ドルバンの山猫
そこは七つの大陸を持つ世界『エンテラ』。
そしてエンテラ最大の大陸カンヴァスでは人と人ならざる者達が、この広大な大地の上でそれぞれの生活を営んできた。
ある時は離れ、ある時は交じり、ある時は従えて。
時に国が滅び、命が消え、また生まれを繰り返す。
全てを知るには余りに広く、複雑すぎた地に男は立っていた。
大陸北西フリア地方、そこを旅する一人の若者。
物語は彼より始まる。
フリアの東にザナールという国があり、その南東の森の中にまるで何かから隠れるようにして小さな村がぽつんと存在していた。
そこは静かな場所だった。いや、暗いと言うべきか。
人気は多くないうえ建物はぼろばかり。土地だけでなく、住む人も村を囲む森の木々すらもこけて見える。
陽が沈み夜が訪れると村はよりいっそう物静かに、どんよりとした雰囲気に包まれていた。
たとえこんな小さなぼろ村であっても、住んでいるのが赤毛の赤楽人であれば陽気な笑い声すら聞こえてきたのかもしれない。
だが、ここに暮らしているのは黒い髪をした貧相な東黄人達だった。
「もう店仕舞いだよ」
村唯一の食事処、その店の女主人は扉を開いた客人の姿を確認する事もなくそう言った。
しかし客人はその声を無視し、足を進める。
「耳がついてないのかい。みりゃわかるだろ閉店だよ、閉店」
歩みを止めぬ気配にようやく彼女は顔を上げるが、そこにいたのは見慣れぬ一見の客であった。
「見ない顔だね」
フードの付いた鈍色のローブをまとう若い男。
自分と同じ東黄人のようだが顔に覚えがない。
わざわざ帯剣もしており、この辺りに住んでいる人間ではない事は確かだった。
男は女店主の態度を気にもとめず、勝手に客席へ腰を下ろしてしまう。
「ちょっとアンタ」
不快感をあらわに女店主が注意すると、男はようやくその口を開いた。
「旅の者だ。悪いが食事を用意してくれ、てきとうなものでいいし色も多少つける」
「景気よさそうな面に見えんがね。ほんとに金はあるんだろうね」
女店主は舌を打って目を細めるが、対して男は無言のまま貨幣の入った小袋を取り出す。
袋を持つ左手の小指には青い花が印象的な銀製の指輪がはめられていた。
「まぁ、払うもん払ってくれるならいいさ。だけどあんまり期待しないでくれよ。この辺じゃろくなもんがとれないうえに、やっかい事もいろいろとあるんでね」
女店主が準備をする間、男は何をするわけでもなくただじっと料理が運ばれてくるのを待っていた。
そして貧相な料理が運ばれてくると、一言と漏らさずにそれを食し始める。
――つまらない客だね。
礼儀知らずで物静かな客に女店主は内心そんな事を思うが、それでも騒ぎ立て面倒を起こす人間よりかはいくらもマシだとすぐに考え直した。
そうして客が食べ終わるのを静かに待とうと彼女がしていた時だった。
突然店の扉が蹴破られ、ガラの悪い男達がぞろぞろと押し入ってくる。
「うっす、代金の回収に参りましたぁ」
その数は六人。
押し入った男達の姿を見て女店主の顔がこわばる。
――まったく見張り番の奴らは何やってんだい。
彼らがこの村の者ではない事は、余所者である客の男にもすぐにわかった。
東黄人と比べ体格がよく、肌は白い。髪は金に茶と様々な色をしてるが特徴的な青い目だけは六人に共通している。
青目人。
男達はこの村に住む東黄人とは人種も話す言葉も違っていた。
「ちょっと待っておくれよ。代金たってついこの間……」
多少拙くも女店主は男達と同じ『ユロア語』または『青語』と呼ばれる言語で話す。
「おばさんさぁ、わかってない、わかってないよぉ」
「俺たちはこの店の用心棒してやってるわけ、この店だけじゃない。村の平和も俺達が守ってやってるからこそ、女一人、こんなちんけな店もやってけるわけよ」
男達はニヤついた顔を浮かべている。
「そんな事言ったって……」
「用心棒よ、用心棒。危険をかえりみず体はってやってんだよ。命かけてるわけよ、明日にはないかもしれない命。そこんとこわかってる?」
「危険なんてこの村にゃあり」
女店主が男達の言葉を否定しようとした瞬間。
「おっと机が」
「あぁ椅子が大変だ」
「これは霊の仕業かぁ?」
ゲラゲラと下品な笑い声をあげて彼らは思い思いに店の中を荒らし始める。
「やめておくれ、やめておくれよ!!」
女店主がそう懇願すると、男達は動きを止め彼女に尋ねた。
「で、どうなのよ。明日が来ないかもしれない、かわいそうな俺達にコレ払ってくれんの?」
指で丸を作り金銭を要求する青目人の男。
「ああ、払うよ。だからもう店を滅茶苦茶にせんでおくれ」
がっくりと肩を落として女店主は店の奥から小袋を取り出すと、それを男達に渡す。
「おうおう、わかればいいのよ、わかればさ」
満足気に小袋を受け取った男。しかしその顔は袋の中身を確認すると同時に様子を変えた。
「あぁん!? 何これ。おばさん、ちょっとこれおかしくないかな」
男が袋を逆さにする。すると、中から落ちた銅貨が音をたてて店の床に散乱した。
「からかってんのかね。いい大人をさ」
