開拓団
季節は冬。一年の終わり。
フリア教徒達が懺悔の祈りを天界の神々にささげ、宥恕と慈悲の女神ティアタムに赦しを乞う月『祈月』の十七日。
フリアでも最も豊かな地『ミドルフリア』、その南方を担う一国『ベルフェン王国』の都フェンの大広場には人だかりが出来ていた。
場の中央に王城の衛兵達に囲まれた一人の男が立たされており、彼の顔は肥え太った体型に似合わずひどくやつれている。
その横では衛兵の一人が観衆に向かい声を張っていた。
「この男ロブエル・ローガは内務、財務の大臣という重き職の地位にありながら、王の臣下たる己の身を弁えず、無法の振る舞いを働き続け、国家の安寧と名誉を傷つける一七にも及ぶ罪状があがっている!! 一つ、王族に敬畏する心を欠した不敬の罪。一つ……」
人々の前で罪状を次々と読み上げる声が広場に響き渡る。
王族や神々に対する不敬不信の罪から、詐欺、横領、収賄など金に纏わる罪、果ては婦女子に対する暴行、そして戦争犯罪まで。
列挙される罪の数々。
衛兵が罪状をあげ終えると、観衆からはいくつもの罵声が飛ばされた。
吊るせ、吊るせ、吊るせ。
聞こえてくるのは何も罪に対する憎悪だけではない。もっと浅ましき熱を帯びた声を人々があげていた。
彼らは期待しているのだ。
罪が裁かれる事ではなく、一人の人間の『死』そのものを。
人が死ぬ。その事実に、その光景に、胸を躍らせ血を沸かせる人間がここには大勢集まっていた。
薄汚い欲望が渦巻く中、衛兵は言う。
「お前達の望み、至極最もである!! が!! 慈悲深き国王陛下はこの男に名誉を回復する機会をお与え下さった!!」
そんなものはこの場に集まった人々の望みではない。
当然、彼らの失望は怒声へと変わる。
「何言ってやがる!! そんな男とっとと吊るしちまえ!!」
「大臣様だけ特別扱いかぁ!?」
「殺せ、殺しちまえ!!」
聞くに堪えない罵声。それを掻き消さんばかりの大声で衛兵は告げる。
「聞けえい!! これは国王陛下が御取り決めになった処置、何人たりとも覆す事かなわぬ!! この罪深い男ロブエル・ローガは!! 来年の花月……」
『花月』は年が明けて三つ目の月。春が始まる月である。
「ローガ開拓団を率いて我らがフリアの地を発つ事となった!!」
衛兵の言葉に人々は戸惑った。
「開拓団って……」
「なんだ大臣様に農作業でもやらせようってのか」
「そりゃいい」
「はっきり言っちまえば追放処分ってとこか?」
「なんだよそれ、つまらねぇな」
「おいおい開拓ったってどこにそんな土地が」
「開拓って言えばよう……」
「今フリアを発つって言ってなかったか?」
「あの噂本当だったのか……」
観衆の口から漏れ出る言葉は様々であるが、衛兵はそれらを相手する事なく話を続ける。
「行き先は遥か東の地、壁を越えた先!!」
東の壁、それが何の事であるか。この王都では多少の学さえあれば子供すらも知っている。
そしてその先に広がるものがいったい何と呼ばれているかも。
「壁って」
「おいおいまさか」
「まじかよ」
死を願い、失望し、失われていた感情が観衆の中でにわかに蘇る。
「グレイランド!! 彼の地に眠る巨万の黄金を持ち帰ってのみこの男の罪は贖われ、栄光ある王都フェンの地を再び踏む事が許されるであろう!!」
巨万の黄金。その甘美な響きに人々は沸いた。
無論グレイランドの黄金とは金鉱石の事だけを指しているわけではない。
富の象徴としての黄金であり、巨大な未開な地に眠っている貴重な動植物の一掴みだけでもそれはいくつもの金塊と等価であるという。
そして黄金を愛するユロア人の貴族の中にはグレイランドに独自の殖民都市を築く事に成功し、文字通り巨万の黄金を産出する金鉱山を所持する者もいた。
黄金その物であろうとなかろうと遥か東の地には富がある。抱えきれぬほどの、想像すら尽かぬほどの富が存在する。
その黄金の物語に、無関心でいられる人間がどれほどいようか。
人々は男の罪など忘れ、夢に酔った。だが彼らも底なしの馬鹿ではない。
