未曾有
「それでこれからどうするつもり。私はこの混乱に乗じてさっさと適当な街まで引き返した方がいいと思うんだけど」
急ぎ天幕へと戻り必要最低限の荷を整理し終えたレグスに、セセリナが今後の行動についての見解を述べる。
すると、青き精霊のその言葉にファバが反応し横槍を入れた。
「はっ? 壁越えはどうするんだよ」
「今はそんな事言ってられる状況じゃないわ。そうでしょ?」
セセリナがレグスの方へと視線を向ける。
彼女は昨夜彼と同じく魔女の言葉を聞いている。
この騒ぎが、毎冬この地で行われている戦いとは何かが違うであろう事を察していたのだ。
「ああ、わかっている」
これからどうするつもりか、それをレグスが口にする前に、空を旋回する鷹を眺めていた女が告げる。
「予想以上にまずいな、門が開くぞ。急いでここを離れた方がいい」
「おいおい、敵が攻めてきてるんだろ? なんで門が……、なにかの間違いじゃないのか!?」
疑う少年にカムは言った。
「ライセンの目は確かだ。見間違うような真似はしない」
この言葉を聞き、レグスは彼女に尋ねる。
「カム、まだしばらくファバの事を頼めるか?」
「それは構わないが……、どうするつもりだ」
「ラザリックに向かってくれ」
「エントニアのか?」
エントニアは壁の地に隣接するフリア最東端の国家のうちの一つであり、ラザリックは他の国境の街や村よりも比較的要塞化が進んでいた。
ラザリックの街ならば、万が一の際にもある程度の安全は確保出来る。
「そうだ。そこで情勢が落ち着くまでの間ファバの面倒を頼む」
「お前は?」
「ここに残る」
レグスのこの発言に真っ先に反応したのは、質問者であるカムや今後の行動を勝手に決められようとしているファバでもなく、セセリナだった。
「何を馬鹿な事を言ってるのよ、そんな体で!!」
精霊の治療を受けたといっても急場しのぎの治療には変わりない。
まだ痛みは残っているし、急激な治癒による精神と肉体への負担もある。
されど当人にはそれを気に掛ける様子は無く、決闘場から無事持ち出した黒い剣を手にしながら彼は言う。
「こいつが振れれば十分だ」
「ここで起きる事は壁の守護者である彼らの問題よ、あなたが残る必要性がどこにあるって言うの。まさか、あのマルフスとかいう罪人じゃないでしょうね」
「奴の事もあるが、壁を越えるならどのみちこの地を通る事になる。だったらこの状況を無視するわけにもいかない。恩を売っておいても損はないだろう」
レグスは壁越えを諦めてなどいなかった。
この戦いで功を立て、自身の壁越えを認めさせるつもりだと言うのだ。
そんな彼に、カムがもっともな懸念を口にする。
「決闘裁判を反故にしようとした連中だぞ」
セセリナも彼女の言に同調した。
「そうよ。それに壁の民は自分達の戦いに誇りをもっている。他人に勝手に手出しされるのを良しとはしないわ」
「だが、こうなっては魔女の言葉も無視出来ない。もし壁が落ちるとなったらフリアは地獄と化そう」
「たしかにそうだが、お前一人が残ったとしてどうにかなるものでもないだろう」
カムの言葉に、レグスは簡潔に返答する。
「だとしても、何もやらないよりかはいくらかマシだ」
「だったら私がここに残って戦おう。お前はその体だ、この子を連れて街へ行け。その方が理に適っている」
「有り難い申し出だが遠慮しておく。鷹の目は何かと便利だ、お前といた方がファバも安全だろう。それに、戦いに関しては俺の方が腕は立つ」
レグスの目は真剣だった。
冗談でもなんでもなく、今の状態であっても、カムよりも自分の方が戦えると主張しているのだ。
実際、決闘での戦いっぷりはその主張の裏づけとなるだけのものがあった。
「わかった。好きにしたらいい」
「恩に着る」
レグスの固い意志を見てカムは素直に承知したものの、セセリナはなおも強く反対した。
