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入城

 全身を魔物の血に染めた男が城門を潜ると、そこに姿を見せたのは彼の仲間達であった。

 ファバにカム、二人が笑みを漏らしながらレグスに声を掛ける。


「さすがだぜ。まじでたいした男だよ、あんたは」

「無事で何よりだ。悪かったな、損な役回りをさせてしまった」


 魔狼の群れを相手にするという危険な役を有無を言わさず引き受けたのはレグス自身だ。

 それでもカムの性分からして一言詫びなくては気がすまなかった。


「何も問題はない。言ったはずだ、あの程度の雑魚など相手にならんと」


 レグス達がそうやって無事の再会を喜んでいると、一段高い所より声がする。


「よく生きていた。歓迎するぞ、異国の勇者よ」


 見上げれば、覚えのある大男がそこに立っていた。

 ガァガだ。


「なんて言ってんだ、あいつ」


 言葉のわからぬファバが不安そうに問うと、それに答えることなくレグスは手を向け少年を制止する。

 そして彼は壁の民の言語を口にした。


「意外だな。てっきり締め出されるのかと思っていた」


 レグスは決闘で勝利したにも関わらず危うく暴徒に殺されかけた身だ。

 彼の存在は言わば壁の民にとって不都合な存在。その皮肉を込めた言葉だった。


「すこし誤解があるようだ」


 大男は顔をしかめながら言う。


「……話せるか、闘士ゲッカ」


 警戒しながらもレグスはその招きに応じる事にした。

 彼としてもこの緊急事態、壁の民の有力者である大男に聞いておきたい事があったのだ。

 無論ファバ達は心配したが、今はどのみち他に選択肢はない。

 城内に留まるならば壁の民と敵対するわけにはいかず、相手の話が何であるにせよ一度耳を貸す必要があった。


「戦いで浴びる血は名誉の証と言うが、お前ほどの名誉を持つ男もそうはいないだろう」


 自身のもとへとやって来たレグスを見たガァガの第一声はその激闘を称賛するものだった。

 魔物の血に塗れた戦士の姿。どれほどの敵を斬り殺したか、彼には想像もつかぬのだろう。


「世辞を言いたくて、わざわざ私を呼んだわけではあるまい」

「ああ、そうだな」


 棘のあるレグスの口調にガァガは少し言い淀む。

 しかし覚悟を決めたのか、あらたまって彼は言う。


「すまなかった。まずは決闘裁判においての我らの非礼を謝りたい」


 自尊心の強い壁の民から謝罪の言葉を引き出すのは簡単な事ではない。

 それほどにガァガは恥じていたのだ、あの出来事を。


「それと……」


 そして謝罪の言葉に続き、レグスの懸念について彼は弁明を始める。


「一部にお前を良く思わぬ者がいる事も確かだ。だが、これだけは信じてくれ。私はお前の味方だ」

「悪いが必要としているのは同情の言葉ではない、確かな身の安全の保障だ」

「安心してくれ。正式な決闘に勝利した勇士に手など出させるものか」

「それが偽りでない事を願おう」

「もちろんだ。約束する」


 一応の謝罪と城内での身の安全を約束させるとレグスは話題を次にすすめる。


「ひどい状況だ」

「ああ、まったくだ」


 城の周囲は魔物達に占拠され、荒らされ放題である。

 今は城外の殺戮に専念している魔物達だが、いつその矛先をこの城へと向けるかわからない。


「だが一夜しのげば、すべてが好転する。各地から我らの精鋭が駆けつけ、外に群がるあの汚らわしき魔物共を一掃するだろう」


 獅子馬を使い、三フィートルもの巨体を有する軍勢の行軍速度はフリア諸国のそれとは比べ物にならぬほどに速い。

 整備された街道もある。一番近くの門街からでも百キトルもの距離があるとはいえ、翌朝までには十分な数の救援が駆けつけるだろうとの計算がガァガにはあった。

 この状況下で気休めでもなんでもなく、本気で一夜しのげば勝てると、彼を含めた壁の民達は考えていたのである。


「それまで持つのか?」

「持たせてみせる」


 幾多もの戦場を潜り抜けてきた壁の民の勇者は強く言い切った。


「頼もしい事だ。だが、一つ気になる事がある」

「何だ」

「門の事だ。何故門が開いた」

「それは……」


 あからさまな動揺を見せ言い淀む大男。

 咎めるような視線を向けレグスは問いただす。


「門はハイエルフが施した術によって制御されていたと聞く。それが真ならば、簡単に破れるものではない。まさか敵の攻撃を受ける最中、わざと門を開いたわけでもないだろう」


