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翼の在った世界  作者: 氷空
序章
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序章

 目の前に広がる光景は、完膚無きまでに赤い色で埋め尽くされていた。

 その中で一番に大きな割合を占めるのは、あちこちで上がる天を焦がす勢いの炎だった。

 周りを豊かな森で囲まれたこの村は豊かな緑色をしていたはずなのだが、しかし今ではその面影すらどこにも見つけることはできない。

 舐めるような赤い触手によって、全ては一色に呑みこまれてしまっていた。

 そして次に目に入るのは、むき出しの地面に倒れた村人 ―― 村人「だったもの」から流れ出た、おびただしい量の血液だった。

 最初は勢い良く流れ出たはずのそれらも、今は酸素に長くさらされてどす黒い色へと変化しつつある。

 両親のいないレミアの面倒を家族のように見てくれていたメアボルン一家もまた、無残にも全員が地面に打ち捨てられた状態になっていた。


「………」


 干上がった目でその光景を見つめながら、七歳の少年はこうなる前の出来事を思い出していた。

 それはきっかけも何もなく突然に始まった。

 いつものように村の中でメアボルン家の長男である親友と遊んでいたところで、レミアは耳慣れない音に違和感を覚えて首を傾げた。

 後から分かったことだったが、それは鎧と鎧、あるいは剣と剣とがこすれ合う、金属の摩擦音だったようだ。

 不思議に思って顔を上げたレミアは、突然村の唯一の入口である方向から聞こえてきた男の悲鳴にすくみ上がった。

 それが一箇所しかない入り口を交代で見張っていた村人の声だと時間をかけて理解したところで、体は否応なく芯から震え始めた。

 それほどまでに男性の悲鳴は驚愕と恐怖に満ちており、これまでの生活では聞いた事もない「音」に、レミアは親友と顔を突き合わせた。

 その恐怖に体が反応を起こす前に、村は押し寄せてきた兵士達にによって埋め尽くされた。

 帝国軍 ――。夜の闇にも似た漆黒の甲冑を目にしたその時、ようやくレミアは何が起こったかを理解した。


 村人は恐怖に逃げ惑った。キスカル王国領土内でも奥深い山間部に位置し、世界を二分するとも言われる世界大戦の影響も少なかったこの地では、村人の殆どは戦争の脅威を身近に理解したことなどなかった。