百枚近くはあるであろう散乱した銅貨。それでは男達を満足させられないらしい。
「勘弁しておくれ。こんな寂れた村じゃ、日の売り上げなんてたかが知れてるんだ。これで精一杯なんだよ」
「冗談言っちゃいけないよ、おばさん。ないならないでさぁ、ご近所さんに借りるなり、しっかり作ってもらわないとさ」
「そんな……」
当惑する女店主を尻目に男達の悪意が止む気配はない。
そんな中。
「臭っせぇぇぇ、臭っせぇえぇ!! なぁんか臭いと思ったら、臭っせぇ東黄人がもう一匹いるじゃねぇか」
一人の青目人が客として店にいた男についに絡みだす。
「なぁ、兄さんよ。店のおばちゃんが困ってるみたいなのよ。ちっとばかし助けてやってくれねぇかな」
「ちょっと止めておくれ。その人は余所者さ。この村とは関係ないから」
「おいおい寂しい事言うなよ、おばさんもさ。同胞だろ同胞。助け合わないと、困ってるならさ」
そう言って青目人の男は店の客である東黄人の肩にその大きな手を置いた。
「あんたもそう思うよな」
にんまりと笑みを作った野蛮な男の顔。
しかしそれは一息の間すら持たなかった。
――バシン。
勢い良く青目人の腕がはねる。
予想だにしない出来事。
東黄人の男が己の肩に置かれた大きな手を腕ごとはねのけたのだ。
「て、てめぇ……」
青目の男達が殺気立つ。
「余所者らしいが舐めた真似してるとただじゃおかねぇぞ。まさか俺達『ドルバンの山猫』を知らねぇって事はねぇだろ。頭ついて詫びいれるなら命だけは助けてやろうじゃねぇか」
ドルバンの山猫は青目人達で構成された盗賊団である。
人種の違う東黄人を主に標的としてザナール東部を荒らしまわっており、その規模は盗賊団として非常に大きなものだった。
その名はこの若き東黄人も耳にしていた。
しかし。
「知らないな。山猿の間違いじゃないのか?」
彼はあえて青語で男達を挑発する。
「さ、さるぅ!? 東黄人の猿野郎がえらそうに!! もう勘弁ならねぇ!! ぶっ殺してやる!!」
青目人達が武器を抜き、手にする。
短剣から湾曲した大きな剣、棘のついた戦棍と様々であるがそのどれもに殺意が込められている。
「馬鹿な真似はおよしな!! 頭ついて謝るんだよ!! ほら、はやく!!」
殺気だった男達に悲鳴にも近い声を女店主があげる。
「もうおせぇ!!」
だが問答無用と言わんばかりに、湾曲した大きな剣を手にした男が真っ先に斬りかかった。
それを見た女店主の悲鳴が室内に響き渡る。
「ガッ……ハッ……」
どさりと男が崩れ落ちた。
されどそれは斬りかかられた東黄人の男ではなく、斬りかかった青目人の方であった。
「や、やりやがった!!」
いつのまに鞘から抜いたのか。東黄人の男は血に塗れた剣を手にしていた。
その剣身はぞっとするほど黒く、まるで浴びた血を吸う怪物のように禍々しい。
「なんだあの剣!?」
異様をまとう剣に気押され、盗賊達の殺気、その色が変わる。
侮蔑、怒り、余裕、そういったものよりも強い憎悪と恐怖の紛れた殺気。彼らは初めて目の前の東黄人がただ狩られるだけの獲物と違う事を認識したのだ。
「無駄な殺生は好まんが、お前達に言っても無駄だろう……」
冷めた目、軽蔑の眼差し。
さきほどの瞬殺劇を目にしてなお、盗賊達には耐え難いほどの苦痛である。
怒りが恐怖を消し、判断力を鈍らせ、対峙する相手との力量差を見誤らせた。
「てめぇ!!」
「殺してやる!!」
「死ねぇ!!」
盗賊達が次々と襲い掛かる。
が、結果は圧倒的。
傷一つ付けられず、一人の東黄人の前に盗賊達は屍の山を築く事になった。
「ま、まってくれ。命だけは助けてくれ!!」
盗賊達の血が飛び散った店内で戦意を喪失した生き残りが懇願する。
東黄人の男はそんな彼に剣先を突きつけて言う。
「よく聞け。この者達と同じ末路を迎えたくなければ、私の質問に正直に答えるんだ」
静かで落ち着いていながら殺気を含ませた男の言葉に盗賊は必死に頷いた。
「山猫は何人いる? 百か二百か? 正確に答えろ」
「わ、わからねぇ。そんな細かい事まで俺は把握してねぇ。……けど三百近くはいる。それは確かだ!!」
「正確に答えろ」
「ほんとに知らねぇんだ!!」
嘘を付いてる目ではない。
「……お前達の頭目はどんな男だ?」
「ダーナン・バブコック。髭面の大男さ。短気で惨忍だが腕は確かだ。あんたも強いが奴ほどには見えねぇ。腕力が桁違いだ。あんたも鍛えてるつもりだろうがそんな細腕じゃあの男の一撃は受けきれない。一発で終わりさ」
もとから青目人には体格で劣る東黄人であるが、このちんけな盗賊がここまで言うのは誇張などではなく真にそれほどの違いがあるのだろう。
「得物は?」
「両刃の大斧。それもそんじょそこらにあるようなでかさじゃねぇ。あんなもの扱えるのはあの大男ぐらいだろうよ」
「他には?」
「他? そぉ言われてもな……。俺は下っ端だ。頭と親しいわけじゃない」
「……ドルバンの山猫は解放戦争の生き残りとも聞いたが?」
解放戦争とは二十年も昔、フリア東部に存在したアンヘイ王国に対してフリア諸国が連合し戦った、フリア解放戦争の事である。