『ハイエルフ』は頂上の種とも呼ばれ、ただでさえ長命なエルフ達よりもさらにずっと長く生きるという。

 もとより個体能力に優れたエルフが、さらなる時を積み重ねたとしたら、それはいったいどれほどのものとなろうか。

 魔術は無限の可能性を秘めた底無しの深淵。

 だから多くの偉大な魔術師達が底無しの底を覗く為に永遠の命を求め 時に禁忌を犯してまでそれを手にしようとした。

 その永遠に近き時を得たエルフ達、それがハイエルフである。


 幾代も経た魔術師ギルドが持つ膨大な秘密の知識。それに匹敵する知識をハイエルフ達は個人で成してしまう。

 そんな者達が術を施したのだとしたら、破れる者などそうはいない。


「わからぬのだ。何故突如門が開いたのか、我らにもその原因はわかっていない。ただ、枯れ森のエルフ達が奴らに協力している事が確認されている」

「枯れ森のエルフ?」

「神々に見放された穢れたエルフ達だ。ダークエルフと呼ぶ事もある。エルフは魔術に強い。奴らならば何か小細工を施せたのやもしれぬ」

「ハイエルフの秘術を破るなど、名のある魔術師達とて一筋縄ではいかない。枯れ森のエルフがどれほどのものかは知らないが、私ならば別の可能性を疑うな」

「何が言いたい」

「敵の手の者が入り込んでいる」


 レグスの言葉をガァガは否定する。


「まさか、ありえぬ」

「何故そんな事が言い切れる」

「大門の制御に携われる人間はごく僅かだ。たとえ敵の間者が紛れ込んだとしても、我らの目を掻い潜り大門の秘密を暴くなど不可能」

「そのごく僅かな人間から情報が漏れていると考えてみたらどうだ。時に奴らは言葉巧みに人に近付き、欲をつき、誘惑する」

「馬鹿馬鹿しい。お前は何も知らぬ外の人間だからそんな事が言えるのだ。いいか、大門に携われるのは数十年と魔物達と戦い続けた本物の戦士や勇者達だけだ。皆、友や家族を誰かしら戦いで失っている。そんな憎き敵に手を貸す者などいるはずもない」

