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翼の在った世界  作者: 氷空
第一章
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1章-3

「すまないな。頭の硬い連中が多くて私も困っている」

「……滅相もありません」

 二人きりとなって最初にかけられたのは、王から騎士レミアへの思いがけない謝罪の言葉だった。それが先程のワドゥルの言葉に対するものだと理解し、レミアは跪いたまま頭を下げて恐縮する。

 実際、シェルのようにレミアを心優しき騎士と尊敬する者もいる一方、その優しさは騎士に不要なものだと卑下する者も少なくない。騎士という身分が稀有で重要なものだからこそ、嫉妬や憎悪の対象にもなりやすいと言えるだろう。

「相変わらずお前は謙虚だね」

 黙って頭を垂れるレミアに、国王が見えないヴェールの向こうでやや相貌を崩す雰囲気がする。

 違います、決して自分は――と、言葉を重ねようとしたところで、思いとどまって押し黙る。

 ここで押し問答を続けたところで、時間を浪費するだけだ。国王の貴重な時間を割いていただいている以上、レミアには最低限の発言しか許されていないことを思い出す。

「まあ、あまり長い時間拘束しても何だ。本題に入ろう」

 王も心得ているのだろう。言葉尻の雰囲気を改めて、再びこちらへとかけられた声にレミアは黙って従った。

「先程命じた任務――敵軍の視察というものは、確かにお前に遂行してもらいたい任務だ。だが、実はお前にはもう一つ、やってもらいたい事がある。寧ろこちらの任務の方がメインだと思ってくれて構わない」

「……?」

 思いがけない国王の言葉に、脳内に疑問符が浮かぶ。

 戦争状態にある今とあっては、敵軍の動きを探ることは、国にとって最も重要な事案の一つであるはずだ。その案件を差し置いてでも優先してこなすべき任務など、レミアには咄嗟に思いつかない。

「神子から、託宣があった」

「……神子様、から?」

 紡がれた言葉は全く予想だにしなかった言葉で、レミアは顔を髪に隠したまま数度瞬きを繰り返した。

 神子。それはこのキスカル王国にあって、最も尊敬される人間である。

 キスカル王国は王政国家であると同時に、シェール教を国教とする強大な宗教国家でもある。

 シェール教は、この世界を創造したとされる『神』、神の名の下に実際に人間を導いた『天使』、そして『落日』後、唯一神の言葉を聞くことができる人間『神子』を信仰の対象としている。

 天使が去り、神の言葉を聞けなくなった今、神子は信仰の対象として国王よりも強い発言力を持っている。その言葉は何よりも正しいとされ、特に数少なくなった神からの託宣の言葉は絶大な力を持っていた。

 託宣は言わば神の言葉そのものであり、その影響力は国王のそれを軽く凌駕する。

 その神子からの、託宣。

「この世界が全て、フォルスの流れにより支えられている事は知っているな?」

 静かに頷く。その理は学のあるものなら誰でも知っていることだ。

 この世界の全てのものは、魔力の根源たるフォルスを元に構成されている。世界には魔力の流れであるフォルスストリームに満ちており、この世に存在するものはそこからフォルスを借り受ける形で存在している。

 神に近いものほどフォルスによる構成率が高くなり、神やその眷属である天使は存在がフォルスそのものだとされている。

 一方、地上にあるヒトや無機物は、その他の物質で構成されている割合が高い。だが、フォルスはいわばそれらの核として命を吹き込むものであり、フォルスが世界を作っていると言っても決して過言ではなかった。

「神子によると近頃、フォルスストリームの力が弱くなってきているらしい」

「フォルスの力……が?」

「ああ。普段からフォルスに触れる機会の多い神子の言葉だ。神の言葉以前の問題として、信憑性は高いだろう」

 フォルス、それはつまり神そのもの。確かに神の言葉を聞く神子ならば、常人が決して感知できないフォルスストリームを感じることもできるのだろう。

 重たげな溜息を一つつき、国王は更に言葉を続けた。

「……だが、信憑性があるこそ、これは大きな問題だ。フォルスの力が弱くなっているという事は、即ち世界という存在そのものが根底から揺るがされかねないということだ。……正直、これは由々しき事態だ」

 事の重大さをかみしめるように、国王は言葉を選ぶように語る。再び訪れた沈黙に、レミアは自分に出来る限りの知識を総動員して思考した。

 フォルスの弱体化――それは即ち、この世界を構成する全ての『核』の弱体化。仮にフォルスストリームの流れが絶ち消えれば、世界は存在を保つことができずに消滅してしまうだろう。

 告げられた大きな現実。そしてその現実が他ならぬ自分に突きつけられた意味を、レミアは静かに考える。

 その情報の意味。自分のなすべき事。そして、思い至った可能性は。

「つまり……私にその原因を探ってほしい、と」

「その通りだ」

 敢えて自分から言葉を発したレミアに、王はそれを咎める事なくヴェールの向こうで頷いた。

「フォルスの力が弱まれば、そもそも我々は戦争どころか、存在していられなくなる。神子が神の声を聞くにも、支障が出てくるに違いない。神子の言葉は全ての国民の支えだ。これを失う訳にはいかない。……フォルスの流れが悪いという事を聞いただけで、不安に陥る者たちも多いだろう」

「正しく」

「そこで、お前だ。今回の件で私は、騎士の中から独断と偏見でお前を選んだ。今回の原因を各地を回って調査し、国に報告してもらいたい」

「……はっ」

 予想していた、しかし身に降りかかった大きな責務に、レミアは短く返答する。

 王の命令は絶対だ。拒否する権利も気もないが、どうして騎士の中から特に自分が――と、脳内を巡っていた疑問は、まるでそれを見透かしたかのように国王によって答えられた。

