地下鉄、道路、歩道橋、上空 立体交錯点 (6)
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太陽は、一番高い空から地平線に数歩近づいている。
昼食終わりのサラリーマンやOLの姿はなく、平日の公園は鳩の楽園になっていた。
「すいません、こんなのしか残ってなかったです」
片手にコンビニのロゴが入った袋を二つ持って、五本柱がある円柱の下のベンチの前にやってきた。座っていたのは二人、記者の朝田と立花。
「パスタが食べたい」
ふてくされた様子で、横を向く。袋の中身はコンビニ袋から見えていないが、言葉から連想するのは余り物。
普段からこうなのか、袋を持っている加藤に困った様子はない。続きを引き受けてくれる立花がいる。開いて中身を確認する。
一つには、梅、おかか、昆布のおにぎりとジャムパン、アンパン、クリームパンが入っていた。残りの一袋には、寒さが勝ち始めたので販売が始まっているホットが二本、冷たいが一本のお茶。
「よし、じゃあ私たち二人で別けようか。どれがいい」
袋の中身を全部並べる。お茶はベンチに直接おいて、パンとおにぎりは袋を敷いた。
体の横で並ぶ安い昼食。普通に、着飾って街中を歩けば奢ってもらえそうなのに、ちらちらおにぎりを見る。
いつもの展開に、加藤の唇の端が少しだけ上がった。学生の時もこうだった。大人になっても、こうやって関係が続くのは正直うらやましい。本人たちはそう思っていなくても、大人になればなるほど、一人になっていく。恋人や職場で人間関係が築ければよいが、そう簡単でもない。
立花は横を全くにしない。口よりも先に手が動く。ここ数年は家族より長く一緒に過ごしているので展開が読めている。さあどれにすると、加藤に提案する。
僕よりも先にどうぞ。遠慮するように言った加藤の言葉を、一番早く実行したのは朝田だった。素早く伸ばした手。捕まえたと思ったおにぎりが浮き上がり、自分自身の手は叩き落とされた。
溜息一つ。「ごめんなさいは」
しかる時の母親が出す声に、強気に装っていた表情がしゅんとなった。素直に、あっさりと謝る。
「ごめんなさい」
ここで、はい分かりましたとおにぎりを渡してしまうのは、あまり利口ではない。はっきりと、誰に対して謝罪するべきか。親のいない子供を今すぐに引き受けても、まっとうに育てられる。立花の話の進め方はそう感じさせた。
「謝る人が違う」
視線は落としたまま加藤の方にごめんと謝罪を投げた。ここでもまだどうぞとは言わない。「足りない」
「……ごめんなさい」
本当なら目を見て謝らせるところだが、それはまた今度。一番に選ばせるように袋を二つ朝田に近づけた。
ちょっとは考えるのかと思ったが、考えることなく梅とジャムパン、ホットのお茶を手に取り二人に背を向けた。
怒らないとな。立花の顔がそう言ったので、まあまあと宥めて手を差し出す。先に選ぶ権利を与えられて、眉を上げてどうも。昆布とアンパン、ホットのお茶を太ももの上に置いた。
残った三つを加藤が袋に入れて、立ったままおにぎりの袋を開ける。
横では、後ろ向きでも海苔のパリパリという音が聞こえる。その音が聞こえなくなる合間に、ぶつくさと文句が聞こえてくる。
食事は楽しく食べるのがスパイスの一つになる。見た目、匂い、これらを気にするのは駄目だ。可能でない人もいるからだ。だから食事を美味しくする二大スパイスは、楽しく食べる事と、お腹を減らして食べるこの二つに限る。
朝田がやっているのは。明らかにスパイスの一つを消していた。注意するのが好きという人間ではない立花だが、ここは言わなければいけない。自分は食事に手を付けず背中を見つめる。
「あのね、仕事が上手くいかなかったからって、文句ばっか言って当たってどうすんの」
一人で、誰に聞かせるわけでもなかった文句は、口の中に物が入っていてもよかったが、会話するなら別。お茶のキャップを開けて口の中の物を流して振り返る。
「だって、三日前に取材した人が連絡してくれた時は、恵種のこと話してくれるって言ってたのに、今日行ったら恵種なんて知らないだよ。怒りたくもなるでしょ」
口約束は簡単に出来るからこそ、破るのも容易い。今日取材した相手が、どんな風に今のセリフを言ったのか定かではないが、心変わりにしては方向転換しすぎている。
話したくない、話す気はないなら心変わりだと止むを得ず納得するしかないが、知らないとは断り方としても下手すぎる。知っているはずだ。連絡はしたのだから。
それを根本から失くしてしまっている。怯えた様子でこういったなら、朝田もここまで怒っていないはずだ。記者なら直感で圧力が掛かったと見抜ける。凄いスクープに繋がるかもしれないと心躍る。
怒り方からして、恍けたように言ったのだろう。馬鹿にされたと思い込んでしまっている。雑誌社が決して大きくないからこういう扱いは慣れていそうだが、相当頭に来ている。
