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1、行きはよいよい

リハビリ小説です。もうひとつの連載も再開できたらと思っております。

「なによここ、どこなのよぅ」

 小心者だと自覚のあった愛実はすでに泣き出していた。

 どうして自分は森の中にいるのだろう。これは夢なのだろうか。しかし夢なのにいつまでたっても覚めてくれない。

 転んだ拍子に脱げた革靴は、暗闇の中見つからなくて結局は諦めた。ストッキングは当然破けてボロボロになり、歩くたびに足裏に激痛が走る。

 もう嫌だ。歩けない。歩きたくない。

 ついに座り込み、膝の間に顔を埋めた。眠れば夢は覚めるだろうか。いや、覚めてもらわなくては困る。

 眠れ、眠れ、眠くなれ!

 無理だった。こんなにうるさく激しく鼓動する心臓と、震えのおさまらない体で睡眠するなど不可能である。

 何がいけなかったのだろうか。

 両親の言うことを素直に聞いていればよかったのだろうか。

 髪の毛を染めるのをやめて、過度な化粧をやめて、あんな男と付き合わなければよかったのだろうか。

 そうすれば見知らぬ場所でひとりぽっちにならずに済んだ、そういうことなのか。

「お父さぁん、お母さぁん、環ぃ……!」

 助けて。

 心のうちで家族に呼びかけた。返事はもちろんない。

 どれほどそうしていただろうか。愛実の耳が、今まで聞こえなかった音を拾った。

 それは森の静けさを侵す、明らかに人の話し声。

「だ、だれかぁあああ!!」

 これを逃したら私は死ぬ。

 あらん限りの声を振り絞って助けを求める。声は掠れ、咳き込んだが、それでも必死に呼びかけた。

「私はここっ、ここにいるよぉっ」

 目に痛いほどの光が現れたのはその直後だった。

 熱い。これは火だ。

 反射的に後ずさった愛実は、そのまま尻餅をついた。呆然と見上げると、そこには男がひとり立っていた。

 愛実は咄嗟に違うと思った。

「あ、の、」

 男もこちらと同じくらい驚いているようだった。こわばった顔が松明(そう、松明!)に照らし出されている。

「いたか?」

 不思議なにらみ合いはそう長くは続かなかった。別の男が現れたのだ。

 彼は愛実を見据えると、驚いたように目を見開いたのも一瞬、すぐに表情を消した。そして着物の中から笛のようなものを取り出し、吹いた。

「なに、なんなのよ、」

 笛とか、マジありえないんだけど。

 普通は無線機とか、懐中電灯とかでしょ!?

「なのになんなのよあんた達ぃっ、」

「落ち着け」

「なぁ、俺は初めてなんだが、いつもこうなのか?」

「迷い人は錯乱しているのが常だ」

 淡々と会話を交わす男二人から、愛実は徐々に後退していった。

 逃げなきゃ。

 こいつらは変だ。いや、私以外のすべてが変だ、おかしい。

「おい、娘!」

 いやだ、いやだいやだいやだ!

 言うこと聞くから、謝るから、もう変な男と付き合ったりしないから!

 だから助けてお父さん、お母さん! 環!

 どれほど走ったのか分からない。

 突然足の力が抜けて、派手に転んだ愛実はようやく止まることができた。

 男たちは意外にも追ってはこなかった。もしくは見失ったのかもしれない。

 鬱蒼とした森の中で、愛実は再びひとりになった。

 湿った落ち葉の積み重なった地面が、愛実の嗚咽を受け取めてくれた。あたりは静かだった。

 もしまた両親に会えるのなら、今度こそ素直になろうと思った。

 好きでもない彼氏とも別れようと思った。

 意地悪ばかりしていた妹に謝ろう。

 できることは、全部するから。

「私を帰して、かえしてよぅ……」

 転んだままの状態で、愛実は訴えた。地面をめちゃくちゃに殴り、髪を振り乱して、誰かに、何かに訴えた。

 返事はない。そう思っていた。


「帰してやるぞ」


 先ほどの男たちの声ではなかった。

 顔だけ振り返った愛実の目に、松明の光が映った。そのすぐ横に、愛実とそう変わらない年頃の少女の顔があった。

「ったく、こんなとこまで逃げおって、お陰で余計な時間を食ったわ。わしに謝れ」

「…………あんた、誰よ」

「おぬしから名乗れと言いたいところじゃが、まあいい名乗ってやる。わしの名は安里あさとじゃ。特別にさとちゃんと呼ばせてやる」

「いや、呼ばないし……」

 なんだろう、この子。全然怖くない。

 松明を地面に置いて、安里と名乗った少女は愛実のすぐ傍までやってきた。

 仄明るくなったお陰で、互いの姿が先ほどよりかはよく見える。二人でじろじろと眺め回し、同じような表情を浮かべた。

「けったいな服装じゃな。短いすかーとなんぞ着て、寒くないのか」

「あんたこそ、なんで片方しか手袋してないの? 超ダサいんですけど」

「生意気な娘じゃな! わしが来るまで幼子のように泣いておったくせに」

「そ、それは、」

 自分の置かれた状況を思い出すと、愛実の両目にすぐまた涙の膜が張った。

「私、なんで、ここどこよぉ、」

「ええい、こんなクソ寒いところで泣くな! 泣くならホレ、もっと暖かい場所に行って泣け」

「暖かい場所ってどこぉおお」

「わしの家じゃ。わしはおぬしを迎えに来たのじゃ」

 立たせようと、安里の手が愛実のわきの下に触れた。途端に愛実は身をよじってそれを跳ね除けた。

「やだ! 私、私は家に帰りたい!! 私の家に帰りたいのよ!!」

「今は無理じゃな」

 気が高ぶっていた愛実は、無理の部分しか聞こえていなかった。絶望に包まれ、両手で顔を覆って泣き出してしまう。

「やれ、人の話を聞かぬ娘じゃ」

 安里は大きくため息を吐いた。

 ほうっておけばいつまでも泣き続けるだろう愛実に、安里は手を伸ばす。髪に触れ、とても慣れた仕草でゆっくりと撫でた。

「今は眠れ。明日になったら、名を教えるのじゃぞ」

 手は愛実のうなじに滑り、ほんのわずか熱くなった。それを合図に、愛実は糸の切れた人形のように全身の力が抜けて安里に寄りかかる。

「いい匂いのする娘じゃな」

 こちらにはない香りだ。安里は子犬のようにくんくんと鼻を鳴らして匂いを堪能した。

 それから眠りについた愛実を背負い、森の出口へと歩き出した。

 安里たちが消えた頃、松明もまた光を消し、闇に沈んだ。

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