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翼の在った世界  作者: 氷空
第一章
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1章-2

「失礼致します」

 硬くなる声を悟られないよう、レミアは一度深呼吸してから謁見の間へ続く扉をくぐった。

 扉を開けてすぐに目に入ったのは、一直線に伸びる絨毯と、その両脇に立つ兵士達だった。

 今この場にいる兵士達は、今回レミアが呼ばれたように特別にその場にいる訳ではない。謁見の間には、国王の身を守るために常に近衛兵が配備されている。彼らはそんな者達で、こちらが息苦しくなるほどの潔癖さで佇んでいる。

 深紅の絨毯は程なく三段ほどの階段へと続き、その先は左右に伸びるように一段と高くなっている。

 だが、段を上がったその先の様子を見る事は叶わない。何故なら壇上は文字通り何重ものヴェールで覆われており、こちらからは決してその姿が見えないようになっているからだ。

 王の姿を拝す事ができるのは、キスカル王国の中でもごく一部の物に限られる。少なくとも近衛兵のいるこの場では、そのヴェールは解かれる事はないだろう。

 ある種の神秘的な空間。そこから投げかけられているであろう視線に目を合わせ、レミアは階段の下まで歩み寄り、片膝を折って国王に深く敬意を表した。

「第百十六代キスカル王国軍騎士、レイミア・A・エリザ、ここに参りました」

「ああ、レミア。良く来た。気にする事はない、顔を上げなさい」

 畏まるレミアの一方で、国王は厳格ながらも親しみを持ってこちらの名を呼んだ。

 言葉を受け、空気さえも動かぬよう滑らかに顔を上げれば、見えぬ向こう側とこちら側で視線が交錯するのを感じる。

 この場において、騎士である自分の方から迂闊に言葉を発する事は許されない。肌にぴりぴりとした緊張感を感じながら、レミアはじっと国王から声がかけられるのを待った。

「今回来てもらったのは、他でもない。そなたに頼みたい事があっての事だ」

「……はっ」

 果たして、一拍分の呼吸をおいた後に静かに語り掛けられる。

 騎士の中でも敢えて自分が呼ばれた理由が分からずに、戸惑いながら返事を返す。そんなこちらの動揺を知っているのかいないのか、国王はペースを乱すことなく厳かにそのまま言葉を続けた。

「近頃、帝国との戦争が激化してきていることは、そなたも身をもって感じている事だろう。ここ数百年均衡を保ってきた我らと帝国だが、近年になって奴らが突然攻勢に転じた理由は、依然不明な点が多い」

 帝国――ヴェーチェ帝国。それは今から七百年前、二人の英雄のうちもう一人が建てた、今に続く強大な国。

 キスカル王国建設が和平と融和をもって進められたとするならば、ヴェーチェ帝国はいわば力と圧力をもって建設された国である。

 完全実力主義を謳ったかの『英雄』は、そのカリスマ性をもって周辺国を制圧し、そのまま自国に取りこむ形で国を大きくしていった。

 その力任せの手法の一方で、力ある者には年齢種族を問わず国内でそれなりの待遇を与え、最強部隊と呼ばれる国軍を作り出した国でもある。代々世襲制で王位が引き継がれるキスカル王国と異なり、帝国の王位はその時々で最も力のある者が継ぐという。

 そんな性質の全く異なる二国だが、度重なる戦争を経て小康状態に落ち着いたのが今から四五〇年前になる。かくして二国は一部の貿易を除いてお互い不干渉でいた。

 が、その均衡状態が過去のものになったのは今から十年前である。

 それは、十年前のある日。宣戦布告もなく行われた帝国軍の進軍により、王国領の一つの村が丸ごと破壊されることで始まった。

 駆けつけた王国軍により領土は奪還されたものの、その侵攻によりキスカル王国は数百年ぶりに大規模な民間人の犠牲者を出した。

 村は炎の海に焼かれ、唯一の生存者は当時幼かった二人の子供だけであった。

 ――他でもない、そのうちの一人こそが、騎士としていま在るレミアである。

 そこから大規模な戦争へと突入した二国は、その後幾度となく交戦を繰り返してきた。

 国王の言う通り、唐突に始まった帝国との戦争はここ数年激化する一方だ。これまで王国軍にも数多くの戦死者が出ており、そして民間の犠牲者が多数いることも聞き及んでいる。