そんな彼女に対してファバが言う。
「なに言ったって無駄さ。そうだろレグス?」
「そうだ」
「なによ、あんたまで。今回ばかりはずいぶんと物分りがいいじゃない」
セセリナの皮肉めいた物言いに少年は言う。
「まじでヤバイ状況だってぐらいは俺でもわかる、足手まといにはなりたくねぇ」
己の未熟さは己自身がよく知っている。
この状況下で自分が残ったところで、レグスの足を引っ張るだけにしかならないという事を少年は理解していた。
それに加え、レグスの頑固さも相当なもの。
どれだけ時間を掛けようと、彼の考えは変わらないだろう。
だからこそ、半ば諦めにも近い感情で少年もレグスの言に従うつもりだった。
もちろん、胸中に一物抱えていないわけではないが……。
「だったら私もここに残るわ。ファバには彼女がいれば十分よ」
三対一となった状況でセセリナは要求を変更した。
レグスをこの戦場より離すのではなく、自分も残ると言い出したのだ。
たしかに精霊の力は心強い。
そのうえ霊体である彼女ならば他の者と違い、いざとなれば逃げる事も可能だろう。
一瞬ファバとカムに目をやった後、レグスは口を開く。
「いいのか?」
「当たり前よ。私が何年あなたの面倒見てきたと思ってんのよ」
精霊は強い口調で言い切った。
街に鐘の音が鳴り響く。
壁上はリザードマン達に占拠され、開かれた大門からはオークやトロル達が次々と雪崩れ込む。
そして空より睥睨する怪鳥達は、戦闘で傷を負い弱った戦士を見つけるや否や容赦なく襲い掛かっていく。
壁の民達の奮戦虚しく、戦況は明らかに魔物達へと傾いていた。
そんな時、街に聞きなれぬ鐘の音が響いた。
太く、低く、大きな音。
それまで街に響いていたモノとは異なる音だった。
その音はレグス達のもとへも届いていた。
「なんだこの音?」
指輪を返す為に首紐を外すファバが疑問を口にすると、レグスが険しい顔付きで答える。
「壁の守りを諦め、籠城に切り替えるつもりのようだ」
新たな鐘の音は街中からではなく外れにある大きな城より聞こえてきていた。
その城は万が一壁が破られた場合に備え築城されたもので、他国の下手な王城よりよほど立派な造りであった。
壁が破られるような事はまずあり得ず、大陸一の無駄城とすら呼ばれる事もあったその城が、……必要とされる時が来てしまったのだ。
「とにかく急げ」
三者共に馬に跨り、東西にそれぞれ馬の頭を向け一時の別れの挨拶を交わす。
「武運を祈る」
「レグス!! 絶対くたばんじゃねぇぞ!! それと約束は守れ!! 勝手に俺を置いて行っちまうような真似はするなよ!!」
「ああ」
そうして一方は戦場へ、もう一方はラザリックの街へと馬の歩を進め始めたのだが……。
鷹が彼らの頭上でけたたましく鳴いた。
馬を止め、空を見やりカムが大声を発す。
「レグス!!」
呼び止められ振り返る男に彼女は言う。
「敵が来る」
そうだ、敵が来る。いや、来ているのだ。
分かりきった事を何を今さらと、遊牧民の女を除く誰もが思った。
「ああ、だから急げ」
レグスの言葉に首を横に振り、顔を強張らせるカム。
そして彼女は耳を疑うような言葉を口にする。
「違う!! 西からだ」
未開の地である灰の地とは違いフリアの大部分には人の目が届いている。
その為、魔物が生息出来るような場所は限られており、ヘルマの汚れた血を引く者達が大きな脅威となるような事は通常あり得ない。
しかし、どうした事だろう。
いったいどこから湧いて出たのかわからぬほどの大量の魔物達が、壁の西に集結していたのだ。
主にオークを中心としたこの西の魔物達の動きは、明らかに灰の地の魔物達の侵攻に連動している。
このような事はこれまで一度たりとありはしなかった。
未曾有の危機。
東からは灰の地の魔物達が、そして西からはフリアの地の魔物達が、この壁の地へと攻め寄せて来ていた。
