地下鉄、道路、歩道橋、上空 立体交錯点 (8)
8-2
振り切れたと言っても、本番は今から。一人、恵種を釘付けにできたというだけ。お互いに、一人ずつ恵種を釘付けにしただけ。
狙うべき場所はどこだ。準備室に向かって伸びる三本の通路と十字を切る通路。走り、十字路だけに顔を出す恵種。握る拳銃。両手でしっかり、狙いを定める。
頭を撃つ。必要性がどこにある。恵種とは言っても生物だ、生き物だ。化け物じゃない。足止めだけでいい。
戦えなくして、確保。最適なのはこの方法だが、上手くは行かないだろう。無力に等しい警察官は、拳銃に頼るしかない。七つある十字路の二つを過ぎた。三つ目、ここが狙い目。
飛び出す影。大きな的を狙う。動いて狙えない頭じゃなくて、横向きでも大きな腹部を狙う。三発、二階から銃声が響いた。
発射された弾丸が、空気をねじり込みながら的に向かう。
「四人だ」
「一人は撃たなかったみたいだな」
言葉を交わし合う。表情は余裕、動作は普通。避けも、かわしも、停止も、叩き落とそうともしない。走り、次の一歩を踏み出し前に進む。
狙いは完璧だ。引き付け、待ちに待った。外しようがない。当たる。確信を持ったのは銃が絶対だと思い込む警察官達。
的になった相手が人なら、動物ならこれでいい。仕留められたと確信を持っていい。考えても見ろ、相手は恵種だ。素直に当たるとでも?
彼女たち、彼らには常識は通用しない。生まれた時に、お前たちは引き金を引かれ、尻を叩かれたら的に向かって真っすぐ飛ぶようにと躾けられた銃弾だって同じだ。
役目を果たせる。生まれた意味の通り、人を傷つけられる。全うに生きて、存在していた意味の通り果てていく。目前、本棚一つ分の厚さまで夢見ていた肉の中の感触が、何かによって遠ざかる。
何かによってずれた軌道。修正効かない彼らが向かうのは、二階を支える分厚い天井。手すりが埋まっている辺りに三発、無事着弾。
果たせなかったとはいえ、彼らの役目は非常に大きかった。効かない。狙撃は不可能と判断させてくれた。有意義な情報だ。かなりプラスになる。遠距離が無理なのだ。だったら近距離ならどうだろうか。
待ち構える十字路五つ目。入り口側の本棚に身を付け、気配を窺う。タイミングを計るのは自分だけ。教えてはくれない。向ってくる。足音、息遣い、擦れる布の音。
どんぴしゃり、ここしかないという位置で反転、拳銃を突き出す。片足はまだ浮いている。もう一本は体重を支えている。止まれない。
胸より少し下、体の中心点に捉えた。撃ってくださいと近づく。ブーツは未だ地面から遠い。引き金を引こうと指に力がこもる。この距離なら避けることは出来ない。
駆ける、走る、前に進む。二足歩行の動物で、これらをしている最中、自由に動かせないのはどれだ。簡単だ。歩いてみればわかる。足だけだ。上半身は自由。人間の体で一番器用な手だって自由だ。
腕を動かし、白衣をめくる。目にしたもの、細く、板のように薄いフクロウ。ゆっくりと顔をこちらに向ける。開いているのかいないのか、目に当たる部分が線になっていた。
半分、重たい引き金の抵抗を亡き者にしよう。一度引けば楽になる。頷き反応したのは一本の目。閉じられていたように見えたフクロウの目が円、綺麗な満月のように丸を描いた。
関係ない、フクロウは。無視を決め込もうとしても、一歩遅れた。タイミングは完璧だった。踏み出すタイミングが一歩でも早ければ、女の子を抱える女性に対応した警察官のように、避けられ反撃を食らう。遅れれば狙いも定められずに攻撃のチャンスすらない。
遅れたのは引き金を引く、そこだ。振り向きながら、相手を捉える前に引いていれば、どこかに当たったかもしれない。こだわりが失敗を招いた。体の真ん中を狙う。避けきれないように。普通ならこれでもいい。防弾チョッキを付けていても、これだけの至近距離なら間違いなくダメージを与えられる。
フクロウの体が目と同じように膨らみ、白衣すら見えなくした今だからこそいえる。微かにでも与えたかったダメージ。広がり膨らんだフクロウに、銃口が触れる。これでは撃てない。
反転で止めようとしていた体を一回転に変えた。フクロウを避け、隠れていた本棚の間を一つ、移動しただけになった。危なかった。これで胸を撫で下ろせる話ではない。ばれた、ここにいるのが。
