたのだが、もし、あれらが簡単な術式に見せかけた暗号式だったのなら、魔法陣がうまく動かなかった訳も理解出来る。


 セセリナは違和感を覚えた術式の部分を急いで確認していく。


――やっぱりそうよ……。ずいぶんと性格悪い事してくれるじゃないの。


 そして魔法陣の製作者に悪態をつきながらも、彼女は暗号の解読と新たな術式の置換作業に取り組んだ。


「助かったわレグス。これで動いたらご褒美に後で頭を()でてあげるわ」

「ふざけた事を言ってないで作業に集中しろ」


 軽口をたたけるほどの余裕を取り戻した精霊とレグスのやり取りに、ファバ達も安堵する。


「出来た!! 今度こそ完璧よ!!」

「急げセセリナ」

「わかってる!!」


 修復を終えるなり詠唱を開始するセセリナ。するとまもなくして古き魔法陣が甦る。

 輝く魔法陣より発せられた聖なる力は城を覆いきるほどに膨張し、その力に呑まれた肉持つ魔物共は動きを鈍らせ、弱きアングスタの眷属達はそのまま浄化され消滅。なんとか耐え残った悪霊達も結界の力に堪らず逃げ出していく。


 そうして逃げ出した悪霊共が恨めしそうに聖なる結界の外側を浮遊する中、レグス達は反撃に転じた。

 城内に乗り込んだ敵を一掃せんと、聖なる力を受けて弱った魔物共に襲いかかる壁の民とレグス達。

 オークを、リザードマンを、ゴブリンを、斬り殺し、突き殺し、叩き殺し、射り殺す。

 やがて彼らは再び魔物達を城外へと押し返す事に成功した。


 だがその喜びも束の間、悪い知らせがセセリナから届く。


「レグス、まずいわ。思った以上に魔法陣が安定しない。霊力の供給が上手くいかないの。これじゃあいつまで結界が持つか……」


 一部の書き換えた術式のせいか、あるいは触媒となってる物質の劣化のせいか、魔法陣による結界の力はひどく不安定で、霊力を供給するセセリナの消耗も激しいものとなっていた。

 魔法陣が機能しなくなるのが先か、彼女の霊力が切れるのが先か、どのみち結界は長く持ちそうになかった。


「最低でもどれぐらい持たせられる?」


 レグスの問いに、セセリナは険しい口調で言う。


「わからない。魔法陣はかなり不安定な中なんとか動いてる状態だから……、正直いつ結界が消えてもおかしくないわ。こうしてお喋りしている間にすらね」

「つまりまったく猶予無しか」

「ええ」


 どうやら一息つく間すらないらしい。

 もしこのまま結界が消えるような事があれば、城外に留まる悪霊共が再び雪崩れ込み、戦況は瞬く間に悪化するだろう。

 厳しい状況にレグスは即断する。


「わかった。だったらすべき事は一つだ」

「どうするつもり?」

「リッチを狩る」


 悪霊を操る不浄の王を倒せば、統制を失った亡者の群れは霧散するか、近場の魔物共に襲いかかるかするだろう。現状においてこれほど効果的な手はない。

 問題はそれが出来るかだった。


「狩るって言ったって、城外にはまだまだ敵がごまんといるのよ!?」


 問いただすセセリナにレグスは即答する。


「ガァガに言って生き残ってる重兵団を動かし血路を開く。獅子馬に跨る精鋭隊なら、その程度の役目は果たせるはずだ」

「肝心のリッチはどうするつもりよ。アングスタの加護を得た不浄の王の悪しき力は、生前にも増して強大よ。生半可な魔術師など比べ物にならないほどの強敵だわ」

「この黒き剣の力は、まさしくそういった相手を葬る為にある」


 レグスの言う剣とは百魂の剣の事である。

 たしかに黒き魔剣に宿るその力を限界近くまで引き出せば、リッチに対抗し得るだけのものとなるかもしれない。

 だがそれは彼の精神と肉体が剣の力の反動に耐えきれたらという話。

 セセリナも当然その事を懸念する。


「何言ってんのよ!! 今日だけでもずいぶん無理を続けて、正気を失いかけたばかりじゃない!!」


 ダークエルフの精鋭部隊を排除する為に魔剣の力を利用した際、レグスはすでに一度、剣の魔に呑まれかけていた。

 魔術師トーリの助けもあってどうにかその時は事なきを得たものの、次に同じ事があればどうなるかわかったものではない。

 しかも、熾烈な戦い続きの疲労のせいもあったのかもしれないが、あの時引き出した魔剣の力は抑え目であったにもかかわらず、レグスの精神はその負担に耐え切れず正気を失いかけてしまった。