「では、その本人が、実は憎き敵だったとしたらどうだ」

「なにをわけの分からぬ事を」

「お前が先ほど言っていた事だ、エルフは魔術に強いと。エルフの術でなくとも、悪魔の中には他人になりすます者がいる」

「姿かたちをいくら似せた所で、記憶までも完全に真似れるわけではあるまい。必ずボロが出るわ」

「そうだな」

「そんな不自然な者がいたら、すぐに気がつく」

「いないのか? 最近不自然な振る舞いを続けるような者は」

「そんな者いるはず……」


 否定しようとした時、ガァガの脳裏に一人、自然と思い浮かんだ顔があった。


 元老院議員のベベブだ。

 一年半ほど前からだ、時々彼から発せられる違和感にガァガが気付いたのは。

 特別親しい仲だったわけではない。だが古くから共に魔物達と戦い続けた者同士、ある程度の人となりは互いに知る仲である。

 そんな男との会話の中で行われる所作、口調のちょっとした違和感。

 あれは本当に気のせいだったのだろうか。

 彼が執拗にマルフスの処刑に拘っていたのは……、決闘場での出来事は……。


 思い返せば、不自然に思える点はいくらでも浮かんでくる。


「どうやら思い当たる節があるようだな」


 ガァガの反応にレグスは自身の予想の正しさを確信した。


「いいや、まさか。ありえぬ。いくらなんでもそんな事……」

「不自然なのは門が開いた事だけではない、この街が狙われたのは何故だ」


 動揺するガァガに畳み掛けるようにしてレグスは言う。


「いくつもある門街の中から選び攻め込んだ街に、王を始めとして普段は王宮にいるはずの者達がいた、……これも偶然か?」


 王や多くの元老院議員達がこの街を訪れていたのは、急遽決まった決闘裁判を見届ける為である。

 そしてその当日に、敵はこの街に攻め込んできた。


 出来すぎている。何と敵側に都合の良い事か。

 大門が勝手に開いた事と併せ考えてみれば、情報が漏れている事は自明ではないか。


「下手な自尊心は破滅をもたらすだけだぞ」


 レグスの警告にガァガは観念した。

 認めざるを得ない、敵の息のかかった者が上層部に紛れ込んでいる事を。


「だが、どうするというのだ。お前の言う通りだとして、どうやって潜り込んだ間者を見分ける。どこに何匹紛れたか、まったく検討もつかぬのだぞ」


 今日この日、この土壇場を迎えるまで、結局誰もベベブの異変を見破れなかった。

 ならば彼以外にも敵の間者がなりすましている者がいてもおかしくはない。

 今のベベブと懇意な者、あるいはまったく無関係に近い人間。

 一度疑い出せば、誰もが怪しく見えてくる。


 区別をつけるなどガァガには不可能に思えた。


「まさかこの非常時に一人一人調べていくつもりか?」


 敵の間者も程度の低い術で化けているわけではあるまい。見破るには相応の手間がかかる事だろう。

 今この城には数百では利かない数の人間が籠城している。それを一人一人調べるとなれば、どう考えても時間が足りない。


「そうだ、そうするしかない」

「しかし……」


 苦渋の表情を浮かべるガァガと深刻な顔をするレグス。

 そんな二人の近くで突如声がする。


「簡単よ、私に考えがあるわ」


 二人が声する方へと視線を落として見れば、そこには得意気な顔を浮かべる精霊の姿があった。



 精霊の助言を受けたレグスはファバ達とは一旦行動を別にすると、ガァガと共に王がいる城主の間へと向かった。

 紛れ込んだ間者について即刻対応するように、王に進言する為である。


「これでは城門の守兵が少なすぎやしないか?」

「だからと言って他の区画の守備兵をこれ以上減らすわけにはいかない。リザードマンなどは平気で城壁をよじ登ってくるのだ。穴を空ければ一気に突破されてしまうぞ」

「東の城塔に弓兵を割きすぎだ」

「しかしハーピー共の侵入を抑える為にも、これだけの数はいるだろう」

「重要なのは主塔だ。敵軍にはミノタウロスの姿もあった。あの牛の巨人共に対抗するのには主塔の弩砲が欠かせぬ。ここの守りは完璧にせねば」

「ええい、こんな悠長に話し合ってる間にも敵は攻め込んでくるぞ!!」

「そんな事言われんでもわかっておるわ!!」


 城主の間ではゴルゴーラ王や元老院議員達、そして主だった将が集い、この差し迫った危機についての話し合いが行われていた。

 されどその内容は芳しくない。地図を広げ、駒を置き、熱心に意見をぶつけ合いはするものの、これといった名案も無く小手先の最善について話し合うが精々であったのだ。


 そうしてどこか重苦しい空気が部屋に漂う中で、閉め切られていたはずの扉が突如乱暴に開かれる。

 そこには鬼気迫る表情を浮かべた大男の姿があり、彼の背後では衛兵達がうろたえていた。


「なにをしている貴様!! 守兵共の指揮はどうした!!」


 部屋へと足を踏み入れる大男に、老いの目立つ元老院議員の一人が問うが。

 彼は動じることもなく返答する。


「バゴバに任せている」

「ま、任せておるだと!? この事態に、お前が指揮を執らんでどうする!!」

「火急の用にて、私自らが出向いた次第だ」


 そう口にする壁の民の男に今度は老議員でも他の議員でもなく、奥で座する王があらためて問い掛ける。


「何事だ、ガァガよ」


 ゴルゴーラ王の言葉に自身の後ろへと視線をやるガァガ。

 そこから姿を見せたのは血の汚れも生々しい東黄人の男だった。


「な、何故お前が!!」


 場にいる多くの者が驚いた。

 ガァガの背後から現れたのは、マルフスの無罪を主張し、決闘裁判で死闘を繰り広げていた闘士ゲッカだったからだ。

 つまりはレグスである。


「気でも狂うたかガァガ!! 陛下の御前にこのような者を連れて参るなど!!」


 レグスは単なる部外者というだけでなく壁の民との騒ぎ起こした張本人であり、そんな者を王のいる間へ、重要な話し合いが行われている場へ連れてくるなど常識では考えられぬ事だった。


