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陰る太陽

「馬鹿野郎、最後の最後でしくじりやがった……」


 興奮する壁の民達とは対照的に、ガドーの顔は苦虫を噛み潰したように歪んでいた。


「ほんと、屑ね……」


 吐き捨てるように言うベルティーナ。

 彼女の瞳は倒れ伏すレグスの姿を冷酷に見つめている。


「こうなったら仕方がないわ。トーリ、やるわよ」


 何をやるか、……決まっている。

 囚われの主ロブエル・ローガを壁の民より力ずくで奪還するのだ。

 確かな勝算があるわけではない。しかれど、ベルティーナにとって成功の確率は問題とはならなかった。

 どれほどの犠牲を払う事になろうと、やるしかない。

 彼女にとって主無き世は何の意味も持たぬからだ。


「……是非もなし」


 ベルティーナのような狂信的なまでの依存とは異なれど、魔術師トーリも主に長らく忠誠を誓い続けた男である。

 事ここに至り、ロブエル救出の為に命を張る覚悟は出来ている。


「貴方達も死ぬ気でやりなさいよ。運良く生き残れても、ロブエル様に何かあれば、代わりに私が殺してあげるから」


 ガドー達雇われ組に向けて辛辣な言葉を吐くベルティーナ。彼女の言葉にガドーは顔を青くする。


 そんな不穏な空気が漂う中。

 シドが落ち着いていながらも強い口調でベルティーナ達の動きに待ったをかける。


「待て、ベルティーナ。勝負はまだついていない」

「……何を馬鹿な。耄碌(もうろく)するには少し早いんじゃなくて、シド。見たでしょ、あれじゃあ骨どころか内臓までもってかれてるわよ」

「だが、息はある」


 息がある。

 確かにそうであろう。

 しかしそれだけだ。

 どう考えても、この状態で東黄人の闘士に何か出来るとベルティーナには思えない。


「まさか、臆病風に吹かれたんじゃないでしょうね」

「黙って見ていろ」


 シドは大真面目に言っている。

 赤ん坊の頃からの付き合いだ、彼がどういう人間かをベルティーナはよく知っている。

 決してその場しのぎの事を言うような人間ではない。


 溜め息をついて、魔術師の娘は視線を闘士達の方へと戻す。

 彼女は見てみる事にしたのだ。

 死にかけのあの闘士に、いったい何が出来るというのかを……。



 ローガ開拓団の者達が険しい表情で見守る中、倒れ伏す東黄人の闘士の意識は今だ朦朧とし(かすみ)の内にあった。

 思考が定まらない。

 押し潰されそうな圧迫感が全身を覆っている。

 息苦しい、耳鳴りが止まない。


 そんなレグスの虚ろな瞳に映るのは、人々が懸命に何やら叫んでいる姿である。


――何だ。何が起きた。何が……。


 漠然とした思考。


――俺はたしか……、そうか、俺は……。


 鈍った脳を必死で働かせ、彼は自分の置かれた状況を理解する。

 この危機的状況を……。


 視線を観衆達から外し、反対方向へと向ける。

 そこには大男の姿があった。

 ブノーブだ。

 対戦相手の男は大剣を拾い上げると、悠々とした歩みでこちらへと向かってくる。


 あの大男は自分を殺しにやってくるのだ。

 ゆっくりと、ゆっくりと、そして堂々と。


 それをただ虚ろに眺めていたレグス。

 しかし、その途中、彼の全身に激しい痛みが走った。そしてそれと同時に耳鳴りが止み、彼の世界に音が帰ってくる。