 多少武術に心得のあるものが剣を手にとって家族を守ろうとしたが、無言のまま村人を屠っていく彼らに抵抗する術などありはしなかった。

 そもそも護身用の剣すら錆びているものが多いこの村は、それほど戦いから遠い場所にあった。

 襲いくる兵士達に呆然とするしかなかったレミアは、しかし次の瞬間すさまじい勢いで腕をつかまれて引っ張られた。

 見たこともなかった脅威に気をとられていた心は、その痛みで一気に現実へと引き戻された。

 腕を引っ張った主は、普段からよく面倒をみてくれていた親友の姉、メアボルン一家長女のマティスだった。

 幼いレミアにもわかるほどの形相をした彼女は、左手にレミアを、そして右手に弟をつかんで家の中へと引きずり入れた。

 そうして有無も言わせないまま、二人は普段は食料の貯蔵庫になっている床下の収納へと押しこまれた。

 あまりの勢いと痛みに二人で叫び声を上げたのも束の間、マティスは何事かを二人に叫ぶと、即座に外から地上へと通じる扉を閉めた。

 何が起こったかも判らなかった二人は、必死でマティスの名前を呼んだ。しかし彼女は答えることなく、二人の叫びは喧騒と怒号の中に虚しく掻き消えた。

 二人で力を合わせて開けようとした扉は、しかし何か重たいものが乗せられてしまったのか寸分も動かすことはできなかった。

 それほど間をおかずに喧騒が激しくなり、お互いの声も聞こえないほどになると、二人は恐怖に押し黙って震えながらその場をやり過ごした。

 圧倒的な恐怖の前にあっては、少年の二人は何をすることもできなかった。


 やがて、周りの物音が全て聞こえなくなる頃、二人は協力して扉を押し上げてやっとの思いへ地上へと出た。

 ――しかし、二人の前に広がっていたのは、地獄なのではないかと錯覚するほど赤い色で塗りつぶされた世界だった。

 マティスはどうやら、最後の最後まで二人を守ったらしかった。扉を開けて真っ先に目に入ったのは、扉のすぐ近くに倒れる彼女の姿だった。

 身体には刃物でつけられたらしい切り傷が斜めに一閃しており、それが彼女の命を奪ったのは誰が見ても明らかだった。

 幼い二人ですら、彼女に泣き縋って声を掛けることはなかった。それほどまでに、彼女の命はどうしようも無いほど蹂躙されつくされていた。

 外に出た二人は、家の中で見た以上の赤色に思わず息を呑んだ。

 赤、あか、アカ。目の前に広がる光景全てが炎と血で赤く染まる様子に、

二人は悲鳴を上げる事もできずに力なくその場に座りこんだ。



 やがて、レミアがまだ正気に戻れない頃、親友はお互い無意識に固く握っていた手を離し、ふらふらとどこかへと歩き出した。

「     」

 彼は何事かを言って、レミアを振り返らずに火を避けながら村の奥の方へと歩いていった。

 最後に震える手でレミアの手を握った親友は、もしかしたら外に助けを求めに行ったのかもしれない。


 だが、聞き取れなかった言葉を待って幾ばくかの時間が過ぎさっていっても、それきり彼がここに帰ってくることはなかった。




 レミアは必死の思いで一歩目を踏み出した。

 まだ周囲に村を襲ってきた「奴ら」がいるのかもしれなかったが、それよりも帰ってこない親友を心配する気持ちの方がレミアの中で勝っていた。

 一歩ずつ、少しずつ、震える足で彼の去っていった方へと歩を進める。

 足元には何人もの村人が、時にうつぶせに、時に濁った目を開けて倒れていたが、その度にレミアは一度身を震わせ、今は亡き世話になった人々へ掠れる声で祈りを捧げた。


 親友の影を求める体は、いつの間にか村の入り口まで辿りついていた。幼かった二人はこの門をくぐり抜けることすら稀で、垣根を越えた向こうは、最早レミアにとって未知の場所と言っても過言ではない。

「……――カ … ッ!」

 親友の名を呼ぼうと深く息を吸い込んだところで、むせ返るような熱気と血のにおいに体を折って激しく咳き込んだ。

 それまでは浅い呼吸を繰り返して歩いてきたことが幸いか、あるいは災いだったか。周囲の異常さが現実味を持ってレミアの五感全て苦しめ、泣くことを忘れていた瞳から、大粒の涙が流れ落ちる。

 少し咳が治まったところで、レミアは改めて周囲の状況を見渡した。

 日々を過ごした村の中は、まさしく地獄と言っても過言ではなかった。

 あまり数も多くない家からは殆どから炎が噴き出しており、全てが一つの生き物であるかのように唸りを上げて空を舐めている。

 熱気によって歪められた空は皮肉にも夕刻を迎えて同じ色に染まりつつあり、まるで炎が空を染め替えてしまったような錯覚さえ覚えた。

 視線を地面に戻せば、一生無言となった村人達が何人も打ち捨てられている。村人達の血液がしみこんだ地面は、普段の明るい土の色からは想像も付かないほど濃い色に染まっている。その中には女子供も少なくなく、帝国軍によって徹底的な虐殺が行われたことが窺えた。

 村の外に目を移せば、森は炎の浴びて怪しい光を放っていた。

 森のいくつかの場所でも同じく火の手が上がっているようだったが、幸い範囲はまだそれほど広くはなさそうで、必死に走ればここから逃れることもできるだろう。

 レミアは再び、親友の影を捉えようと村の範囲を超えた向こう側を凝視した。だが、動くのは熱気に煽られて唸りを上げる木々ばかり。

「―― カ …… ?」

 大きな声で呼んだはずのそれは、しかしか細くて。自分でも聞き取れないほどの音にしかならなかった声に、レミアは大きく頭を振った。

 こんな声では、こんな音では届かない。

 もっと、もっと大きな声で彼の名を。

 今度こそレミアは、熱気と死臭を胸一杯に集めるのも厭わず、深く息を吸い込んだ。肺が焼ける感覚に胃からせり上がるものを抑え込み、一度小さく息を止める。

そして、



「アスカ―――ッ!!」



 ありったけの音量で、森に消えた親友の名を呼んだ。



     *



 それは何の始まりだったか。

 あるいは、何の終わりだったか。

 それは彼には知る由もない。


 これは、とある一つの世界の話。 

 過去に翼の在ったものが、ある世界を守っていた頃の話。


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