天使のお相手
まさかここまで踏み込んでしまうとは思わなかった。
ここは警視庁特異能力対策部 特殊事案課。通称・特事課。簡単な話が恵種と呼ばれる人を捕まえるだけの課。この間会った少年なども、おそらく恵種と呼ばれる人種なんだろうと、説明を受けて初めて知った。けれど自分は恵種なんて使えない。そんな俺が今、車の運転をしてある現場に向かっていた。
「あ、あの、警部」
ハンドルを握る手さえも真新しく見えてしまう新品のスーツを纏う新人警部補、後藤 准一 (ごとう じゅんいち)。隣には、苦労の証が白髪や皺となって現れている警部の田中が座る。対照的な二人が乗る車には、もう二人の人物がいた。それをチラチラバックミラーで確かめる。
「後ろの、その、二人が本当に――」
小声で確認していた後藤の話を、警部は大きな声でキッパリと言い切った。
「優秀な、捕獲するには最高峰の恵種の持ち主だ」
二十代なのだから、人生経験は皆無ではないはず。義務教育も、その後の教育も受けているはずだが、綺麗に揃えられた前髪が初々しさを際立たせる。
夜の猫のような丸い瞳で、もう一度チラリとバックミラーを確認した。運転中の余所見はいけないが、気になっていた仕方がないのだ。ほんの少しだけミラーを見たが、目が合ってしまった。後藤が座っている椅子の背凭れに顎を乗せている瞳と。
茶色がかった髪は後藤よりも短い。活発そうな、一見すると男の子と間違えられかねない容姿をしている。ただ、声は女の子とすぐに分かる可愛らしいものだ。遊んで焼けたような少し色黒の肌によく似合う、短パンと動きやすそうなスニーカー、スウェットシャツ姿の女の子がそこにいた。
「警部補君、若いね。ここに居る人達、全員年上のおじさんばかりですぐに元気がなくなるんだよね」
「ちょ、君――」
「面目ない、もう歳なんだ」
少女はさらに身を乗り出して後藤の耳に囁く。「蛍 (ほたる)ちゃんも期待してるよ、きっと」
その言葉に、またバックミラーを確認していた。長い黒髪、白い肌、切れ長の瞳は黒く、寒さを知らないような白いワンピースは薄いシルク製だ。純真という言葉が似合い過ぎる女性に見惚れていると、またまた目が合ってしまい微笑みを返され慌てて道路に視線を戻す。
「この仕事は体力勝負だからね」
肩を軽く叩くと、後部座席に戻って話し始めた。少し前、車四台分くらい前にある信号が赤信号に変わったので早めにブレーキを掛け、ため息交じりにゆっくりと車を止めた。
「気を抜き過ぎだぞ。これからが仕事だ」
「すいません。けど、本当に彼女達が――」
「研修は受けたんだな。だったら知っとるだろう。この課に来た普通の警察官は、もう二度と一般の課には戻れん。理由までは聞いたか?」
「いえ、そこまでは……」
「命を落とす者も居る。他の課と比べられない程に多くだ。だが、戻れん最大の理由は違う。それは我々特事課が相手をするのが、恵種を使用した犯罪者だからだ」
後藤はどちらかと言うと最初の理由が最大の要因だと思っていた。だからこそ特事課には未婚や離婚者しかいないのだと。椅子に凭れずに背筋を伸ばしている田中が、慎重に走り出した車の窓ガラスに映る、流れ出した町を見詰めて言った。
「一般人には、恵種の存在は知られてはおらん。ガラス兄弟はギリギリだが。この課に来た者が目にする事件を外に漏らす訳にはいかん。例え同じ警察官でもこの課と特能対一課、それ以外は警察庁の幾名かが知る事以外は禁止されておる。分かるな。我々特事課は、目にし、体験する全ての事件を墓まで持って行かんとならん。だからこそ、この課に来た者はもう二度と一般の生活には戻れんのだ」