元来アンヘイ王国は大陸東の彼方より灰色の地『グレイランド』を通りて現れた東黄人達の国で支配者層は無論の事、国民の多くは東黄系で占められており、ごく一部にその他の人種、民族が点在する小国だった。
しかし徐々にその勢力を拡大すると、アンヘイ最後の王となる狂王ヌエの登場により、その統治は凄惨を極めたものとなる。
東黄人至上主義を掲げた狂王は国内の他人種、他民族を弾圧するだけでなく隣国に対する侵略戦争までも強行し新たな支配地でも惨殺と略奪を繰り返し、フリアの地に地獄をもたらした。
暴走する狂王の振る舞いに対し、フリアの諸国はついに団結し立ち上がり、激戦の末にアンヘイ王国を滅ぼしたとされているのだが、この戦争は後に大きな禍根を残す事にもなった。
何故ならこの戦争は人種間戦争の面も強く、フリア地方において大多数を占める青目人系、その国家の脅威となった東黄人達の国という構図は差別と偏見が生まれ受け継がれるに十分であったからだ。
国を失った東黄人は悪魔の魂を持つと忌み嫌われ、新たな支配者となった者達からろくな統治を受けられはしなかった。
ここザナールも同じである。
盗賊団ドルバンの山猫が東黄人相手に好き放題暴れられているのも、その規模を別にして単純に取り締まる気が領主達にはないからだ。
ザナールの東黄人達は棄民同然の扱いを受けていた。
「ああ、もとはあの戦争で戦った仲間達と始めたって聞いてる。俺は新参だから詳しい事まではわからねぇ。だけどあの戦争の生き残りだ。確かに古株の腕は立つ」
「どんな奴がいる」
「バウアー兄弟は剣の達人だ。あんた程じゃないかもしれんが二人掛かりならどうなるか。ヌミウスという大男もいる。頭ほどじゃないが巨大な鈍器を振り回す力自慢だ。それに直で見たわけじゃないがマッフェムという男は弓の名人らしい」
「魔術に長けた者はいないのか?」
「魔法? 魔法使いがうちの団にいるなんて話聞いた事もない。そんなすげぇ事できる奴がいるならもっと派手に暴れてるはずさ」
解放戦争では大勢の魔術師が動員された。ドルバンの山猫がその戦争の生き残り達によって結成されたものならば、盗賊だろうが魔法の使える者が何人か混ざっていても驚くような事ではない。
そして敵として魔術師はもっとも恐ろしく、警戒すべき存在だ。火や水を自在に操り、風を呼び地を揺らす彼らの驚くべき力は剣の達人をしてもそう易々と御せるものではない。
「なぁ俺が知ってるのはこれぐらいだ。……もういいだろこれだけ喋ったんだ、命だけは勘弁してくれ」
「まだだ」
「な、なんだよこれ以上聞かれたって新参の俺じゃ知ってる事なんて」
「ねぐらはどこだ」
「えっ」
「お前達は今何処をねぐらにしている」
「そ、それは……」
初めて盗賊の男が言いよどむと、東黄人の剣を握る手に力が入った。
「賢い選択をするべきだと思うがな」
「わ、わかった!! 隠し事はなしだ!! 正直に話す!! バハームだ。この村から徒歩で半日ほどの場所にあるバハーム砦だ!! 今はそこを拠点にしてる!!」
「砦?」
「そうだ砦だ。前の戦争で使われてたが今じゃ誰もいない廃墟さ。そこを俺達がねぐらにしている」
「砦か……。店主聞いてるか、この男の話は本当か? 砦を知っているか?」
店の隅で震える女店主に尋ねる東黄人の男。
「あたしゃ何も知らないよ!! 何も見ていないし、聞いちゃいない!! 頼むからでてっておくれ!!」
正気ではないらしい。まともな問答は期待できそうにない。
「困ったな。この辺りの地理には疎い。お前の話の真偽、確認のしようもないな」
「ま、待ってくれ!! 本当だって!! 神々に誓って嘘はついちゃいねぇ。有名な砦さ、あのババアじゃなくたって村の奴に聞いてみろ、知ってるはずだ!! 嘘じゃねぇって!!」
「質問を続けよう。この後どうなると思う。村に行ったお前達の帰りが遅いとなると、山猫はどう動く」
「そりゃ、様子を見に行かせるだろうさ」
「誰が、何人つれてくる」
「そんなのわかりゃしねぇよ。上の奴らはみんな気分屋さ。普通は俺達みたいな下っ端が何人か来るんだろうけど、上のその日の気分しだいさ。誰が来るかなんてわからねぇ」
「そろそろ最後の質問にしておこう」
「ああ……」
「『キングメーカー』を知ってるか」
盗賊を見据える東黄人の男の瞳に狂気に近き暗い灯火が宿る。
嘘はつけない。盗賊の本能が告げていた。
「な、なんの話だ」
「アンヘイの狂王が手にしたと噂された手にした者を王にする石。選王石、通称『キングメーカー』。有名な話だと思うが」
「知らねぇよ!! 俺は学はねぇんだ。頭が悪いんだよ!! 本当に知らない!! そんな石聞いた事もない!!」
アンヘイの滅亡後、石の在り処をめぐっては様々な噂があった。しかし誰かがそれを手にしたという話はついにあらず。時の流れの中、狂王が手にしたとされる伝説の石の噂は噂に止まり、人々はその存在を疑い、石は幻となり消えた。
だが、この東黄人の男は違う。
彼は確信していた。石の存在を。
そしてその行方を追っていた。
