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決闘裁判

精霊の国へと繋がる扉を探し、灰の地と呼ばれる魔境を目指すレグス達。

その道中、壁の地にて、彼らは星読みのマルフスという罪人と出会う。

マルフスを助け出すためにレグスは壁の民と決闘を行う事になったのだが……。

 雷に打たれたような衝撃と共にファバの意識が覚醒する。

 上体を起こした彼の心臓は破裂しそうなほどの鼓動を続け、背にはびっしょりと汗をかいていた。


――夢か……。


 嫌な夢を見た。なんとも不吉な夢を。


 顔を手で拭いながら、彼は乱れた息を整え、周囲の様子を確認する。

 誰もいない。

 隣で眠っていたはずの女の姿は既にそこにはなく、代わりに天幕の外より漏れ入る光に少年は気付く。


――もう朝か……。


 朝が来た。太陽が昇り始めたのだ。

 昇り始めた太陽が天高くに届いた時、あの男の戦いが始まる。

 レグスと壁の民の決闘。今日がその日である。


「起きたか。どうした、ずいぶんと顔色が悪いな。大丈夫か?」


 天幕の外へと出てきたファバを見て、女が言った。

 ジバ族の女カム。どうやら彼女は一足先に起きて飼い馴らす鷹、ライセンの世話をしているらしかった。

 腕に鷹を乗せ、餌を与える女の姿を眺めながら少年は答える。


「ああ」


 短い返答だった。

 あの不吉な夢の内容を彼女に話したとて、何がどうなるわけでもない。

 あれは心の内にしまえばいい事なのだ。


「……不安か?」


 だとしても、彼女の言葉を肯定し自身の脆弱さを(さら)け出すような真似はしたくない。


「まさか。俺がやるわけでもあるまいし」

「そうか……」


 なんとなく居心地が悪い。

 それは恐らく、彼女に嘘を見抜かれてしまっているから。矮小(わいしょう)な自分をまた知られてしまったから。


「何にもねぇな」


 周囲を一望しながら皮肉めいた笑みを浮かべ少年は言った。

 つい数日前には多くの天幕が並んでいた。その空き地が今はがらんとしている。


「それはそうだ。昨日で私達を除く開拓団の全てが出てしまったからな」


 今日の決闘裁判を見る事なく、ローガ開拓団を除く開拓団の全てがこの地を発っていた。

 東黄人と壁の民との決闘という珍しき見世物を見たいと、後ろ髪を引かれる思いで出発していく者もいたが、彼ら開拓団としては次の冬が来る前に一日でも長く灰の地で活動したいという算段があり、予定日通りの出発を優先した。今この地にあるのは、まるで少年の現況を表わすかのような寒々しい光景。