 激昂した議員が衛兵達に命じる。


「衛兵共何をしている!! 場違いなこの無礼者を早くつまみ出さんか!!」


 だがその命令に衛兵達が従うより早く、別なる声が部屋に響き渡った。


「口を慎め、星無しの子よ」


 その声と共に姿を見せたのは荘厳な青き光に身を包む少女であった。

 どよめく人々を一瞥した後、彼女は座する王を見据えて力強く発する。


「星無しの民の王よ、よもや忘れてはおるまいな。我らがお前達の神々と交わした神聖不可侵の盟約を」

「神聖不可侵の盟約とな」


 ゴルゴーラ王には分からなかった、正体不明の少女がいったい何の事を言っているのかが。

 そんな王の顔付きに青き少女は盟約の名を口にする。


「『連寧(れんね)の盟約』にて、我らはユピアの神々と対等にあったはずだ」


 少女の口から衝いて出たのは古き神話の時代、天の神々と地上の者達との間に交わされたという盟約の名だった。


「れ、連寧の盟約!?」


 その名に人々はざわついた。

 今やその盟約を目にする機会は古き書物と朽ちかけた石碑においてのみであり、耳にするのは聖職者達の有り難い説法の中ぐらいであろう。

 フリアの地に住まう者達の多くが忘れかけ、あるいは忘れてしまい、もしくは知りすらもしない神聖なる誓い。

 そんな伝説上の誓いを少女はさも当然のように口にしている。


「古の聖なる誓いを持ち出すばかりか、偉大なる天上の主達と対等にあるとは、何たる大言。……いったい何者か」


 訝しむゴルゴーラ王の問いに微塵も畏まる様子なく少女は言う。


「我はスティア。始原の時代よりこの地に住まう元始の子なり。本来、彼の十二神の僕たるお前達が、そのような口を聞いてよい相手ではないと知れ」


 眼光鋭く放たれる元始の精霊の言葉は瞬時にして場を覆い圧する。

 豪胆たる王や歴戦の大男達が皆、目の前の小さな少女に呑まれ言葉を失っていた。


 少女の言葉に説得力をもたらしているのは、何も彼女が発する力強き言葉自身だけではない。

 彼女の青き霊体が、神聖にして尋常ならざる存在である事を否が応にも知らしめていたのだ。


「始原の時代とな!?」


 人々が三度どよめく。


『始原の時代』、フリア教徒が『迷いの時代』とも呼ぶ、天上の神々が光臨する以前の神無き時代の別名。

 記録もほとんど残らぬそんな時代の名を口にするとはますますもって摩訶不思議、目の前の少女を大男達は測り切れずにいた。


 そうして戸惑い言葉を失う彼らに代わって、一人の元老院議員が大声を発する。


「愚かな!! スティアだと!!」


 それはベベブであった。


「彼の精霊共はとうの昔に大陸より去ったはず!! その古き精霊が!! どうしてこのような場にいようか!! 騙されてはならぬ!! このような不逞(ふてい)の輩に、騙されてはなりませんぞ、陛下!!」