「そうか残念だ……」
鮮血が舞う。
「……約束を守れぬ事はもっと残念だ」
盗賊の頭がごろりと落ち転がる。そして再び店内に女店主の悲鳴が響いた。
「だがこれもお前達の悪行の結果だ」
冷めた瞳で死体を眺める男。彼の目的は決まっている。
ドルバンの山猫、その首領ダーナンならば石の在り処の噂、その一端ぐらいは耳にしてるやもしれない。
大きな期待は出来まい。
だが、慣れた事だ。
彼が当てのない旅を続けてもう二年になるのだから。
盗賊達を斬り捨てた後、男は村民達が用意した物置小屋で一眠りすると早朝には村を離れ、バハーム砦を目指し出発した。
彼が村に滞在したのは短い時間であったが、その間に村人達の間で小さないざこざが起こった。盗賊達の報復を恐れた彼らが男の身を引き渡そう考えたのだ。
しかし、村を訪れた盗賊をあっという間に倒してしまう男を力付くでどうこうできるわけもない。
結局村人に残された選択はバハーム砦に巣くうという盗賊達がこの男によって退治されるよう願う事であり、その手助けとして砦までの道を教える事だった。
――あれか。
盗賊の言葉通り村から半日ほどの距離、深い森を進んだ先にその砦はあった。
石造りの壁には苔が生え、所々は崩れてさえいる。だがその巨大な建造物は紛れもなく敵を寄せつけぬ為の存在であり、また味方を守らんとする盾であった。
男の目の前に解放戦争の遺物、バハーム砦がその姿を現したのである。
――陽が沈みきるまで待つか。
村を出てから半日ほどだが陽は傾きながらも沈んではいない。明るいうちに仕掛けるのは得策と言えず、夜の訪れを彼は待つ事にした。
それまでの間、外から気付かれぬように砦の様子をうかがう男。
しかし、盗賊達の出入りがいくらかあるだけで、これといった収穫は得られない。
――やはり砦の内に入らないと話にならないな。
夜が来る。
砦の松明が焚かれ、見張りの者達が交代すると。
――行くか。
男は動き出した。
体調は万全とは言えない。厄介者となった村では警戒を怠るわけにはいかず十分な休息を取れなかったのだ。しかし長く険しいこれまでの旅路の中、体調万全であった事など幾日あったというのか。
むしろこの状態こそ、男にとって平常。問題はない。
「ああ、つまんねぇな。見張りの仕事は億劫で仕方がねぇ」
交代で出てきたばかりの盗賊達はべらべらとそのような愚痴をこぼしながら配置に付く。その警戒心の欠けた様は夜の闇の中、遠目からでもよくわかるほどで、巨大化した盗賊団に長年脅威となる存在がなかった証であろう。
男は見張りの目を掻い潜り、砦の暗がりから所々石の欠けた壁をよじ登りその内部へと潜入する。
人気のある二階を避け三階窓より侵入する男。
長らく放置されていたのだろう、部屋に充満する独特の不快な臭いが彼の鼻を刺激した。
――近頃人が使ったような形跡はない。
男が侵入した砦の空き部屋、その付近からも人の気配はしない。
三百人という盗賊にしては大所帯であるドルバンの山猫だが、このバハーム砦は解放戦争時、千を優に超える兵士達が詰められていた拠点である。盗賊達が占有するには広すぎるぐらいの大きさだった。
――一、二階が本命か。
人の気配はせずとも男は慎重に砦三階部を進む。
夜空に浮かぶ月と星の光りだけがわずかばかりに照らす砦の通路、足音を殺し、暗闇に目を凝らし彼は山猫を探した。
――まずいな。
男はこの砦の構造に詳しくない。砦の部屋の配置、首領ダーナンや古参の盗賊達の居場所を知る者を捕まえ聞き出す必要があった。その為、彼は人気の多い二階以下ではなくこの三階部で集団からはぐれた山猫を探していた。
――失敗だったか。
想定していたよりもずっと大きな砦に、男の脳裏で村で最後に殺した盗賊の顔が浮かぶ。あの男から砦についてもっと詳しく聞きだしておくべきだったと、内心彼は己の浅慮を笑った。
だが運に味方されたか、松明の明かりを手に山猫が一匹、男の潜む闇に迷い込む。
――こいつでいいだろう。
見回りか、それとも何か別の必要があってこの三階にやってきたのか、それはわからない。
安易に手をだせば騒ぎに繋がる可能性もある。しかし迷う暇はない。
どのみち騒ぎは避けられぬ。今必要なのは情報。
これから圧倒的に数で上回る盗賊相手に戦うにはどうしても知っておくべき情報、それをできるだけ早く手にする必要があったのだ。
男は闇に紛れ慎重に山猫へと近付く、相手に覚られる事なく距離を縮め、そして必殺の間合いに届いたその時。
「ぎゃっ!!」
不意の一撃が山猫を襲った。
「死にたくなければ静かにした方がいい。私も殺しは好きじゃない」
男は山猫の手より転がり落ちた松明の火を消し、空き部屋の中へと獲物を引きずり込む。彼の手には鋭い刃を持つ短剣が握られており、その切っ先はいつでも山猫の急所に突き立てられるよう準備されていた。
「な、何者だ。あんた……」
震えた声。混乱と恐怖がこの盗賊を支配している証。
「私が何者であるかは重要じゃない。問題は、お前が私の質問に正しく答えるかどうかだ。もう一度言おう、私は殺しは好きじゃない。だが、助かりたいのならば私の質問に、正しく、答えるべきだ。いいな?」