『何もない』。

 彼の言葉は己に対する皮肉でもあった。


「何人生きて戻れるかねぇ」


 まるで他人事のような口調でファバは言った。


「厳しい地だ。きっと多くの者が命を落とす事になるだろう」


 カムの至極当たり前の発言を少年は鼻で笑い、言う。


「だけど覚悟の上だ。それがあったから壁を越えた。……人間いつかはくたばる。早かろうが遅かろうが、その日がそいつらにとっての命日ってだけの話さ。俺達だって……」


 自分達も行こうとしている、死と隣り合わせの地に。


 違う。

 既にいるのだ。ここが、ここまでが、そしてここからが。

 少年は常に死の傍らにいた。

 けれども、今日ではないはずだ。

 死神が己を迎えに来るのは、今日ではない。


 ファバは力強く己の思いを口にする。


「だけど、今日じゃねぇ。今日は……大男が一人死ぬ日だ」



 春の太陽の陽気と肌寒い風を受けながら門街の住人達が一点へと移動し集っていく。

 門街の外れ、天幕群があった空き地の向かい側。そこでレグス達の決闘裁判が開かれる事になっていた。

 真昼が近付く頃には多くの壁の民達が集い、彼らは急ごしらえで用意された石段の上に腰掛ながらその時を待っていた。

 決闘を見届ける為にここにやってきたのは、何もこの街の住民だけではない。

 押し詰めの観衆席とは違い一区画だけ用意された様子の異なる貴賓席。

 見栄えや飾り気とはほとんど無縁の壁の民達がわざわざ準備したその場所には、武装された大男達に守られた壁の民の王と元老院議員達の姿がある。

 決闘の行く末を見届けようと、四百キトル南の王宮より彼らはこの街を訪れていた。


「陛下、そろそろ……」


 太陽の昇り具合を確認したガァガがそう言って伺うと、壁の民の王は無言で頷き、許しを出す。

 それを受けて彼は傍らの男に指示した。


「時間だ。始めよ」


 祭服に身を包んだその男は王に一礼した後、観衆達の前へと足を踏み出す。

 ある種の期待を胸に秘めながら人々がざわめいた。

 だがそのざわめきも、祭服の男が手を上げるとすぅっと止んでしまう。

 そして観衆は静かに男の言葉を待った。


「壁の地の守護者にして天界の十二神の僕たる王ゴルゴーラの名において、これより勇者バノバの子マルフスの裁きを執り行う」


 よく通る声が場内に響き渡ると、四隅に置かれた篝火台に炎が点される。

 無論、昼間の屋外で明かりが必要となるわけがない。これは儀式としての手順の一つにすぎなかった。


「咎人を前へ」


 祭服の男が叫ぶと、鎖に繋がれた男が観衆の前へと引きずり出される。

 マルフスだ。

 壁の民としては子供ほどの背丈しか持たぬこの罪人に観衆達が向けるのは、敵意の視線と罵倒であった。


「静粛に!!」


 再び手をかざし観衆の言動を制止する祭服の男。彼は場が静まるのを確認してから言葉を続ける。


「この者マルフスは、壁の地の守護者として戦いの責務を負いながら、それを放棄し、戦場より逃亡を図ったものとしてその罪を問われている」


 そこで一区切りして祭服の男は声量をさらに上げる。


「しかし!! この者は主張している!! 自分の行いは星の意に導かれ、それに従ったまでの事であると!!」


 観衆が三度騒ぎ、罵声を飛ばした。

 それを次は無言で手をかざし制止しながら祭服の男は言う。


「それが真であるや否や、我ら人の智が及ぶところにあらず!! されどこの男の言も、神々を欺く事はかなわぬ。ならば我らは、神聖なる決闘を以って神々の審判を乞う事にしよう!! 二人の闘士をここへ!!」


