地下鉄、道路、歩道橋、上空 立体交錯点 (3)
5
高層ホテルの屋上に三人の女性が降りた。高くなくても出入り禁止の屋上だ。強い風に靡く髪の長さはそれぞれ。短いのもあれば長いのもある。
人目を引く体つきだったり、顔だったり、声だったりは人それぞれ好み、趣味がある。個人差があるので一概にどういうものが目立つというのは断言できないが、髪の場合は違う。風に靡くなんて状態なら尚更だ。太陽の光を蓄えて、自ら輝きを放つようなロングに近い金髪は、誰の目も惹きつける。
「ほんと、何であんたをそんな綺麗な金髪で生まれさせたんだか」
目の少し下あたりで盛大に舞い上がった金髪を、感触を確かめるように指で梳いた。季節柄寒くなってきたのに、お尻の肉がはみ出そうな際どいホットパンツにスニーカー、上に黒のTシャツ一枚という見てるだけで少々肌寒い恰好をしているサニー・ローレンスに、ゴーグルの奥でにやりと笑いを返したエリザベス・カレン。
「天が二物を与えたんだ」
二人の身長差は頭一つもない。薄汚れた白衣に分厚すぎるゴーグル。中も薄汚れた白いワイシャツを着ていた。下は太ももの半分より上まである長すぎるロングブーツと長さが分からないパンツを履いている。
「もう一つは?」
コメカミを軽く二度人差し指で叩いた。「頭の良さ」
自信満々に笑ったが、ただの変態だろとサニーに相手もされなかった。ただ、変態はお互い様だと言葉が自分に返って来ていたが。
残りの一人は、少女を抱え上げて屋上に降ろした。
「寒くないかい、姫」
一般的な男が横に並んでも体格的に見劣らないサニーより、さらにガッチリとした体格の四条慶子が屈んで尋ねた。体格にしては少し小さめのスーツだが、屈んだくらいでは流石に破れない。
顔を直視は出来ないのか、大事そうに抱えているキリアム・レナの上腕くらいありそうな本に目から下を隠しつつ首を横に振る。
十一月にしては肌寒そうな三人の格好だが、姫だけは逆に暑そうな格好に見える。黒い、魔女の物といわれて誰もが想像するマントに、屋上の風でも大して揺れない部厚めのワンピース。ふくらはぎが隠れるほど長いスカートの中に、真冬でも汗を掻きそうなフワフワな毛が付いている子供用のブーツを履いている。
もしこの格好で寒いなら、冬場は外に出られない。真冬では寒いかもしれないが、まだそこまでの季節じゃない。
態度が恥ずかしいと示している。性格からしたら一番そんな事に気づかなそうなエリカが、簡単に見抜いた寒がっている理由。
男が好きだと思われる態度をとる女性は、大概女性に嫌われる。そして女性は何であんな態度に引っかかるのだろうと首を傾げる。それは女性だからだろう。男もそこまで馬鹿じゃないし、こういう場合でよくわかるのが女性もそこまで賢くないという事。
本当に、心の底からあざとい態度をとる女性を可愛い、愛おしいと思う男はほとんどいない。だったらなぜ、媚びるような態度の女性は人気が出るのか。答えは簡単。媚びるからにはそれなりの準備をしているから。
ラフな、サニーのような恰好の女性が媚びてきた場合。男は逆に引いてしまう。彼女だった場合は別だし、お酒が入ったり正常じゃなかったなら違うが、綺麗で性格の強そうな美人は、媚びるような空気は出ないし、何より出せない。
男に好かれる態度をとる女性は甘え、男よりも自分が下だと、上目使いで馬鹿な格好をする。それを見下ろして、男に自分が上に立ったと勘違いさせる。だからこそ周りからすれば馬鹿な女に見える。自分の価値を下げる、蔑まれても堪える根性がなければこんな女性にはなれない。
媚びるような女を嫌っている女性は、大体一人身だったりするのはそういうところにあるのだろ。単純だと思っているからこそ男の扱い方を知ろうとしなかった女性だから、仕方ないかもしれないが。
姫の場合、ここまでとは言わないが、好意を持っているボスに対する態度は、こういう媚びる女になるんじゃないかと思わせる。ただし、ボス以外に対する態度を見る限り、絶対に万人に媚びるような女にはなりそうにない。
「ボスに甘えたいんだそうだ」
素早く、邪魔ものを排除する為だけに作られたアンドロイドの瞳よりも冷たく、人の命でも血を吸いに来た蚊を潰す時と変わらない鋭い視線をエリカに振り向き飛ばした。
ゴーグルの奥で目の動きは分からないが、片方の頬だけを上げながら両手を上げて降参のポーズをとる。
人の上に立つ者は細かな気配りができないと立ち行かなくなるものだが、このボスには繊細さが足りないように感じる。恵種ばかりの、変わり者だらけの組織を率いていけるとはとても思えない。疑問符が残るところだが、今のところはやっていけているらしい。
自分には絶対向けられない鋭い瞳をしている姫の頭に手を置いてゆっくりと撫でる。一度撫でると顔が綻び、一往復すると耳まで真っ赤になる。二往復する頃には頬も鼻の頭まで真っ赤になっていた。