回転をそのまま続け、振り向くように科学者風の女性に向き直る。反応、構えられない拳銃。代わりに肘を下げて叩き落とす。繰り出されていたブーツでの蹴りを。
この警察官よりも優れているとは言っても、脛に肘を叩き付けたなら堪えるはずだ。躊躇いなく、力の限り振り下ろす。ぶつかる肘から発した音に、しびれ駆けあがる痛み。肉体ならダメージを与えられたのに、ダメージは警察官の肘にだけだった。
ブーツが違うのか。一瞬感じたが、勢いを止めきれずに喰らった一撃。鳩尾よりも胸に近い場所の蹴りで確信した。足が違う。義足かそれとも、この女性の恵種か。足は金属だ。
後ろに下がって衝撃を緩和したと言っても、スズメの涙ほど。思い切り受けた衝撃に、吹っ飛ぶように下がる。足は付いていたが、本棚にぶつかるまで止まれなかった。
「反応もいいし、恵種じゃないとは信じられないな」
本が何冊か落ちて、警察官にぶつかり、足元に広がった。
「普通の警察官とは、実践経験が違う」
納得したと頷き、零れ落ちそうなフクロウの目を閉じるように、パーに広げた手で瞼を閉じるように動かした。フクロウは落ち着き目を閉じようとしたが、科学者風の女性は大きく膨らんだ体を、パーのまま思い切り叩いた。
びっくりしたフクロウは大きく口を開き、中からは機械音を立てながら三匹の昆虫が這い出た。カニのハサミのような長い角と短い角を持ったカブトムシ、ギザギザの歯が付いたクワガタ、ギチギチと無理やり何かを圧縮するような鳴き声を立てるカミキリムシ。
サイズが一般的なら驚かない。銃で撃ってしまっても構わない。一発で吹き飛ばせる。フクロウの腹の中から出てきたのは、それぞれ一メートル前後ある大きなものばかり。昆虫好きの少年でも、泣いて逃げ出す大きさだ。
一人でも手一杯なのに数が増えてしまっては、相手にすらならなくなるが、この三匹は飛んだ。羽根を開いて二階に飛んで行った。
「邪魔者はこれで、有名人さんくらいだ」
速度をゆるめて走っていた女の子を抱えたもう一人と、警察官たちを置き去りにして科学者風の女性が合流した。
「二対一だし、丁度良いんじゃないか」
三人になった侵入者。目的はあくまで地下の本だ。
「姫、何か頼むよ」
不満顔爆発の女の子だが、ブツブツと何かを呟き出す。よくよく聞くと、何かの小説の一場面のようだった。抱えていた本が、それに反応してうっすらと輝く。光り輝くというよりも、墨の中に光を落としたように黒く輝く。
簡単にここまで来させてしまったが、普通の警察官なら、恵種に対応するための部署とはいえ、仕方がない。むざむざと通すしか手がないが、扉の前で待ち構えている一人は素通りさせる性格ではないようだ。
「さて、有名人さんのお手並みを見ようじゃないか」
「対応しないからって呑気だな」
扉の前に立ち、しっかりと狙いを定めて拳銃を構えるのは篠田光太郎。銃口向くのは、水平よりも微かに上。一点、抱える女性の額だ。躊躇するまもなく、一発、弾丸を撃ち込む。
すっと、科学者風の女性が通路を移動し先ほど一蹴した警察官たちの下に走って戻っていった。
篠田光太郎が撃ったとはいえ、銃弾は手前一メートル付近で軌道を変えた。分かりきっていた結果だ。だったらなぜするのか。当たりもしない無駄な引き金を引くのか。
微笑みに隠された狙いは、どこにしまってある。空薬莢が地面に落ちる。ここで瞬きをした。意思表示だ。撃つ時には目を閉じない。まっすぐ、標的の目を捉え続ける。もう一発、引き金を引いた。
「はい、これ」
弾丸が逸れていくのを確認して、女の子が何かを掲げた。
「これを投げろってこと」
そこにあったのは、中世ヨーロッパの物語に出てきそうな、仰々しいまでの剣だ。重たさを感じないのか、片手で翳している。
投げるが意味するのは、扉を破壊して進むだ。意味は伝わったのだろうが、手段はどうだろうか。
十字路は、最後一つを残すだけになった。迷ってはいないが、前にいる人物はどうするべきか。落ちる空薬莢の音に載せ、また一発の銃声音。一ミリもぶれることなく、二人を捉える。