 観衆が皆立ち上がり沸き立った。

 彼らの歓声と後押しするような視線を浴びながら壁の民の戦士ブノーブが登場し、祭服の男の隣りへと堂々並び立つ。


「ブノーブ!! ブノーブ!! ブノーブ!!」


 この場に集った人々は皆、正義が為されるのを望んでいた。

 彼らを代表し、闘士としてこの場にたった自分にはそれを為す責務がある。

 観衆が彼の名を叫ぶ度に戦士の内なる心は震えていた。


 彼らの声に応えるようにして、ブノーブは三方へとそれぞれ手を掲げてみせた。


「ブノーブ!! ブノーブ!! ブノーブ!!」


 戦士の名を叫ぶ彼らは期待している、正義が為される事を。


「ブノーブ!! ブノーブ!! ブノーブ!!」


 戦士の名を叫ぶ彼らは誇っている、この冬一番の戦士となった男を。


「ブノーブ!! ブノーブ!! ブノーブ!!」


 そして戦士の名を叫ぶ彼らは怒っている、誇りを汚した咎人に対して、その者を庇おうとする愚かな異人に対して。

 彼らの思いをのせた声は天に届かんとするほどに轟いていた。


「でけぇ声出しやがる」


 観衆の異様なまでの熱気、その雰囲気に居心地の悪さを感じながらガドーが言った。彼と彼の所属するローガ開拓団の面々もこの決闘を見に来ていたのだ。

 当然ここにはディオンの姿もある。


「それだけ期待されてるって事だ。あの大男の勝利と、無礼な異人の首が飛ぶ様をな」

「冗談じゃねぇぜ。この決闘の結果に俺達の壁越えだけじゃなく、首までかかってるかもしれねぇんだ」


 壁の王からはまだ正式な処分に関する事を言い渡されてはいない。

 しかし、身勝手な東黄人の死は恐らく壁越えの支障となるだけでなく、下手をすればそのまま頭が断頭台の上に乗る事になってもおかしくはなかった。


「かもじゃないわよ」


 ベルティーナが口元にうっすらと笑みを浮かべて言うが、その目は笑っていない。

 開拓団の面々が直接断頭台行きを逃れたとしても、壁越えが無理となればロブエル・ローガは十中八九処刑となる。

 そうなったらベルティーナに、彼女の反対を押し切って愚かな東黄人を招き入れた張本人達を無事で済ます気など微塵もありはしない。


 美しくも恐ろしき魔術師の表情に血の気の引く思いをしながらガドーは言う。


「……とにかく勝ってもらわねぇと」

「まっ、そりゃそうだが、この雰囲気だ。勝っても負けても地獄って事になりかねねぇ」


 結果を不服に思った観衆達が暴徒となる事をディオンは懸念していた。

 その懸念に、開拓団のまとめ役であるシドよりも一回り以上年は上であろう老人が口を開く。


「そこは心配せずともよかろう。彼らは誇り高き民、神聖なる決闘の結果を無下にするような真似はしまい」


 彼の名はトーリ。

 長くロブエル・ローガに仕えてきたこの男はシドと並び、ロブエルが絶大の信頼を寄せている数少ない人物であり、特徴的な丸く茶色い大きな目と鼻筋が曲がって突き出た鼻を持ち、その顔立ちから『鷲鼻(わしばな)(ふくろう)トーリ』と呼ばれ、ミドルフリアでは名の知られた魔術師であった。

 魔術師としての技量もさることながら、ロブエルを王国の大臣職にまで押し上げたという一面を持っており、魔術師の世界だけでなくベルフェンの政界においても彼の名は知られていた。

 ベルティーナ達に様々な知識と魔術を教えたのもこの老人である。


 これまで彼はマシューという男と共にベルフェンの王都からこの地まで、世話と警護を兼ねて囚われの身の主の傍におりシド達とは別行動を取っていたのだが、つい先日、無事の合流を果たしていた。