絶望的な状況を把握したレグス達は予定を変更し、街外れに築かれた堅牢な城へと全員が避難する事にした。
敵は既に街へと雪崩れ込んでおり、いつ城門が閉ざされてもおかしくなく、急がなくてはならない。
馬を飛ばし城へと向かう三人。
街を襲っていたハーピーの内いくらかがレグス達の存在に気付き飛んでくる。
空を舞う鷹はそれをすぐに察知し、主へと鳴き知らせた。
ライセンの鳴き声に応じてカムは弓を手に取り、馬上から怪鳥目掛けて矢を射始める。
騎射は遊牧民が得意とするところであるが、彼女のそれはなお巧みであった。
女顔の怪鳥を一射一中で打ち落としていくカム。
その命中率もさる事ながら、連射の速度も相当な速さである。
しかし彼女がいくら優れた弓の使い手であろうと、人の身には限界がある。
三人の内で一際目立つ未熟な乗り手を、魔物達は見逃さなかった。
優れた射手のわずかの隙を付き、ファバへと襲い掛かるハーピー。
怪鳥のするどい鉤爪が少年の馬をとらえる。
「ファバ!!」
カムの目の前でファバが落馬する。
助けようにも彼女の位置からでは一度馬を反転させなくてはならない。
そんな悠長な時間を魔物達がくれるはずもなく……。
怪鳥の群れは地面に倒れ伏した少年へと一斉に襲い掛かった。
しかし鉤爪がファバの肉体を刻むより早く、黒い剣がハーピー達を斬り飛ばす。
レグスの助けが間に合ったのだ。
「立てるか」
なおも空を舞うハーピー達に注意を向けながらレグスがファバへと声を掛ける。
「ちっくしょう!! くそっ!! なんとか無事だ、くそが!!」
落馬の痛みに耐えながら体を起こすファバ。
それを見てレグスは一安心するものの、ハーピー達は攻撃の手を緩めるつもりはないらしい。
次から次へと襲ってくる女顔の怪鳥達をレグスは容赦なく斬り落としいく。
そして彼の活躍は無論の事、カムの援護射撃もあり、やがてハーピー達は目に見えてその数を減らしていき、ついにはその全てが撃退される。
あとはファバをどちらかの馬に乗せ、城へと向かうだけの状況になったのだが……。
直後、魔狼の遠吠えが三人の耳に聞こえて来た。
レグス達に緊張が走る。
魔狼の足は速い、馬でも人を乗せた状態では逃げ切れるか怪しいものだ。
「カム、ファバを乗せて先に行け」
「お前は?」
「二人乗りでは確実に追いつかれる。俺が奴らの相手をする」
二人の視線の先にはこちらへと向かって駆けて来る魔狼の群れの姿があった。
口論している余裕などない。
「わかった」
カムはファバを抱きかかえるようにして自身の愛馬へ乗せた。
「悪りぃレグス」
後ろめたさから謝る少年にレグスは言う。
「気にするな。あの程度の雑魚など俺の相手にはならん」
囮となる男を残してカム達は馬を走らせた。
途中、追加の怪鳥の小規模な襲撃こそありはしたが、射手と鷹の活躍によりそれを退けると、彼女らは無事に目的の場所に逃げ込む事に成功する。
小高い丘の上に立つ壁の民の城。
その城門前からは、逃げ遅れた者達が必死の退却戦を行っている姿が遠目に映った。
その中には、魔狼の群れを一人相手にするレグスの姿もある。
異常な数の魔狼が彼に群がっていた。
――ヒュイ。
カムが指笛を鳴らすと空を舞う鷹が素早く旋回し、レグスの方へと向かう。
無事城に入れた事を知らせる為、彼女が命じたのだ。
「ちくしょう、また俺が足を引っ張った」
城に着いた安堵感と同時に、悔恨の情が少年の内に湧く。
「安心しろ。奴は強い。本人の言う通り魔狼如きが相手になるものか。無事ここまで来れる。それより落馬した時の傷の方を見せてみろ」
「たいした事ねぇよ。少し打っただけだ」
心配するカムの言葉を拒絶し、ファバはレグスの方を見やった。
自らの失態の尻拭いをあの男にさせてしまっている。だが自分にはもはやどうする事も出来ない。