当たりはしない、絶対に大丈夫。ほら今だって、弾丸は軌道を変えた。何発も撃っていれば、効果が切れるとでも思っているのか。一部すら知ってはいない恵種だから、試しているのか。だがこれは違う。
女の子を片手に抱えるのに変えて、剣を持った。肩の高さまで剣を持ってきて、走りながら掲げる。やり投げのようなフォロースルーは取れないが、ラグビーのパスのように回転をかけて扉に投げつけた。その前では、一切避ける動きを見せずに、拳銃の引き金を引く篠田がいる。
弾丸と剣が挨拶もままならず、目的地だけ目指してすれ違う。弾丸は自然の法則のように軌道が変わり目標を外した。剣は違う。一直線に、篠田に、扉に向かう。
これが人なら、ギリギリまで引きつけ隙を狙う。戦法がこうなのだと納得するが、相手は剣だ。投げられただけの、普通の剣だ。今避けなければどうなるか。避けられるタイミングを逃した今となっては後の祭りだ。
耳の上をかすめ、髪の毛を数本引きちぎりながら後ろの扉に突き刺さり、扉を粉砕してロックもろとも吹き飛ばした。
目のすぐ横を物体が通過すると、反射的に目を閉じる。当たり前のこの反応さえ抑え込み、空薬莢が落ちた時に瞬きはしたとまた引き金を引く。
「一気に行くよ」
喉が渇く。大丈夫、心配ない。怖くなんてない。銃しか頼る者がないんだ。だから苦し紛れに、むやみやたらと撃っているんだ。何を怯える必要がある。
最後の十字路を突っ切る。
聞こえる銃声、また一発撃ってきた。意思を向ける瞳。ここを撃ち抜く。現象は変わらずに、軌道に変化を与える。何も変わらないのに、狙われている額の一点に汗が浮かんだ。ここが狙われている。見ているこの目線が熱を持っている。大粒の汗が一粒流れ落ちた。額のこの一点にだけ掻いているのは、恵種なんじゃないか。だから疑いもなく引き金を引ける。
違う違う、篠田光太郎は恵種じゃない。ポストマンの情報に誤りはない。
目の高さに合わせ、肘をある程度曲げ、右手を包み込むようにして左手を添える。照準を一ミリでも動かさないように、動くのは人差し指と、瞬きだけ。他の機能は全て遮断している。呼吸で胸も動いているが、二人には見えない。紐を伸ばすと、一点にだけ張り付いて動かない銃口から、また一発弾丸が飛び出す。
当たり前だ。銃弾は逃げる。女の子を抱える女性は、本棚の草原から抜け出し、あとは準備室まで障害はない。篠田光太郎という壁以外は。
入って五メートルもない小さな準備室の奥の壁にエレベーターが見える。そこまで、何としてでも行く。距離もなく、最後の一発の薬莢が地面に落ちると、銃の構えを解いた。招くように体を横に向けた。主人の家に入る道に向けて、お帰りなさいませと頭を下げるように準備室の入り口の前から身を引いた。
突然の代わり用に驚きはしたが、足は止めなかった。走り抜け、下ボタンを押す。同じ階にあったエレベーターがすぐに口を開いて、閉まるボタンを押そうとした。ここで目があった。
笑っている。うっすらとだが、微笑んでいる。こちらに向けて、笑っている。体が固まるのを感じた。動けば殺される。銃しか持っていない相手なのに、恵種が殺される。馬鹿げているが恐怖した。
ガタンと音がして、瞬きをして我に返った。女の子が押したボタンに反応して、ゆっくりとエレベーターが閉まっていく。完全に閉じるその時まで、篠田は目線を離さなかった。抱えている女性は視線を離せなかった。
口を閉じて、ゆっくりと下の階に動き出して、腕の中で女の子が自分に抱きついていると知った。幼い体を小さく震わせている。
儚く感じるこの姿に、普段を取り戻して思い切り女の子を抱きしめた。
「あぁ、姫の体は柔らかいな」
上ずらずにいつも通りのトーンに戻せていた。ホッとしたのは抱えられていた女の子も同じだったようで、自分を取り戻した女の子が暴れ出した。このまま無理矢理抱えていても辛いだけだと、下に降ろして頭を撫でた。瞬間叩かれた。
「酷いな姫」
「ちょっと、怖かっただけ」
素直にもそう言ったので、驚きと嬉しさから抱きつこう屈んだ。「殺す」
「大丈夫、抱き付かないから」
下に降ろしてあった顔は、いつもの仏頂面だった。
さてと、お遊びはこのエレベーターの中だけ。準備してと促して立ち上がった。女の子がまた小説の一文を空読みし始めた。
この時、額に触れた指を確認したのはバレていない。