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抗う者と背負う者

 戦いが迫る中、聖水の試しを終えたレグスの足は城に備え付けられた牢屋へと向かっていた。

 束の間の休息を得る前にやらねばならぬ事がある。

 扉を開き、踏み入れた先で、レグスは鎖に繋がれた小男と再会した。


「どうしてお前が……、生きていたのか……、それともついに迎えが来たか?」


 憔悴した表情にて笑うマルフス、だいぶ気をやられているらしい。


「何を勘違いしているか知らないが、この通り私は生きている。……釈放だマルフス。王の許しも得た」


 レグスが広げ見せた羊皮紙にはマルフスが釈放される旨の文が書かれ、王の署名がしっかりと記されていた。紛うことなき赦免状である。


 言葉を失い、目を見開くマルフスにレグスは言う。


「驚く事ではないだろう。私は正当な裁判で勝利したのだ。そのうえ状況も変わった」


 一連の騒動で王の信頼を得ていた彼にとって、マルフスの解放を再び願い出て、それを認めさすのはそう難しい事ではなかった。


「そうか。そうだな。変わってしまった……。もはや手遅れだ。深い闇が全てを覆いつくし始めたのだ。もう星の声も聞こえはせぬ……」


 力無く呟いたかと思うとマルフスはレグスの背後に立つ大男達を睨みつけ、怒鳴り散らし始める。


「あれほど言っていたのに!! 俺はあれほど!!」


 不吉な予言を繰り返し、嘲笑を浴び続けた毎日。

 その結果が今日という日なのか。この状況なのか。


 一言では言い表す事が出来ないほどの悔しさと無念の内にマルフスはいた。


「泣き言を言っている場合か?」

「泣き言だと!? 貴様に何がわかる!! 俺の何が、何がわかる!! 俺は言ったのだ。ずっと言い続けてきたのだ。愚かなこの男達にずっと……、ずっと……、なのに……」


 激情に駆られマルフスは叫ぶ。


「何故だ!! 何故だ星々よ!! 何故俺にこんなものを……、何故俺に……、俺だけが……」


 特別な力だと思っていた。

 特別な宿命を持って生まれたのだと信じていた。

 それなのに、そうであったというのに……。

 全てが偽りだったのか。人々が言うように、自分は本当にただ頭のおかしな人間だっただけではないのか。


 涙を零し崩れ落ちるマルフスにレグスは語りかける。


「お前は己の運命を呪うか、星読みを名乗る者よ」


 何を言い出すのかとマルフスはレグスを見やる。


「私は呪った。己の運命を呪いに呪った。だが、その呪われた運命から逃げ出すような真似を私は決してしない」


 口以上に瞳が語っていた、どれほどの過酷な運命を背負わされてきたのかを。

 理屈ではない。

 マルフスの本能が男の瞳に、それを感じずにはいられなかったのだ。


「星の声が聞こえぬなら、己の胸の内に聞け。お前はここで終わりなのかと」


 最後にマルフスが星の声を聞いた時、命星は告げていた。

 まだその時ではないと。


 まだ……。そう、『まだ』なのだ。

 いつか来るはずなのだ、星々の王のもとに仕える日が。

 それが自分の宿命であったはず。


「終わりではない。まだ終わらないはずだ。……あんたは俺の言う事を信じてくれるのか?」

「他の預言はともかく、終わりではないというその言葉は信じよう。何せこの戦い、勝つつもりだからな。『俺』はまだ死ぬつもりはない」


 何の根拠もないはずの言葉でありながら、不思議と心地良く響いてくる男の言葉。

 何故だろう。

 何故よくも知らぬ男の言葉が己の胸を打つのか。


 いいやそんな事よりも、この男は窮地にある自分を一度ならず二度も救いに現れた。あの日、あの時、処刑されるというあの寸前まで、自分もこの男も互いに何一つ知らぬ間柄であったというのに。