 しかし肝心のロブエルの身は、先に灰の地へと発ったベルフェンの開拓団から壁の民へと引き渡されており、油断ならぬ事態が続いている。

 もしもの時には、トーリの強力な魔術が壁の民に向けられる事になるやもしれなかった。


「……さてどうだかね。その誇りとやらが、存外頼りにならねぇ事は嫌という程思い知ってるんでね」


 老魔術師の言葉を易々と肯定する事はディオンには出来なかった。


「聞け、彼らのこの声を」


 観衆の大声援を浴びながら、戦士ブノーブは祭服の男を挟んで並び立つ対戦者レグスに言う。


「天の神々が、これをぞんざいに扱う事がありえようか。既に正義は示されたも同然」

「声の大きさで真の正義が決まると言うのなら、露天商でも連れてくればよかったな。さぞ役立つ事だろう」


 昂る思いのまま口にした戦士の言葉を、レグスは動じる事もなく切り捨てる。


「貴様……」


 今にも襲いかからんばかりのブノーブの表情に、祭服の男が注意を促がす。


「ブノーブよせ。これは神聖なる決闘ぞ。私情を露わに汚すような真似はやめよ」


 そしてレグスの方にも厳しい視線を向けて言う。


「……お前もだ」


 両者に注意を発した後、彼はあらためてブノーブに声をかけた。


「そろそろ始めるが、心の準備は出来ておるか」

「無論」

「よろしい。……お前もよいな」

「ああ」


 二人の闘士が十分と心構えが出来ているのを確認した男は、同胞の戦士の名を叫び続ける観衆に向かって手をかざし声高に発する。


「闘士ブノーブ!! 咎人の断罪を求む汝の心に、偽りも(やま)しさも無いと誓えるのならば、己の剣を手に位置へとつくがよい」


 祭服の男の発言に従い、ブノーブは台に乗せられた大剣を取り、決闘を始める位置へとつく。


「闘士ゲッカ!! 咎人の潔白を訴える汝の心に、偽りも疚しさも無いと誓えるのならば、己の剣を手に位置へとつくがよい」


 レグスも台へと向かい、決闘に使用する武器を確認する。

 そこに置かれていたのは、古代人達の成れの果て『巨大な竜の亡霊』をも斬り裂いた黒き剣。

 そしてこれといった特徴のないありきたりな短剣が十本も置かれており、彼はそれを全てローブの内へとしまい、ブノーブと向き合う位置へ移動した。


 両者が位置についたのを確認した祭服の男は貴賓席を一瞥した後、両手を天に掲げる。

 そして空を仰ぎ見ながら彼は叫んだ。


「天界に御座す公正と断罪の神、ローバル神よ!! 汝の信徒たる咎人マルフスに罪のあるや否や、天意無き者の血によってその意を示し給え!! ……始めい!!」


 観衆達の大喚声が轟く中、二人の闘士がゆっくりと剣を構え、動き出した。


 最初に攻撃を仕掛けたのはレグスの方だった。

 ブノーブの大剣、その間合いギリギリのところで、彼はローブの内にしまった短剣を次々と目にもとまらぬ手早さで引き抜き、投げつける。

 その数三本。どれもが的確に急所を狙っていた。


「ふんっ!!」


 されどその全てを大剣の一振りにてブノーブは防ぎ切ってしまう。

 彼には見えていたのだ。短剣の軌道も、投げつけるという行為そのものすらも。


「無駄だ!! お前の見え透いた小細工が通用するほど壁の戦士の剣は、ぬるくはないぞ!!」


 闘士が使用する武器については事前に互いが確認済みであった。

 わざわざ十本もの短剣を壁の民に用意させたレグスの意図を考えるのは子供にすら出来る事だった。


 三フィートルの大男が大剣を振るう、その間合いの広さに対抗するにもっとも単純な方法。それは投擲(とうてき)に依る大剣の間合い外からの攻撃。

 壁の民が執り行う決闘裁判においては基本的に防具の使用が認められていない。これは投擲という攻撃方法に大きな優位性を与えていた。

 盾は無論、鎖帷子(くさりかたびら)を身に付ける事すら許されておらず、ブノーブにいたっては防具どころか上半身に衣服すら身に付けていない。美しく隆起した筋肉を誇るように半裸の姿でこの決闘に挑んでいた。


 これは何も彼が異常な自己陶酔者である事を意味しているわけではない。

 決闘裁判とは、神々に対して闘士に選ばれた者達が己の心技体全てを捧げ審判を乞うという、神聖な儀式である。

 決闘は闘士と闘士の戦いであり、武器や防具を作る鍛冶職人の戦いであってはならぬのだ。

 闘士が武器に頼り、防具に頼るは、この決闘という儀式には相応しくない事。

 だからこそ、彼は衣服すらも身につけぬ事で、あるべき闘士の姿を見事体現しようとしていた。


『神々は堂々たる決闘を望んでおられるのだ』。

 事実はどうであれ、決闘を愛する者達はそんな事をよく口にする。

 決闘裁判という手段をあまり好まぬ壁の民達ではあるが、戦いの民として、いざ決闘となれば彼らも同じ思いを抱くわけである。


 対してレグスはどうか。

 彼が武器に選んだ禍々しさを伴う黒き剣も、十本もの短剣も、神聖なる決闘には相応しくないように思える。

 現に壁の民達は当初いい顔をしていなかった。

 出来る事ならばブノーブが扱う大剣とまったく同じ物を武器として決闘を執り行いたいというのが彼らの思想である。しかしそれでは、いくらなんでも公平さに欠けるというもの。