「あ、ああ」
有無も言わさず頷かせる。
混乱する頭のうちに、つまりは冷静な判断を奪い質問を浴びせる。この状況が要。
男には盗賊が吐く言葉の真偽を確かめようはない。だからこそ、突然の恐怖により思考を奪い、場を支配し、真実を吐き出させる必要がある。
「この砦にいるのはお前達ドルバンの山猫だけか?」
「そ、そうだ……」
「それはおかしいな。攫った者達はどうした?」
盗賊が人攫いなど珍しい話ではない。ドルパンの山猫が東黄人の女達を村々から攫っているという話は男も耳にしていた。
「そ、それは……」
一瞬言葉に詰まる盗賊。
「地下だ。女はまとめて地下牢に放り込んである」
そう言った瞬間、男の短剣が盗賊の指を刎ね飛ばした。
「ぎっ!! いってぇ!!」
「静かにしろ。 次は指じゃなく喉を掻き切るぞ」
真剣な口調。盗賊は痛みを堪え必死に息を殺す。
「私は正しく答えろと言ったはずだが」
「う、嘘じゃねぇ。嘘をつくつもりなんてねぇんだ。ただ頭から女どもの事が抜けてて……」
「言い分けは必要ない。必要なのは私の質問にお前が正しく答える事だ。わかるな?」
「わかってる!! わかってるから!!」
さらなる混乱と恐怖に支配された盗賊。彼から情報を引き出す事にもはや何の障害もない。
砦の構造、頭目の居場所、盗賊達の現状、あらゆる情報を吐き出させる。
もうこの盗賊に用はない。
「最後に良い事をしたな。地獄で死神に伝えるといい。多少の情けはかけてくれるだろう」
男が短剣で盗賊の喉を掻き切る。そこには躊躇いなどありはしない。
血の臭いがする部屋で彼はこれからの行動を頭の中で整理し決断する。
――やはりこいつらを使うのが一番か。
男は腰に挿された二本の巻物、その一本を取り出し広げる。
巻物には解読不可能な言語と奇妙な図形が描き込まれておりその中央には円状の空白地が存在した。
その空白に男は己の指先から血を数滴垂らし、何やら呪文めいた言葉を呟きだす。
最初は意味不明としか言えない日常とはかけ離れた言語、だがその呪文の終盤は日頃から人々がよく使いよく知る言葉であった。
「我らが盟に遵い、我が命に従え。汝の名はロッデンハイム、ガルドンモーラの子にして我が僕。出でよ、汝が主のもと、エンテラの地へ」
呪文の詠唱を終えた時、怪しげな光を放ち共鳴していた巻物から一粒の種が出現する。
その大きさは人の拳ほどはあり、色は毒々しく、その形はおぞましさを感じさせる。
「ロッデンハイムよ」
男は種に語りかけ命ずる。
「この砦にいる武器を持った青い目の男達を殺せ。それ以外の者達には手をだすな。特に東黄人の女がいればその身を守るようにしろ」
種がまるで言葉を理解しているかのようにどくんどくんと鼓動する。
「それと砦の地下には近付くな。……お前の役目はそれだけだ」
種が発芽し、瞬く間に成長する。
人の背丈を超えなお巨大化し、その根は影に溶け砦を覆う勢いで伸びていく。
怪しく禍々しく巨大な草。
魔造食人草クチャウ、それがこのロッデンハイムの正体であった。
クチャウは魔術師がその魔力をもって生み出す怪物。その活動時間は陽の落ちた夜の間と決められているが非常に強力で、無知な盗賊が対抗するには多大な犠牲を払う事になるだろう。
クチャウの根は通常の草木が地に根を張るように闇影に張ってその長さを伸ばしていく。影の内に伸びる根に気付く事は困難である。
闇の中を這い伸びる根は標的の知らぬ間にその周囲を覆い、強力な一撃をもって次々としとめていくのだ。
もちろんクチャウに弱点はある。だがこの魔造物のそれを知る賢者は盗賊の内にはいないだろう。
「う、うわぁ!!」
「なんだ!!」
「ぎゃああ!!」
砦が騒がしくなりだす。ロッデンハイムの殺戮が始まったのだ。
「お前も頼むぞジヌード」
男は騒ぎの最中、もう一本の巻物より召喚した獣を砦に解き放つ。
尻尾を持たぬ一爪と一つ目の獣。ヒトツメと呼ばれる魔造犬だった。
男にジヌードと呼ばれたその獣の四肢は奇妙に折れ曲がっており、一見まともに歩くかも疑わしい。だが獣は想像も付かぬほどの速さで床も壁も天井すらも関係なく駆け回り、盗賊達に次々と襲い掛かった。
「ひっ、化け物!!」
「魔物だ!! 魔物が忍び込んでるぞ!!」
ロッデンハイムとジヌードの活躍によって砦の混乱はさらに深まる。
男はその隙に女達が囚われているという地下牢へと向かった。
道中、二体の怪物に惨殺された盗賊の死体がそこら中に転がっていたが、彼は気にもとめない。それどころか、幾度か遭遇した敵を容赦なく斬り伏せ、血を浴びながら歩を進めていく。
――ここか。
地下牢の見張りを楽々斬り殺すと、男は入り口の前に立ち、中の様子を窺う。
ただただ光り無き闇がそこには広がっていた。
――深いな。
静かな闇。底までの距離も広さもかなりありそうに感じる。
――とにかく明かりを。
地下牢へ向かう為に暗黒を照らす松明を手に取ろうとする男。だが、その手が途中で止まる。