 自身が持つ灰の地の知識を欲した。男が自分を助ける理由を簡単に理屈付けてしまえばそれだけの事だろう。

 だがそうだとして、あのブノーブを決闘裁判で負かすほどの異人が、こうも都合良く自分の前に現れるだろうか。


 全ては単なる偶然か。

 そうでないとするならば、自分はまだ与えられた宿命の内にいるのではないのか。

 星々はまだ自分を見捨てたりはしていないのではないか。


 その可能性があるなら……、もう一度信じてみようと思えた。

 自分が生まれ持ったモノをもう一度。


「そうか、そうだな……。俺もまだ死ぬつもりはない」


 灰色肌の小男が静かに笑った。



 マルフスの釈放を終えると、レグスはガァガの部下に案内され、ファバ達が待機しているという部屋へ向かった。

 その途中、彼は知った顔を見かける。


「よぉ、驚いたねぇ。まさか生きてたとはな。それもずいぶん元気そうじゃねぇか。しかも仲良さそうに自分を殺しかけた連中と歩いてやがるとは」


 ローガ開拓団に所属するハゲ頭の青目人ガドーだ。この場に他の団員の姿は見えない。

 含みを持たせた笑みを浮かべるその男にレグスは冷めた視線を返すのみで、一言も発しはしなかった。


「おっと、そう怖い顔するなって。俺達もまぁいろいろとあったがこういう状況だ。上手く協力していこうじゃねぇか」


 ガドーがそう言うと、レグスはようやく口を開く。


「協力とは互いが互いの役に立ち、初めて成り立つものだ。お前のような男がいったい何の役に立つ」

「こいつは手厳しいね。まぁ壁の民の戦士と真っ向から打ち合っちまう化け物と比べちまったら、俺の力なんてのはカスみてぇなもんだが、それでもないよりかはマシってもんだ。それにてめぇが問題を起こしたせいで出発が遅れて、このごたごたに巻き込まれたんだ。ちっとは負い目ってやつを感じてもらいたいもんだぜ」


 当初の予定ではローガ開拓団はとっくに壁の先へと発っているはずだった。

 それが遅れたのはレグスが騒動を起こしたからに他ならず、ガドー達は巻き込まれた側、言わば被害者である。

 面白く思っているはずがなかった。


「予定通りにここを発っていれば、お前など今攻め入ってきている魔物共の餌にされていただけだ。むしろ感謝してもらいたいぐらいだな」

「ちっ、よく言うぜ。ほんといい性格してるな、てめぇって野郎は」


 不愉快そうにガドーは顔を歪めるものの、それ以上の事をしてはこない。

 そんな青目人にレグスは問い掛ける。


「他の連中はどうした」

「とりえあえずは皆無事だ。ベルティーナ嬢さんなんて旦那を助け出すいい交渉材料が出来たってかなりはりきってるぜ。ものは考えようだな」


 壁の民の王の影響力はフリアの地においても無視できるものではない。

 少しでも戦力が欲しいこの状況で、ローガ開拓団の面々が相応の活躍を見せる事が出来れば、壁越えの許しどころか、主人であるロブエルの灰の地送りを防ぐ事も可能となろう。

 無論、それが決して楽に為せるようなものではない事を彼らも承知している。


「まっ、そうわけだ。互いに頑張ろうぜ」

「言われなくても私は常に最善を尽くす」

「ああ、そうかい。それじゃあてめぇの活躍、期待させてもらうぜ、闘士ゲッカさんよ」


 それを別れの挨拶にしてガドーは去っていく。

 その後ろ姿を少しの間振り返り見たのちに、レグスはファバ達のもとへと向かい歩を進めた。



「レグス!!」


 案内された部屋の扉を開けると、中にいたファバが名を呼びながら真っ先に駆け寄って来た。

 その顔には笑みすら浮かべていたが、彼はレグスを案内してきた大男の存在に気付くと、バツが悪そうな表情を作り口を閉じた。


「気にするな。この状況で彼らに名を偽る必要性はあまりない」


 そう言って少年の頭に軽く手を置きながら部屋へと入るレグス。


「あ、ああ……」


 それでも気まずさが消えるわけではない。

 ファバは無理矢理言葉を探し出すようにして話題を他へと移す。


「そうだ。シド達を見かけたぜ。あいつらもここに逃げ込んだみたいだ」


 レグスと離れている間に、遠目からではあったがファバ達もローガ開拓団の面々を見かけていた。


「ああ、さっきガドーと会って少し話をした」

「奴らなんか言ってたか」

「いや、どうという事はない。奴らも底無しの馬鹿ではないだろう。この状況で俺達に手を出すような真似はしないはずだ」


 ローガ開拓団の面々がレグス達の事をよく思っていないのは確かだろうが、それでも特別に深い遺恨があるわけではない。状況が状況なだけに彼らが何か手を出してくるような事は考えづらかった。