 十五歳より兵士となって以降、レミアも一人の軍人として何度も前線に出撃した。

 騎士となり、幾度も戦いに立ち、そうして付いた二つ名は――

「……我が国は帝国軍に対し、同等、いや以上の力を持って応戦しているが、それでも帝国軍の勢いは危機迫るほどと言って良い。しかしその勢いの根源が何か、我々は未だに把握できないでいる」

 投げかけられた国王の言葉が、本筋からずれかけていたレミアの思考を引き戻す。

 国王の御前で考え事など愚の骨頂と言って過言ない。自らの至らなさを叱咤し、レミアは再び焦点を国王の言葉へと合わせた。

「帝国と交戦を行うにあたり、兵士たちの闘志や実力は勿論必須だが、相手を理解した上での作戦立案もまた、欠かす事のできない戦略だ」

 そこで言葉を区切った国王は、一度たっぷり間をとってレミアを見ているようだった。まるで、勘の良いお前ならばこの先は言わなくてもわかるだろう、と言うように。

 そしてまさしく、レミアは国王が言わんとしている事を理解した。

 自分が呼ばれた訳、言い渡されるだろう任務――。ああ、出来そこないである騎士の自分に、なんとおあつらえ向きな事案だろう。

 深い納得と、そして自らへの悔しさがないまぜになった感情で、レミアは国王の口からその使命が発せられるのを待った。

「……そこでそなたには、一度本隊を離れて敵国の情勢を探ってきてほしい。敵国へ乗り込め、とまでは言わぬ。ただ、国境近くやその他へ赴き、かのヴェーチェ帝国を突き動かす『何か』を探ってきてほしいのだ」

 果たして、その予感は的中した。決然と顔を上げたレミアに、国王も何かを感じとったらしい。その使命を告げた声は凛として、深い思慮を思わせた。

 ――勅命。それは騎士たるレミアに対する絶対命令の言葉だった。

 少数精鋭の騎士と言えど、こうして個々人が王の命を受けて動く事はほぼ無いと言って良い。そういった意味では、今回の件は騎士にとって非常に名誉な事とも言えるだろう。

 だがその一方、兵士の鑑になるべくしてその位を与えられる騎士にとって、本隊を離れるという内容そのものは、恥ずかしめを受けたとも取れなくもない。騎士はあくまで前線に立つものであり、今回のような情報作戦は本来別の人間がやるべきものだろう。

 それでもなお、レミアに白羽の矢が立った。――その意味は誰よりも自分が知っている。

「人数が多くなれば、それだけ目立つ存在となる。そなたには単身で任務に赴いてほしい。勿論、その分危険も伴うだろうが、私はそなたの腕を買っている。……頼まれてくれるな?」

 言われなくとも、騎士にとって王の言葉は絶対と言えるものである。だが、そんな表面的な理由以上に、レミアにとって王の命令は自らの指針となるものだった。

 王に絶対忠誠を誓う騎士は、決して単なる主従関係として王と対する訳ではない。そこには絶対の信頼が存在する。王が直々に自らにその任を課すという事は、必ず考えがあっての事だ。