己の無力感に唇を噛みしめながら、少年は城の中へと入っていった。
ファバ達が入城する頃、レグスは既に数十もの魔狼を斬り殺していた。
魔狼の血は魔狼を呼び寄せる。
斬り殺せば斬り殺すほど、血を浴び、臭いは強くなっていく。
それが余計に、遠くの魔狼まで呼び寄せる事になるのだ。
――キィィィ。
馬を、剣を、巧みに操り続け、魔狼の骸の山を築く男の頭上で鷹が鳴いた。
戦闘の最中にありながらも彼はすぐにその意味を理解する。
――無事、逃げ込めたか。
ならばここで彼が戦い続ける理由はない。
魔狼は何処からともなく湧き続けており、一人の力では殲滅しようもなかった。
とくに剣を振るう本人よりも彼の乗る馬の疲労の方が目立ち始めている。
潮時だった。
何度襲い掛かっても倒れぬ標的に魔狼達が一瞬ひるむと、その隙にレグスは馬を城へと向けて走らせた。
虚をつかれた魔狼達が後を追おうとするが、出遅れのせいもあってかなかなか差は縮まらない。
しかしそのうち足の速い何匹かが群れより飛び出すと、レグスの馬に並ぶ。
そして次々と飛び掛かっていく。
だがレグスは器用に剣を操り、横から後ろからと襲い掛ってくる魔狼を斬り伏せた。
斬って、斬って、斬り続けた。
やがてそうこうしているうちに、城門が見え始める。
「あと少しだ!!」
城壁から身を乗り出すようにして叫ぶファバ。
彼の傍ではカムが弓を手にし見守っている。射程圏内にさえ入ればいつでも援護出来るようにと構えているのだ。
しかし、彼女の弓の射程に入る前にレグスの馬が失速し始める。
ここまでよく走った方だった。彼の馬は既に限界だった。
「駄目だ!! 間に合わねぇ!!」
逃げるレグスと追う魔狼、その距離が詰まっていくのを見ながらファバが叫んだ。
その時だ。
彼らから少し離れた場所で灰色肌の大男達が弓を手にし立ち並んでいく。
そして一斉にレグスの方へと弓矢を向けた。
遊牧民の弓と違い、三フィートルの大男達が扱う弓ならばこの距離であっても矢は届く。
けれども、これだけ距離があると正確に標的だけを射抜けるとは思えない。
「おいやめろ!! あいつにも当たっちまうだろうが!!」
少年が大男達の無謀を止めようと叫ぶが、壁の民は耳を貸さない。
たとえ言語の違いから少年が何を言っているかがわからなくとも、何を伝えようとしているかぐらいわかるはずだ。
しかし大男達は弦を引く手を緩める事なく、そのまま矢を射出してしまう。
「馬鹿野郎!!」
少年が見ている目の前で矢がレグスへと向かって飛んでいく。
城より放たれたいくつもの矢。その降り注ぐ矢の雨に備え剣を構えるレグス。
彼は正面から飛んでくる矢を打ち払うつもりであった。
だが、それは杞憂に終わる。
矢は見事にレグスとその馬を避け、背後の魔狼のもとにのみ降り注いだのだ。
レグスの馬に迫った魔狼達は次々と矢の雨に射抜かれ、脱落していく。
レグスとその馬には一矢とてかすりもしていない。
「あやつらは精鋭中の精鋭だ。この程度の事を仕損じはせん」
目の当たりにした出来事に驚く少年に声を掛ける一人の大男。
彼は困惑し自分を見つめる少年を見て、至極当たり前の事を察する。
「そうか、言葉がわからぬか。……まぁよい」
視線を少年より外し、城外へと目をやりながら大男は呟いた。
「しかしあの男、まだ生きておったのか」
目を細めレグスの姿を見つめる者の正体、それは壁の民の勇者ガァガであった。
彼は驚いた。決闘を終えた時、あの時、確かに男は瀕死の重傷を負っていたはずだ。
それがどうだ。
混沌極まる決闘場より脱するばかりでなく、馬に跨り、剣を振るっている。
まるでブノーブとの死闘が無かったかのように。
何らかの特別な術を用い治療を施したにせよ、尋常の事ではない。
「まさか、あの男にも星の加護があるとでもいうのか……」