 むしろガドーはともかくとしてベルティーナ達、腕の立つ魔術師連中はこの戦いにおいて大きな戦力になる事は間違いない。そういった意味では頼りになるとすら言える。

 それは連中にとってのレグスもまた同じである。


「そうか。そうだよな」


 納得したようなそぶりを見せながらも、ファバの態度にはどこか落ち着きがなかった。


「どうした。何か他に言いたい事でもあるのか」

「いや、その、なんて言うかさ……」


 口ごもる少年にレグスは視線を上げ、自身の背後を振り返り見る。

 するとそこには、部屋の奥で困り顔を浮かべこちらを見つめているカムの姿があった。


 彼女のその表情とファバの煮え切らない態度、無関係ではあるまい。


「言いたい事があるならハッキリと言え。時間の無駄だ」

「その……、レグスがいない間に、俺なりに真面目に考えたんだ。自分の未熟さもよくわかってるつもりだ。それでも俺は、俺は……」


 真っ直ぐとレグスを見つめながら少年は言う。


「俺にも戦わせてくれ、レグス!! 部屋の片隅でただ嵐が過ぎるのを待つような真似はしたくねぇ。死ぬ時は……、俺も戦って死にたい!!」


 少年は感じていた、この度の戦いが決して分の良い戦いではない事を。

 周囲を魔物の大軍に囲まれ、城を守る大男達の中には悲壮な決意の色を顔に浮かべる者すらいた。

 たとえ無知な少年であっても、今が大きな困難を迎えた時である事を知るに十分な状況だった。


 もし己の身をわずかでも長く守るに相応しき行動があるとするなら、それはただこの大きな困難が過ぎ去るのを隠れ潜み、待つ事であろう。

 レグスが、カムが、セセリナが、壁の民の人々が血に塗れ必死に戦い続ける中、ただ息を殺し、存在を殺し、待てばいい。

 勝利を祈り、それが叶わぬのなら、何も出来ぬままに惨めに死んでいけばいい。

 それがもっとも生き長らえる確率の高き方法なのだから。


 そんな事はファバとて理解している。

 けれども、そうやって死んでいくのだとすれば、いったい自分は何の為に生きてきたというのか。

 いったい何の為にレグスの旅についてきたのか。

 何の為に学び、何の為に訓練を積んだのか。


 他ならぬ戦う為だ。

 決して臆病に逃げまわる為ではない。


 ひ弱であれど、必死に研いだ爪と牙を隠したまま死ぬのような真似を、少年の性が許しはしなかった。


 これまで遭遇してきた困難とは違う。

 大人しく待っていれば、助かる保障などありはしない。

 だからこそ彼は戦いかった。

 ただ震えて待つのではなく、武器を手にし戦いたかったのだ。


「好きにしたらいい」


 少年の焦燥と渇望をレグスは汲んでやった。


 満足に戦う事も出来ず死を迎える事は、この少年にとってあまりに酷だと思えたからだ。

 それは呪われた宿命から目を逸らし生きる事を拒み、あえて修羅の道を行く事を選んだ自身の境遇と、どこか重なるものがあったからなのかもしれない。


「本当か?」


 喜ぶファバとは対照的にレグスの背後でカムの溜め息が聞こえた。


「だが俺は俺で動く。お前の尻をいちいち拭ってやる暇などない。……覚悟は出来ているのか?」


 問い掛けるレグスにファバは答える。


「ああ。……怖くないって言ったら嘘になる。けどよ、逃げ隠れて何も出来ないまま死ぬのは絶対に嫌だ」


 その少年の言葉に偽りは微塵もなかった。


「言うまでもない事だが、私は反対だ」


 レグスとファバの会話にカムが割って入ってくる。


「戦場は甘くない。たとえ戦いに勝利出来たとしても死んでしまえばそれまでだ。未熟なこの子にいったい何が出来る。この戦いは子供が弓を手に取るにはあまりに過酷すぎる。むざむざと無駄死にさせる気か」


 責めるような眼差しを向ける女にレグスは言う。


「解放戦争では同じ年頃の少年少女が武器を手に戦い死んでいった。その戦いの中には何の成果も上げられずに死んだ者も大勢いる。お前はそれらを無意味な死だったと言うのか」

