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短編

求人:ウェンディ

作者: 間宮 榛



 今は一日の中で一番気温が高い時間帯のはずだよな。

 横を走り抜ける自動車のせいで一層強くなった冷たい北風に首を竦め、俺はバイトに向かう為に大通りを歩いていた。

 ああ、そうだ。小学校だか中学校だか記憶は定かではないが、理科の時間に習ったんだ。百葉箱ひゃくようばことかいう白い小屋みたいな箱の中身を覗いてみたり、温度計を持って色々な場所の温度を調べたり。その時に確か習ったはずだ。午後二時が一日の内で一番気温が高いって。

 ならば今が一番気温が高いはずだが、体感温度は朝とあまり変わらない。むしろ朝よりも寒いのではないかと思うくらいだ。

 歩行者用道路を歩く親子連れやサラリーマンといった他の人たちも、きっとそう思っているに違いない。なにしろ強風に舞い上がるコートやスカートや帽子や(時にはカツラや毛のない部分にバーコード状に覆い被せた)髪を必死で押さえ、無遠慮に当たる風や砂や自身の髪に目を細め顔をしかめ、向かい風や追い風の中を必死に歩いているのだ。

 もちろん俺もその例に漏れず、歩いているわけである。

 ただ俺が他の歩行者よりも周りを見る余裕があるのは、ひとえに髪が短いからであった。柔道みたいな武芸がよく似合う髪型だね、と好意を持っていた女の子に評されたことがある髪型をしている。それは純粋無垢な心のなせる素直な感想か、はたまた悪魔の囁きに唆された心のなせる悪意のある意見か。前者ととっておくことにして、俺はブラシのように硬くて真っすぐな髪にこれ以上似合う、正確にはこれ以外に変えようがない髪型を維持し続けている。

 そんなどうでもいいことをつらつらと考えながら、風に押されるように足を前に踏み出した。

 北風は自動車が止まっても止むことなく吹き続けている。

 守ってくれるものがない首筋に冷風が直に当たるのと同時に、真っ裸になった街路樹越しの太陽からやわらかな温もりを頬に感じる。日差しには確かに温かさがあるのだが、他のものが冷たすぎるんだよな。

 容赦ない追い風に、視界の端で黒い塊が飛ばされていく。クルクルと錐揉み降下する飛行機みたいに回りながら俺を追い越していくのを、ちらりと横目で見た。こんなに風が強ければ、猫の一匹やそこらが飛ばされても不思議ではない。

 ドンマイ、猫。猫っていうものは一般的に身軽だから、お前もきっと華麗に着地できるさ。

 飛ばされていった黒猫に軽く同情をし、ダウンに突っ込んでいた両手を更に深く入れ直した。

 バイト先のコンビニまでまだ半分の道程だと思うと、風に背中を押されるのも手伝って自然と足が速くなる。寒空の下、知り合いに会うこともなく黙々と足を進めていった。

 先程飛ばされていった黒猫が、風に逆らってこちらに戻ってきた。くるくる回りながら、飛ばされていったのと同じスピードで。

 あの黒猫、いやに平べったいな。

 黒猫は回りながらも真っすぐ俺の足元にきて、歩く俺の周りを楽しげにくるくる回る。

 風なんかものともしないその動き、何よりも厚みがなく明らかに猫とは違うその形。丁度、手を広げて踊る子供の影のような。

 …………というか、本当に子供の影だけだし。

 周囲に目をやれば、周りを歩く人は俺の足元の異常に気付いていない。気付いていないのではなくて、きっと見えていないのだろう。

 またか。前々から摩訶不思議な出来事にはよく遭遇していたが、今回もその類か。それよりこの子供の影、持ち主はどこだよ。

 思わず立ち止まって辺りを見回した。母親に手を引かれて歩く幼稚園児と思しき子供の足元には、影がある。ベビーカーに乗せられた乳児は本当に影があるか確認はできないが、足元を回る影とは明らかに大きさが違う。