 嗚呼、観衆達が叫んでいる。

 彼らの言語でただ一つ、同胞に願う言葉を繰り返し叫んでいる。


「死を!! 死を!! 死を!!」


 それは同胞の勝利を確信したゆえの無慈悲なる歓声。

 その歓声にレグスは己の過去を見た。


 まるであの時と同じ。再び世界が己の死を望んでいる。

 そうだ。人々は死を望んでいるのだ。

 だというのに、何をあれほど必死に足掻いていたのだろう。

 足掻けば足掻くほど、不幸を撒き続けるだけなのに。

 最初から望まれぬ命だった、生まれてくるべきではなかったのだ。


――そうか。ならば、いっそこのまま……。


 死は、この激しい痛みと息苦しさを消し去ってくれるに違いない。

 もしかすれば……、呪わしき己の過去からすらも救ってくれるのだろうか。

 死の甘い誘惑がレグスを惑わしていた。


「ふざけんじゃねぇぞ!! なに呑気に寝てやがる!! 立て!! 立てよ、クソ野郎!!」


 誘惑を引き裂く声がした。


「散々えらそうな事言っておいて、なんだこのザマは!! 俺は認めねぇぞ、こんなだっせぇ終わり方、俺は認めねぇぞ!!」


 聞き覚えのある少年の声がした。


「約束しただろうが、俺に剣を教えるって、約束しただろうが!!」


 生意気な少年の声に反応するように、レグスの意識が覚醒する。


 痛みが増す。苦痛が増す。

 息をする事すら困難な激痛の中で彼は自然と笑みを漏らしていた。


――本当に、ずいぶん好き勝手言ってくれる。


 嗚呼、そうだ。

 たしかに、かつて世界が彼の死を願い、生を憎んだ。

 だがそれでも決めたのだ、抗ってみせると。

 どれほどの苦難を伴おうと、呪われた宿命に抗おうと決めたではないか。


 ならば足掻こう。

 指先一つ動く限り。

 血肉を削り、魂が悲鳴を上げようと、抗ってみせよう。


 闘争を決意した男の指先に冷たい何かが触れた……。



 幸福な死とはなにか。

 それがもし、多幸感に溺れ死ねる事を意味するならば、まさにこの時、この瞬間に死ぬ事が出来たのなら、ブノーブという男はそれを手にする事が出来たであろう。

 神々にすら誇れるような一戦を制し、栄光ある勝利が、自分を包み込んでいる。

 観衆の大歓声を浴びながら、彼は恍惚感と呼ぶに値するほどの至上の達成感を感じていた。


 そのような中で彼が見せる表情。それは既に戦いを終えた者の顔。

 闘争を終えた者の顔。

 もはや彼にとって、これより先は決闘にあらず。


 勇猛にして誇り高き大男は、眼下に横たわる異人を眺めながら天に大剣を振りかざした。


 観衆達が期待に沸く、不徳なる異人を両断せよと。


 だがしかし、人々の期待を背負ったブノーブの大剣が振り下ろされる事はない。

 それより早く、死んだように横たわっていた男が激痛に耐えながら大男に向かって腕を振りぬく。


――なんという日だ……。今日は思いがけない事がよく起こる……。


 それが彼の最後の思考。


 暗転する意識と共にその手より大剣をすべり落とし、膝を地に付き倒れるブノーブ。

 地に伏した大男の喉には、深々と短剣が突き刺さっていた。


 何事においても終わりというやつはいとも呆気なく訪れたりするものなのだろうが、レグスとブノーブ、二人の男の死闘、その決着を見た人々の最初の感情は途惑いであった。

 それも無理はない。誰がこのような決着を予期出来ようか。