「お前は聡明だ。若くて行動力もある」

 それに、と一息の間を置いて、国王は更に理由を続ける。

「お前は、優しい。戦場で最前線に立つ、その点に関してだけ言えば、お前は騎士に向いていないのだろう。……だが、そんなお前だからこそ頼みたい」

「……申し訳ありません」

「謝るな。私はお前のそんなところを買っているのだから」

 自分の欠点を指摘されて硬くなるレミアに、国王はあっけらかんと苦笑した。

 「優しい」。その言葉こそレミアの最大の特徴であり、騎士としての弱点でもあった。

 幾度も出撃した戦闘の中で、レミアはこれまで一度たりとも敵の命を奪ったことがない。向かってくる敵はいなし、意識を奪い、そうしてレミアはこれまで戦場を戦い抜いてきた。

 自分でも、敵が殺せないという事実は騎士として、何より軍人として恥ずかしいものだと知っている。だが、それでもレミアはどうしても相手の命を奪う事ができなかった。

 思い出されるのは、十年前のあの日のこと。紙屑のように命が散り、血が炎へと変わったあの光景。

 果たして、自分の手であれを再び繰り返しても良いものか。剣で命を奪うという連鎖は、憎しみしか生まないのではないか。そんな葛藤がレミアの剣を押し留め、騎士となった今もなお、その信念を貫いている。

「心配するな。お前は全てにおいて優れている。そう思うからこそ、私はお前を騎士へと推したのだ。……お前の才を生かせる場所で働いてほしい。それだけの事」

 言葉の端々からにじみ出る信頼に、レミアは複雑な心境で国王に敬意の意を示す。

 微かに首をもたげた拍子に、前側だけが長い横髪が、はらりとレミアの表情を隠した。

「……それに、」

 声のトーンを一つ下げ、かつ真剣味の増した声で国王が言う。

 それはまるで、今から話す理由こそが、本当の理由であるように。


「街から外に出ていれば、お前の『探し人』の情報も少しは得やすくなるだろう」


 呟くような音量のそれ。その言葉の意味を即座に理解すると、今度こそレミアは動揺を隠せずぴくりと肩を震わせた。

「お前の探す者に関し、今上がってきている情報が本当にその人物かは分からない。……だが、こうして軍の中心部にいるより、多くの場所を回った方が得られる情報は多いだろう」

 嗚呼、どうしてこの国王は、ここまで気遣ってくれるのだろう。

 ――レミアがずっと探している人物が敵国にあり、その主戦力となっているだろうと推察されていてもなお。

 思い出すのは、かつてレミアが炎の中に別れた銀髪の親友の影。帝国の進軍に最初に犠牲になった小さな村の、たった二人の生き残りの片割れ。

 ――帝国軍の柱として、『銀の鎌鼬』の名をほしいままにしているかもしれない、彼。

「生き別れの友を探すお前の気持ちは痛いほど分かる。だが、状況が状況だけに、私の名を持って大々的に探してやることは叶わない。だからこそ、今回の任務はお前自身が自由に情報を集める場になれば良いと思っている」

「……勿体ない、お言葉です」

 公にできないこの話題を、長く続けることは得策ではない。レミアに探し人がいるという情報も、ましてそれが敵の人間かもしれないという情報も、知る人間は殆どいないと言って良い。

 様々な感情がないまぜになった心境で、それでもレミアは精一杯の感謝の念を込めて国王に深く礼をした。

 と、不意に国王が立ちあがる気配がしたかと思うと、ゆっくりとその手でヴェールを掻き分けこちらに歩み寄ってきた。

 相手の思いがけない行動に、これまで以上に背筋が伸びる。

 これまで国王の姿は何度か式典などで見てはいるものの、これほどの距離で目に入れる経験などしたこともない。

 緊張を高めるレミアの一方で、国王は落ち着いた足取りで階段を下りてきたかと思うとレミアの目の前で立ち止まる。

 そのまま膝をつき、屈みこんだ国王の足が、下を向くレミアの視界に入った。

「お前には、辛い思いばかりさせてしまうね」

「いえ……そんな事など、一つもありません」

 同じ目線の高さになった国王が、そっとレミアの左耳を撫でた。

 耳元で、この春授けられたばかりの六芒星のピアスが揺れる感覚がする。

 それは、キスカル王国の民なら誰もが知る、栄えあるこの国の騎士の証。国王により授けられし、選ばれし軍人たる証。

 果たして、国王は今どんな思いでこちらを見ているのだろう――。

 そんなことを想像するのも、一介の騎士には出過ぎた真似だろう。

 だからレミアは、単なる一人の騎士として、国王に対し忠誠を誓う者として、ただ国王に誠意を示すべく決然として顔を上げた。

「我が身体は国が手足、我が心は国が夢。我が血潮は国の涙、我が剣は国が盾。国王の名のもとに、騎士、レイミア・A・エリザ。国が一部として忠誠を誓って。……与えられました任務、必ずや遂行して参ります」

 誓いの言葉を真直ぐに述べれば、国王は権力者として毅然とした、しかしどこか痛みを堪えたような複雑な表情を浮かべていた。


「――行きなさい、〝不殺(コロサズ)の蒼"よ。そなたの旅路に、神の加護があらんことを」


 レミアの志と、瞳の色から生まれた二つ名をもって、国王は凛とした声で命じる。

 最後にたおやかな体を持ち上げて、柔和に微笑んだ女王をしっかりと視界の中に捉え――。

 レミアは決意の念も新たに、再び静かに目を伏せた。


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