内心わかっていた。グレイランド、その地に足を踏み入れるという意味を。
そしてその事を誰よりも痛感している者こそがロブエル・ローガ。当事者たる男であった。
『グレイランド』。
フリアの東、大陸の中央部に広がる巨大な未開の地は人々にそう呼ばれていた。
病と魔物が蔓延り、蛮族達が跋扈する暗黒の地として恐れられてもいたが、同時に古代の遺産や良質な鉱石、珍しき動植物が眠っている魅惑の地として、欲深き者達が狙い続ける土地でもあった。
しかし、この混沌たる灰色の地は誰もが無条件に目指せる場所などではない。
南北を標高一万フィートルを越す天険の山脈に、東の大部分を息をするだけでも肺が毒されるという巨大な湖『腐海』に行く手を阻まれており、その侵入路は限られていた。
そのうえ大陸北部を支配する『バルシア大王国』や、大陸南東を支配する『バトゥーダ大王国』の二大国はグレイランドからもたらされる災厄を嫌い、出入りを厳しく取り締まっており、厳格な宗教国家であるバルシア大王国に至っては異国の人間が入国する事すら一筋縄でいかない。
残された経路にはフリアの東からグレイランドの西端へと入るものがあったが、これも無条件というわけではなかった。
フリアの東とグレイランド西の境目には、災いからフリアの地を守ろうと築かれた南北に連なる巨大な壁が存在し、それを守護する『壁の民』と呼ばれる者達がいた。
壁を越えようとするならば、彼らの王である『壁の王』の許しが必要となる。
そしてこれを得るのは至難の事であった。
壁の民に対する貢献、つまりは莫大な援助やそれに類する物が必要とされ、一般人はもとより木っ端の商人や貴族では『壁の王』の許しが出る事はまずありえなかったのである。
かといって強行突破などは出来ようはずもない。
壁の民は押し寄せる魔物、蛮族と千年以上も戦い続けている戦の民であり、灰色の肌を持つ彼らの身長は三フィートルにも達する。
彼の男達が振り下ろす大剣は大地を裂き、彼の女達の弓から放たれる矢は天空を高々と走り標的を貫くという。
そんな強者がゴロゴロと存在するのが壁の民であり、フリアの諸王は災厄から命を賭して守護する彼らに敬意を払えど侵すような真似は決してしない。あのアンヘイの狂王と呼ばれたヌエですら壁の民にはついぞ手をださなかったのである。
また夜の闇に乗じて壁を越えるのも、まず不可能な事だった。
壁の高さは五十フィートルはある。いくつか存在する巨大な門は必要時を除き常に固く閉ざされており、壁の民は鼠一匹の侵入も許さぬように見張り続けている。
彼らは理解していたのだ、小さな鼠であろうが灰色の地からもたらされる物がどれほど恐ろしい災厄を秘めているのかを。
そして根本的に、壁の民に夜の闇は意味をなさない。
人々は言う。
ユロア人の青い目は黄金を見つめているが、壁の民の青い目は闇夜を見分けている、と。
彼らの青い瞳には夜も昼と同じく明るく映っていると言うのだ。
壁の民に無法の手段は通用せぬ。
グレイランドという地に潜む脅威、そして壁を越える為に必要な手順。
この事実の前にフリアの人々は灰色の地の黄金に中々手が出せずにいた。
しかし、それでも全ての者達が完全に諦めてしまったわけではない。
解放戦争から二十年の歳月を経て、フリアに住まう欲深き者達は再び彼の地の黄金を抱く夢を追う。
ミドルフリアの諸王はフリア教における最高力者『総大司教』の仲介を得て、壁の王から壁越えの許しを貰う事に成功。いくつもの開拓団がグレイランドへと送り出される事となった。
そしてそのうちの一つに、ベルフェン王国の大臣職を近頃まで務めていた男ロブエル・ローガが率いる『ローガ開拓団』が存在していた。
かつての貴人から今や罪人となった男が率いる曰く付きの開拓団に参加しようと、レグス達はベルフェン王国、国境の街『サドゥダラ』へと足を踏み入れていた。
彼らの目的は当然黄金などではない。セセリナが語った古き精霊の国への『扉』を見つけようと、灰の地を目指す事にしたのだ。