 華々しさとはかけ離れ、一見、まぬけにすら見えるこのような終わり方を、いったい誰が望もうか。

 途惑いの後に戦いの目撃者達は、それぞれが様々な感情を呼び起こす。


 ローガ開拓団やファバ達は無論、この決着を歓迎した。


「ずる賢い野郎だぜ!! きっちりと奥の手仕込んでやがった!!」


 ガドーはレグスの勝因が事前の意図した仕込みにあると思い込んでいた。

 つまり、勝因となったあの短剣を最後の最後の場面までレグスは温存し、隠し持っていたのだと。

 彼だけではない、大勢の人々がそう思っていた。


 しかし、シドの見解は違う。


「違う。あれは本能だ。あの男の闘争本能が土壇場での勝利を呼び込んだ」

「本能?」

「あの短剣はあくまで相手の剣を見極める為に用意された物だった。間違いなく奴は、最初の投擲で短剣を全て使い切っていた」

「えっ、けど……」


 ガドーにはわからない。

 最初の一連の投擲で全てを使い切ったと言うのなら、では最後のあの一本は何だと言うのだ。


「その後だ。奴が勝利を掴む一本を手にしたのは」

「後?」

「蹴り飛ばされた時だ。致命に至ろう一撃を受けながら、奴はとっさに地面に転がっていた短剣を拾い上げた」

「まさか!! 俺にゃあ完全に意識飛んでたように見えましたぜ」

「ああ。だから本能だと言ったのだ。無意識の内に、奴はそれを行っていたのだろう」


 そんな事ガドーの常識では考えられない。彼の知る常人ではありえない。


 しかし、そもそもそんな枠で捉えられるような男ではないのだ、あの東黄人の男は。

 壁の民と正面から堂々と打ち合ってしまえる超人。

 そんな者ならば、たしかにシドの言うような事が出来てしまうのかもしれない。

 そして事実、彼は勝利している。

 妄想や仮定ではなく実際に勝利を手にしている。

 それが他ならぬ証明。


「なんて野郎だ……」


 ガドーがレグスの執念とも言うべき闘争本能に驚愕していた頃、貴賓席から決闘を見守っていた元老院議員達は彼らの英雄の敗北に悲痛な表情を浮かべ嘆いていた。

 特にこの決闘裁判に対して、強硬に反対していた元老院議員ベベブのそれは一際である。


「何て事だ……、何て事だ!! このような事はあってはならん。あってはならんぞ!! ……陛下!! すぐにでもこのような愚かな茶番に幕を引くべきです。マルフスの処刑を今すぐにでも!!」


 動揺するベベブの信じ難い発言にガァガが口を挟む。


「何を馬鹿な。今、目の前で、天意が示されたのを見ていなかったのか!! これは神聖なる決闘裁判。神々の審判を無下にするなど、あってはならん!!」


 壁の民は自身らが背負う過酷な使命を、神々より与えられたものだと信じ戦い続けてきた。

 そして民を率いる壁の守護者たる王の正当性もまた、神々の神威によって成り立つ物だと考えている。

 であるならば、王がその神威を無下に扱えば、自身の正当性すらも揺るがす愚行となる。


 神々に唾吐く者を、誰が神々の代理人として認めよう。

 神聖なる決闘裁判の結果は絶対であらねばならないはずだ。


「神聖だと? 神々の審判だと? ではそれが我らに何をもたらす!! 今まで民に相手にされもしなかった、あの愚かな男の虚言が、この決闘によって真実味を帯び、毒となったのだぞ!! それも人心を惑わす猛毒だ!! 今ここでその毒を断たねば、我らは毒死するぞ!!」