走り続けた四人の乗った車は、港の倉庫街の一角にある倉庫の横で止まった。
「私だ。全班準備は?」
無線を通して三つ、いつでもと返事がきた。ただ一つ、まだですと返してきた班がいる。
「何をやっとる。お前の班がおらんと我々は動けんのだぞ!」
そのすぐ後に、無線から着きましたとの言葉があり、田中は頷き空を見上げた。一体何が始まるのか、事件の詳細を聞かされていなかった後藤は、同じように釣られて見上げた。「何だ、あれ」
空を覆っていく七色の模様。同じ色に留まる事なく、決して同じ形に戻らずに変化する膜が倉庫周辺を囲っていく。知っている、必ずどこかで見た事があるのに、一体何か思い出せずに眉を顰める後藤に、「シャボン玉だ」と田中は教えた。そう、誰もが幼い頃に見てやったあのシャボン玉だと納得出来た。でも理由が分からない。それに、こんな巨大なシャボン玉、存在しない。田中は横で無線を使って確認していた。
「おい、海田、伊井橋。返事を――」
「何だ、やっぱり警察か。兄者、もう嗅ぎ付けられた」
徐々に小さくなっていった声が千切られたように消えると、田中は車を飛び出した。「行くぞ」
「何をしとる後藤!」
「は、はい」
すぐに後藤も続き、背中を追う。歳の差は親子か孫かくらいの二人だが、明らかに田中の方が足も体力もあり、グングン離されていく。懸命に動かしているのに、毎日鍛えているのにこんなに差があるなんて。何とか追い縋っていたが、三つ程角を曲がった所で完全に姿を見失ってしまった。しかも丁度十字路になっていて、どちらに行くべきか分からない。下手に動いていいものか、どちらに行こうか戸惑っていた後藤に、一発の銃声が届いた。続いて一斉に何発もの銃声が倉庫の間を縫って走る。
少し息を整えたい思いもあったが、後藤はまだ途切れない銃声の糸を手繰り、二つ角を曲がった。そこが音源だった。
「これ、は」
「はーっははは。効かんなそんな玩具、この鋼鉄の肉体には!」
何発も体に銃弾を浴びるが、全て弾き飛ばされている。正に鋼鉄の肉体。無傷でボディービルダーのような決めポーズを男は取る。
「もっとだ、もっとプロテインを!」
もう一人男はいる。同じような厳つい体をしているが、こちらは体の前で突然銃弾が粉に変わる。二人の男は少し離れ、大会のように警察官相手に審査を求めているようだった。体に纏っているのは勿論、ブーメランパンツ一つだ。
「な、何なんですか、これ!」
「恵種だ! 構わん、撃て!」
「え、え、う、撃てと、言われましても――」
「さっさと!」
知ってはいる、恵種というものを。だが生きてきた人生の中で、拳銃を人に向けて撃った事はない。研修で撃ったりはしたが、目の前にいるのは一応人間だ。警察官になったからにはこういう展開を憧れている者も多いだろうが、後藤はもっと一般人と触れ合い、小さな事件を扱ったり、普通では相手にされないような人達を助けたい気持ちでなった。ある人のようになりたくて。こんなドラマチックな展開なんて想像もしてなかったのに、いきなりこれだ。
しかも銃弾が効かない犯罪者だ。種は無いが種の力で銃弾を弾く人間なんて今の今まで見た事がない。それでも田中の言葉で、震える手で拳銃の留め金を外し、安全装置を外して決めポーズを取る男に向けて一発撃ち込んだ。当然、後藤に力などなく、他の銃弾と変わりが有るはずもなく、呆気なく弾き飛ばされた。
「警部補君、若いのに情けないんだね」
ただ一発撃っただけなのに、しかも弾かれ傷一つないのに、後藤の吐く息が酷く震える。初めて人に向けて撃ったのだから当たり前だ。例え無傷だったとしても震えてしまう。尻餅を突きそうになっていた後ろから聞えてきた声に、慌ただしく反応して振り返った。