「なんか案外と寂しい街だな。ミドルフリアの街って言うからにはもっと賑わってるのかと思ったぜ」
街通りの疎らな人影を眺めながら少しがっかりしたような調子でファバが言う。
東の辺境生まれの少年の耳にもミドルフリアの地の噂は届いていた。
貴族でない者すら食うに困る事のない楽園のような場所で、硬い黒いパンではなく、軟らかく美味しい白いパンを人々は食べているのだと。
だが噂は噂にすぎないのか。街の様子は想像していたものからは程遠かった。
確かにそこそこ大きくはあったが、この程度の街ならば彼の生まれ故郷ザナールでも見られる規模である。パネピアで寄ったダナの街の方がよほど栄えているように見えた。
「お前が噂に聞き期待したような街はもっと北にある大きな都市の事だ。それこそ王都フェンのような。こんな田舎街では白いパンは出てこない」
レグスは少年の欲望を見透かしていた。
「そうかよ、つまんねぇの。で、その王都に立ち寄るご予定は?」
「ない」
「だろうと思ったよ。……おっ、ここじゃねぇのか?」
大きな酒樽が描かれた看板の前で足を止め、そこに書かれた文字をファバは難しい顔をしながら見つめる。
「えぇと、デモッサンの……さかば……っだろ?」
「ああ、正解だ」
「おっし!! どうよ俺もたいしたもんじゃねぇの、この上達速度」
この先必要になってくるだろうとファバはレグスから基本的な文字の読み書きを習っているところであった。命じられての事であったが、年若くもありその覚えの早さは悪くない。
しかし教える男の方からしてみれば、この程度は早々に出来るようになってもらわねば困る事でもあった。
「まだ青語の初歩的な文字が読めるようになっただけだ。これから最低でも五大言語は全部覚えてもらうつもりだからな。こんなところでつまづいてもらっては困る」
五大国の青語、黄語、白語、黒語、赤語は大陸各国に強く影響を与えている。
フリアのほとんどの国では青語が公用語となってはいるが、東黄系や北白系の者達は黄語や白語を根強く使用している現状があり、各言語が必要とされる場面は多い。
そして未開の地とされているグレイランドにも、長い年月をかけて様々な人種の者達が富を求めて進出しており、どの言語も必要とされる可能性は十分に考えられた。
だからこそレグスは青語を始めとしてその他の言語もファバに叩き込むつもりであった。
「うげぇ」
学というものとは無縁に生きてきた少年にとって奇怪な記号の数々が意味を持った世界、それを知るのは喜びでもあった。
しかしその大変さも身に染みている現在、ここからさらに他の言語もとなると嫌な顔一つしたくはなる。
「入るぞ」
そんな小さな抵抗の表情を相手にする事なくレグスは酒場の中へと入っていった。
店内はまだ昼間とあってか客は少ないようであった。
それでもガラの悪そうな男達の姿がぽつり、ぽつりと目につく。
レグスは店主らしき大男の方まで一直線に歩みを進めると、金貨を一枚差し出して不躾に尋ねた。
「グレイランドへの開拓団員の募集を聞いてこの国に来た。ローガ開拓団というのが人集めをしているそうだが、何か知らないか?」
店主はレグスを頭上から一瞥すると、店内に座っていた一人の男を呼びつける。
「ガドー、あんたの客だ」
それは剃り切った綺麗なハゲ頭の男だった。
背丈は店主ほどではないがレグスよりか一回りは大きい。
筋肉質な体格で青い目に白い肌。典型的な青目人であった。
「……東黄人か」
レグスの前に立つなり、男はそう言って溜め息をついた。
「どこの出身だ?」
「ジラフィア」
レグスは嘘の答えを返した。
「聞いた事ねぇな」
「東の辺境の国だ」
「ほう、東ねぇ。わざわざそんなところからこのベルフェンまでご苦労な事だが……」
「勘違いするな。生まれはジラフィアだが、もう何年も帰っていない」
「なるほど冒険者か」
「そんなところだ」
その返答にガドーは大声で笑いだす。