「だがそれが神々の御意志だ。どのような苦難が待とうと、我らはそれを甘んじて受けるより他にない」

「違うな。幸い開拓団の多くは昨日の内にこの地を発った。残った異人共の口を封じてしまえば、あとはどうとでもなる!!」


 二人の大男が意見を戦わせる中、ようやく王が口を開く。


「教えてくれ。これは現実か? 我らの英雄が、勇者にも値うほどの男が、あのように敗北するなど……」


 その口調は豪胆で知られるゴルゴーラ王のものとは思えぬほどに弱々しかった。

 彼とて目の前で繰り広げられた光景が信じられなかった。そして信じたくなかったのだ。


 勝利はすぐそこまで来ていた。闘士ブノーブが掴みかけた勝利は、この地に今までと変わる事のない厳しき試練と共に、栄光を約束してくれたはずだ。

 だがそれは潰えた。

 彼は恐れている、あの恐ろしき予言が成就する事を。

 膝に置かれた王の手が小刻みに震えていた。



 決闘の決着、その結果に動揺していたのは何も貴賓席にいる者達だけではない。

 予想外の決着にそれまである種呆然としていた観衆達が現状を認識すると、当然の如く騒然となり始めたのである。

 彼らを代表する英雄の男の死と敗北に、ある者は怒り、ある者は嘆き、ある者は絶望した。

 そしてどよめく観衆達の中から一際大きな声が上がる。


「あるかぁ!! あるか、あるか、あるかぁ!!」


 それは場内に響き渡るぐらいの大声であった。

 人々の視線が自然と大声の主に集まる。


「このような事があるか!! あれほどに美しく、堂々たる戦いを見せた我らの同胞が、醜く地を這うように戦う者に敗れるなど、あってなるものか!!」


 怒りを込めた彼の主張に人々は静まりかえり、耳を貸す。


「あの姑息な異人の男のどこに、勝利に値うほどのものがあった。あれが神々の祝福を受けるに相応しき男の戦い方か!! 違う!! 断じて違う!!」


 怒声は勢い衰える事なく響き続ける。


「では何故だ!! 我らが同胞を、英雄を、何故神々はお見放しになられた!! わかるか!!」


 男の問い掛けに観衆は沈黙で答える。


「間違っていたのだ!! そもそもが間違っていたのだ!! この裁判は不当極まりない!!」


 王の名のもとで開かれた決闘裁判にも関わらず、微塵もためらう事無くその正当性を批難する大男。


「マルフスの虚言とその罪は、神々の審判を乞うまでもなく明白であった!! 神々はお怒りになられている!! この不当なる決闘、それ自体に!!」


 大男は否定する、この決闘裁判の神聖を。


「我らの英雄はその犠牲となったのだ!!」


 大男は主張する、冬一番の戦士、英雄の犠牲を。


「正さねばなるまい!!」


 そして彼は人々に訴える、なすべきであると。


「我らが犯した過ちを、我ら自身の手で正さねばなるまい!!」


 正義の執行を呼びかける。


「咎人を断罪せよ!! 不徳なる者達に死を!! 正義をなすのだ!!」


 その主張に。


「そうだ」


 一つ同調の声があがった。


「そうだ!!」


 二つ声があがった。


「そうだ、そうだ!!」


 三つ、四つと同調する声があがっていく。


 無論、神聖な決闘裁判の結果をひっくり返そうと言うのだ。いくら不服に思おうと、この場にいる全員が男の主張に同調するなどありえない。

 しかし、次々とあがっていくその声は、まるで決闘を見守った全ての人々の思いを体現しているかのように見せかけ膨張していく。

 その勢いに、雰囲気に、異論を口に出来る壁の民はいなかった。


「ベベブ、貴様、謀ったな!!」


 騒ぎ始めた観衆の様子に気色ばみ、元老院議員ベベブへと詰め寄るガァガ。

 彼にはこの騒ぎが自然に発生したものだとは思えなかったのだ。


「人聞きの悪い事を言うな。何の根拠あってそのような事を」


 シラを切ろうとするベベブ。そんな彼に対してガァガは一つの事実を突きつける。


「あの男はググの子ドルドであろう。貴様が近頃、ひどく懇意していた男だ!!」

「それがどうした。私は議員の務めとして、日頃より民の声に耳を傾けている。交流のある人間などごまんといるぞ。偶然そうなる事もあろう」

「偶然だと? 賛同の声を上げていった奴らの顔にも、私は覚えがあるぞ!! これが偶然なものか!!」

「この決闘を不満に思う者達がそれだけ大勢いたという事だ。……見ろ!! そして、聞け!!」


 ベベブが腕を広げ、貴賓席より観衆達を見やる。


「ガァガ、貴様にも聞こえるだろう!! これが私と同じく、我が民族を愛し憂う者達の声だ!! 不当なる英雄の死に打ち震える、この魂の慟哭こそが答えに他ならない!!」


 観衆達が叫んでいる。


「死を、死を、死を!!」


 勝利したはずの異人の男の死を望み、叫び続けている。