 青き精霊の少女もそれを知っている。


「あの程度の力でも剣の魔に呑まれかけていたのに、リッチを相手にしようなんて無茶がすぎるわ!!」

「次は敵陣の中に突っ込む事になる。多少正気を失いかけたところで、まわりにはほとんど敵しかいない状況だ。問題ない」

「多少ですむわけないでしょ!!」

「どのみちそれしか手はない。せっかく持ち直した戦況も、悪霊を率いる王を倒さぬ限り、結界が消えてしまえばそれまでだ。座して死を待つような真似は出来ん」

「だけど……」

「これ以上は時間の無駄だ」


 レグスの断固とした態度に、セセリナは単なる危惧や憐憫の情では引き止める事が出来ないのを察する。

 不浄の王を討つ事が出来るのは魔剣を操るレグスだけ。その事を二人ともがわかっていた。


「……ほんと、あなたは馬鹿な子よ」


 セセリナは渋々ながらもレグスの策を了承する。


「レグス……」


 風を通じやり取りされる二人の会話を聞きながら、無謀にすら思えるその策に不安げに名を呟くファバ。

 そんな少年に対してレグスは言う。


「くだらぬ心配をしている暇があるなら、自分の身を守る事に専念しろ」


 そう言って彼は策を実行する為に、最前線で指揮する壁の民の勇者ガァガのもとへ急ぎ向かった。



 ガァガとの会談の結果、レグスには一隊の勇者達が貸し与えられる事となった。

 その数は五十にも満たない。

 しかしそれが現状で彼らが割ける最大の戦力でもあった。それほどにこの戦いは凄惨を極めていた。


 獰猛な獅子馬に騎乗する勇者達が集められるなり、彼らに対してレグスは自分達が城外のリッチを討つ為の決死隊である事をあらためて説明し、その協力を仰いだ。

 その時に誰も異論を唱えたり、渋るような様子を見せる事はない。

 それどころか大男の一人は大剣を天に掲げ叫んだ。


「異国の勇者よ、感謝しよう!! 我らにこれほど名誉ある戦いの機会を与えてくれた事を!! 約束しよう!! 我らは必ず、お前を忌まわしき不浄の王のもとへと送りとどけてみせる!!」


 他の大男達も掛け声にて賛同する。


「オウ!!」


 もはや彼らに闘士ブノーブを討った異人に対するわだかまりなど一切ありはしなかった。

 むしろわだかまりどころか、敬愛の念すらも彼らはレグスに対して感じていた。

 そこに至るに必要だったのは言葉ではない。

 この戦いでのレグスの目覚ましき活躍、それ自体が幾百の言葉よりも優っていたからだ。

 多くの死闘を潜り抜け、非凡なる武才を誇る大男達さえも認めていた、悪霊達を司る不浄の王を討てるのはレグスの他にいないと、自分達はその為の捨て石になっても構わないのだと。


 そして覚悟を決めた勇者達に守られながら、レグスは与えられた獅子馬に騎乗し決死行となる突撃を敢行した。


「放てぇ!!」


 打って出る突撃隊の援護をしようと、城内からは行く手を遮る魔物共に矢の雨が浴びせられる。

 攻撃を受けて体勢を崩した敵に対しては、獅子馬に跨る大男達の身命惜しまぬ突撃がすかさず直撃し、魔物共を蹴散らしていく。

 わずか五十騎にも満たぬ突撃隊だったが、その突破力は凄まじかった。


 奥へ奥へ、不浄の王のもとへと一目散に向かう決死隊。

 大剣を振るいながら魔物の大軍を割り進む彼らを不思議な風が導いていた。

 それはセセリナの術が呼んだ風。

 その導きがあったからこそ、大軍の内にあってレグス達は迷いなく突き進めたのである。


「止まるな!! 進め、進め!!」

「くそっ!! ゾゾがやられた!!」

「こいつらは俺が引き受ける!! お前らは先へいけ!!」


 敵の激しい抵抗にあいながら次々と脱落していく勇者達。

 決死隊は一人、また一人と次第にその数を減らしていく。


 それでも彼らは止まることなく突き進んだ。

 血を浴び、血を浴びせながら、ひたすらに進み続けた。

 そしてたった一人の男を除き全ての決死隊が討ち死にし、彼の乗る獅子馬すらも力尽きた頃、ようやくそれは姿を見せた。

 苦痛と絶望の皇帝アングスタの眷属、悪霊を従える不浄の王リッチ。禍々しき瘴気を纏うその不死者がレグスの前に立っていた。


 リッチが息づく空間は呪われ、穢されていく。

 その場に立つ事は、屈強たる精神を持たぬ者には耐え難き恐怖であり苦痛となる。

 だが、常人には正対する事さえ困難な魔物を前にしてもレグスに迷いはない。

 彼は真っ直ぐと不浄の王を見据え、黒き魔剣を構えた。

 そんな男の様子に、邪悪な笑みと共に呪わしき叫び声を周囲に響かせるリッチ。

 その声に空に集う悪霊達が共鳴すると、不浄の王は身躯より暗黒の力を放出した。

 それは幾本もの黒く太い触手のようなモノに形を変えて、レグスに向かって伸びていく。

 そしてうねりながら、頭上より叩きつけられるようにして振り下ろされるその力に、レグスは黒剣を振り上げた。

 爆ぜるような衝撃と共に黒き触手が跳ね、攻撃を受けた側は地面にめり込んでしまうかというほどに圧される。


 なんと重き一撃だろうか。

 レグスの足元にはヒビ割れすら出来ていた。


――挨拶代わりの一撃で、この威力か!!