「ほう。よく勉強しておるな。だが……」


 少女がその目を見開くと、たちまちに強力な風が発生しベベブを吹き飛ばした。

 そのまま彼は壁へと叩きつけられ崩れ落ちると、その肉体は目に見えぬ力によって地面へと押さえつけられてしまう。


 そして満足に身動きもとれず地に伏せる男に、少女は冷たい言葉を浴びせる。


「口を慎めと先ほど申したはず。今は我とそなたらの王が言葉を交わす最中にあるぞ、弁えぬか」


 人々はこの光景に心底驚いた、これほど強力な術を平然と為してしまうとは、まこと只者ではないと。

 それは彼らがある種の確信を得るに十分すぎる力であった。


「……何故今になって、大陸を去りし古き精霊がこのような場に姿を見せるか」


 尋ねる王の口調には硬さがあった。

 緊張しているのだ。怪物を前にして果敢に挑む戦の民の王が、見かけは小さな少女である目の前の彼女に、完全に呑まれていた。


「今であるからこそだ、星無しの民の王よ」


 少女のその力強き言葉に抗うのは壁の民の王たりとて最早出来ぬ事だった。


 しばらくの間、沈黙があった。

 その後に、圧される人々や黙す精霊に代わりガァガがゴルゴーラ王に具申する。


「陛下、人払いの方をどうぞお願い致します」


 彼は内密の話があるゆえに、この場にいる忠臣達すらも部屋より追い出せと言っているのだ。

 それを聞いて王や議員達は驚いたし、ベベブにいたっては声を荒げて罵倒した。


「馬鹿を言え!! わけもわからぬ輩共と陛下をっ!! ぐおっ!!」


 しかし途中で、精霊の力によって顔を地面に押し付けられ口を塞がれてしまう。

 もがくベベブを無視し精霊は言う。


「王よ。聞いての通りだ。余計な者には退出してもらおう」


 これまでの経緯からゴルゴーラ王は覚悟を決めた。

 そして彼女の言に従うと、戸惑う大男達に指示し城主の間より追い出してしまったのである。


 レグス達を除けば、部屋にはゴルゴーラ王とベベブが残されるのみとなった。


「して、人を払ってまでせねばならぬ話とはいったい何事か、古き精霊殿よ」


 王の問い掛けに深刻な口調にて精霊の少女が語る。


「夜より深し闇の者共がよからぬ事を企み始めている。この度の攻撃はその始まりに過ぎない。ここで対応を誤れば『黒き予言』の通り、暗黒の世が訪れるその始まりとなろう。それを防ぐ為にも我はここに来た」


『黒き予言』という言葉に王は反応せずにはいられなかった。

 それはマルフスが口にした恐ろしき暗黒の世の到来を告げるものであり、この状況下、決して笑う事の出来ぬものとなっていたからだ。


 レグス達はこの部屋にくる前に、マルフスについて、そして予言の事をガァガより聞き出していた。ここで『黒き予言』の話題を出せば、より話に説得力を持たせられるとの算段が彼らにはあった。