「な! あ、危ない、君なんかが来ちゃ!」
少女は驚きの顔で一瞬固まった。次の瞬間には大爆笑に変わっていたが。そして、震える後藤の銃口を下ろさせ、笑顔で男に近づいていく。
「気に入ったよ警部補君。後で名前教えて。行こ、蛍ちゃん」
「はい、霧子姉様」
二人が近づくのは弾丸を弾いていた男。それに伴い、拳銃の狙いがプロテインの男の方に集中する。舞い上がるプロテインに男の視界は塞がれた。
「何だもう終わ、うぅん? 何の用だ?」
「貴方の相手はワタクシ達ですわ」
その言葉と共に蛍ちゃんこと、香山が男に向かって走り出す。その走り方が随分特徴的で、片足を地面から一切離さない。男はその奇妙な走り方に違和感があったが、自分の間合いに入ってきた香山に容赦なく、固く作り上げた拳を打ちつけた。
「うぅん?」
「霧子姉様」
拳の先に残った感覚。腕にしては奇妙だったのか、何の物か確かめようと見た男の体に、這い登るように巻きつく何かが体の自由を奪っていく。
「不注意過ぎますわ、貴方」
今度は香山の通った道を霧子姉様こと、灰東霧子が通って男に駆け寄る。そのタイミングを見計らって、香山が十分ありあまる谷間に腕を忍び込ませ、幅四ミリ程のワイヤーを男に向かって投げ伸ばした。
狙い澄ましたワイヤーが男の首に見事巻き付く。自分の意思では目の前に居る香山に、何発も拳をお見舞いしようとしているのに、何故だか一向に動かせない。ワイヤーが撒き付いてからは息さえ辛い。苛立つ男だったが、霧子が香山の通った道を外れた瞬間、何かから解き放たれたように自由になった。まずは邪魔なワイヤーに手を掛けた。
「残念だったな!」
指が入った分緩くなったワイヤー。男はニヤリと笑うが、消えたようにいなくなっていた霧子が視界外から突然現れ、首元のワイヤーに触れると、またしても体が動かなくなった。ここで遅いながらも気付いたようだが、時は戻せない。
「残念はそっち。でもまあ、一時鉄像になるだけだから我慢してね」
男が考えたのは、霧子が相手を何らかの方法で止める恵種。すぐには分からなかった言葉の意味を理解したのは、香山が近づき、体に触れた場所が変化を起こして行くのを見たから。
後悔を見せる男に、憐れみ籠った瞳の香山が向けて放つ一言。
「恵種とはこうやって戦うものですわ」
激昂する男は全身が変わっていく中、振り絞るように言葉を作り出した。
「恵種が、居るぞ!」
「む、兄者、兄者!」
伝わる思い。プロテインの煙の中から男が飛び出す。飛び出した先に丁度いた刑事を一撃で殴り飛ばすと、近くの者に飛び掛る準備をする。
「おじさんたち邪魔」
緊張感の欠片もない明るい声が男の苛立ちを掻き立てる。
「お前が恵種か?」
「だとしたら」
「兄者は?」
霧子が親指で斜め後ろを指す。そこには鉄の像が。黒目は動いている。男は助けに向かおうとするが、進路を塞ぐように無邪気な笑顔が遊ぼうと誘ってくる。
「どこ行くのさ? 相手してよ」
「邪魔だ、退け!」
拳を打ち出す基本、引き締める脇、回転する腰、肩の幅に広げる足のどれも無視して、筋肉任せに拳を繰り出す。無茶苦茶な攻撃を霧子は軽々と避け、伸びた肘にポケットから出した物で触れる。
「むん?」
沸騰していく血が次の動きの命令をしようとしたが、突然視界が回転した。目が回った回転ではなく、本当に回ったのだ。空に浮き上がり、グルグル回って地面にぶつかり止まった。
「うわ、痛そ~。顔面から行ったよ」
一メートルは飛ばされた場所で、地面と濃厚なキスをグシャリと音を立てながらして突っ伏した。痛さもあって直ぐには動けないのだろうが、男が何より動きたくない理由。こんな小さな女の子に吹き飛ばされたという屈辱が最大の原因だろう。