 武器に頼るなと言っても、扱い慣れた大剣を振るうブノーブに対して、その場で自分の背丈を優に超える大剣を急に持たされても扱い切れるはずがない。

 互いに慣れ親しんだ武器を手に戦う。それでこそ一定の公平さが保たれるというものだ。

 そういった理由があるからこそ、壁の民達は神聖な儀式である決闘に際しても、レグスの黒い剣の使用を渋々ながらも認めたのである。

 もちろん黒い剣に眠る力を開放する事など許されはしない。あくまでただの剣としての役目を真っ当する事だけが特別に許されたのである。


 そして黒い剣の使用に加え、レグスは十本もの短剣を用意するよう壁の民達に要求した。

 当然この要求も彼らが素直に呑むわけがなく一悶着あった。

 短剣を十本というのは見苦しく卑怯な戦い方をする事が目に見えている、それは決闘に相応しくないと、壁の民達は言ったのだ。

 しかしレグスは彼の理屈を以って強引に要求を押し通す。

 曰く、心技体の全てを尽くした戦いこそが神々に御見せすべき決闘であるならば、まさしく短剣を数多く用いる戦い方こそが自分の戦い方であるのだ、と。


「そんな腑抜けた攻撃、いくら繰り返そうが無駄だ!!」


 間合いを保ちながら、執拗に短剣の投擲を続けるレグスに対し、少々苛立った様子でブノーブが叫ぶ。

 それでも、顔色一つ変えずに東黄人の闘士は同じ行為を繰り返した。


「臆病者め」


 鋭い軌道で飛んでくる短剣を打ち払い、悠々とかわし続けるブノーブ。

 レグスが投げつけ続ける短剣に、一切当たる気配はない。


 一本、さらに一本と数を減らしいき、やがて十本全てを使い尽くすと、それを見たブノーブが不敵な笑みを浮かべた。


「さぁ、これで仕舞いだ。……どうする、これ以上曲芸紛いのその戦法も続けようがあるまい」


 レグスは黒い剣を構えたままブノーブを見据え、その場から動かない。


「臆して動けんか。ならば、こちらからいくぞ!!」


 三フィートルの巨体が動きレグスに襲い掛かった。


 一気に間合いを詰め大剣を振り下ろすブノーブ。

 巨大な鉄の剣に、その大得物を軽々と振り回す壁の民の膂力。これが合わさればそれは想像も絶する一撃の破壊力を生む。

 まるで雷が落ちたかのような剣撃の響きが場内に轟いた。


 その大きな音と共に観衆が沸いたかと思うと、彼らはすぐに息を呑むようにして静まった。

 目の前に慮外の光景が広がっていたからである。


「ほう、これを受けたか」


 自身が振り下ろした大剣を黒い剣で受け止めるレグスを見下ろしながら、いささか感心する大男の戦士。

 彼から見れば、レグスの剣を支える腕の何と細く頼りない事か。

 そんな腕で異人の男は彼の一撃を流すも避けもせず、真正面から受け止めてしまっていたのだ。


「見事だ。……だが、これならどうだ!!」


 ブノーブは嵐のような連撃を繰り出す。

 されどその重く、荒れ狂う連撃の全てをレグスは堂々たる打ち合いにて防いでしまった。


 観衆達は驚くに驚いた。

 さきほど男が見せた短剣の投擲などという戦い方からは想像も尽かぬ、見事な戦いっぷりに。

 いいや、それだけではない。

 ブノーブはこの冬一番の戦士である。彼の剣の技量を疑う者など誰一人存在しない。