嬉しい感情を剥き出しのまま、隠そうとせずに顔を前に戻す。先程まで見せていた表情から嘘のような変化だが、ボスはそんなこと知らずに直接言ってしまう。
「甘えたいなら言えば幾らでも甘えさせてやるのに、遠慮しだな」
「ち、違うよ。私はただ、本当に寒いだけで――」
言葉の途中だった姫を、大きな揺り籠のように緩やかなカーブにした腕で軽々と抱き上げた。構えていなかった分驚きはしたが、一切抵抗せずにすんなりと受け入れて大きな胸に顔を乗せた。
「いいな、ボスは。私もあんな風に甘えられたいもんだ」
「お前は少々無茶しすぎだろ。本がない時とはいえ、一歩間違えたら殺されるぞ」
どこからくるのか、自信満々に腕を組む。
「大丈夫。姫に好かれてるから」
好意の対象ははっきりとしている。ボスに対しては心の底から好きでいる。残りのメンバー、リリスに対しては苦手意識があるようで、積極的には威嚇していなかった。ナナは新入りだったし、まだ相手の仕方を分かっていないだろうが、好意の対象ではおそらくない。
残り、ここに来ているエリカとサニー。この二人に対しては完全に、間違いようがない敵対意識、威嚇対象、拒絶反応とネガティブな感情しかない。
そういうことを大きく取りまとめていくのがトップに立つ人間の務めだが、このボスにはそんな考えがない。出てきた言葉も、まあ、上司が言いそうではあるが間抜けに見える。ここまで来ると、あえて道化を演じているように見えてくる。
「よし、予想よりも早く着いたし、昼食でも食べに行くか」
腕の中で丸まっている姫は、当然首を縦に振ったが残り二人は横に振る。
「遠慮するよ。夜まで時間あるし、日本人の女の子のお相手をしてみたい」
発言主は分かり切っているがサニー。エリカは小さくリリスに言うかと呟くが、高く上がったお尻が散歩を待ちきれない犬のように振られる。
タイプ的には攻めるような感じだが、こういう態度は意外と責められたいのかもしれない。知ったことではないが。
「たまに私が相手してやってるだろ」
腕の中で、親猫に抱かれた子猫が信頼して眠りに就こうとしていたが、大きな腕の持ち主からの発言にびっくりして顔を上げた。
まあそうだけどと、ちょっとだけ言い淀んだ。迷ったりでも、相手を気遣った様子でもなく、続けて出てきた言葉に躊躇いがなくあっけらかんとしていたことから、間を溜めただけの淀みだったようだ。
「ボスは筋肉すぎるんだよ。何て言うの、女の子らしくないっていうのかな。だからさ、小っちゃいじゃない日本の女の子って。そういう子も相手したいなぁ、ってね」
頷く態度からして、本人も自覚があるらしい。高級感がまるでないスーツとはいえ、女性の身体的特徴が服の上から想像できるのは胸か尻くらいなものだが、ボスは真っ先に全身の筋肉を想像してしまう。
悪いとは言わないが、あまりにも筋肉質すぎるので夜の相手をする時は、確かに女性を相手している感じではなさそうだ。細い男性はもちろん、筋肉を自慢できる男性でも裸を見せ合えば心が折れてしまう。
断ったことで次の行動が明確化したサニーのお尻の動きが止まった。無意識で行動するのがどうにも性的なのは、隠さない本能のせいだろうか。お尻の次は想像しただけなの舌舐めずりをしていた。
もう一人、断ったエリカに理由を聞こうとしたが、先に顔を向けて答える。
「私たち三人が一緒に歩いていて、一体なんに見える」
一人は筋肉質すぎる似合わないスーツを着ている女性と、黒いマントを羽織る大きな本を抱える魔女っ娘、そして言った本人は汚れた白衣に超ロングブーツのサディスティックサイエンティスト。
仮想の大会があっても大いに注目を集める三人が、普通に街中を歩いていたならどうだろ。想像するまでもない。確かにないかもなとボスも頷く。
「だったらどこに行くんだ」
顎に手を置いて、考えていますアピールをする。本当に頭を働かしているのか外から判断できないが、頭の歯車が回っている可能性は低い。
目的は既にあるらしく、一応考えていますアピールをしているだけ。顔は嫌らしい笑顔が薄まる気配がない。
「本当ならニホンザルの相手をしたいんだが、こんな都会にはいないだろうからな」
残念そうに首を振る。そして決まりきったように思い出したという、あっという声を出した。
「そうだ、いいところがある。動物園だ。そこならいるはずだ。ってことで、動物園に行く」
日曜日の朝、子供たちが楽しそうに動物園に行くんだと近所のおばさんに言っているのなら微笑ましい光景だと笑って見過ごせるが、この何を考えているか知れないゴーグル学者なら別だ。
譲って、そう百歩譲ってサニーが女性の相手をするのは良いだろう。そこらの男よりもよっぽどモテるに違いはない。迷惑をかけるのはもてない男と心奪われる女性だけ。