 だが、実はそれだけではなかった。

『黒き予言』が既に五百年も昔に、ある星読みによって残されていたものである事を精霊の少女は知っていた。

 彼女の言葉は決して打算的なものだけではなかったのだ。


 そして五百年前の『黒き予言』を知るのは壁の民の王もまた同じ。

 高名な星読みの預言が先にあり、それを知っていたからこそ、マルフスの予言は恐れられると同時に、それを真似たにすぎぬと笑われたのだ。


 笑われていた、今日この日が来るまでは……。


「『黒き予言』が告げる暗黒の世の到来を防ぐ為……、我らに手を貸してくれると言うのか」


 大きな困難を前にして、ある種すがるように王は精霊に問い掛けた。


「力は貸そう。だが我の力だけではこの困難を乗り切るに及ばぬ。あの穢れの軍勢を打ち払うのは、あくまでお前達の役目。我は幾ばくかの助力と助言を与えよう」

「助言……、いったい我らにどうせよと」

「持てる力を発揮せよ。その為にもまず内に潜む害虫を取り除かねばならない」

「内に潜む害虫……」


 怪訝に眉をひそめる王を見て少女は言う。


「聖水を」


 彼女のその言葉に、ガァガの部下の一人が王のもとへと歩み、その手に握られた杯を差し出す。

 杯の内には水のような液体がたゆたっていた。


「これを、飲めと?」


 王の言葉に精霊はただ頷く。

 それを見てベベブがまたも喚き出す。


「聖水だと!? 貴様ら正気か!! 陛下を試すが如くの所業、まこと不敬であろう!! 陛下もなりませぬ、万が一毒でも入っていたりすれば、取り返しのつかぬ事に!!」


 しかしそんな彼を無視し精霊は王に言う。


「案ずるな。ただの聖水だ」


 彼女の言葉に覚悟を決め、ゴルゴーラ王は杯を受け取るとその内の水を一口含む。

 ごくりと液体が喉を通るのを眺めると、ベベブは悲痛な表情を浮かべて声を漏らした。


「ああ、ああ、なんて事を……」


 しばらくして王が一言。


「……ただの水だ」


 それを聞き、精霊の少女は言う。


「そうだ。人にとってはただの水と変わりない。だがもしも人ではなく、まやかしに身を包む悪しき魔の者共がそれを口にすれば……」


 杯を王より受け取った部下がそれをレグスへと手渡す。

 そしてレグスは杯を手に、地に伏せる男へと近付いていった。


「や、やめろ!!」


 近付く東黄人に顔を青白くするベベブ。

 その怯えようは尋常ではない。


「どうした。そう拒む事もなかろう。偉大なお前達の王が口をつけた杯だ。光栄に思い、頂戴するといい」


 そう言って無理矢理杯の内の液体を男の口の中へと流し込むレグス。


 抵抗しようにも精霊の力に押さえつけられ、ベベブは何も出来ない。

 そして杯の聖水を全て飲み干したその者はたちまち苦しみだし、もがき始めた。


 おぞましき声をあげて悶える男を尻目に精霊が言う。


「よく見るがいい。これがお前達の内に巣くった害虫共の姿だ」


 ベベブの肉体が、見る見るうちに異形の者へと変貌していく。


「なんという事だ……」


 その真の姿を見たゴルゴーラ王は絶句した。

 まさか忠臣と思っていた元老院議員の正体が、斯くも醜き悪魔であったとは。


「後少し、もう少しであったのに……、忌まわしき精霊め、余計な事を」


 青き少女を睨みつけ、息も絶え絶えに恨めしく呟く悪魔。


「だが、ここで俺様を殺したところで、もはや状況は変わらん。お前達は皆殺しだ!! 一人残らず、皆殺し!! 壁の西に住まう人間もろともだ!! ざまぁみろ!! 暗黒の世で最後に笑うのは我らが女皇アヴァリータ様だ!! ギヒッ、ギヒヒヒ、ゲヘヘヘ、ギァアハッハハ!!」


 捨て台詞とばかりに喚き笑う悪魔の首を黒い剣が斬り飛ばす。


「よく喋る奴だ」


 一太刀にて悪魔を仕留めたレグスが呆れ言った。


「クルナマヴの淫魔か」


 絶命した悪魔の亡骸から流れ出す毒々しい色の血を見て、レグスはその悪魔の種を断定する。


 淫魔は『高慢と肉欲の女帝アヴァリータ』の眷属であり、その性質上、幻覚を見せ錯覚させたり、人に化けるのを得意としている。

 特に『クルナマヴの淫魔』と呼ばれる悪魔は、捕食した相手の血肉を利用し人に化ける為、幻術を暴くような対策では通用しない。そのうえ狡猾で用心深い一面もあり、食欲を満たす為に無闇やたらに捕食するような行動はとらず、必要とあらば十年単位で絶食する事も可能でその正体を見破るのには苦労する。

 代わりに大した戦闘能力はないが、こういった潜入工作にはまさにうってつけの悪魔であった。


「まさか知らぬうちに、汚らわしき悪魔が紛れ込んでおったとは……。しかし、いったいいつの間に……、我らも聖水の試しは行っていたのだ」


 壁の民としても敵の間者に全くの無警戒というわけではなかった。

 聖水の試しや幻覚の術を破る策はいろいろと実施していたのだ。

 だがベベブに成り済ました悪魔は、その全てを掻い潜り見事に一年以上もの間、見破られる事無く活動を続けてきた。


 それは何故か。


「質の悪い聖水など、耐性のついた悪魔には通用せぬ」


 消沈する王に答えを示す精霊。


 壁の民が『試し』に使用していた聖水は長い時が経つうちにその力を弱めていた。

 その為、低級な悪霊はともかく、クルナマヴの淫魔のようにある程度の抵抗力を持つ悪魔が口にしたところで、その正体を見破るまでには至らなかったのである。


「だが我が用意した聖水は違う。どれほど高等な悪魔もそれを口に含んでは、知らぬ顔ではおれまい。星無しの民の王ゴルゴーラよ、すぐにこの聖水を用い、城に籠城する者達をあらためなおせ。内に敵を抱えていては、まともな戦にはなるまい」


 目の前で彼女の聖水の力を見せ付けられたばかりのゴルゴーラ王が、これを断るはずもなかった。



 王はガァガに命じ、籠城する者達が聖水の試しを受けるよう急ぎ取り計らった。

 そして壁の民達が聖水の用意された部屋へと数十人単位で順々に呼び出されていく事になったのだが、その際において呼び出しの理由は伏せられたままとなった。

 部屋で何が行われているかが外へと漏れ、潜む悪魔達に気付かれてしまえば、いらぬ混乱を招きかねない。試しの部屋に入った時点で集められた者達が理解するのは、ただ王命のもと集められたという事実だけであったのだ。