 彼らはそれが正しい事だと、なされるべき事だと主張しているのだ。


 その異様な光景に、ガァガは言葉を失った。

 彼には信じられなかった。

 これが誇り高い、戦いの民である者達の姿だというのか。戦いの日々に身を置きながらも、理性を重んじる者達の姿だというのか。

 彼には人々が正気を失ってしまっているとしか思えなかった。


「陛下!!」


 ガァガが振り返り叫ぶ。


「これ以上騒ぎが大きくなる前に、陛下の御威光を以って収拾をつけねば、手遅れになりかねます!! 急ぎ勝者の名告げを!!」


 彼の鬼気迫る訴え、だがしかし……。

 ゴルゴーラ王は険しい顔付きのまま動く事はなかった。


「ちっ、案の定雲行きが怪しくなってきやがった」


 騒ぎ立てる観衆の様子にディオンが苦々しく呟く。


「おいおい頼むぜ、祭司はなにやってやがる。早く勝ち名乗りをすませろよ!!」


 ガドーは勝負がついてなお、動きを見せぬ進行役に苛立ちを隠せない。


「まさか、こいつら本気で決闘裁判の結果を覆そうっていうんじゃないでしょうね。……誇り高き民が聞いて呆れるわ。所詮、図体だけでかい辺境の蛮人って事ね」


 壁の民の言語を理解出来るベルティーナは事態をより把握している。

 彼女は不当極まる内容の演説をかました大男と、それに乗っかる観衆達に対して怒りよりも先に軽蔑の念を覚えていた。

 むしろ怒りを露わにしていたのは、美しくも時に冷酷極まるこの若き女魔術師ではなく、彼女の師であり普段沈着冷静な老魔術師の方であった。


「愚かな。……なんと愚かな!! 神々を軽んじる者に、天の恩寵は与えられんぞ!! バラーラの盲目王の末路を辿るつもりか、壁の民の王よ!!」


 トーリはもはや大陸に存在せぬ古き王国『バラーラ』の伝説を例に、憤懣やる方なくゴルゴーラ王や壁の民達の痴態をなじり飛ばした。


 バラーラの伝説とは、傲慢の気質を供えど武に優れたる王メンテウス二世が巻き起こした悲劇について、教会が今日も伝え続ける教訓めいた物語である。

 一介の小国であったバラーラの王にすぎなかったメンテウス二世は、彼の持つ傑出した武才を存分に活かし、周辺国を侵略せしめ、七国を治めるまでとなる。

 人々に武神とまで呼ばれ、畏れ敬われたメンテウス二世であったが、ある日の遠征の折に、辺境に住まう美しき村娘に見惚れてしまう。

 そして無理にでも連れ去り娶ろうとするメンテウス二世に、先日この村娘と祝言を挙げたばかりだという夫ロメスが申す、『神々に誓い、夫婦と認められた私達の仲を引き裂くなど、たとえ七国の王とて、天はお許しになられはしないでしょう』と。

 メンテウス二世はその申し出を受けて男に言う、『お前の誓いなど、天に御座す神々の耳に届きなどしてはいない。私がここでこの村娘と出会った事こそが、天のお導きに他ならないのだ』と。

 王の言葉を受けて、なおもロメスは食い下がる、『貴方様が自分の行いを、本当に天のお導きによるものだと信じておられるのならば、私との決闘をお受けになられよ。公正なる神がどちらの言い分が正しいのか、ご判断してくれるに違いない』と。

 辺境の農民風情が王に決闘を申し込むなど言語道断極まりなき事、無視どころか無礼打にされてもおかしくはない。

 しかし、メンテウス二世は彼の決闘の申し出を嘲笑しながらも受ける事にした。

 王には小さな算段があったのだ。神々の審判の結果となれば、美しき村娘の夫ロメスに対する思いにも、いくらか諦めがつくであろうと。

 それに加え、軍略のみならず個人の武功としても百戦練磨の己が、一度か二度、雑兵として戦場に立ったかどうかの男に敗れるなど、考えにも及ばぬ事だった。

 だが、その慢心はメンテウス二世が予想だにしない結果を生む事となる。

 大いなる幸運に助けられながらも、なんとロメスが決闘に勝利したのである。

 美しき新妻と村の者達はロメスの勝利を喜んだが、己の誇りを傷つけられたメンテウス二世は激しく憤慨した。

 彼は神聖な決闘の結果を素直に受け入れず、村娘の眼前で夫ロメスと村人達を惨殺し、最後には娘をもその手に掛けようとしたのだ。

 しかし丁度その時、空に暗雲が立ち込め、天から雷がメンテウス二世目掛けて落ちたという。

 全身を雷に打たれた王は一命を取りとめたものの、視力を失ってしまう。

 盲目の身となった事を嘆く王と、慌てふためく王の兵達を前に、村で唯一の生き残りとなった美しき娘が超常の声を発する。


『天を軽む者に、天の恩寵は与えられん。傲慢な七国の王とその子らよ、我らが父と主はお前達をお見放しになったぞ。これより多くの苦難と災いがその身に降りかかる事となろう。盲目としたのは、お前の築いた王国が崩れ去る様を見ずに済むようにとの、天よりのせめてもの慈悲である』。


