表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/77

血風夜

 太陽が沈み、夜が来る。

 不穏な暗闇の中であっても、もとより夜目の利く壁の民に大仰な明かりは必要ない。

 されど今だ冬の寒さが色濃く残る壁の地の夜には、ゆらめく炎の温もりが必要であった。

 暗夜の誘いに抵抗せんと城のあちらこちらで炎が灯され始め、籠城者達は武器を手に与えられた持ち場へとついていく。

 レグス達の姿も当然そこにあった。


 星光露の効力により彼らの瞳もまた夜目が利いていた。

 その瞳で、城外に集った魔物の大軍を城壁より眺める彼らの耳に、闇夜の訪れに興奮する者共が口ずさむ呪わしき歌が聞こえてくる。


「何を歌ってやがるんだ」


 魔物の言葉を理解できないファバの疑問に、青き精霊の少女は険しい口調で答えた。


「深淵の支配者を讃える賛美歌よ。欲深き者達の穢れた歌」


 セセリナが露骨に嫌悪するその邪悪な歌声の大きさが、城に立てこもる人々の置かれた境遇の困難さをより鮮明にしていた。

 そして忌まわしき歌声が止むと、穢れの群れより何者かが姿を見せ、城の方へとやってきた。

 それは従者を連れたダークエルフのようだった。


 堂々たる歩みにて穢れのエルフの男は籠城者達の眼前に立つと、城中の人間全てに聞こえるかというほどの大声を発した。


「ゴルゴーラよ。かつて共に戦った事もあるよしみだ。寛大な我らはお前達に降伏の機会を与えよう」


 発言者は枯れ森のエルフの長シュドゥラであった。

 彼は数十年前にゴルゴーラと共に魔物討伐の任に当たった事もある人物であり、壁の民と枯れ森のエルフという間柄にありながらも、当時においては二人の関係は決して悪いものでなかった。

 しかし時が流れ、互いの立場に変化が生じるとその関係性も変わってしまった。

 今や壁を守る民の王とその壁を破らんとする侵略者の長である。


「傲慢なる偽りの神々への信仰を捨てよ、そして我らの軍門に降るのだ。それがお前達が生き残る唯一の術である」


 天の神々を侮辱し、降伏を迫るシュドゥラの呼び掛けに、ゴルゴーラ王自らが答える。


「堕ちるところまで堕ちたなシュドゥラよ。鬼蛇殺しの英雄も今では魔物共を扇動する侵略者と成り果てた」

「我が民が生きる為だ。十人の子が生まれ九人が飢えと病で死んでいく、そんな滅びゆく森ではこれ以上暮らしてはいけぬ。我らもカンヴァスの民であるのだ。何故この厳しい灰の地に押し閉じ込められなくてはならぬ。森を出て壁を越える時が来たのだ」

「その為ならば悪魔にも魂を売るか」

「そうさせたのはいったい誰のせいか。こうなる前に我々は何度となく壁越えの要求をしたはずだ。それをお前は拒絶した」


 近年ダークエルフ達が住まう枯れ森の環境は急速に悪化していた。

 寒さは増し、土は痩せるどころか腐り始め、飢えと病が蔓延していく。

 彼らは当初その危機を、壁の民達からの食料支援を受ける事によって乗り切ろうとしたが、日が経てば経つほどに森の環境は悪くなるばかりで、枯れ森のエルフ達が要求する食料と薬の数はどんどんと増していった。