 だからこそレミアは何の迷いもなく、胸に手を当てて深く目線を下げる。

「王のご用命とあるならば。そのお役目、私にお任せ下さいませ。必ずや、本国に有益な情報をもたらさん事を」

 決意のこもった言葉に、かすかに国王の表情が動く気配がした。

 厳粛さの中で、王が微笑んだことによる心地良い静寂が満たされる。

 と、

「まあ、敵に刃を向けられないような甘い者には打ってつけの役割だな。せいぜい働いてくるがよい」

 その清純な雰囲気は、悪意に満ち溢れた言葉によって濁った空気へと変わった。

 誰の言葉かは、そちらへ顔を向けずとも分かる。驚きと言えば寧ろ、『彼』がこの場でこれまでに静かにしていた事だろう。

 レミアは顔を上げないまま、視界の端でその人を捉えた。

 近衛兵達の向こうに座る、複数の人間達の影。これまで存在感を消していた彼らは、軍の中でも特に力を持つ重役達の集まりだ。

 国王と共にこの場で会議を開いて、恐らくそのままだったのだろう。白いクロスの引かれたテーブルを前にして、左右にそれぞれ五人ずつがこちらを向いて座っている。

 その中でもひと際ふくよかな中年男性が、たった今レミアに侮蔑の言葉を浴びせた重役その人であった。

 一瞬にして凍った空気をものともせず、誰も制さないのを良い事に重役は立て板に水の如く喋り続ける。

「全く、王も適材適所という言葉を分かっていらっしゃる。闘志に満ち溢れた素晴らしい兵士たちには本国を守らせ、相手にまで情けをかけるような腰抜けには、敵と直接対せずともこなせる仕事を当てようという訳ですな。いやあ、実に素晴らしい!」

 それは明らかな軽蔑の言葉だったが、レミアは王の前にして跪く姿勢を崩さなかった。

 この程度の言葉で行動を乱すほど、レミアも騎士として愚かではない。何より――彼の言っていることは、一部には事実なのだから。

 無反応であるこちらの態度がお気に召さなかったのか、重役はむっとしたように声を荒げてわめき散らす。

「大体、あんな腑抜けを騎士にしたのがいけないんですよ。私からすれば、こいつよりも実力、心持ちに優れた人材などいくらでもいた訳で、やはり平民風情の人間をこの神聖な位に指名するなと、あれほど――」

「口を慎め、ワドゥル」

 べらべらとまくし立てる男を制したのは、紛れもない国王その人だった。

糾弾する国王の鋭い言葉を正面に受け、「ひぃっ」という妙な言葉を最後に男は一瞬で黙りこくる。

 静寂を取り戻した謁見の間に、ふう、と響いた嘆息は国王その人のものだった。

「……皆の者、レミアを残して席を外しなさい。私は二人で話をしたい事がある」

「それはなりません!いくら相手が我が国の騎士であろうと、二人切りなど…!」

「近衛兵」

 猛然と抗議した重役達の声は、しかし国王の声により一度に一蹴されられた。

 レミアの、もとい絨毯の両脇に立っていた近衛兵達が、国王の命にすぐさま動き出し重役達を誘導する。「陛下!」と、複数の声が響く中、近衛兵達はそれらを聞き入れず強引に全員を隣室へと連れ出した。

 近衛兵が重い扉を閉じ、その場に本物の沈黙が下りる。

一人この場に残されたレミアは、近衛兵達の行動に内心苦笑を禁じ得なかった。

 近衛兵は、レミア達騎士とはまた異なる形で国王との絶対主従関係を築いている者達である。彼らにとって王の言葉はどんな内容であろうと全て『正しい』ものであり、国王の言葉を実行するためなら多少の強引さは辞さない。

 それが許される立場であり、またそれを実行に移すのが、彼ら近衛兵の役割だ。

 とは言え今回の件に関しては、騒いでいた重役達と同様に不満があるというのが本音だろう。彼らの絶対なる主人が、騎士とは言え一介の軍人と二人きりになるという事に、内心不安を覚えた者も決して少なくないはずだ。

 その心を億尾にも出さず任を遂行していく彼らは、近衛兵という肩書に何の恥ずかしさも覚えないのだろう。

「……さて、話を続けよう」

 全員が出て行ったのを見計らって、国王が再度口を開く。

 一体この場で、どんな事が語られるのか。二人きりとなったこの状況にかすかな疑問を覚えつつ、レミアは姿勢を崩すことなく次に紡がれる言葉を待った。

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