「無責任にも過去の悲劇を高尚化し繰り返すつもりか。それはもっとも恥ずべき事であり、おぞましき事だぞ」


 解放戦争では多くの少年兵が戦果を上げられぬまま犠牲となっていった。

 満足に物事を知る事もない子供達が、十分な訓練も受けられぬまま戦線に投入され死んでいったのだ。

 ひどい所では戦力として端から期待する事無く、無謀な作戦の囮役として扱われ、無惨に散っていた者すらいたという。

 戦後その死を、悲劇的な英雄譚として持ち上げ、過剰に賛美する風潮が一部では確かに存在した。

 幼い子供達が命を賭し戦う事を称賛する物語が数多く創作され、それは詩になり、本になり、劇になって、人々を沸かせた。


 そんな風潮をカムは嫌悪した。

 彼女にとって人々の称賛と涙は、無力な子供達を守る事の出来なかった大人達の身勝手な逃避にしか見えなかったからだ。

 子供達は『立派』に死んだのだ。

 そんな言い訳を聞いてやる気に、彼女はなれなかった。


「本当の悲劇とは絶望の淵で無気力に死んでいく事だ。戦えるはずの者が、戦えず死んでいく事だ。覚悟のある者が、それを示せず死んでいく事だ。お前はファバにその恥辱を抱いて死ねと言うのか」


 レグスも安易に無謀な戦いを推奨しているわけではない。彼には彼の考え方があった。

 それを感じ取りながらもそれでもカムは、ここでファバを戦わす事が正しいとは思えなかった。


「私達が戦いに勝てばいい事だ」


 何の保証もない展望を語る女にレグスは言う。


「根拠のない夢想を語り、人を惑わすなど、お前の言う悲劇の高尚化といったいどちらがより愚かであろうな」

「命を軽んじるな」

「俺が命を軽んじているのではなく、お前がファバの魂を軽んじているのだ」

「この戦いがそれほどのものだと言うのか? 年端も行かぬ者がその未来を、大いなる可能性を懸けるに値するほどのものだと、お前は言うのか?」

「それを決めるのは俺ではない。ファバ自身だ」


 少年の扱いをめぐり険悪な雰囲気を醸し出す二人に、当人は途惑いながら言い争いを止めに入る。


「ちょっと待ってくれよ二人共、あんたらが揉めたってしょうがねぇだろ」


 そして彼は戦いに参加する事を良しとしないカムの説得を自身で試み始める。


「なぁカム。心配して言ってくれてるってのはわかるぜ。それに俺が未熟だって事も、何も出来ないまま死ぬだけかもしれないって事もわかってる。……けど、それでも俺はここで戦わなくちゃいけねぇんだ」


 必死に訴えかけるその言葉を女は黙って聞いていた。


「俺はレグスと出会うまで、ほとんど死んだように生きてきた。毎日が空っぽで、違っていて、もがき方も知らずにただ心臓だけが動いて生きていた。それじゃあ駄目なんだよ。空っぽのままじゃ、生きてる意味がない。ただ祈って生きるような生き方なんてのはしたくねぇんだ。だから俺は強くなりてぇ。敵がいたらぶっ飛ばせるだけの強さが欲しい。そう思ったから、俺はレグスと旅をしてる。そう思ったから俺はへぼなりに毎日訓練してんだよ。なのに……、せっかく努力してきたのに、何もしないまま終わっちまうなんて耐えられねぇ。臆病に逃げ回って終わりだなんて認めねぇ。馬鹿言ってるてのはわかってる。二人に助けてもらおうなんてのも言わねぇ、だけど、戦わせてくれよ、カム」


 少年が拙いながらも訴えかけるそれは、どんな弁舌家の言葉よりもよほど説得力を持っている。

 その言葉はカムの心を動かすに十分なほどの熱を帯びていた。


「俺の魂を殺さないでくれ」


 そう言われてなお、否定する為に首を振る事などカムには出来なかった。

 締め付けられるような胸の痛みを堪え、彼女はファバに言う。


「……わかった。けれども約束してくれ。決して無理をしない事、それと私から離れず、指示に従う事だ」


 彼女はレグスに代わり、この戦いでの少年の面倒を見るつもりであった。恐らくは足手まといになる事はあっても、助けになるような事はないであろうファバの面倒を。


「ああ。けど、いいのかよ。俺が足を引っ張る事になるかもしれねえのに」


 後ろめたく言う少年にカムは優しく告げる。


「お前と同じだ。私の魂がそうすべきだと言っている」

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