「ガッハハハ。臭せぇ、臭せぇな、おい。兄ちゃんよ、俺は冗談は好きだが、子連れの冒険者ってのは笑えねぇよ、ええ?」
ファバの存在が彼には引っかかるらしい。
「気にするな。騎士も戦場に従者を連れ歩いているだろう」
「従者にしてもガキすぎる。それにお前わかってんのか? 開拓団って言っても畑耕しにいくんじゃねぇぞ」
「使える物はガキだろうと何だろうと使う主義でね。あんたこそわかっているのか? グレイランドが戦場ほど甘くないって事を」
「言ってくれるじゃねぇか。だけどよぉ、その細腕で剣が持てるのかい? かわいい東黄人の坊や」
「必要なら試してみるか?」
一瞬、空気が止まった。
その次の瞬間、青目人の男が腰にかけた剣を抜き大声をあげようとする。
「じょっ!?」
だがその動きは刹那に止められる。
レグスの短剣がいつのまにかガドーの首もとに当てられていたのである。
「この距離ならそんな長物必要ない。こいつで十分だ」
「わかった、わかった、俺の負けだ、勘弁してくれ」
誰の目に見ても力量差は明らかだった。
あまりの差にガドーは苦笑いを浮かべて両手を上げ降参する。
「あんたの力は本物だ。ボス達のところに案内するから、その物騒な刃物は下げてくれ」
レグスが短剣をひくと、少し安堵した表情を見せて男は己のハゲ頭を撫でた。
「いやぁ参ったぜ。結構な数をここでふるいにかけてきたが、あんたの腕なら合格間違いなしだ」
愛想笑いというべきか、卑屈な笑みと言うべきか。そんな表情を作りながらガドーは言葉を続ける。
「そういや名前をまだ聞いてなかったな」
「ゲッカ。こっちの小さいのはトウマだ」
レグスはまたも偽りを告げた。
「ゲッカにトウマねぇ。東黄人っぽい名前だが……」
怪しむようなそぶりを見せるガドーであったが、しかしそれはもう彼の仕事では無いらしく。
「おっといけねぇ。つまらねぇ詮索は無しだよな。そういうの苦手なんだよ、俺の領分じゃねぇ。ボス達に任せるさ」
一人で何やら納得したように頷く。
「じゃあ付いて来な。ボス達に会って許可が下りれば、見事、ローガ開拓団の一員に仲間入りだ。安心しな、さっきも言ったがあんたの腕なら合格間違いなしだ」
そう言われ、レグス達が案内されたのは外れに構えられた二階建ての家屋であった。
青目人の男はその扉をためらいなく叩き鳴らして大声をあげる。
「ボス!! 俺だ、ガドーだ!! すげぇのが来たぜ!! こいつぁ大当たりだ!!」
騒々しい呼びかけの後に扉が開かれ、そこには若い女が立っていた。
十五、六といったところだろうか。彼女は扉を開けるなり怒気を含んだ声を発する。
「うっさいのよ、デカブツ」
「ぐっ……、す、すいません、嬢さん」
「ここは一応秘密にしてる場所なのよ。馬鹿みたいな声出して、本当に馬鹿なんじゃないの?」
苛立たしげに話す女。
そんな彼女をレグスの隣から窺いながらファバは不思議な感覚を覚えていた。
ハッキリとはしない奇妙な感覚。精霊のセセリナを初めて目にした時どこか似ているような気がする。
それはレグスも同じなのか、彼は少し警戒の色を浮かべていた。
「は、はい。すげぇ逸材が来たんでちょっと興奮しちゃって……」
「逸材ねぇ。で、どっちなの」
レグス達の方を見ながら女は問うた。
「えっ、そりゃあもちろんこの東黄人の兄ちゃんの方で……」
「はぁ!?」
何を馬鹿な事を言ってるのだとその顔が語る。
「えっ、えっ、あ、ああ!! えっとちゃんとは聞いてないんですけど、たぶん剣の方で。いや、実際すげぇんですよ!! あっ、俺が直接見たのは短剣だったんですけどね。いやほんと!!」
長々と喋る男に舌打ちして、女はレグスに直接言葉を投げかける。
「貴方使えるのは剣だけ? 魔術は全然駄目なのかしら?」
「ああ」
実際には魔術に関して、多少心得がレグスにはある。
だがここで全てを明かす気など彼には無い。
「……本当かしら」
その時、女の表情が変わった。というよりは瞳の色が変わっていた。
くすんだ灰色の瞳が妖しい紫の瞳へと変わり、全てを見透かそうとしていた。