 際限なく膨れ上がる支援品の要求に、やがてフリアの支援者達の反発を恐れた壁の民達は彼らに食料支援の打ち切りを宣告する。


 悪化する枯れ森の環境下、壁の民の支援なしに暮らしていく苦難、その先にある末路などわかりきっていた。

 生まれ故郷を捨てる事を決めたダークエルフ達は、新たな移住先として壁の先を望んだ。

 されど平和的な移住を訴えゴルゴーラ王に送り続けた親書も効果は無く、灰の地の災いがフリアにもたらされる事を恐れた者達によって彼らの望みは拒絶されてしまう。


 支援は打ち切られ、平和的な移住が認められる事もない。

 滅びゆく者達に残された手段はそう多くはなかった。


「これはその報いだ」


 怒りを込めてシュドゥラが合図を送ると、柱に縛り付けられた者達が魔物共によって運ばれてくる。

 それは城へと逃げ込めずに捕まってしまった壁の民達であり、先陣を切って巨壁の防衛の当たったルルの姿もその中にあった。


 見れば彼女らは猿ぐつわを噛ませられており、声を発する事も出来ない様子。その姿は誇り高い壁の民にとって耐え難き屈辱に違いなかった。


「おのれ、腐れエルフ共めっ!!」


 城壁より見やる惨たる友の姿にクルクが怒り、体を震わせる。

 彼女だけではない。

 ただ一人数奇な事情を抱えるマルフスを除き、壁の民達皆が、同胞が受ける恥辱に憤りを覚えずにはいられなかった。


「さぁ返答を聞かせてもらおうか。もし我らの勧告に従うと言うのならば、この者達も無事返してやろう」


 憤怒の形相で自身を見つめる者達に返答を迫るシュドゥラ。

 その答えは降り注ぐ矢の雨となって返ってきた。


 とっさに長の前へと立ち、術を使おうとする従者達であったが、シュドゥラはそれを制止する。

 矢はダークエルフ達を狙ったものではなかった。

 柱に縛り付けられた壁の民達が次々と急所を射抜かれ絶命していく。


 その光景を見てゴルゴーラ王は宣言する。


「生きて汚名に塗れるぐらいならば、我らは死して名を残そうぞ。天上の戦士の館は誉れ高き勇者にのみ、その門戸を開いておるのだ」


 王の宣言に呼応し声を上げる壁の民達。

 誰もが死を恐れてはいなかった。怒りが絶望や恐怖を塗り潰し、ただ闘志のみが燃え上がる。

 彼らは穢れの軍勢との戦いを望み欲していた。


 沸き立つ壁の民の声に背を向け帰陣するシュドゥラが呟く。


「愚かな。滅びてしまえば残る名も無かろうに」


 勧告は拒絶された。決戦は避けられぬものとなった。

 血風吹き荒れる夜の始まりだ。



 暗き夜の空に角笛の音がこだまする。

 それを合図として喊声を上げて突撃する魔物の群れは、大地を覆い尽くさんばかりの数であった。

 海と表現するのも(はばか)られぬほどの軍勢が、壁の民達の籠る城へと襲い掛かっていく。


「放てぇ!!」


 城を守る側もそれを黙って見ているつもりはない。指揮官の合図を皮切りに射手達は手にする大弓より矢を飛ばし始めた。