一つの考えが彼の脳裏に浮かんだのだ。
――あれを使うか。
男は手の内に収まるほどの小瓶を取り出し、中身の液体を片目に一滴だけ落とす。
すると驚くべき事にその視界に明らかな変化が起きた。
暗黒に包まれていたはずの地下牢の道がまるで星明りに照らされるが如く明るくなったのだ。
男が使用したのは星光露と呼ばれる貴重な魔法薬。一定時間使用者の夜目がきくようにする目薬で、本来両目に使用する物なのだが、簡単に入手できる品でない為に彼がそうしたように片目だけに使用し節約する使い方が一般的になっていた。
魔法の星明りを得た視界を頼りに男は奥へと進む。
――ひどいな。
行き着いた先、そこで目にしたのは明かり一つない暗黒の牢に押し込まれた東黄人の女達の姿。
悪臭放つその空間で彼女達は憔悴してしまっているらしく生気を感じない。
「お前達に聞きたい事がある」
「だ、誰!?」
暗闇から突如聞こえた男の言葉に女達は驚く。何故なら、この闇の中聞き慣れてしまった粗野な青目人達が話す言語ではなく、平和な日常で親しんだ東黄人の言葉、『エジア語』、別称『黄語』が聞こえてきたからである。
「お前達をこの牢から助けだす者だ」
「私達を? ほ、本当に? 私達助かるの?」
女達がざわざわと騒がしくなる。
「静かにしろ。奴らに気付かれるとややこしくなる」
それを男が制止し、彼は彼女らに尋ねた。
「囚われているはこれで全員か? 今連れ出されている者は他にいるか?」
女達がこそこそと話合いを始める。互いの名を呼び、誰がいるか確認しているらしい。
結論が出たのか、そのうちの一人が口を開く。
「わ、わからないわ。でも全員だと思う……。正確な時間はわからないけど、三日ほど前に何人か牢から出された人がいたの。でもあれから一度も戻ってきていないし、たぶんもう……」
攫われ売られる。古今東西よくある不幸な話だが、今まさに行われている砦内での殺戮劇、その巻き添えにならぬのがせめての救いであるのかもしれない。
「そうか、よくわかった。安心しろお前達は必ず助ける。だがまだ私にはやらねばならない事がある。もうしばらくここでじっとしておけ。私が戻るまで牢の外に出るのはやめておいた方がいい。今、上の階、砦の中は非常に危険だ」
「危険?」
「殺し合いだ。その巻き添えにはなりたいと言うのなら、好きにすればいいがな」
悪臭漂う地下牢に血の臭いが紛れていた。男の言葉で、その臭いに気付いたか女の表情に怯えが見える。
「わかったわ。言う通りに皆するわ。ここで待っていればいいのね」
「ああ、そうだ」
男が女達との話を終えた時、何者か達が近付く気配が入り口の方からした。
何者か、この状況で決まっている。
「まったくこの騒ぎだ。まさかと思いきてみれば、くせぇくせぇドブ鼠が一匹迷い込んでるじゃねぇか。ええ? どこから来たのかねぇ、ここは山猫の巣だぜ。鼠はお呼びじゃねぇなぁ!!」
明かりを持つ手下達を従えて、風貌からして四十前後の男が二人、砦の侵入者を睨みつける。
「バウアー兄弟!?」
女達が明かりに照らされた盗賊達の顔を見て悲鳴にも近い叫び声をあげた。
――こいつらがバウアーか。
盗賊共が一目置く剣の使い手達。兄弟という事らしいが、見れば確かに男二人の背丈は違えど顔立ちは似ていた。
「お前達に尋ねておきたい事がある」
侵入者である方の男は堂々たる口調でそう切り出す。
「キングメーカーと呼ばれる石を私は探している。噂の一つや二つ聞いていないか」
男の問いにバウアー兄弟はゲラゲラと笑いだし、馬鹿にした口調で答えた。
「また何を言い出すかと思えば石ころ探しだって!? キングメーカーか、これはまた久しぶりに聞く名だ」
「知っているのか」
「お前のようなガキが赤ん坊の頃か、いや生まれる前か?」
松明の明かりに照らされた侵入者の顔をまじまじと見ながら盗賊は言葉を続ける。
「くくっ、アンヘイの猿共を殺し回ったあの戦争じゃあ、石の噂はよく聞いた。戦争が終わる頃にも、やれどこぞの貴族が手に入れただなんだとくだらない噂に事欠かなかったぜ」
「結局お前は何も知らないという事か」
「くく、ハハ、クハハ。……知らないも何も全部空言さ。小僧、そんな石ありゃしねぇ」
「どんな鼠が忍び込んだかと思えば、今時あの石を探してる気狂いだったとは傑作だ」
「まぁ、そんな馬鹿じゃなきゃあ俺達の砦に忍び込んだりしねぇさ。まさか憐れな同胞の為に石で国作りしようってんじゃないだろうな!!」
バウアー兄弟、その手下達が下品に笑う。
「じゃあ俺からも質問しとこうか。小僧、仲間は何人いる?」
盗賊達もこの襲撃がまさか目の前の男一人が起こした事態とは思いもしないらしい。
「そんなものは存在しない」
「おいおい、そりゃないだろ。俺はお前の質問に真面目に答えてやったぜ。つまらねぇ冗談は好かねぇな」
「嘘ではない。私もつまらない冗談と、盗賊の小汚い面は好きじゃない」
盗賊達の顔付きが変わる。
「そうか。それなら仕方がねぇ。……楽には死なさねぇ。てめぇからこんなふざけた真似しやがった奴らの事吐かせるだけ吐かして、殺してくださいと懇願するまで地獄を見せてやる!!」