 やがて彼らは杯に注がれた聖水とベベブに化けていた淫魔の死体を前に説明を受け、事態をようやく理解する。

 無論、退出後も部屋で何が行われたのかは他言無用。


 もしもの時に備え、試しを済ませた指折りの精鋭兵とレグス、それに精霊のセセリナが見守る中で、一連の作業は順調に進んでいった。


「なんとか間に合ったわね」


 聖水の試しを受ける最後の一団を眺めながらセセリナがレグスに言った。


「ああ、お前のおかげだセセリナ。お前の力が無ければ、こう上手くはいかなかった」


 試しの聖水はただの水に彼女自身の聖なる力を送る事によって作り出されていた。つまりは彼女の存在なくして、この強力な聖水を用意する事は不可能。

 もしこの特別製の聖水に頼らず大男達を調べていくとなると、とてもではないが城外の魔物達の攻勢が始まるまでには間に合わなかったに違いない。

 そしてそもそも聖水の試しを滞る事無く行えたのは、ゴルゴーラの王命あればこそ。

 王命を得られたのは古き精霊の説得があったからに他ならず、セセリナが一芝居打ってみせねば事はもっと手間取っていただろう。


「助かった。礼を言う」

「あら素直。けど、まだ礼を言うのは早いわ。これからが本番なんだから」

「そうだな」


 レグスとセセリナが会話をする内に、最後の試しが終了する。

 不幸中の幸いと言うべきか、終わってみれば壁の民に化けた悪魔の数は当初懸念されていたよりもずっと少なく、影響は限定的なものにとどまった。

 想定される破壊工作についてもその対応は壁の民達によって進められており、戦いの最中で門が開くような事態を今度は避けられるだろう。


「さてと、あとは彼らに任せて、私達は少しでも英気を養うとしましょう」


 一仕事終えた精霊がレグスに提案する。


「ああ。……お前は大丈夫か?」

「私?」

「今日だけでもだいぶ無理をさせた」


 レグスはセセリナを気遣っていた。


 いくら大きな力を持つ古き精霊であろうと、その力は無限ではない。

 彼女の力の多くは魔石によってレグスの内に刻まれた巨大な悪しき力を封じるのに普段から割かれており、実際に扱える力は限られてしまっている。

 そのうえ今日は瀕死の重傷者の治療に、王を説得する為に打った芝居にもハッタリを利かせる為に少なくない力を使用している。


 レグスは感じていた、自身の内の魔を封じる精霊の力のわずかな揺らぎを。

 それは今日の出来事が彼女にとって大きな負担であった事の他ならぬ証明でもあった。


「私の心配するより、あなたは自分の事を心配してなさいな」


 表面上は普段と変わりなく平然と振舞ってはいるものの、内心かなり消耗している事は間違いない。

 あまり無理をさせれば、この戦い、彼女とて無事でいられる保障はない。


「いざとなればお前だけでもここを脱しろ」


 レグスの言葉に少し驚いたような表情を見せるセセリナ。

 しかしそれでも深刻さを出さぬよう彼女は努めて軽い口調で応じた。


「馬鹿を言わないで。親友の子を見捨てるような薄情な女じゃなくてよ」

「茶化すな、まじめな話だ」


 真顔で問い掛ける男にセセリナは口調をあらため言い直す。


「大真面目よ」


 青き精霊の少女の瞳も、言葉も、真剣そのものであった。


「私はあなたが赤子の時から面倒を見てきているの。……わかるでしょ?」


 赤子の時から、いいや彼が母の腹の内にあった時から見守ってきたのだ。親友であるリーシェの子という以上の親愛の情があった。

 しかし彼女のそれに甘えるような事を、レグスはしたくはなかった。


「お前はもう十分とよくやってくれた」


 偽りのない労いの言葉ではあったが、それを伝えるに相応しい時と場ではなかった。

 精霊の少女は悲哀の情をその美しき顔に浮かべて言う。


「そういう事じゃない。どれだけやったとか、やらなかったとか、そんな事……」


 たとえ彼女がその内に秘める思いをどれだけ語ろうと、その思いが届こうと、たぶん無駄だろう。

 レグスとはそういう男だ。

 その事を彼女とて理解している。


「やめましょうこんな話」


 哀情を含んだ口調にて話題を無理に打ち切るセセリナ。

 そして彼女は言う。


「……とにかくあなたは自分の事だけに集中なさい。厳しい戦いになるわ」


 その言葉を残し、古き精霊は指輪の中へと引っ込んでしまった。

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