 しっかりと狙いをつける必要もない、何せ相手の数が数である。

 目を閉じ射っても当たるであろう状況。だからこそ狙いよりも速度を優先して、彼らは次から次へと矢を射り続けた。


 壁の民の大弓は弩砲の如き破壊力を有する。

 矢はオークの持つ粗末な盾など粉砕し、リザードマンの硬き鱗を貫いた。

 屈強なトロルすらもその攻撃を浴びれば膝をつき倒れ伏していく。

 矢の雨など生ぬるい、それはまさに矢の暴風雨だった。


 だがそんな殺戮劇の只中にありながら、攻め寄せる軍勢の足は止まらない。

 降り注ぐ矢と大地に転がる同類の骸を気にも留めず、悪しき軍勢は壁の民の城を攻め立てた。


 射殺しても射殺しても限なく押し寄せるのは地上の軍勢だけではなかった。

 空からもハーピーが攻め込んで来ておりその侵入を防ぐ為、城塔に配備された弓兵達が応戦する。

 胴を射抜かれ、翼を射抜かれ、怪鳥達は次から次へと撃ち落されていくが、やはり地上と同じく空の軍勢も怯む事無く攻め続けてくる。

 応戦する者達に休む間を与えない怒涛の攻勢。

 射手が疲労からわずかにでも集中力を切らせば、その隙をついて怪鳥達は城を守る者達にするどい鉤爪を使い襲い掛かった。


 そして籠城する者達にとって驚異となるのは陸と空から攻め寄せる魔物達だけではない。

 ダークエルフの知識を用いて作られた強力な攻城兵器もまた厄介な存在であった。


「くるぞ、攻城塔だ!!」


 牛の巨人に背を押され巨大な車輪を回しながら城壁へと近付いてくる兵器を見て壁の民達が叫ぶ。


 攻城塔の最上部にはオーク共が弓を構えていた。渡し板が城壁へと降りれば、その後ろで武器を構える白兵戦部隊が雪崩れ込んでくるだろう。

 城壁へと近付ききる前に何としてもこの巨大な兵器を止める必要があった。


「射て、射て!!」


 壁の民の大弓から放たれる矢が集中的に攻城塔へと降り注ぐ。

 しかし巨大な兵器はびくともしない。

 ダークエルフ製の不燃性の被覆が施されていたこの兵器には火矢すらも通じぬようだった。


「ったくもう、ぬるい攻撃してんじゃないわよ!!」


 止まらぬ攻塔城に魔術師ベルティーナが火球を放つと、それは直撃し爆音を鳴らした。

 一流の魔術師の術だけあって威力は凄まじい。

 だが……。


「……やってくれるじゃない」


 攻城塔は止まらない。枯れ森のエルフの知識と魔術が彼女の攻撃よりも優っていたのだ。


「だったらこれならどう」


 半端な攻撃では通用せぬと見るや否や、美しき魔術師の娘は灰色の瞳を紫色に変えて詠唱を始める。

 そして彼女が詠唱を終えた時、その両腕より炎の龍が生まれた。

 龍は一度渦巻いて空へと昇ると、その後頭上より降り落ちて攻城塔を丸ごと呑み込み、爆発する。


 龍の爆発後、特別仕様の攻城塔こそ何とか形を保ってはいたが、その中に乗り込んでいたオーク共は爆炎に呑まれ全滅、攻城塔を押し進めていたミノタウロスも巻き添えを食らってのた打ち回った。