 それだけを告げると娘は白い翼を生やし、何処へと飛び去ってしまう。

 それからというもの、彼女の言葉通り、ありとあらゆる災厄が王と七国の地に暮らす人々に降りかかった。

 干ばつ、大地震、流行り病。

 やがて困窮極めた人々はついに盲目の王を無人の荒野へと追放してしまう。

 すると、それまでの災厄が嘘のようにぴたりと止まり、人々は荒廃した地でわずかばかりの安寧を得たという。


 この物語は、単に為政者の傲慢を諌める為や信仰の重要性を訴える為だけに、フリア教会がわざわざ長年伝えてきたわけではない。

『神威は王威に優る』との喧伝を兼ねる意図が、教会側にはあったのだ。

 今では真偽不確かな伝説にすぎない物語であったが、メンテウスの名はフリアでは忌み名として広く知られるほどで、その影響力は決して無視出来るものではない。

 しかも、自由と自主独立を重んじるフリアの地においても今日、アンヘイの狂王に立ち向かう連合の旗振り役としての役目を果たした教会の影響力は日に日に増すばかりである。

『権威を誇れど権力を誇らず』かつてフリア教の総大司教はそうあるべきだとされてきた。だが今では影で『フリアの大王』とまで呼ぶ者が現れ、教会自身もこれを是としているような態度が見られる始末。

 人々の崇敬の念を集める教会の権威と権力は、このままではフリアの地を呑み込みかねぬほどに勢いを増していた。


 対して、壁の民達はどうであろうか。

『壁の守護者はフリアの守護者である』、そんな敬畏を人々から集めていたのははるか昔の事、国を治めるだけの器量を持った諸王は別としてもその国民達の中には、アンヘイの脅威に『壁の内の争いには不干渉』を貫いた彼らを良く思わぬ者が大勢いた。

 しかも毎年少なくない負担を各国が負い、援助品を壁の地まで送り続けている。

 そうした状況下で壁の民が神聖な決闘裁判を無下にしたなどとフリアの人々が耳にすれば、彼らの心証を損なう事は想像に難くない。


 伝説と同じように天から雷が落ちるかはともかく、フリア諸国からの援助品が届かなくなれば、トーリの言う天の恩寵を失ったも同然。最悪の事態すらもありえぬとは言い切れない。

 それほどに、決闘裁判の結果を覆すなどあってはならぬ事なのだ。


「まぁ、いいわ。このまま決闘を無かった事にしようというのならすればいい。死にかけてるあの馬鹿には悪いけど、この失態を上手く利用すれば、ロブエル様解放の交渉材料に出来るわ」


 ベルティーナは『神聖な決闘裁判の結果を無視したという大失態』、その事実の口止めと引き換えに、主の解放を壁の民に迫ろうと言うのだ。

 しかし、ディオンは彼女のそんな考えを楽観的な空論だと指摘する。


「そう上手くいくもんかね。人の口に戸は立てられないとも言う。もし裁判の噂が広まったうえに、……罪人であるはずの旦那を勝手に解放したとなれば、それこそ噂に信憑性を与えるようなもんだ」