「長い事食い下がったけど、連絡貰った事すら知らないとか、完全に馬鹿にしてるじゃない」
「そうはいっても、この仕事はそういうもんでしょ。溺れそうになりながら必死で藁を掴んで、何とか溺れないように次の藁を探す。今朝も言ったけど、嫌なら移ればいいって」
嫌だと首を振る。彼女の態度、関係からして、意外と一人で仕事できるか不安なのかもしれない。立花がいるからこそ、自分が成り立っていると考えていそうな態度だった。
薄々は感付いていてもおかしくない。それでもこういうのは、独り立ちさせたい、また母親のような性格からくるのか。
「でも、今回の人もそうですけど、この間取材した人も変ですよ」
二人のやり取りに関わらないようにしていた加藤が、おにぎりを一口も食べずに携帯電話をいじりながらそう言った。
「どういう事よ」
「連絡したんです。知らないって言ってるって。そうしたら、変だったんですよ、彼も」
軽く風が吹いたので、立花が飛ばされないようにおにぎりとペットボトルを袋の上に置いた。
「どんな風に変だったの」
「まさか、そんなの知らないとか言ったとか」
冗談口調で朝田が言った言葉に、そうですと言葉が返ってきた。
「連絡したら、取材されたことすら覚えてませんでした」
「なにそれ」
残っていたおにぎりを口の中に入れ、包んでいたゴミをお茶を避けて袋の中に入れ、体の向きを変えた。
「そんなこと言ってたの」
「そうです。それとこれを」
携帯電話を二人に渡した。立花が受け取り、二人で画面を覗き込む。
「二人が取材してくれている間に、ちょっとパソコンの中を覗いたんです。何か今回の事と繋がるサイトはないかと眺めてたら、幾つか気になったサイトがありました」
画面の中に大きな文字で、『裏・表 噂のお話.com』とサイト名が踊っている。下にスクロールしなくても、書き込みスペースが見えている。
「その中でもそこが一番気になったんです」
ネットの掲示板らしく、下に移動していくと色々な書き込みがしてある。多種多様の書き込み。真偽のほどは不明で、心惹かれる物から鼻で笑うものまで様々。
「で、このサイトがどうしたの。別に不思議なところはないと思うけど」
一番下まで見た二人は、加藤にどこがと首を傾げる。美人二人が自分は気付いているのに分からず首を傾げてくる姿に、得意げになったりはしないようだ。
「他も見たんですけど、レス番号が全部ある掲示板なのにそこだけ飛んでるんです。番号が」
番号と言われて、二人は上に戻していく。すると、何番も番号が続けて飛んでいたり、ごっそり無くなっていたりするのに気が付いた。
「時間は三日前、正確には二日前の夜中一時から三時までの間の部分だけ、無くなっている」
「で、これが?」
本人でもなく、見ていたわけでもないから断言はできない。重なるのは、時間だけ。それでも頭が働く。サイトの題名のように、噂話でも、本当のように書くくらいの妄想力がいる仕事だ。
「ここに書き込んでた、ってこと」
「確信はないですけど、そうなんじゃないかなと。その掲示板を見てもらっても分かるように、それ以降、一切飛んだレス番号を気にしている人もいないんですよ」
さらっと流し読みだけでは内容までは把握していないが、確かに誰もいなかった。気にしている素振りさえなかった。
「まるで見えていないようね」
「見えてないって、数字飛んでるのが」
「噂話が好きな人間が集まってるのに、突然、飛び飛びになったり一気に番号が飛んでいるのに、気にしないわけがないと思いませんか」
書き込んでいる者にしてみれば、飛んで火にいる噂話と、話題の中心になっていても不思議じゃない。だが誰も、一人も話題に出していない。不自然さしかない。
「だったら、この前取材した人も書き込んだってこと」
「さぁ、そこまではなんとも」
これ以上の憶測は、道筋さえも自分たちで作り出していかないといけなくなる。記者や検察官もやっていることとはいえ、今の段階でしたところで話は纏まらない。何一つ見えていないのだから。
腐るようにぶつくさ文句を言っていた朝田だったが、上体を元に戻してジャムパンの袋を開ける。
一気に頬張り、流し込むように食べ終わった。
「俄然やる気になってきた」
続くはスクープか、それとも触れてはいけない闇か、はたまたただの妄想か。記者なら自分の足で進んで確かめるのが一番。
自分だけ先に食べ終わって行こうと張り切っているが、二人はまだ一口も食べていない。
「そんなに焦ったって、逃げるもんでもないでしょ」
おにぎりのセンターの線を引っ張り、ぐるりと一周回して切り取った。両端から袋を抜いて、さあ食べましょう。
「逃げるでしょ、スクープは」
加藤もおにぎりを食べる格好になる。
「まあまあ、ゆっくり食べましょう」
「私は食べ終わったの。じゃあ待つから加藤、パン頂戴」
手を差し出す。どうぞと加藤がパンを差し出して、三人の遅い昼食が始まった。