「やってみろ下郎」
「お前ら!! こいつは俺達二人でやる、手をだすなよ!! ローガス、やるぞ!!」
「おうよ!!」
バウアー兄弟、その背丈の小さい方が最初に襲い掛かった。
彼は男に素早く一太刀浴びせると、そのまま軽快な身のこなしで標的の背後へと廻る。攻撃こそ剣で受け流されたが、ローガスと呼ばれたのっぽと標的を挟み撃ちにする形となった。
「ローガス、間違って殺っちまうなよ。こいつとはたっぷりお話しないといけないんだからな」
チビの方の言葉に、ローガスはにやつき答える。
「わかってるよ兄貴。へへ、へへへ」
どうやら背の高いローガスがバウアー兄弟の弟らしい。それは盗賊から聞き出した情報通りであった。
ローガスはゆっくりと距離を詰め、やがて剣の間合いに入った事を確認すると、手にした長剣を振り回し攻撃し始める。
それは一見乱雑な振りであるが、実は隙がない。
いや、正確に言うならば隙はある。だがその隙を背後にいる男が消していた。
「ディリータ、お前は見てるだけか?」
侵入者である男がバウアーの兄の方に問う。
「ほう、俺の名を知ってるのか」
「手下共が言っていたぞ。弟の影でこそこそ戦うのが得意なハイエナみたいな野郎だと」
「安い挑発だな、小僧。……だが、いいぜ乗ってやろう。後悔するなよ」
ディリータ・バウアーとローガス・バウアー、その二人が同時に斬りかかる。
大振りのローガス、その一撃一撃が長く、重い。
それを掻い潜るようにして標的の懐に上手く潜り込むディリータ。軽やかに素早く、必殺の一撃が放たれる。
剣と剣がぶつかりけたたましく音がなる。そして地下牢に囚われた女達がその音に悲鳴をあげる。
「やるじゃねぇか!! 小僧!!」
ディリータが叫ぶ。
凡人には見切れぬぎりぎりのところで男は二人の盗賊の攻撃を受け止め、かわし続けた。
「お前達もよくやる。この暗がりの中で、見事なものだ」
バウアー兄弟の連携は妙技と言える域に達していた。兄弟の片方だけならば楽に勝てるだけの力量差があるだろう。
しかし、この二人の盗賊の巧みな連携は互いの持つ剣の使い手としての力量を幾倍にも押し上げ、標的との差を埋めていた。
男の感想は、素直な称賛でもあったのだ。
「えらく余裕じゃねぇか。けどよぉ、そんな面した野郎を!! あの戦争じゃあ何人もぶっ殺してきた!!」
「その末路が、小汚い盗賊業か」
「野郎!!」
実力は伯仲していた。三本の剣が舞い、ぶつかり、空を切る。時間にして長いというわけではない。
それでも侵入者である男の方はもう理解していた。
このまま戦い続けても無駄に長引かせるだけで、それは賢明ではない、と。
「えらそうなわりには防戦一方じゃねぇか小僧!!」
ディリータの罵声に男は無表情のまま、奇妙な行動をとる。
何を企んだか、暗い地下牢の中、不意に指笛を鳴らしたのである。
「な、なんだ!!」
盗賊達は驚き警戒する。牢の女達もそれは同じであった。
「なにも起きねぇじゃねぇか……」
だが目立った変化はない。
「なんだぁ? はったりかぁ?」
盗賊達の一瞬こわばった空気も、変化が起こらぬと感じると緩み霧散した。
「ガッハッハッハ。小僧、仲間でも呼んだつもりか知らんが、どうやら助けはこないようだぜ」
バウアー兄弟と男の甲乙付かぬ戦いに、それまで驚きと恐怖を持って見守っていた手下達も、さきほどの緊張からの緩みのせいか下品な笑みを浮かべている。
男の奇妙な行動によって何か盗賊達が有利になったわけでもないのにかかわらず、ある種の錯覚に盗賊達は陥っていた。
「安心しな俺達が全員あの世に送ってやるよ、ただし、たっぷりといたぶってからな!!」
ディリータが叫び再び襲い掛かろうとしたまさにその時であった。
暗闇の中を何かが動き、そして、影がのっぽのローガスの首を刎ね飛ばしたのだ。
「ロ、ローガス!!」
突然の出来事に盗賊達は混乱した。
当人のローガスにいたっては自身の身に何が起きたか理解するどころか、混乱する時間すらもなかった。
「ひぇぇぇ!!」
「ローガスさん!!」
盗賊の手下共が目の前で起きた出来事、その一部を理解した時、彼らは狼狽し情けない声をあげた。
「て、てめぇ!! なんだ今のは!!」
ただ一人、弟を目の前で殺されたディリータだけは怒りの感情を持ち合わせていたようである。
「殺せ」
ディリータの質問には答えず、狼狽する盗賊の手下達を見ながら男が呟く。
すると闇の中に潜む何かが動き、手下達に襲い掛かる。
一方的な惨殺。
ある者はローガスと同じように首が刎ね飛び、ある者は四肢を失い、ある者は胸からぱっくりと斬り開かれ、内臓を地面に撒き散らした。
抵抗らしい抵抗など出来はしない。
松明の明かりだけが頼りの闇の中で、自分達に襲い掛かるそれの正体を知る事すらなく、盗賊達が死んでいく。
「なんだ、なんなんだよ一体!! ……てめぇの仲間なのか!?」
この惨殺劇にディリータのさきほどまでの怒りが急激に萎え、代わりに恐怖が膨張していく。
戦いの勝敗をとうに決していた。