それはぞっとするほど恐ろしいものだった。
その圧力にレグスの手は咄嗟に剣へと伸びそうになる……、が。
「まっ、いいでしょ。魔術師じゃないなら私の担当ではないわ。二階にいるから連れてってあげなさい」
そう言って女はもといた奥の部屋と引っ込んでしまう。
「おい、ゲッカ。何だよ今の女。目の色が一瞬変わってなかったか?」
声を抑えながらファバが言う。その表情はどこか怯えているようにも見えた。
「紫の瞳は北白系の特徴の一つではあるが、灰から紫に色が変わるというのは聞いた事がないな」
「いったいあの女……」
謎に答えを出す時間はない。
「おい、あんたら。こっちだ」
すぐガドーに呼ばれ、彼らは建物の二階にある一室へと通された。
そこは薄暗い部屋だった。
積み重なった古い本で窓が塞がれ、それでも足りないのか部屋のそこら中にも本が積まれ散乱している。中央には大きな机があり、その上に何枚かの大小の地図が広げられていた。
机を囲むようにして男が二人立っている。
一人は五十前後。もう一人は非常に若く、建物の入り口で会った女とそう変わらない年頃に見える。髪や瞳も同じ色をしており、顔立ちすらも似ているように思えた。
「ふうん、強そうな人だね。今ここでやったら僕負けちゃうかな」
レグスの顔を見るなり若い男はそんな事を言い出す。
「お前がそう思うのなら、実際そうなのだろう」
値踏みするような目でレグスを眺めながら皺の目立つ方の男が口を開いた。
「はぁ、嫌になっちゃうよ。戦う前から勝ち負けがわかっちゃうなんて、ほんとつまらないなぁ」
「だが、それもお前が持つ才能の一つだ。神々が与え給うた、我らにとっても代え難き才能」
「こんな才能、欲しくはなかったよ」
「そう言うな。これから向かう地では役立つ。それにお前はまだ若い、これからいくらでも強くなれる側の人間だ」
「あはっ、シドさん、それって僕を慰めてくれてるの? 優しいね」
「好きに解釈すればよい」
レグス達を無視するかのように進められる二人の会話に、ガドーは途惑いながら割り込んでいく。
「あ、あの!! シドさん、こいつらどうしたら」
「ああ悪かったな。グラスの保証付きなら私が直接剣の技量を見るまでもなかろう。……そちらから何か質問があるなら聞いておこうか、名は……」
「ゲッカだ」
「ではゲッカ、質問があるなら簡潔に手短にすませてくれ」
シドという男はそう言って相手の言葉を待つ。
レグスは少し考えるような仕草を見せた後、彼に尋ねた。
「そこの彼は私の剣の一振りすらも見ていないはずだ。何故その見立てをそこまで信頼する」
「意味があるとは思えない質問だな。好きに解釈すればよい」
答える気などないと強く宣言されたようなものだった。
「質問を変える。この建物に入る時に若い女と会った。この男が嬢さんと呼んでいた女だが、そこの彼によく似ている。……いったい何者だ?」
「君がこの開拓団に参加するならば、彼女も含めて後で紹介する必要はあるだろうな」
つまり今は必要ではないと言外に告げていた。
「シド、私も雇用主に関してあれやこれやと詮索するのは好きではない」
「若いのに良い心掛けだ」
「だが、これは普通の仕事とは事情が違う。グレイランドへの開拓団だ。あの地はフリアを旅するのとはわけが違う。信頼の置けぬ相手のもとでは働けない」
「よく言うよ」
グラスが口を挟んだ。
「ゲッカさんだっけ、そんなに堂々と嘘を付くのは関心しないなぁ」
「私の言葉のどこに嘘があると言うのだ」
「あなたの目が言ってる。誰も信頼出来ないって」
同じだった。あの女と同じ瞳。
色はくすんだ灰色のままだが全てを見透かそうとしている。
「あれやこれやこっちを疑うのはいいよ。けどさ、嘘を平気で突かれちゃったらこっちも躊躇しちゃうよね。それじゃあ困るでしょ、お互い」
「開拓団は他にもある。人を逃して困るのはそちら側じゃないのか?」
「はい、また嘘。ちゃんと調べて来てるよね。ローガ開拓団がどういう集まりかぐらい。いくつもある開拓団から、ここを選んだ。そちらの都合で」