 影の持ち主を見つけるのも大事だが、すぐに持ち主に返せられるように捕まえた方がいいのかもしれない。影は自由になったのが嬉しいのかスキップを踊るように軽やかな足取りで回っており、自主的に持ち主の元へ帰るとは到底思えない。ピーターパンの影ではないが、もしかして逃げ出してきたのだろうか。そうだとしたら一大事だ。影がないなんて、あの世に片足突っ込んでいるのと同じだと思う。

 俺は踊る影に捕獲しようとしているのを看破されないように、再びゆっくりと歩きだした。影は何が嬉しいのか俺の周りをひたすら回って離れようとはしない。むしろこちらとしては好都合だ。

 足を踏み出す際、影が前を横切る瞬間を狙って足を下ろす。影は俺の足が地面に着くか着かないかの僅かな隙間をするりと抜けて、踊り続ける。そんな地味な攻防を何度か繰り返し、俺はとうとう影の動きを止めることに成功した。足の下でばたばたと藻掻き、踏まれている腕を抜こうと影は躍起になっている。俺の足を退かそうと影が足の影を殴るが所詮は子供の力だ、殴られてる感覚はあるが痛くない。

 その様子を見ると影同士は互いに触れられるらしいが、影が体自体に触ることは出来ないようだ。そして影が影に触ると、体にもその感覚が伝わるらしい。

 ……だとすると、俺は今足で踏み付けていると思っているが、実際は足の影でこの影を縫い止めているということだろうか。そうだとすると、この影の持ち主は今俺に腕を踏まれているのと同じ痛みを感じているというわけで……いやまて、これじゃ虐待みたいで人聞きが悪いが不可抗力だ。それに、このまま足で踏んでいては持ち主を探しに行くことも出来ないから、どこか持てると互いにいいのだが。

 とりあえず俺はダウンから右手を引き抜き、影の手の部分を握る格好になるように右手を動かした。

 俺の影が子供の影の手を掴むと、見えないけれども小さな手の感触があった。五本の小さな動く指が確かに掌の中にあって、透明人間の手を掴んでいる感じ、もしくは目を閉じたまま手を掴んでいる感覚、とでも言えばいいのだろうか。見えないけれど触れるという今まで体験したことのない感触に首をひねりながらも、下を見れば俺の影はちゃんと子供の影と手を繋いでいる。

 子供の影は真っ黒で表情はないのだが、何故だかとても不服そうであった。俺はぐずって抵抗する子供の影を半ば引き摺るような形で、持ち主を探しに歩きだした。

 きっとさっきの光景も今の状況も、傍から見たら変な人の一言に尽きるのだろうな、という考えが頭をよぎった。

 周りを見渡せば相変わらず強風と戦いながら歩く人しかいなくて、勿論俺もその中に含まれている。左手はダウンの中に突っ込んでいるからいいが、右手は冷風に晒されてかじかんできた。ちらりと横目で影を見れば、子供の影はいつのまにか腕を引っ張って抵抗するのをやめ、寒いのか俺の影に寄り添うように歩いている。

 そのまま歩きはじめたのはいいが、コンビニまで歩いてあと三分もかからない。このまま影の持ち主が見つからなかったらどうしよう……。

 そんな一抹の不安を抱えながら、向こう側の歩道の端で止まれと指示する信号に従い足を止める。先に信号待ちをしていた女性にちらりと目をやると、四、五才くらいの寝ている子供を抱き抱えていて、重いのか時々抱き直している。細腕に支えられた子供は母親の肩にポンポン付きのニット帽をかぶった頭をもたれさせ、寒さに負けることなく穏やかな顔で眠っている。