 その暴れっぷりに、せっかく形を保っていた攻城塔までもが破壊され崩れ落ちてしまう。


「いい様ね」


 壊れた兵器と暴れる牛の巨人の巻き添えとなり圧し潰され死んでいく魔物達、自身が生み出したその光景を満足気に眺めるベルティーナ。

 それでも余裕を装う台詞とは裏腹に彼女の呼吸は荒く、額には汗が浮かびあがっている。これだけ強力な術を使用すれば、彼女ほどの魔術師とて相応の消耗は避けられなかった。


「嬢さん、次が来やしたぜ」


 一息つこうとするベルティーナに、ガドーが異なる方向から迫って来る攻城塔の存在を知らせる。


「ったくもう、次から次へと……。連発は無理よ。トーリはなにやってんのよ」

「トーリの爺さんは相変わらず岩の処理で手一杯のようで……」


 魔物の軍勢が用意した攻城兵器は攻城塔だけではなかった。

 門街を圧し潰す岩の雨を降らせたあの投石機がこの城攻めにも使用されていたのだ。


「まったく限がないわ。このままではいずれ……」


 べルティーナ達とは離れた場所で戦うトーリが愚痴るように言葉をこぼす。

 彼は杖先より放つ雷撃で、飛来する大岩を次と次と穿ち破壊していたのだが、一人の魔術師の力だけでは投石攻撃の被害を完全に防ぐ事はできなかった。

 このまま攻撃を受け続けてはいずれ大きな痛手を負う事になるだろう。

 後手的な対応ではなく根本的な対応、つまりは岩を飛ばしてきている兵器そのものを破壊する必要があった。

 しかしそれは簡単な事ではない。

 城外の魔物の海を割って突破するなど無謀すぎるし、かといって敵の投石機が配備されているのは魔法攻撃や弓の射程圏外である。

 この厄介な投石攻撃に、城を守る者達は頭を悩ませていた。


 そうした共通の懸念に対し古き精霊のセセリナが思い立つ。

 彼女は主塔を訪れると、そこに配備された巨大な弩砲を指しながら大男達に尋ねた。


「ちょっと、そのデカブツでなんとかならないの? あの投石機」


 彼女の問い掛けに、弩砲を運用する壁の民達は困惑しながら答える。


「無理だ精霊様。いくらこいつでもあんなところまでは届かん」

「絶対に?」

「ああ。もう少し近ければ何とか届いたかもしれないが……」


 無念そうに口にする大男達とは対照的に、セセリナはにんまりと笑みを浮かべる。


「もう少し、ね」


 彼女には何やら考えがあるらしかった。


 しばらくして、城の主塔に設置された巨大な弩砲から極太の矢が発射される。

 その大きな矢は怪鳥達を蹴散らしながら、岩を飛ばす兵器へ向かって勢い良く飛んでいった。そして矢は、そのまま標的を貫き破壊してしまう。


 驚くべき破壊力、驚くべき射程であった。

 これには投石兵器を運用していた者達も騒がずにはいられない。


「シュドゥラ様!! 我らの投石機が一機破壊されてしまいました!!」

「見ればわかるわ、そのような事!!」


 慌てる同胞に、枯れ森のエルフの長は怒鳴る。


「何故だ……。報告では城の弩砲はここまで届かぬはず……。何故……」


 潜入させた間者からの報告に誤りがあったのか。それとも計算を間違えたのだろうか。

 動揺する敵軍の者とは対照的に、セセリナは主塔より満足気に戦果を眺めていた。


「よぉし、じゃんじゃんいくわよ!!」


 精霊の指示に従い、大男達は巨大な弩砲の二射目へと取り掛かる。

 そして弩砲に矢が込められると、その大きな矢にセセリナが近付き、何やら詠唱を始めながら複雑な文字や図形を青白き線にて刻み込んでいった。


 何故届かぬはずの攻撃が届いたのか、その答えがこれである。

 そう、決して壁の民達やダークエルフ達が弩砲の射程を読み間違えたわけでない。古き精霊のスティアの力によって主塔の弩砲の射程が伸び、威力までもが向上していたからなのだ。


 スティアは『始まりの大風』より生まれた精霊であり、風の加護を受ける事は難しい事ではなかった。

 無論これだけ大きな弩砲の矢だ。その射程と威力を風の力を借りて向上させようとすれば、セセリナの霊体にかかる負担は少なくない。

 それでもそれをやるだけの価値はあった。

 事実、大岩を飛ばす投石機を見事に破壊出来たのだから。


「やむを得ん……」


 シュドゥラ達には主塔の弩砲の矢が届いた理由などわからない。

 しかし、相手の弩砲の矢がここまで届くというのならやる事は一つ。


「四柱赤花だ。『四柱赤花の四方陣』を張れ!!」


 シュドゥラの口から、彼らの秘術である魔法障壁術の名が飛び出した。


「四柱赤花の四方陣ですか。しかしそれほどの術となると使い手の数が……」

「あの弩砲の威力を見たか!! 半端な障壁では破られるだけだ、数が足りぬと言うのならば、その分の魔術師共を前線より連れ戻せ!!」

「はっ!!」


 魔法の障壁により弩砲の攻撃を防ごうと考えた枯れ森のエルフ達、しかしその準備には多少なりとも時間を要した。

 その間にも、城の主塔より飛来する矢によって巨大な投石機が一機、二機と破壊されていく。

 そして皮肉にも残存する兵器の数が減った為に魔術師の数が足りるようになり、最初の攻撃を含めて計四機もの投石機が破壊された後になって、ようやく彼らは術の準備を終える事が出来た。