 三フィートルの大男達の全力の一振りすらも、この一撃には及ばない。

 魔剣の力を利用し己の四肢を強化していなければ、この初撃で勝負は決まってしまっていただろう。

 それほどの威力。

 古き精霊のセセリナが強敵と呼んだだけの事はある。


――長期戦は不利、一気に間合いを詰め仕留める!!


 次から次へと迫って来る不浄の王の暗黒の力をレグスは魔剣を振るい、打ち払う。

 そして標的との距離を詰めようと彼は足を踏み出していく。

 だが、うねる暗黒の力の抵抗は予想を上回る激しさで思うように進む事が出来ない。

 一歩、また一歩と着実に進んではいるものの、距離を詰めれば詰めるほど不浄の王の力は増し、抵抗は激しくなる。


 それだけではない。


――まずいな……、思った以上に剣の力が弱まっている。


 リッチを討つ為、魔剣の力を限界まで引き出そうとするレグスだったが、剣から発される力は彼の想定していた量よりもずっと少ないものであった。


 連戦続きのレグスの体調、魔剣の力の使用のしすぎ、原因はいろいろと考えられたが、今さらそれを嘆いても仕方がない。

 現状使用出来る力、その限界を維持しつつ、レグスは魔剣を振るい続ける。

 そうして必死に暗黒の力を打ち払い進んでいくレグスだったが、ついにある一定の距離から足が止まり、前へと進めなくなってしまう。


「くっ……」


 防戦一方。

 リッチからの連続攻撃を受け止め、耐えるだけで精一杯になってしまったレグス。

 対して不浄の王は意地悪げに忌々しい笑みを浮かべ不動の構えをみせていた。


 黒き触手を打ち払い続けるうちに、徐々に疲労は増し、レグスの剣を振るう動きが鈍り出す。

 そしてその時を待ってましたとばかりに、悪霊達が空より飛び掛ってきた。

 リッチの攻撃を防ぐだけでも精一杯となってしまっていた男に、悪霊達までも相手しきるだけの力はない。

 当然のように、レグスは体勢を大きく崩してしまう。


――しまった!!


 そう思ったところでもう遅い。

 黒き触手がレグスの体を捉え、呑み込んだ。


 まるで炎に身を焼かれるような苦痛。

 いや、それ以上のモノだった。

 リッチの暗黒の力はこの世のものとは思えぬ苦痛をもたらし、その痛みに不屈の精神を持つはずの男すらも堪らず声をあげる。


 しかしそれも長くは続かない。

 あまりの苦痛が意識すらも奪ってしまうからだ。

 剣だけは手放すまいと無意識に握り締めたまま、レグスは気絶してしまう。


 その異常は遠く離れた精霊のもとにも伝わった。


「レグス!!」


 セセリナはレグスの内に宿る魔石の力を封ずる為に深い部分で繋がりを持っている。

 たとえ遠くにあっても彼女はレグスの異常を察知出来るのだ。


「どうした!! あいつに何かあったのか!?」


 精霊が思わず漏らした声は風に運ばれ、ファバ達のもとへも届いてしまう。

 心配する彼らにセセリナは言う。


「意識を……、失ったみたい」

「失ったみたいって、おいっ、まずいだろ!! あいつはまだ敵の中だろ!?」


 焦るファバだったが、それはセセリナとて同じ。


「そんな事わかってるわよ!!」

「だったら何とかしろよ!!」

「出来るならやってるわよ!!」


 魔法陣の結界を維持する為に彼女はこの場から離れる事が出来ない。

 レグスのもとへ急ぎ助けに行きたい気持ちを押し殺しながら、古き精霊は他の手を必死になって考えていた。


「本当に手はないのか?」


 冷静に問い掛けるカムにセセリナは間を置いて返答する。


「あの子の精神に深くまで潜れば呼び戻せるかもしれない。だけど、それじゃあ結界の維持に集中出来ないわ。下手をすれば結界は消え、魔法陣は二度と使えなくなる」


 念話よりもさらに深くレグスの精神に呼びかければ彼の意識を戻す事も可能だろう。

 だがレグスが意識を取り戻したところでまだ戦える力が残っているとは限らない、殺されてしまえばそれまでだ。

 そのうえ代償は高くつきかねない。

 結界が消失し、魔法陣が二度と動かせなくなれば、戦局は大きく悪化してしまう。


 気安く判断出来るような事ではなかった。

 レグスか、結界か、セセリナは選択を迫られていた。


「最初に魔法陣を動かす時にも言ったはずだ。お前の気持ちはすでに決まっているはず。迷うなセセリナ。この戦いには、あの男が必要だ」

「そうだぜ。どのみち外の化け物やっちまってくれねぇとジリ貧だ」


 決断出来ぬ精霊にカムやファバはハッキリと言い切った。

 レグスが必要だと。

 それはずっとあの男を見守ってきたセセリナが一番感じていた事。


「ありがとう。わかったわ、やってみる」


 魔法陣の安定化を犠牲にしながらも、セセリナはレグスの精神、その奥深くへの干渉を試みた。

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