「まとめて口封じしてしまう方が安全だし楽だね」


 グラスが緊迫した状況下に関わらず、ずいぶんと呑気な口調で言った。

 その直後。


「ふざけんじゃねぇ!! 勝負はついてるだろうが!!」


 彼らローガ開拓団の面々から少し離れた場所より、聞き覚えのある声がした。

 闘士として戦い、今死にかけている東黄人が連れていた醜顔の少年だ

 見れば少年は屈強な壁の民の衛兵に取り押さられ、もがき、叫んでいた。

 少年の御守りをしているはずの遊牧民の女カムも衛兵達に囲まれ身動きが取れずにいる。


「ちくしょう!! ちくしょう!! はやくしねぇと、はやく治療しねぇと!!」


 ファバが焦るのも無理はない。

 決闘に勝利したといっても、レグスが負った傷の深さは致命傷になり得るものだ。

 手当てが遅れれば、死神が彼を向かえにやってくる事だろう。


「……死んじまうだろうが!!」


 少年の喚き声も虚しく、壁の民達に決闘をこのまま終わらせようという動きはない。

 それどころかである。

 人々が沸き、観衆席から一人、大男が決闘の場へと飛び出したではないか。

 しかもその大男は、一席ぶってみせたあのググの子ドルドであった。


「衛兵!! 何をしている!! はやくあの男を止めよ!!」


 ドルドの行動を貴賓席より見ていたガァガが声を荒げて近場の衛兵達へと命ずるが、戸惑うばかりで彼らは動かない。

 それも無理ない事なのかもしれない。

 観衆達の大喚声はドルドを支持する声一色である。こんな状況下でドルドを力ずくで排除しようものなら、暴動に発展しかねない。

 彼らが迷いなく動くには事態が切迫しすぎていた。

 しかも衛兵達の中にも、内心ではドルドに賛同している者がいたのだ。


「何をしている!!」


 ガァガの二度目の命に、ようやく衛兵の何人かが動こうとするものの、それをベベブが制止する。


「かまうな!! お前達はそこで見ておればよい!!」


 一応この決闘の取り仕切りを任されているのはガァガであるものの、状況が状況だけに、ベベブの制止を衛兵達は無視できない。

 異なる指示に困惑する衛兵達は、自身の王であるゴルゴーラ王を見やった。

 王の命令はどのような状況下にあっても絶対だ。

 たとえ場を任されていたのがガァガであっても、王の命には否応無しに従わざるを得ない。


 その王が下す判断とは。


「よい。このままでよい……」


 傍観。

 事の成り行きをこのまま見守ろうと言うのだ。


 王の判断にガァガは絶望し、ベベブは笑みを浮かべていた。


「死を!! 死を!! 死を!!」


 狂乱する観衆の叫び声に応えるように、ドルドがレグスの方へと近付いていく。

 その光景にレグスは思った、つい先ほど似たような場面を見たばかりだな、と。

 けれども全てが同じなわけではない。

 彼の意識はハッキリとしているし、観衆の期待に応えて死んでやるつもりも微塵もない。


 だが、先ほどと異なりレグスには武器がなかった。活路を見出す為の武器が……。

 黒き剣は今だ手元になく、奇手となる短剣も正真正銘尽きてしまっている。

 万事休す。

 誰もが、そしてレグス自身すらこの窮状を脱する手立てが思い浮かばない中で、ファバが青い花の紋様が刻まれた指輪に語りかける。


 レグスより預かった指輪、これに宿る古き精霊ならば、彼を救い出せるに違いない。


「おい、セセリナ!! なにやってやがる!! このままじゃあいつは……、おい!!」


 衛兵に取り押さえられながら必死に指輪へと語りかけるファバ。

 ところが、指輪は何の反応も示さない。


 人前に姿を晒す、その危険性を警戒しているからなのか。いいや、もはやそんな事を言ってられる事態ではないはずだ。

 なのに、指輪は沈黙したままセセリナが姿を見せる気配はない。


「なにやってやがる!! まさか寝ちまってんじゃねぇだろうな、起きろ馬鹿女!!」


 やはり反応せぬ指輪。セセリナはこのままレグスを見殺しにするつもりなのか……。

 そうこうしている内にドルドがレグスのすぐ傍らまでやって来る。


 まさにその時であった。

 太陽が陰り、何かが場内に飛来した。


 そしてその物体はドルド目掛けて落下し、激しい衝突音と共に大男を一瞬にして消失させた。


 それは大きな岩だった。

 大岩が空より降ってきたのだ。

 背丈三フィートルある屈強な壁の民とて、不意に空より降って落ちた大岩に耐えられるはずもない。

 大岩に潰されたドルドは肉塊とすら呼べぬ様になっている事だろう。


 突然の出来事に、さきほどまであれだけ騒いでいた観衆達も静まり返っていた。


「雷が……、天の雷が、落ちよった……」


 トーリがこの事態をバラーラの伝説になぞらえて言った。


「まさか本当に天があの男を……」


 貴賓席にて、眼前の光景に動揺する壁の民の王。

 絶妙の機で飛来した大きな岩がわずか数歩先のレグスを避け、ドルドにだけ直撃するなど、天の御業と錯覚してもおかしくない出来事だ。


 そうしてこの異様な出来事に人々が放心する最中、最初の大岩の飛来より間もなくして、次なる大岩が場内に降り注ぐ。

 いや、決闘場だけではなかった。

 大岩は街のあちらこちらに落下し、建物を、人を、押し潰していった。


 阿鼻叫喚の地獄絵図。

 恐慌状態に陥った人々の中でトーリが叫ぶ。


「天が……、神々がお怒りなっておられる!!」

「そんなまさか……」


 師の言葉に、空を眺めながらベルティーナが言った。



 いったい何が起こっているのか。何が起ころうとしているのか。

 それをいち早く察した人間は壁の民でも、ローガ開拓団の面々でもなく、今まさに死に掛けている東黄人の男だった。


 人々の悲鳴を耳にしながら、レグスは幻影の魔女グロアの言葉を思い出していた。


――『望まずとも陽は落ちるもの』か……。


 昨夜姿を見せた魔女が残していったあの不吉な言葉、その意味を彼は理解する。



 望まぬ夜が来たのだ。

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