薄気味悪いほどにグラスは見透かしている、レグスの思考を。
勘、予想、情報、あらゆるものから導く一つの答え、これは人の内の範疇なのか。
「動揺は小さい。冷静に処理しようと必死ってところなのかな。いや少し違うか……」
「その辺にしておけグラス」
呆れたようにシドが溜め息をついてグラスを止めた。
「ゲッカ、君が腹の内を見せぬように、こちらもそう易々と新入りを信頼するわけにはいかない。それでも腕の立つ人間は歓迎している。ようは使い方次第。互いにどこまで譲歩し利用し合えるかだ。君ほどの者なら理解できる話だと思うが?」
もはや下手な探りが何の収穫も生まない事はハッキリとしていた。
ここは素直に矛を収めるべきとレグスは判断する。
「あんたの言う通りだ。互いの力を互いが必要としている。今はそれだけで十分」
「よろしい」
その後、開拓団の具体的な目的や行動経路、報酬内容などを大雑把に確認し終えると、レグス達には一階に部屋が用意された。
だがその部屋を使わず、荷物を抱えたまま二人はすぐに外へと出てしまう。
難しい顔をしながら開拓団の拠点となっている建物から離れるレグス達。
彼らの脳裏にはグラスという男とそれに良く似た女、二人の存在が幾度となく浮かんでは消えていた。
「どうすんだよ」
街外れの片隅、人気がない場所まで来てようやく腰を下ろすと少年が問いかけた。
「このまま参加する気みたいだけどよぉ、他を当たった方がいいんじゃねぇか?」
「何故だ」
「何故って……、勘だよ勘。兄妹かなにか知らないけど、あの二人、あれはやばい予感しかしねぇ」
「勘か」
まだ考え事をしているのだろう。手を顎に当ててレグスは宙を見つめている。
「ああ、勘だよ勘。レグスはあいつらを見て何も感じないのかよ」
「いや、お前と同じように俺も奴らを見て嫌な感覚はあった」
「ならやめとこうぜ。開拓団っても他にもあるんだろ」
「無理にここに決める必要もないのは確かだが……、セセリナ、お前は何か感じたか? あの二人を見て」
レグスが呼びかけると指輪が青白い光をわずかに放った。
そこから飛び出した粒子が小さな少女へと変貌する。
「面白い子達だったわね」
セセリナは開口一番に呑気そうな調子で言った。
「二人とも人間にしては珍しく強い霊力を感じたわ。特に女の子の方は一時的にすごく強まってたわね」
「魔力ではなく、霊力か」
レグスはなにやら納得がいったようだった。
「なによ気づかなかったの? 魔力とは全然違うでしょ」
「悪霊やお前の霊力ならよく知っているが、人間があれほど強い霊力を出せるものなのか?」
「普通は肉体が邪魔になって、霊力を操るなんて無理なはずなんだけど。まれにいるみたいなのよね、ああいう子達も。たぶん意図的というより無意識に……、訓練で身に付けたようなものでなく先天的なものでしょうね、あれは」
「ちょっと待ってくれよ」
会話についていけないファバが口を挟む。
「魔力だ、霊力だ、さっぱしわかんねぇよ。魔力と霊力って同じようなモノじゃねぇのか?」
「ほんと何も知らないのね。レグス、やっぱこの子は置いてった方がいいんじゃないの?」
セセリナはグレイランドに少年を連れて行く事に反対していた。パネピアのボウル村に残していくようレグス達には忠告済みであった。
だがそれを二人は聞き入れなかった。
グレイランドの危険はレグスとて理解していたがファバの覚悟も十分と知っており、その思いを無理に捻じ伏せるような真似はしなかったのである。
「今さらそんな話は無しだぜセセリナ。それより、ケチケチしないで違いとやらを教えてくれよ」
「別にケチして教えないなんて言ってないでしょ。あなたの空っぽ頭でもわかりやすく教えてあげるにはどうしたらいいか、考えてたのよ」
「それで、結局何なのさ、魔力と霊力の違い」
「簡単に言えば魔力は肉体に宿る力で、霊力は魂に宿る力よ」
「おお、何かわかるような、わからないような」