 闘士として決闘に臨んだこの戦士は、壁の民最強の戦士と言っても過言ではないほどの者なのだ。

 そんな者を相手にして、二フィートルに満たぬ背丈の異人が真っ向から互角に打ち合っている。

 その事自体、易々と信じられるようなものではなかった。


 目の前の光景に唖然となったのは壁の民の観衆だけではない。レグスの勝利を願い、決闘を見守るガドーもそれは同じ。


「化け物染みてやがるぜ」


 入団の折に見せたあの短剣捌きからして只者ではない事はわかっていた。

 それでもまさか、壁の民の戦士と真正面から打ち合ってしまうとは想像以上も以上。ローガ開拓団の者達と比べても、間違いなく男の剣技は誰よりも優れている。

 シドもグラスもディオンも、この決闘に赴いたとして男のようには戦えまい。


 剣音鳴り響き、空を斬る。

 レグスとブノーブ、二人の闘士の息もつかせぬ攻防に観衆達は魅入りこんだ。


 どれほど時間が経っただろうか。

 まったくの互角に見えた両者の戦いにも変化が表れる。

 レグスの肌には汗が滲み、吐く息には乱れが見え始めたのだ。


「見事だ闘士ゲッカ。見事だ黒き剣よ」


 対戦者のみならず、自身の大剣と打ち合い刃こぼれ一つせぬ黒い剣にも称賛を与えるブノーブ。

 無論この称賛は、己の勝ちを確信した余裕が生んだ称賛にすぎない。


「だが、相手が悪すぎたな!!」


 灰色肌の大男が大剣を振りぬくと、これまでと違いレグスの体勢が大きくよろめいた。

 そして足を一歩、二歩と後退させる東黄人の闘士。

 これまで時折見せていた距離感を図る後退とは明らかに違う、ブノーブの剣力に圧された後退である。


 その様子に、決闘を見守る誰もがブノーブの優勢を見て取った。

 東黄人の闘士はよく健闘した。しかしそれも間もなく終わる。

 そう誰もが思っていたし、当事者であるブノーブすらもそう考えていた。

 疲労の色濃き対戦者に彼は言う。


「女神ティアタムにその慈悲を乞う言葉を、精々今のうちに考えておけ。愚かなお前の罪も、寛大な彼女ならば御宥恕(ごゆうじょ)なさられるやもしれんぞ」


 劣勢明らかな中で浴びせられた大男の言葉にも、レグスは悪びれる事なく言い返す。


「安心しろ。神々に赦されるほど、安い業は背負っていない」

「減らず口を……。いいだろう。ではその穢れた魂ごと地獄の業火にて焼かれるといい!!」


 猛然と斬りかかるブノーブ。

 彼が何度も何度も大剣を振りぬく度、レグスは必死にそれを受け、流し、かわし続けた。

 反撃の隙はない。

 防戦一方。

 このままではいずれ決着がつくだろう。ブノーブの勝利という決着が。


 しかし疲労と劣勢明らか、攻勢に移る機会などまるで見えない中でレグスは耐え続けた。

 耐えて、耐えて、よく耐えた。


 そのレグスの堅き守りを称揚する気持ちと同時に、怒りを覚えながらブノーブが叫ぶ。


「これだけの技と力を持ちながら、最初のくだらぬ小細工は何だ!! 気に入らん!! お前の持つ、その腐った性根が気に食わんのだ!!」


 止めの一撃。そう思い放ったブノーブの渾身の一撃。


 けたたましく鳴り響く剣音。