 念の為にそのまま下に視線を移すと、腕の中にある筈の子供の影はなかった。

 ……流石俺、ビンゴ。

 持ち主は見つかったが、はてさてこの影をどうやって持ち主に戻せばいいのか。影を持ち主に縫いあわせるなんて芸当、俺には無理だ。

 信号は青になり、少し弱まっていた北風が再び猛威をふるいだす。子供を抱いた女性が歩きだす。どうしようで頭がいっぱいになったまま歩きだし、女性の斜め後ろをマークする。そのまま時間は無常にも過ぎていき、俺の目的地であるコンビニまでもう一分もあれば着いてしまう所まで来た。無駄にめでたい紅白で彩られたコンビニの看板が見える。

 あああっ、もうどうすればいいんだっ。

 頭を抱えたくなるのを理性でどうにか押し留め、そのかわりに髪に手を突っ込み掻きむしる。時間は無い、距離も無い、余裕も無ければいい考えも浮かばない。

 無い無い尽くし且つ短時間で俺が出した結論は、本来影がある位置に無理矢理影を置いてくる、というものだった。強引すぎるとは思うが、しょうがない。きっと母親の影が上手いこと子供の影を捕まえてくれるだろう。斜め後ろを歩いていて気付いたのだが、母親の影は子供の影を探しているのか時々辺りを見回している。これなら勝算があると踏んで、女性の影に並ぶために足を速めた。

 チャンスは一回。

 影が近くなったのを見計らって、子供の影が母親の腕の中に入るように腕を振った。放り投げるような形だが子供の影が腕の近くに来た瞬間、母親の影は腕を広げて我が子の影をしっかりと抱き留めた。それを見るか見ないかのうちに女性を追い越し、俺はそのまま早足にその場を立ち去った。

 駆け込むように裏口からコンビニに入り、一息つく。無事に返せてホッとしたのも束の間、時計を見れば交替ぎりぎりの時間だ。急いで制服を着てレジへ出たら、まだ前の担当の佐藤さんはレジにいた。

「あ、田中くん」

「遅れてすいません。佐藤さん、交替しますよ」

「わたし今日は八時までだから、あがるのは鈴木さんですよ」

「あれ、そうだったんですか」

「うん、そうだったんですよ」

「じゃ、鈴木さんと交替してきます」

「はいはーい」

 ふふふと笑うレジの佐藤さんと別れ、スナック菓子のコーナーで品出しをしている鈴木さんに声をかけ交替をした。鈴木さんが品出しをしていたポテチをそのまま引き継いで、新しいポテチを箱から取り出す。新製品の塩チョコ風味ポテチは、バレンタインを意識したのだろうか。塩チョコ風味とは甘いんだか塩辛いんだか、とにかくあまり美味しくなさそうだ。どうでもいいことを考えながら棚に並べていたら、肩を叩かれた。

「どうされましたか?」

 接客スマイルで振り向くと、子供が一人。ポンポンのついたニット帽をかぶった、四、五才くらいの男の子だった。

「あのね」

「?」

「ぼく、ウェンディさがしてたの」

「はぁ……?」

 いきなりウェンディと言われても、俺にはそんな外人の知り合いなんぞいないから知らないぞ。そもそもこの子の母親はどこにいるんだ。

 顔は子供に向けたまま視線を周囲に走らせたら、子供は再び口を開いた。

「ウェンディって、かげもどしてくれるんでしょ?」

「……あぁ、ピーターパンの。うん、影を戻してくれるな」

「あのね、ぼくね、あそこのおねえちゃんみたいなウェンディがよかったの」

 子供が指差したのは、レジに立つ現役女子大生の佐藤さんだった。そりゃあ子供でも一丁前に男だ、きれいなお姉さんのが好きだろうな。それならば、何故俺に話し掛けてきたんだ?

「でも、おじさんがぼくのウェンディなんでしょ?」

「おじっ……お兄ちゃん、何のことだかよくわからないんだけど」

 オジサンと呼ばれた衝撃を隠しつつ聞き返したら、子供はさらりと返してきた。


「だって、ぼくのかげひろったのおじさんだから、おじさんがウェンディなんでしょ?」



Rapid-Fire びっくり箱企画(作者当て大会)参加作品

BOB賞、BOT賞、BOW賞 受賞

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