 枯れ森のエルフの魔術師の中でも精鋭たり得る者達が投石機の四方を囲み、詠唱を始める。

 すると彼らの声に合わせ描かれた魔法陣が妖しく輝き、やがてそこから投石機を囲むようにして赤い蔓の壁が作り上げられていった。

 複雑な紋様を描くそれは、遠目からには赤い花が咲き乱れているように見えた。


「なんだあれは!?」


 主塔より目にした妖しく輝く障壁術に動揺する壁の民達。

 そんな彼らにセセリナは言う。


「かまうことないわ。この弩砲の威力ならあんな術、打ち破れるわよ」


 そして次なる一射の準備を進め、精霊は自身の術を弩砲に込められた矢へと加えた。


――そうよ、あんな障壁……。


 口には出さぬもののセセリナにも焦りはあった。

 敵の障壁術が強力な術である事は一目見れば理解出来る。されど自分達にはこの弩砲の攻撃に頼る以外に術がない。

 もしあの障壁術を破る事が出来ぬのならば、自分達は敵の投石機を破壊する手を失う事になる。

 言い聞かすように、願うように、セセリナは弩砲から射出される大きな矢を見送った。


 矢はそれまでと同じように、怪鳥達を蹴散らしながら真っ直ぐと城外の投石機へ向かって飛んでいく。

 そしてエルフ達の張った魔法障壁に直撃、大きな破壊音を鳴らした。

 破壊音。

 それは投石機が崩れ落ちる音ではなく、弩砲の矢が砕ける音だった。


 巨大な矢の直撃を受けてなおも障壁は赤く輝き、その内にある投石機はびくともしていない。

 誰の目にも明らかであった。

 枯れ森のエルフ達の魔法障壁には、主塔の弩砲は通じないのだ。


――なんてこと……。まずいわね。


 この事態にさすがのセセリナも顔色を変えて動揺を見せた。

 そして彼女はため息をつくと、険しい口調にて言葉を発する。


「厄介な事になったわ。敵がかなり強力な障壁を張ったの。主塔の弩砲でも歯が立たない、打つ手なしよ」


 その言葉は近くにいる大男達に向けられたものではなかった。

 彼女の言葉は風に乗り、眼下で戦うレグス達のもとへと運ばれる。

 これもまた偉大なる風より生まれた精霊の為せる業であった。


「あとどれほど残っている?」


 レグスの質問にセセリナが答える。


「四機ほど潰して、あと二機ってところかしら」

「その程度の数なら魔術師共でもなんとか防ぎ切れるだろう」


 敵の投石機の数が減った為に、その攻撃間隔には余裕が出来始めていた。

 今の頻度の攻撃ならば城を守る魔術師達でも十分に対応出来るはず、もちろん防備に当たる魔術師の手は塞がる事になるのだが。


「だと良いんだけど……」


 二人がそのような会話のやりとりをしていると、カムが割り込み入ってくる。


「セセリナ、敵の障壁の守りは完全なものか?」

「完全?」

「まったく隙間がないのかと聞いている」

「そりゃあ岩を飛ばしてるんだから、頭の部分にはぽっかり穴が空いてるでしょうけど……、だけどここからじゃあどうしようもないわ」


 困惑気味に回答するセセリナ。

 対してカムの反応は確信に満ちたものだった。


「いや、十分だ。それだけの穴があるならな」

「十分って……」


 カムの意図をセセリナはまだ理解出来ていなかった。

 そんな精霊の少女の耳に指笛の音が聞こえてくる。

 そしてその音に反応したのだろう、夜空に鷹の鳴き声が響き渡った。


 ライセンだ。

 怪鳥達と戦う鷹の姿を眺めながら、ようやくセセリナはカムの考えている事を察する。


「ちょっとまさかっ、無茶よ!!」

「他に手があるのか?」

「投石機は敵陣の最奥部にあるのよ、そこまで突っ込ませる気!? たかが鷹の一匹に何が出来るっていうの!?」

「たかがとはひどい言い様だな。あの子は私が知るかぎりで最も強く勇敢な空の戦士だ。それにとびきり賢い。ライセン以外に相応しい者がこの状況でいるとも思えないが?」


 鷹がハーピーの群れを相手にして戦っているというだけでも驚きであるのに、彼の女主人はさらに危険な任を与えようとしていた。


「だからって危険よ」

「既に危険の真っ只中だ。必ずあの子ならやりとげてくれるはずだ、セセリナ」