 レグスの頭上向けて振り下ろされた大剣が宙を舞った。


「くだらぬ小細工などではない」


 黒き剣にて大剣を打ち上げた男は言う。


「あれは、私が勝利するに必要な布石だ」


 形勢逆転。

 圧倒的劣勢であったはずのレグスが一瞬にして優位に立つ。

 さきほどまで押しに押していたはずの大男の手からは大剣が失われ、対して、押されに押されていた男の方は悠然と黒き剣を構えている。

 もはやこの状況は決着がついたも同然。


「やりやがった。あの野郎、一発で状況をひっくり返しやがった」


 ガドーがそんな感嘆の声を上げると、それまで黙って決闘を見守っていたシドが異を挟む。


「一発……、さてそれはどうか」

「シドさん、そりゃあどういう事で……」

「私の目には、あの男がこの状況にもっていくまでの布石を、事前に打っていたように見えたがな」


 二人の会話を聞いていたディオンがガドーよりも先に布石という言葉に反応する。


「まさか……、あの短剣」


 ディオンの言葉にシドが頷く。


「そう、あの投擲だ。あれがこの勝負を決める一手に繋がっていたのだ」

「あれが? 一発も当たらなかったあんな攻撃がいったい何の役に……。まるっきり無駄にしか見えなかったですぜ」


 ガドーにはどうにも信じられなかった。

 軽々と防がれてしまっていたレグスの投擲攻撃がいったいどのような布石となったというのか。


「短剣の投擲など、不意をつく奇手としてならともかく、真正面からいくら投げつけたところで闘士に選ばれるほどの者に通用するはずもない」


 実際、十本も投げつけられた短剣は一本とすら命中する事は無かった。


「そんな事はあの男も重々承知していたはず。しかし、奴は序盤徹底して短剣の投擲に拘った。それは何故か……。見極めていたのだ、相手の剣の本質をな」


 通用するはずもない攻撃。

 それをレグスが執拗に繰り返していたのは、ブノーブの大剣に臆していたからなどではなかった。


 人間には癖がある。

 畑を耕す為に鍬を振る。薪を割る為に斧を振る。荷物を背負う。押す。引く。

 何事においても、一見まったく同じに見える動作でも、実は人によって小さな違いがでているものであり、そしてそれは剣についても同じ。

 同じ流派で、同じ師から、同じ型を学ぼうと、そこには必ず小さな違いが生まれる。 

 振りやすい角度。力の入れ抜き。すなわち剣の筋。

 レグスは短剣を投げる事で、ブノーブのおおよその剣筋を見極めていたのだ。


「見極めただと、俺の剣を、わずか十本足らずの短剣で。ありえん、そんな事断じてありえん!!」


 レグスから告げられた真実にブノーブは愕然とした。


「十本の短剣は土台だ。あれはその後の打ち合いを可能とする為の土台」


 いくらレグスほどの剣の使い手とて、壁の民の戦士相手にいきなり真っ向から打ち合うのは危険極まりなかった。そこで彼が最初に欲したのは、ブノーブの持つ初歩的な剣の癖。十本の短剣はそれを見極める為に使用していたのだ。

 その後、レグスがあれほど見事に堂々と打ち合えたのは、この事前の準備があったからこそであり、そして彼がブノーブの剣の本質に届くほどに見極めたのは、あくまでその剣戟の最中においてである。