だからボスも平気で見送れるが、エリカの発言を思い出して、はいそうですかと見送れるはずがない。見に行くではないのだ、相手しに行くと言っているのだから。
「ちょっと待ってくれ、動物園に行ってニホンザルを見て何をするつもりなんだ」
最近の日本女性は、平気で下品な事を言えたりするが、全員が全員そうではない。海外の女性もそうだ。やはり奥ゆかしい女性の方が好みな男性は多い。
恵種である以上、普通の感性を求めるのは酷だが、せめて下品ではいないでほしい。サニーとエリカ以外の女性の恵種はと付け足しておかなければならないが。
「なにって、何以外ないだろ」
これほどまでに、返ってくると分かっていた言葉が返ってきて絶望することはあまりない。変な事だという自覚はある。おかしなことをやっていると分かっているが、やめられない。そういう毒性がある、のかもしれない。踏み入れたくない世界だ。
注意するべき立場のボスは、このまま黙って行かせられない。仁王立ちしてでも止めるべきだ。
動物園に来た子供が生で見たことがない動物たちに興奮し、はしゃいでいる中、ニホンザルのコーナーに来ると、突然一人の女性が中に飛び込み、あらぬことを始める。こんなトラウマを植え付けていいはずがない。
一般的な生活とは懸け離れているとはいえ、元は普通の人間だったはず。止めるんだ。ここはびしっと、組織のトップとして愚行を止めるんだ。
「三人で歩くよりも目立つだろ、そんなことしたら」
違う、目立つなんてものじゃない。確実にニュースになる。日本みたいな平和ボケしていない国でも、動物園や水族館がある国なら絶対にニュースになる。
表に出るのを避けているなら、させてはいけない事だ。どれだけ立派な城壁でも、蟻が開けた小さな穴から崩れてしまう事があるからだ。まぁ、今日、犯行予告を出しているので表ではなくて裏では知られることになるだろうが。
それでも、それでもさせてはいけない事だ。コンビニに行って軽い昼食でも買うかというテンションでさせてはいけない事なのだが、ボスの言葉に重みはなかった。
「心配ない。目立たないようにやる。その為に袋ウに色々と入れてきてる」
白衣を軽く捲って胸元をちらりと覗かせると、一匹のフクロウが細く長く、ベニヤ板ような薄さで服に張り付いていた。
「カメレオンが中にいるのか」
「あぁ、もちろん」
「そうか、ならいいか」
ボスの表情が納得に変わった。最悪の瞬間だ。了承してしまった。これで公然の前で卑猥な姿を晒すことになるのか。
もし本当にそうなら止めるはずが、ボスの言葉が指すカメレオンは、擬態をする動物の事。最も有名な動物だが、恵種が使うカメレオン。とすれば、見えなくする、という隠語か何かだろう。でなければこうも簡単に許可は出さない。
それを証明するように、エリカが振り返り、ホテルの屋上に降り立った四人が乗ってきた大きな鉄の塊の頭を撫でた。
あの時作っていたのはこれだった。流線型が美しく、水の抵抗をなるだけ避けるようにして進化してきた、泳ぐためだけに生まれ、泳ぎながら死んでいくマグロだ。
誰が見ても美しいと感心するその体の上部分がぱっくりと割れ、人が乗れるようになっている。それだけでも、まあ鉄でできているので全てがそうだが、変なのに、他にも目立っておかしな部分がある。
足が生えている。人の足、獣の足、鳥の足、どれも外れ。流線型のあの体の横から、二本、吸盤付の蛸の足が生えていた。この足の吸盤の数個を覗くと、飛行機のエンジンのような形をしている。
このエンジンで、マグロが雲泳いできた。頭に思い浮かべるだけで、何ともふざけた光景だと苦笑いしそうになる。この二本の足で立ち、エリカに頭を撫でられ喜ぶその姿に、気持ち悪い奴だなと初めて人間らしい笑顔で返す。
「そろそろ行くぞ」
「分かった。誰も来ないだろうが、ばれないように消えておけよオクトマグ」
頭をこつんと叩くと、音を残して鉄マグロの姿が消えた。
かなりの出来に納得なのか、大きく二度頷き三人の下に近寄る。姫の動いていた口が止まり、中に通じる扉の形が変わった。
そのことに驚く者は誰もおらず、開けて四人が中に入ると、そこは女子トイレの中に繋がっていた。
どう考えてもおかしいのは、常識の世界で生きてきた者なら誰でも分かるはずだ。トイレの一つが、屋上の扉と繋がっている建物があるはずがない。
扉を閉めると、中は洋式便器があるだけに変わる。もとの姿は、やはり普通のトイレだ。恵種で変えられただけ。こんなおかしなことをやったのが、この姫の恵種だろうか。何かをしていたのが姫なので、この子の恵種であるのは違いがないだろうが、本当のところはどうだろうか。エリカが何度も口に出している言葉からして、この程度の恵種ではないはずだ。
「それじゃあ、六時ごろ、またこのホテルに」
一番初めにサニーがトイレから出て、続いてエリカ、最後にボスと姫がトイレから出て行った。