 固い決意のこもった言葉だった。


 今は力の出し惜しみをしていられる状況ではない。

 誰もが死力を尽くさねば、待っているのは破滅なのだ。

 だからこそ、カムは危険を承知でライセンに残った投石機を止めさせようと考えた。

 当然それは愛鷹に対する信頼あってこその考えに他ならない。


「……わかったわ」


 セセリナもそれを理解し承諾する。

 それだけでなく彼女は少しばかりの助力を申し出る。


「だけど少し待って。あの子に風の加護があるよう、術を使う時間をちょうだい」

「ああ、わかった。助かる」


 束の間の後、精霊の助力を得た鷹が不思議に吹く風に乗り城外へと飛び出す。

 その鋭さ、この夜空に比類する者なし。

 切り裂くようにして怪鳥達の群れの間を抜くと、ライセンは瞬く間に敵の投石機へと迫った。


 投石機の傍には、魔法障壁の裏側で悠々と大岩を込める作業を行うミノタウロスの姿があった。

 自身と比べ物にならぬほどの巨体を持つ牛顔の魔物を前にして、ライセンは勇猛果敢に襲い掛かる。

 突如飛来した鷹の攻撃を受けたミノタウロスは慌てふためき、追い払おうと大きな手と腕をブンブンと振り回すが、機敏に舞う空の戦士を捉える事は出来ない。


 そして大振りに空振ったその隙をつき、ライセンは鉤爪を立ててミノタウロスの目玉をえぐった。


 頑強な肉体を持つ牛の巨人とて目玉は鍛えようがない。

 たまらず悲鳴を上げて崩れ落ちるミノタウロス。その方向はなんと投石機の方であった。

 大岩を飛ばすように設計された立派な兵器も、さすがにミノタウロスの巨体を支えられるようには造られていない。

 牛の巨人に圧し掛かられた投石機が軋み音をあげたかと思うと、あっと言う間に折れ、崩れ落ちていく。

 その様を、魔法障壁を張る枯れ森のエルフの魔術師達は唖然と見ているしかなかった。


 まずは一機。


 敵の投石機を見事破壊してみせた鷹は最後に残った投石機にもその鋭い爪を突き立てる。

 投石機に使用されている大縄をズタズタに切り裂いていくライセン。その電光石火の早業には誰もついていけない。


「大技など使えんぞ。投石機にも攻撃が当たってしまう」

「矢だ!! 急いで弓兵を呼べ!! あの鷹を射殺すのだ!!」


 混乱し慌てるエルフ達の目の前であれよあれよと言う間に、最後の一機も使い物にならない姿へと変貌してしまう。

 そして二機の投石機を破壊し終えると、鷹は優雅に夜空を旋回し、城の方へと帰っていくのであった。


「なんたる無様!! 秘術を用いてまでした結果がこの様か!!」


 枯れ森のエルフの長は激昂していた。

 投石機を守る為に、わざわざ前線から魔術師達をさげて魔法障壁まで張らしたというのに、たかが鷹の一匹にその全てを台無しにされるとは……。


「ええい、忌々しい!!」


 シュドゥラは口惜し気に声を荒げると、近くにいた同胞を呼びつけ命じる。


「ケルドラを呼べ」


 その命令に同胞たるダークエルフは意外そうに驚く。


「ケルドラ様をですか!?」

「こうなっては仕方があるまい。『煉撰隊(れんせんたい)』にも一仕事してもらう。奴らに突破口を開かせるのだ!!」


『煉撰隊』は枯れ森のエルフ達の中でも選りすぐりの腕利きを集めた精鋭部隊であった。

 決まった定員数はないものの、常に多くても十に満たぬ数で構成された少数精鋭であり、隊を率いるケルドラを始めとして誰もが秀でた剣術と弓術を身につけている。

 加えて彼らは魔術に関しても、人間社会に住み着いた凡百の魔術師達に比べれば、よほど優れたる才と知識を有した魔法戦士でもあった。


 そのような強力な戦力をシュドゥラは何故温存していたのか。

 それは彼が枯れ森の民を率いる長として、この城攻めの後の事をも考えていたからだ。


 今壁の民の城を攻め立てている魔物の大軍勢は決して一枚岩ではない。

 魔物共は異なる主を崇める眷族達と反目し合うどころか、同じ主を崇める眷族同士でも争いごとなど日常茶飯事。枯れ森に住まい天の神々を信仰せぬとはいっても、シュドゥラ達エルフが魔物の軍勢を仕切る事を面白く思っていない連中はごまんといた。