「お前の剣を完全に見極めたのは、その打ち合いあってこその事」

「同じ事だ!! わずかこの一戦の間に、俺の剣が見極められるなど、そんな馬鹿な事が!!」


 生まれて間もなくしてずっと剣の道に生きてきた。

 毎日、毎日、血の滲むような努力の上で、己の剣を磨き続けてきたのだ。

 十年、二十年、尋常ならざる修練を積み続けて、己の剣は今の形を成していた。


 それを、その剣を、目の前の対戦者はわずか一戦の内に暴いてしまったというのか。

 信じたくない。信じようがない。


「信じられんか。だろうな。お前は、この決闘で自分が敗れるなど微塵も思っていなかったろう。お前の脳裏にあったのは、いかに勝つかという事だけだ」


 決闘に臨んだブノーブの思考を見透かすようにしてレグスは言う。


「神々に恥じぬ戦いを、その思いにお前の剣は囚われ、ひどく単調なものとなってしまっていた。誇り高い勝利を求めたゆえに、お前の剣は自由を失ったのだ」

「誇りが……、自由を奪っただと……」

「そうだ、誇り高き民の戦士ブノーブよ。その誇りが傲慢となりお前を殺すのだ」


 レグスの話を血が出そうなほどに歯を食いしばりながら聞くブノーブ。

 彼の胸中にあるのは、生まれて以来最上の悔しさ。


「傲慢……、我が誇りを、傲慢と腐すか貴様……」


 憤怒の相を浮かべながらブノーブは言葉を吐き出す。


「いいだろう……。だがな、覚えておけ西の者よ。その誇りがあったからこそ、私は今日まで戦い抜いてこられたのだ。その誇りなくして、私は私たりえぬ」


 レグスが傲慢と呼ぶ誇りを支えにして、男は数々の修羅場を戦い抜いてきた。今さらそれを捨て去る事など出来はしない。


「くるがよい!! 全血肉を以って貴様を討ち、正義と我が誇りを証明してみせよう!!」


 空手の大男が猛り吼えた。


 ブノーブの咆哮に反応するように、黒き剣を携えてレグスが動く。

 大男はそれを空手で受けて立たんと待ち構えた。


 そして接近してきたレグスに向かってブノーブが踏み込み、大きな拳を振り下ろす。三フィートルの大男の拳、それはもう紛うことなき凶器。

 しかし凶器も当たらねば、相手に何ら傷を負わす事も出来ぬ。


――見事なものだ。


 空を切る大男の拳。その風音を聞きながらレグスは感心する。


 大男の拳には迷いがない。恐れがない。

 剣を見極めたと言う対戦者の言葉を聞いてなお、武器を失ってなお、ブノーブの堂々たる戦い方に変化はない。

 それを考えなしの馬鹿と切って捨てる事など誰でも出来よう。

 されど決闘の対戦者として、剣を合わせ、命を賭した者同士であるレグスには理解できた。


 大男の誇りには傲慢と高潔さが共存している。

 彼のその精神は、肉体の檻より解き放たれる最後の時まで、不変のままであろう。


――さらばだ、誇り高き戦士よ。


 攻撃を外し、急所を晒した大男に向かって剣を振りぬかんとするレグス。

 その刹那。


――『父親そっくりよ』。


 影の魔女の呪わしき言葉が脳裏によみがえる。


 それはわずかにレグスの剣を鈍らせた。

 そのわずかで十分。

 ブノーブほどの戦士がその隙を逃すはずもない。


 皮一枚、ギリギリのところで黒い剣を避けたブノーブが、無防備なレグスの胴体へ自身の丸太のように太い脚を叩き付けた。

 まるで騎兵の突撃を受けたかのような衝撃。

 骨が、内臓が、悲鳴を上げる。


 体が砕け散りそうなほどの衝撃を受け、レグスは弾き飛ばされた。

 勢い良く地面を転がる東黄人の闘士。彼は全身を削られるようにして転がり続けた後、そのままぴくりとも動かなくなってしまう。


「おおおおおおおおおおおっ!!」


 拳を握り締め、大男が咆哮する。


「おおおおおおおおおおおっ!!」


 天に両拳を掲げ、己に、観衆に、神々に吼える。


 見よ、見よ、見よ。

 これぞ、これこそが、戦士ブノーブの戦いである。


 どれほど絶望的な状況にあってもその心は折れず、どれほどの屈辱に塗れてもその誇りは汚れず。

 決して臆する事無き、戦士の中の戦士。


「ブノーブ!! ブノーブ!! ブノーブ!!」


 感極まった観衆達が一斉に戦士の名を叫び始める。


 まさに劇的。

 一つの美しき物語が如く、戦士ブノーブの戦いは壁の民の人々の胸を打った。

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