「あれ、もう気絶した? 蛍ちゃん、終わったみたいだか――」
「むぅぁあ!」
碌に確かめもせず、霧子は背を向けた。それを狙った訳ではないのだろうが、偶然一致した好機を見逃すはずがなかった。
「ちょっ、ズル――」
「背を向けるからだ!」
男が繰り出す、顔面目掛けたストレートを間一髪、屈んでかわしたが先程の余裕はない。逆に相手はバックスピンをしながら後ろ蹴りで霧子の喉を捉える。
微かに漏れる呻き声に似た音と感触に、男は直ぐに振り返り確認する。喉と胸の辺りを押さえて小さく片膝を突く霧子に、兄者の事を忘れて追撃の拳を振り下ろす。息もまともに出来ないようだが、自分の小さな胸を勇気付けるように軽く叩き、どうにか後ろに飛んだ。
「無駄!」
自分の拳に隠れる小さな体は確認出来ないが、微かに悲鳴が上がった。男の感情、壊したい欲望が増す。腕を引いて開ける視界から聞えてきたのは、悲鳴には程遠い明るい声だった。
「蛍ちゃん、顔、殴られたぁ~」
「霧子姉様を傷付けるとは良い度胸ですわね」
姉と妹というよりも母親と幼い子供といった感じに、一瞬だが見えた。
「どちらも女か……こいつは良い」
頬が緩んだ男に、香山は呟いていた。「それは違うわ」
「何か言ったか?」
「いえ。それよりも、早くしないと死んでしまいますわよ、あのお方」
完全に忘れていたらしく、今の言葉で突然スイッチが入り、叫びながら殴り掛かってきた。
「単純な……」
半ば呆れながら香山は踊るように拳を避け、腕を撫でながら横に回り込む。攻撃の仕方自体は無茶苦茶だが、やろうとしている事は正しく、肘鉄を顔に繰り出そうとした。ただ腕は言う事を聞かない。曲がらない肘に、男は肘鉄を諦め、腕を勢いに任せに薙いだ。
意外なという顔でその攻撃を下がってかわす。結局、靡く髪しか捉える事は出来ず、自分の腕の勢いに呑まれてバランスを崩す始末。
「顔は駄目でしょ、顔は」
聞えてきた言葉、頭の中から消していた霧子。動かなくなった腕から麻痺の輪が瞬く間に広がっていく。
「やっちゃって、蛍ちゃん」
唯一動かせる瞳が捉えようとしていた霧子の言葉を追って、香山の居た方を見る。そこに姿はなく、声が聞えてきたのは背後からだった。
「良かったですね。これでお二方とも本当に鉄の肉体が手に入りましたわ」
逃げ出そうとする男だったが、動こうにも動けない。
「離、むぁ! あ、あぁ……」
男の悲鳴にも似た言葉が一分と経たない内に途切れる。それは香山が男の全身を触れ終わった証だった。
「大丈夫でしたか、霧子姉様」
まるで何事もなかったように二人が歩き出す。
「ちょっと掠った。けど大丈夫だよ」
公園の帰り道のような会話の背後には、命を感じる二体の鉄の像が凛々しく立っていた。
「け、警部、これ――」
「心配ない。あれで死んでおらんのだ。香山特別捜査官の恵種は、自分の触れた物や人を鉄化させる。灰東警部の恵種は、彼女の触れている鉄に触れた人間を想いのまま操れる。だから最初、香山特別捜査官は片足を付けて走っていた。灰東警部がその道を通る事で、彼女の肉体を通りワイヤーで男の動きを封じる為に」
俄には信じられない話だったが、田中や他のベテラン刑事達は驚きもせずに、怪我を負った仲間や二体の鉄の像の回収を始めていた。後藤は完全に取り残され、何をどう手伝っていいのかも分からずに、呆気に取られて作業に加わる田中を眺めるしか出来なかった。
「あれ、手伝わなくて良いの?」
一人蚊帳の外だった後藤の横に、霧子と香山が来ていた。