 そのような者達の不満を、今は各魔物の指導者達が抑えつけてはいるものの、いつそれが爆発するかわかったものではない。

 城攻めを成功させ一段落がついた後に、用済みとばかりに魔物達が結託して、軍勢より枯れ森のエルフ達を排除しようと襲ってくる可能性も十分に考えられる。

 だからこそダークエルフ達は戦力を温存しておく必要があったのだ。


 しかし、そのような事も言っていられなくなってきてしまった。

 城を守る者達の抵抗は想像以上に頑強で激しく、用意した攻城塔を使った攻撃もなかなか上手くいかないばかりか、安全な後方に配備されていたはずの投石機までもが全て破壊されてしまっている。

 このまま魔物共の数に任せて押し切る戦術でも城を落とせる可能性は十分とあるのだが……、そうなると被る痛手も相応に大きくなるだろう。

 薄汚い魔物共が壁の民達に何匹殺されようと、心情面では何ら痛むものはないシュドゥラではあったが、戦力としてそれを失うのは看過出来ない。

 戦いはこの一戦だけではない。

 城を攻略した後に、救援に駆けつけてくるであろう壁の民の軍勢をも相手せねばならないのだ。

 この城攻めだけで闇雲に戦力を浪費するわけにはいかなかった。


 となれば、早急に落城せしめる為にも、シュドゥラは貴重な戦力たる煉撰隊の投入を決断せざるを得なかった。



 枯れ森のエルフ達が精鋭部隊の投入を決意しその準備をする間にも、魔物達の攻勢は緩まるどころか激しさを増していた。

 攻城塔や投石機を利用しての早期の攻略には失敗したものの、魔物達にはなおも圧倒的な数の優位があるのである。

 城壁に次々と梯子を立て掛けのぼっていくオークの軍勢。

 するどい爪と吸着性のある手足を利用して直接城壁をよじのぼるリザードマン達。

 ゴブリン共が弓矢を飛ばし、ハーピーが空から援護する。

 それでも壁の民達はその怒涛の攻勢にも怯む事無く果敢に体を張り続けていた。

 城外に大弓の矢の雨を降らせ、壁上にのぼってくる者あれば大剣を振るい追い落とす。死力を尽くした防衛戦を展開していた。


 そして攻め寄せる魔物共と戦っているのは壁の民だけではない。

 レグスも危険な最前線に身を投じ戦っていたし、カムは後方から特に厄介な個体を的確に射抜き殺していく。

 まだまだ戦いに不慣れなファバも最初こそは緊張を見せていたものの、今では機械弓を手に立派に戦えている。

 空では鷹のライセンが、城外ではレグスが召還した魔造犬も活躍していた。かつてバハーム砦で盗賊共を惨殺したあの異形の魔犬、ヒトツメのジヌードである。

 夜は魔物共がもっとも力を発揮する時間帯であるが、それは夜の時間に活動を限られるジヌードとて同じ事。

 縦横無尽に駆けまわる異形の魔犬に、魔物達は次々と狩られ殺されていく。


 そうして守って、守って、守り続けた籠城者達。

 だが鉄壁に見えたその守りも、ついに穴が空く時がくる。

 わずかな隙をつき、城壁上に斬り込んできた者がいたのだ。


 その数はわずかに七人。

 されど、その誰もが強く、素早く、連携巧みであった。

 押し返そうとやってきた壁の民達も斬り伏せてしまう凄腕のエルフ達。彼らこそが、シュドゥラの送り込んだ枯れ森のエルフの精鋭部隊『煉撰隊』であった。


「無理はするな。後続がある程度のぼりきるまでの間、時間を稼げればそれでいい」


 ケルドラの指示に煉撰隊の面々が頷く。


「了解」

「了解、でもまぁちょっと遊んできますよ」


 そう言って一人、二人が少しばかり突出し斬り込んでいくと、いとも簡単そうに壁の民達の守りを突破してみせた。


「くそっ、突破されたぞ!!」

「この腐れエルフ共、強いっ!!」


 慌てる壁の民の様子に、近場にいたローガ開拓団の者達も事態を察する。


「おいおい、しっかりしてくれよ」


 抜けてきたダークエルフの姿を見ながらガドーが呟いた。


 この時まだ彼は理解していなかった、抜けてきたそのエルフがどれほどの強者であるのかを。

 戦いに忙しく、のぼってきたダークエルフ達をよくよく観察していたわけではない。