「くだらない事を何度も聞くな。私に仲間などいない。……どうした、悪党。顔が歪んでいるぞ」
恐怖に歪む盗賊の顔を見ながら男は冷たく言い放つ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
呼吸が乱れる。返す言葉もディリータには浮かばない。
彼は恐怖で麻痺し掛けた脳内で必死に状況理解に努めようとする。
――なんだ、なんの仕業だよ、こりゃあ。ふざけんじゃねぇ。仲間じゃない? じゃあなんだってんだ、こいつはよぉ、こいつはぁ……。
松明を手にしていた手下達はみな殺され、地下牢の闇はさらに深くなっていた。
もはや侵入者の男の姿すら闇に溶け消えてしまっている。
その中でディリータは確かに感じていた、闇を駆ける存在を。
地下牢の天井から、床から、横壁から、何かが激しくぶつかるような音が響く。
それは速度を増し、それは空を切り、跳ね、駆け、飛んだ。
ディリータの周囲に確かにそれは存在していた。
「じゃあ、こいつは……、この得体の知れない化け物はなんだってんだ……」
弱々しく搾り出すかのようなディリータの声。
「そんな事を知ってどうする。お前はもう死ぬんだぞ」
「待て、待ってくれっ!!」
「そう言った者達をいったい何人殺してきた。いまさら自分だけが助かろうと、それが可能だと本気で思っているのか」
ゆっくりと男がディリータに近付いていく。
「なんでもする!! 命だけは助けてくれ!! 復讐か? だったら手伝ってやってもいい!! あいつを、ダーナンの奴を殺す手引きをしたっていい!! ありゃああれで化け物だ!! 人外の強さだ!!」
「聞いてもいない事をよく喋る。ハイエナにも劣る下郎めが」
「頼むぅ……!!」
滑稽なディリータの命乞い。それが通じたのか男は歩みを止める。
「いいだろう。では機会をやろう。一度だけの機会だ。言葉をよく選び答えろ。……キングメーカー、石の在り処について情報を吐け。今なら少しはまともな答えが聞けると期待している」
前の問答と違い絶対絶命の危機に追い詰められたディリータ、彼からわずかでも石の情報を引き出せないか男は試していた。
「あんた、あんな石が本当にあると思ってんのか……」
「言葉をよく選べと言ったはずだが。……理解できなかったようだな」
「待て!! わかった!! 石だろ!! キングメーカー、さっきも言ったが当時は大勢の人間がその行方を追っていた。結局誰も手に出来ず、その存在すらも疑われたがな。だが重要なのは胡散臭い石に何故そこまでみんなが必死になってたかって事だ。石を手にした野郎を王にしてくれる、そんな馬鹿げた話を真面目に信じたのには理由がある。五大国さ。五大国はみなそれぞれあの石を持っているとされている。もちろん誰かが見たわけじゃない。だがもう何千年もそうであると言われてきた。石は一つじゃない。あんたの狙いがキングメーカーだってんなら、何も狂王の石に拘る必要はないだろ。五大国で探る方がよっぽどの近道さ。なっ、そうだろ?」
『五大国』とはカンヴァス大陸に遥か古の時代より君臨する五ヵ国、ユロア大連邦、バルシア大王国、エジア大王国、ジリカ大王国、バトゥーダ大王国の事をさしている。
彼の国々の始まりからにして、そもそもがキングメーカー、選王石を手にした五人の者達によってなされたとされており、狂王が手にしたという石を大勢が追い求めたのも、その伝説があったからこそとも言える。
無論、五大国がそれぞれ保管しているという石の姿を見たものはほとんど存在しない。大国に君臨する『大王』のみが目にする事を許されるとされており、その存在を疑う者がいないわけでもない。
だが、石の力によって築かれたとされる五大国の領土は広大で、魔物が蔓延るグレイランドを除けば、カンヴァスの地のほとんどは五大国によって支配されている。その影響力の高さを見れば、野心ある者の誰もが石を欲しても不思議ではない。
事実、狂王の石の噂にフリアに暮らす者のみならず、わざわざ遠方の地から石を求めこの地を訪れた者が多くいたのだ。
「残念だが、私が探しているのはまさしく狂王が手にした石だ。終わりだな」
「まっ!!」
声をあげるその途中で闇を駆ける存在がディリータを切り裂いた。
――五大国の石を探れか。……そんな簡単に事が進むなら苦労はしない。
五大国に石があるとされている事など男は既に知っていた。そしてその石を探る事がどれほど危険で困難なものかという事も。
キングメーカーは大王の象徴でもあり、その名を無闇に口にする事すら彼の国々では不敬とされ、まして石を探るなど叛意のあらわれ、死罪に値する。
だからこそ、狂王の噂に大勢の人間が振り回された。
我こそが六人目の大王とならんとして。
「ジヌード、見事だ」
暗闇に散乱する死体の傍らに佇む異形の魔犬、この犬がディリータ達を皆殺しにしたのである。
男は魔犬の仕事ぶりを褒め、次の命令を出そうとする。
が、その時だった。
砦内に、まるで怪鳥が鳴くが如く不快な絶叫がこだましたのだ。
男はその音の正体をよく知っていた。