「あ、いや、そんな事はないんだけど、その……」
「本当に面白いね警部補君。名前教えて」
「あ、ああ。後藤、准一」
霧子は後藤から目を離し、何かブツブツと呟く。少しだけ難しい顔をしていたが、「よし、決まり」と言うと、鼻と鼻が触れ合うくらい背伸びをして近づいた。
「ジュンジュンね」
「……へ?」
「君の呼び方。ジュンジュン」
先程までの戦いが嘘のような会話に頭の整理が出来ない。今度は香山が近づいてきた。
「ワタクシも気に入りましたわ、准一兄様。以後よろしくお願いします」
言葉さえも白く感じる清潔感。少し屈んでも崩れないのに、風に吹かれるだけで形が変わる胸。後藤は声を裏返して返事をしていた。あまりにも可愛らしい反応に、二人は笑い合う。そこに割って入るように、香山の携帯電話が鳴った。どこから鳴っているのだろうと思って見ていると、ワイヤーを取り出したように胸元に手を突っ込んで、そこから携帯電話を取り出した。
「はい、蛍です。……はい、分かりました。霧子姉様、次の迎えが着ています」
「え~、もう次ぃ。折角なんだしジュンジュンと遊びたかったのにぃ」
「え、遊ぶって、仕事が――」
「不満? 私たちと遊ぶのも仕事だよ。一緒に買い物行ったり、食事したり、ゲームしたり、エッチしたりするのも」
相手が相手だしそれぐらいしないといけないのかと頷こうとして、頭の中の後藤純一が待てと止めた。回転数ギリギリまで動いて、おかしな部分を見つけ出した。そう、最後の言葉だ。
「ちょ、ええ! な、何言ってるんだよ! え、エ、エッ、き君、まだ子ど――」
「三十六だよ」
「……へ? え、いや、どう見ても十代前半――」
「恵種の副作用だってさ。お医者さんに聞いたらさ、いつまで生きられるかも分からないって言われちゃった。一年か、五年か、十年か。どんどん思考も子供っぽくなるし、嫌になるよ。分かったらなるべく早く相手してよね。行こ、蛍ちゃん」
待っていた香山の手を取り歩き出す。
「それでは」
「あ、はい……」
暫く後姿を眺めていると、後ろから声を掛けられた。
「話は聞いたか?」
車に乗り込み、姿が見えなくなった。
「警部。あの、か、彼女、達とその――」
「二人は一般の生活を送れん。俺達が送れんのだ、当然だろう。けどな、二人は機械でもロボットでもなく、人だ。遊びたいだろうし、友達と話したりもしたいだろう。勿論恋人も作りたいに決まっとる。だがな、相手を出来るのは俺達だけだ。二人の自由はこの街の空より狭い」
「……そう、なんですか……」
「所でお前、何で彼女達なんだ?」
理解出来ない言葉に目を瞬かせ、「彼女達、じゃないですか」と当然の反応をする。すると田中は、「まだ聞いとらんのか」と、発進する二人の乗り込んだ車の後姿を見送る。
「香山特別捜査官は男だぞ」
「え……。えぇ!」
「恵種の作用で、女性になったそうだ。ただ、男性器も付いとる。だが心配はいらんぞ。香山特別捜査官の相手をしたら、戻れんようになる」
「何が、で……」
頭の中を言葉が巡る。霧子と田中の会話、特事課には未婚及び離婚者しかいない、一般の生活には戻れなくなる、男。その全てが一本線に繋がった時、後藤は渾身の雄叫びを上げた。
「戻れないってそっちですか!」
「違う。そっちも、だ。あぁ、いや、どちも、か? 違う両者とそれ、でもいいぞ」
「どれも嫌ですよ!」
車の中で、あきれるように胡坐を組む。
「でさ、次の仕事って? まさかまた脱走者とか? 林矯正監、逃げられ過ぎだよ」
「そのようです」
「仕方ありませんわ」
「篠田警視からもよろしくと頼まれています」
「光太郎からね。まあ、やろっか」
「そうですね」