 だから彼らを偶然に漏れ抜けた存在、その程度にしか思っていなかったのだ。


 ハゲ頭の青目人は特に深くも考えず、乗り込んできたダークエルフを排除しようと近付いていった。

 そして迂闊に斬りかかったその瞬間、彼は知る。


 それがどれほどの無謀であったかを。


「ぬおっ!!」


 目にも止まらぬ速さでダークエルフの剣がガドーを襲う。


「ぐっ!!」


 とっさに攻撃を受け致命傷を避けられたのは、たまたまとしか言い様がない。

 敵の剣筋をガドーは完全に見失っていた。

 力量差はその一手で理解出来た。


――こいつはやべぇ……。


 そう思ったのも束の間、体勢を崩したガドーに相手のダークエルフが即座に反応し斬りかかってくる。

 力量差を思えば、この攻撃で勝負が決まってもおかしくはなかった。


 剣音が鳴る。


「ちっ、完全に不意をついたと思ったんだがな」


 それはディオンの不意打ちをダークエルフの剣が受けた音だった。


「ディオン!!」


 助けに入った仲間に多少なりとも安堵するガドー。

 しかし助太刀が来たとはいっても情勢は好転しそうにない。

 険しい顔でディオンが言う。


「ガドー、こいつはちょっと分が悪そうだぞ……」


 彼の言葉にガドーが周囲に視線を向ければ、そこには同じくダークエルフを相手に苦戦するシドやグラス達の姿が見えた。

 シドもグラスもディオンも、ガドーと比べれば一段上と言ってよいほどの剣の使い手である。

 そんな彼らを以ってしても、分が悪いというのなら、ガドーから見ればこのダークエルフ達は二段も三段も上となるのか……。相手になるはずがない。


 思わぬ強敵の出現にどうしたものかと距離を取り、ダークエルフを睨みつけるディオンとガドー。

 表情を曇らせる二人の男とは対照的に、相手のエルフはいつでも殺せると言わんばかりの表情を見せていた。


 その時、突如として魔法の炎矢が飛来する。

 不意をつかれたのだろうか。

 連続したその矢はダークエルフへと直撃し爆煙を起こした。


「ほんと、どいつもこいつも使えないんだから」


 突然の魔法攻撃に驚いた者達が目をやれば、そこにはベルティーナの姿があった。

 悪態をつきながら登場してみせた魔術師の娘も今のガドーには心強く思えた。


「さすがは嬢さんだ。あのエルフ野郎を一発で仕留めちまうなんて」

「貴方達は邪魔になるからどいてなさい。こいつらは私が片付けるわ」


 そう言って次の術の準備に入りながらベルティーナが距離を縮めた時、煙の内で影が動いた。


「ベルティーナ!!」


 影の動きに気付いたディオンが叫ぶが、ベルティーナ達がその声の意味を認識するよりも早く、爆煙の内から炎の矢の直撃を食らったはずのダークエルフが飛び出した。

 完全に油断していた。

 仕留めたと思っていた相手が実はまるで無傷で、煙の中から襲ってくるとは誰も予想出来なかった。


 一瞬にして近付き、ダークエルフは魔術師を己の間合いに捉える。


「嬢さん!!」


 ガドーが叫ぶが、彼もディオンもベルティーナの助けに入れる位置にはいない。


――斬られる!!


 死を予感する美しき魔術師の娘に向かって、枯れ森のエルフの凶刃が振り下ろされた。


 致死量の鮮血が舞う。

 たった一太刀にて絶命した事を知るに十分な量の血が飛び散っていた。


 そして凶刃の餌食となり倒れ伏した者を一瞥するのは……、攻撃をかわそうと尻餅をついた魔術師の娘であった。


 斬られたのはベルティーナではなかった。

 彼女を必殺の間合いに捉えたかに思えたダークエルフの方が斬られ、絶命していたのだ。


 もちろんガドーやディオンの助けが間に合ったわけでも無ければ、ベルティーナ自身が倒したわけでもない。


「貴方……」


 驚き見上げるベルティーナの視線の先で、その男は黒い剣を手にし立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