「魂は生ける者なら誰もが持っているわ。時には死者すらもね。つまり人間だろうと精霊だろうと、魂を持つ者はみな霊力を宿している」
「俺にも霊力ってのがあるって事か?」
「ええ」
「じゃあ俺もお前みたいな魔法が使えるのかよ」
「魔法って……、正式には魔力を使って起こす術が魔法であって、霊力を使って起こす術は……、ってまぁそこはどうでもいいか。とにかく、大きさの大小は別にしてあなたも霊力を持ってはいるけど、それを意図的にどうこうしようってのはまず無理な話よ」
「何でだよ」
「さっきも言ったでしょ。人間みたいな肉の塊じゃそれが邪魔になって、霊力を意図的に操作するなんて無理なの」
「けどあの二人はその霊力ってやつを使ってんだろ?」
「だからぁ、あれは意図的なものじゃなくて先天的なもので、一種の才能よ。そんなものあなたにはないでしょ」
人から質問を浴びせられるのが大嫌いだと公言するセセリナだけあってか早くも限界は近そうに見えた。
レグスは助け舟を兼ねて話題を引き戻す。
「二人とも講義はその辺にしておけ。それよりセセリナ、お前はあいつらをどう思う」
「どうって……、人間にしては珍しい能力を持った子達だとしか言いようがないと思うけど」
「それだけか?」
「何が聞きたいわけよ。ハッキリと言いなさいな」
「俺もファバも、奴らには嫌な印象を抱いている。精霊のお前はそういったものに敏感だと思うが?」
「そうは言われてもね。正直、特別禍々しい何かなんてモノは全く感じられなかったわよ。……ううん、そうねぇ。人間の魂には穢れが付き物だし、それがあの子達の霊力に当てられて嫌な感じがした理由かもね」
「穢れか……」
「霊力は魂に宿る力。当然、強く影響を受けるし与える。悪霊とは戦ってるんだしわかるでしょ、穢れた霊力に触れた時に感じるあの嫌な感じは」
「なるほど確かに覚えはある」
「悪霊は極端にしても人の魂、そして霊力にも穢れはあるわ。それを受けて嫌な感じがするのは当然と言えば当然。人間が精霊達から嫌われやすい理由の一つでもあるわね。あなたの言う通り、私達みたいな霊体で生活している者は穢れに敏感だもの」
「お前は平気なのか」
「慣れたわ」
「慣れるものなのか」
「セセリナさんほどの立派な精霊になると清濁併せ呑むぐらいの器量が生まれてくるのよ」
そう言ってセセリナは自画自賛した。
「で、結局どうすんだよ」
最終的な決定権はレグスにある。ファバに問いかけに彼は言う。
「……あの不吉な感じが霊力によるものだと言うのなら、早急に動く必要もないだろう。都合の良い開拓団が他に見つかるとは限らんからな」
グレイランドに向かう開拓団と言ってもその規模は様々。開拓団の参加条件に実績の証明を求めるところもあれば、厳しい試験を課すところもある。国籍や宗教、人種に制限をかけるところもあるし、中には既にメンバーは決まっていて最初から外に募集などかけないような開拓団も存在している。
レグス達の目的はあくまで『壁』を越える事。壁さえ越えれば開拓団は用済みとなる。必要以上に警戒し、壁を越える手段を失っては本末転倒というものだろう。
「ほんとに大丈夫かよ……」
「一応の警戒はしておけ。魔術師の類いに目を付けられてるとやっかいだ、なるべく単独行動は避けろ」
腕のいい魔術師が精神的干渉を使い、隠し事を探ってくるというのは考えられる事態だった。
その手の術に全く免疫のないファバが狙われれば彼らの嘘など簡単に見破られてしまう。
無論、そんな術を他人にかけようなど剣を目の前で抜くに等しい事。レグスがそばにいればファバに対して安易に何か仕掛けるような真似は出来まい。
「まさかトイレまで一緒にするつもりじゃねぇだろうな」
「ほう、そこまですれば完璧だな」
「勘弁してくれ……」
冗談交じりのやりとりを済ませた後、レグス達はローガ開拓団について何か新たな情報は得られまいか、街で情報収集を行った。
が、結果は空振り。
日が沈んだ頃には開拓団の拠点となっている家屋へ再び戻る事となった。